第7話:妹は、兄の恋愛管理表を作る
翌朝、食卓に一枚の紙が置かれていた。
朝食の味噌汁の横。焼き鮭の手前。
俺の席の、真正面。
そこには、太めの文字でこう書かれていた。
> 佐倉悠斗周辺・恋愛騒動管理表
「こはる」
「何」
「これは何だ」
「見れば分かるでしょ。管理表」
「見たくなかったから聞いてるんだよ」
妹の佐倉こはるは、朝から妙に疲れた顔をしていた。
昨日、小鳥遊雫が家に来たせいだろう。いや、原因のかなり大きい部分は俺らしいのだが。
「お兄ちゃん、もう口頭だと追えないんだよ」
「何をだ」
「お兄ちゃんの周りに来る人たち」
「来てほしいと言った覚えはないぞ」
「言ってなくても来てるから管理してるの。これは防衛策」
こはるは箸を置き、紙をこちらへ押し出してきた。
表には、すでに五人の名前が並んでいた。
> 白瀬玲奈 弓道部の先輩/公開告白/今日は振られておきます
> 橘芽衣 幼なじみ/弁当/朝・帰り道予約
> 城ヶ崎莉愛 努力型ギャル/候補なので/昼休み・学食
> 一ノ瀬凛花 風紀委員長/継続観察/放課後・生徒会室
> 小鳥遊雫 白瀬先輩推し/最低→保留/家に来る
「俺の人生が一覧表になってる……」
「お兄ちゃんのせいで、私の生活圏まで一覧にしないと危ないんだよ」
「危ないとは」
「誰がいつ来るか分からないから」
言い返せなかった。
母さんが台所から覗き込む。
「あら、こはる。よくまとまってるわね」
「褒めないで。褒めたら、この作業を続けるしかなくなる」
「でも便利ね」
「便利にしないで」
こはるは深いため息をついた。
「見てよ。昨日の時点で、学校、家、部活、学食、生徒会室まで侵食されてる」
「侵食って言うな」
「じゃあ進出」
「もっと嫌だ」
「お兄ちゃん、本当に誰とも付き合う気ないの?」
「ない」
「じゃあ、なんで全員増えてるの」
「俺が聞きたいよ」
こはるは俺をしばらく見たあと、表の一番下に新しい項目を書き足した。
> 佐倉悠斗 本人/自覚薄い/たぶん発生源
「発生源はやめろ」
「一ノ瀬先輩が言いそうだったから」
「もう言われたよ」
「じゃあ正しいんじゃん」
朝から妹に敗北した。
* * *
学校へ向かう途中、芽衣がいつもの曲がり角に立っていた。
「おはよう、悠斗」
「おはよう」
「今日も普通に隣、いい?」
「それは予約なのか」
「今日は、ただの登校」
「本当に?」
「本当に。……たぶん」
その「たぶん」が、最近いちばん信用できない。
芽衣は隣に並ぶと、俺の顔を覗き込んできた。
「眠そう」
「朝からこはるに管理表を作られたんだ」
「管理表?」
「俺周辺の恋愛騒動を整理する表」
芽衣が一瞬だけ目を丸くしたあと、口元を押さえた。
「こはるちゃん、ついに作ったんだ」
「ついに、なのか」
「作ると思ってた」
「なぜ」
「私でもそろそろ必要だと思ってたから」
「……お前もか」
芽衣は楽しそうに笑った。
「私の欄、何て書いてあった?」
「幼なじみ。弁当。朝・帰り道予約」
「うん。だいたい合ってる」
「合ってるのかよ」
「でも、お弁当は一回きりじゃないかも」
「増やすな」
「作りすぎたら仕方ないでしょ」
完全に管理表を利用する気だった。
* * *
教室に入ると、宮坂が俺の顔を見るなり身構えた。
「佐倉。今日は何を持ち込んだ」
「何も持ち込んでない」
「昨日までもそう言って全部持ち込んでたんだよ」
「俺は物品扱いなのか」
席に着いた瞬間、スマホが震えた。こはるから画像が届いている。
