第8話:学園一の美少女は、振られたままデートに誘う
管理表は、翌朝も残っていた。
消えていなかった。
むしろ、食卓の端に置かれたそれには、赤ペンでいくつかの修正が加えられている。
> 白瀬玲奈 弓道部の先輩/公開告白/まだ振られておきます
> 小鳥遊雫 白瀬先輩推し/最低→保留/観察中
「こはる」
「何」
「更新されてる」
「更新依頼が来たから」
「受け付けるなよ」
「私だって受け付けたくないよ。でも白瀬先輩から丁寧な文面で来るんだよ。断れると思う?」
断れないと思った。
こはるは朝から目が死んでいた。
「それと、小鳥遊さんからも来た」
「雫は何を」
「『観察中の表記は正確です』って」
「正確なのか」
「知らない。もう私は正確とか不正確とか考えたくない」
妹の生活に、俺の恋愛騒動が事務作業として積み上がっている。かなり申し訳ない。
「お兄ちゃん」
「何だ」
「今日は何も増やさないで」
「俺の意思で増やしてない」
「その言い訳、管理表に載せたいくらい聞いた」
朝から妹に刺された。
* * *
教室に入ると、宮坂がまず俺の両手を確認した。
「今日は紙を持ってないな」
「持ってない」
「スマホは?」
「ある」
「管理表は?」
「知らない」
「知らない顔をするな。お前はもう表から逃げられない」
嫌な言い方だった。
席に着くと、芽衣がこちらを見ている。
「おはよう、悠斗。管理表、更新された?」
「された」
「私の欄は?」
「そのまま」
「そっか」
なぜか少し不満そうだった。
「更新したいのか」
「したいわけじゃないけど、放置されるとそれはそれで」
「管理表に対抗心を燃やすな」
その時、教室の入口が静かになった。
白瀬玲奈が立っていた。
昨日も見た。なのに、やっぱり教室の空気が少し変わる。
白瀬先輩はまっすぐ俺の席まで歩いてきた。
机の周りの男子たちが、道を開ける。誰も指示していないのに、自然に通路ができた。
「佐倉くん」
「はい」
「本日の放課後、少し付き合っていただけますか」
教室が止まった。
宮坂が椅子から半分落ちた。
「白瀬先輩」
「はい」
「言い方が」
「はい。少し意識しました」
意識しないでほしかった。
白瀬先輩は、いつもの綺麗な微笑みのまま続ける。
「弓道部の消耗品を、駅前の店まで受け取りに行く必要があります。こはるさんにも関係するものです」
「こはるに?」
「はい。ですが、こはるさんは今日は部内の片付けがあります。小鳥遊さんも同じです」
「なるほど」
「なので、こはるさんのお兄さんに、荷物持ちをお願いできればと」
筋は通っている。通っているのに、周囲の視線がまったく納得していない。
芽衣が静かに、ペンを置いた。
「白瀬さん。それ、買い出しですか?」
「はい」
「二人で?」
「佐倉くんが来てくだされば、そうなります」
城ヶ崎が後ろの席から身を乗り出した。
「それ、世間ではデートって言うやつじゃない?」
「買い出しです」
「でも放課後に二人で駅前だよね」
「買い出しです」
「強い」
城ヶ崎が楽しそうに笑った。
一ノ瀬凛花が前方の席から振り返る。
「白瀬さん。校外へ出る場合、帰宅経路の範囲内ですか」
「はい。駅前の弓具店です。校則上、問題ありません」
「目的は部活動関連ですね」
「はい」
「では、風紀上は止めません」
「一ノ瀬さん」
「何でしょう」
「止めてくれないのか」
「正当な理由があります」
風紀委員長、こういう時だけ容赦がない。
宮坂が震える声で呟いた。
「佐倉、ついに学園一の美少女と放課後駅前買い出し……」
「買い出しだ」
「お前が言うと買い出しに聞こえるのに、白瀬さんが言うとデートにしか聞こえないんだよ」
ひどい話だった。主に俺にとって。
「佐倉くん」
白瀬先輩がこちらを見る。
「私はまだ、振られている途中です」
「途中なんですか」
「はい。ですので、これは告白の続きではありません」
「なら、何ですか」
「買い出しです」
綺麗に言い切られると、もう逃げ道がない。
俺はため息をついた。
「分かりました。荷物持ちでいいなら」
「ありがとうございます」
白瀬先輩は少しだけ嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、教室の男子たちがほぼ同時に机へ沈んだ。
「佐倉、荷物持ちで学園一の笑顔を引き出した……」
「罪状が増えた……」
「管理表、更新だな……」
やめてほしい。全部聞こえている。
* * *
放課後、校門前に白瀬先輩が立っていた。
ただ待っているだけで、絵になる人というのは本当にいる。
制服姿。手には小さなメモと、部費の封筒らしいもの。
「お待たせしました」
「いえ。私も今来たところです」
完全に待ち合わせの返答だった。いや、買い出しだ。
「佐倉くん」
「はい」
「今、買い出しだと思い直しましたね」
「読まないでください」
「顔に出ていました」
駅前へ向かって歩き出す。隣に白瀬先輩がいる。
学園一の美少女と二人で歩くというのは、たぶんこういうことなのだろう。
「目立ちますね」
「申し訳ありません」
「白瀬先輩のせいでは」
「いえ。私が佐倉くんを誘いましたので」
「誘った、という言い方も」
「買い出しに誘いました」
全部正しい。正しいのに、なぜか不利だった。
駅前の商店街に入ると、白瀬先輩は迷わず弓具店へ向かった。
「白瀬先輩は、よく来るんですか」
「はい。部の消耗品や、自分の道具を見に」
「こはるも来ますか」
「時々。こはるさんは、道具を選ぶ時にとても真剣です」
「そうなんですか」
「はい。矢羽根の色でずいぶん悩んでいました」
知らないこはるの話だった。
白瀬先輩は、そういうところを見ている。俺が知らない妹の部活での顔を、この人は知っている。
「こはるさんは、いい後輩です」
「ありがとうございます」
「佐倉くんは、すぐお兄さんの顔になりますね」
「そうですか」
「はい。私に告白された時も、最初にこはるさんの心配をしていました」
その話に戻るのか。
「怒ってますか」
「いいえ」
白瀬先輩は少しだけ首を横に振った。
「少し、嬉しかったです。私を、白瀬玲奈としてではなく、こはるさんの先輩として見ていたので」
「それは、告白された側としてはどうなんですか」
「複雑です」
「ですよね」
「でも、そこが好きです」
商店街の真ん中で、さらっと言われた。
俺は危うく足を止めかけた。
「白瀬先輩」
「はい」
「買い出しです」
「はい。買い出し中です」
「今のは買い出し中に言う台詞ではないと思います」
「では、買い出し中に言ってはいけない台詞一覧を管理表に追加してもらいましょうか」
「こはるを巻き込まないでください」
白瀬先輩は楽しそうに笑った。意外と、こういう人なのかもしれない。
* * *
弓具店での用事は、思ったより早く終わった。
俺は言われた通り、荷物を持つだけだった。
「ありがとうございます。助かりました」
「このくらいなら」
「では、お礼に何か飲んでいきませんか」
「白瀬先輩」
「はい」
「それは買い出しの範囲ですか」
「荷物持ちへのお礼です。そして、放課後に二人で飲み物を飲むので、周囲からはデートに見えるかもしれません」
「自分で言わないでください」
「ですが、私はまだ振られているので」
「それを免罪符にしないでください」
白瀬先輩は微笑んだまま、駅前の小さなカフェを指した。
「十分だけです」
「十分で終わりますか」
「終わらせます。今日は」
今日は。その言葉が少し怖かった。