> 忘れないように送っておく
> ※勝手に増やさないこと
添付されていたのは、朝の管理表だった。
「送ってくるなよ……」
「何だ」
宮坂が覗き込んだ。
俺は反射的に画面を伏せようとしたが、遅かった。
「……佐倉悠斗周辺・恋愛騒動管理表?」
教室の空気が止まった。
「宮坂」
「お前、ついに管理され始めたのか」
「俺じゃない。妹が勝手に」
「見せろ」
「見せない」
「見せろ。男子代表として」
「何の代表だ」
そのやり取りに、周囲の男子たちが集まってくる。
「管理表って何だ」
「白瀬さんも載ってるのか」
「幼なじみ弁当は記載済みか」
「ギャルの昼休みも?」
「生徒会室は?」
「お前ら、なぜ詳細を知ってる」
「全部見てるからだよ!」
宮坂が叫んだ。
結局、俺のスマホ画面は男子たちの前にさらされることになった。
結果、教室の一角が朝から葬式みたいになった。
「白瀬玲奈、正式に一番上……」
「幼なじみ、朝・帰り道予約……」
「城ヶ崎、候補なので……」
「一ノ瀬さん、継続観察……」
「小鳥遊、最低から保留……」
そこへ、真柴紬が通りがかり、画面を一瞥した。
「佐倉くん、火が消えるどころか、一覧表になってるね」
「見ないでくれ」
「最初に言ったでしょ。油だって」
真柴はそれだけ言うと、自分の席へ戻っていった。
恋愛方面の騒ぎには一歩引いているくせに、こういう時だけ妙に正確なことを言う。
宮坂が机に手をついた。
「佐倉」
「何だ」
「この管理表、男子の精神衛生に悪い」
「俺の精神衛生にも悪い」
「じゃあ破棄しろ」
「妹が作った」
「なら妹さんに抗議する」
「やめろ。こはるの生活圏をこれ以上巻き込むな」
言ってから、自分でも少し悲しくなった。
その時、芽衣が席からこちらを見ていた。
「悠斗」
「何だ」
「私の欄、朝・帰り道予約って書いてあるんだよね」
「そうだな」
「じゃあ、今日の帰り道も一応、仮で」
「一応とは」
「管理表に載ってるなら、更新しないと」
「管理表を予定表にするな」
宮坂が震える声で呟く。
「表があるせいで、予約が正当化されていく……」
俺もそう思った。
* * *
昼休みになる前に、一ノ瀬凛花が教室へ来た。
入ってきた瞬間、宮坂が小さく「本物の管理側が来た」と言った。
「佐倉くん」
「はい」
「本日の昼休みの予定を確認します」
「本当に来た」
「継続観察です」
教室の男子たちが小さくざわめいた。一ノ瀬は一切動じない。
「今日の昼休みは誰かと約束がありますか」
「今のところ、特には」
「では、人だかりが発生しない場所で昼食を取ってください」
「一人で、という意味ですか」
「必要であれば」
「必要の判断は」
「状況次第です」
状況次第。朝から聞きたくない言葉だった。
そこへ、城ヶ崎莉愛が机に肘をついたまま声を上げる。
「一ノ瀬さん、それ管理って言いながら、昼休みを取ろうとしてない?」
「取っていません。調整しています」
「でも悠斗の昼予定を確認してるじゃん」
「混乱防止です」
「じゃあ、うちが今日も一緒に食べたら混乱?」
「昨日ほど注目が集まらない配置なら可能です」
「許可制になってる」
城ヶ崎が笑った。完全に楽しんでいる。俺は全然楽しくない。
「佐倉くん。今日の昼休みは、教室内で食べてください。移動すると人目を引きます」
「教室ならいいんですか」
「比較的、管理しやすいです」
「俺は管理対象なんですね」
「継続観察中です」
その時、芽衣が静かに弁当袋を掲げた。