結局、俺たちはカフェの窓際に座った。
白瀬先輩は紅茶。俺はアイスコーヒー。外を通る生徒がこちらに気づいて固まっていたが、もう見ないふりをするしかない。
「佐倉くん。今日、来てくれてありがとうございます」
「荷物持ちですから」
「それでもです。振られた相手を誘うのは、少し勇気が要りました。私は、あまり断られることに慣れていないので」
意外だった。でも、そうかもしれない。
白瀬玲奈は、たぶん多くの場面で断られない。綺麗で、正しくて、丁寧で、周囲の期待に応えられる人だから。
「だから、昨日から少し新鮮です」
「楽しむところですか」
「楽しんでいるわけではありません。ですが」
白瀬先輩は、少しだけ笑った。
「佐倉くんが、私を特別扱いしないことは、嫌ではありません」
言葉が、まっすぐだった。俺はストローを少し回した。
「俺は白瀬先輩を軽く見ているわけではないです。ただ、学園一の美少女だから付き合う、みたいなことはできない」
「そこも、分かっています」
「なら、どうしてまだ続けるんですか」
「まだ、分からないからです。佐倉くんのことを」
静かな声だった。
「私は、断られました。けれど、佐倉くんが私を嫌いなわけではないことも分かりました。だったら、まだ知る余地があります」
「かなり前向きですね」
「弓道は、外したあとに次の一射がありますから」
「かっこいい言い方を」
「部員には言いません。今、思いつきました」
「言わない方がいいかもしれません」
白瀬先輩は口元を押さえて笑った。
その時、スマホが震えた。こはるだった。
『白瀬先輩と駅前にいるって本当?』
『買い出し』
『カフェにいるって聞いた』
『荷物持ちのお礼』
『管理表の欄、どう更新すればいい?』
俺はスマホを伏せた。
「こはるさんですか」
「はい」
「管理表の件でしょうか。私も少し、気になっていました。もし更新するなら、こうでしょうか。――放課後買い出し。荷物持ち。お礼の十分」
「ほぼ事実なのが嫌です」
「デートとは書いていませんしね。では、『仮デート』」
「悪化しました」
俺は頭を抱えた。
* * *
カフェを出る頃には、本当に十分しか経っていなかった。
「今日はありがとうございました」
「荷物は家まで持ちますか」
「いえ。ここからは私が持ちます。部のものですから」
白瀬先輩は荷物を受け取り、少しだけこちらを覗き込んできた。
「佐倉くん。今日は、振られたまま買い出しに付き合ってもらいました」
「……言い方」
「次は、振られたまま別のことをお願いするかもしれません」
「予告しないでください」
「では、予告ではなく、予定未定ということで」
いかにも管理表に載りそうな不穏な言葉だった。
駅前で別れ、家路につく途中で、案の定スマホが震えた。
『更新案』
> 白瀬玲奈 弓道部の先輩/まだ振られておきます/放課後買い出し/仮デート疑惑
『疑惑を消してくれ』
『じゃあ仮デートで確定ってこと?』
『違う』
『じゃあ疑惑のままにしておくね』
さらに城ヶ崎、芽衣、一ノ瀬からも通知が届き、最後に小鳥遊からも追及が来た。
どこにも逃げ場がない。
家に帰ると、こはるが玄関で待っていた。
「お兄ちゃん。管理表、今日だけで更新依頼が四件も来たんだけど」
「……すまん」
「謝るくらいなら、仮デート疑惑なんてものを増やさないでよ」
「増やした覚えはないんだ」
「でも事実として増えたの。私の作業量も。お兄ちゃんの恋愛騒動、もう私の手に負えない」
「俺の手にも負えてないんだよ」
「それが一番困るんだってば」
正論だった。
誰とも付き合う気はない。そう言っただけなのに。
管理表には、たぶんこう上書きされる。
――仮デート疑惑。
疑惑で済んでいるうちに、どうにかした方がいいのかもしれない。