「じゃあ、教室で食べるなら、私もここでいいよね」
「橘さん」
「移動しない方がいいんでしょ?」
一ノ瀬がわずかに黙る。城ヶ崎が手を叩いた。
「あ、それならうちも教室で食べる。移動しないから混乱防止」
「城ヶ崎さん」
「候補なので」
「候補は管理区分ではありません」
「今、管理表には載ってるっぽいよ」
一ノ瀬の眉が動いた。
「管理表?」
宮坂が余計なことを言った。
「佐倉妹作成の公式資料です」
「公式ではない!」
俺が叫ぶ。一ノ瀬がこちらを見る。
「佐倉くん。その管理表を見せてください」
「嫌です」
「状況把握に必要です」
「また逃げ道を校則で塞いでくる」
「校則ではなく風紀です」
「同じくらい強い」
結局、俺はスマホの画像を一ノ瀬に見せることになった。
一ノ瀬は真剣な顔で読み込む。
「……情報整理としては、悪くありません」
「褒めないでください。こはるが続けます」
「ただし、『継続観察』の欄が恋愛騒動側に分類されているのは不正確です」
「そこですか」
「そこです」
城ヶ崎がすぐ横から覗き込んだ。
「でも放課後取ったじゃん」
「取りましたが、目的が違います」
「取ったのは認めるんだ」
一ノ瀬が、少しだけ詰まった。
芽衣が静かに笑う。
「じゃあ、管理表は修正しないとね」
「誰が修正するんだ」
「こはるちゃん?」
「やめろ。妹の作業を増やすな」
昼休み前から、俺の周囲はすでに人だかりになっていた。
一ノ瀬がそれに気づいて、小さく息を吐く。
「……佐倉くん」
「はい」
「この状況自体が、すでに問題です」
「俺もそう思います」
「では、昼休みはこの場で静かに食べてください」
「この場で?」
「はい。移動禁止です」
城ヶ崎が楽しそうに言った。
「悠斗、ついに昼休みの移動制限入ったね」
宮坂が机に突っ伏した。
「佐倉ひとりに移動制限が入る昼休み、初めて見た……」
だから俺は何の危険物でもない。
* * *
昼休み。
俺の机の周囲は、なぜか少しだけ広くなっていた。
一ノ瀬の指示で、男子たちが近寄りすぎないようにされたからだ。
ただし、その内側にいる人数が問題だった。
正面に芽衣。斜め横に城ヶ崎。少し離れたところに一ノ瀬。
そして教室の入口には、白瀬玲奈が立っていた。
全員が一瞬で黙った。
「佐倉くん」
「白瀬先輩」
白瀬先輩は、いつものように綺麗に微笑んでいる。
ただ、その視線は机の上に置かれた弁当と、周囲の三人へ向いていた。
「こはるさんから、少し面白いものを聞きました」
「こはる……」
妹が遠くで被害を広げている。
「管理表、だそうですね」
一ノ瀬が即座に反応した。
「白瀬さん。その表は非公式です」
「ええ。ですが、私の欄があるなら、確認しておきたいと思いまして」
「確認」
今日も確認が多い。
白瀬先輩は一歩だけ教室へ入った。その動きだけで、周囲の男子たちが姿勢を正す。
「私の欄は、何と?」
答えたくない。だが、もう白瀬先輩は知っている顔だった。
「……弓道部の先輩。公開告白。今日は振られておきます」
白瀬先輩は、少しだけ目を細めた。
「正確ですね」
「正確なんですか」
「ただ、一点だけ修正があります」
「修正」
「今日は、ではなく、まだ、です」
教室の空気が固まった。
「白瀬先輩」
「今日は振られておきます、では昨日の一日で終わってしまいます」
「いや、終わっても」
「終わっていません」
はっきり言った。
芽衣が弁当の箸を置く。城ヶ崎が笑顔のまま目を細める。一ノ瀬がノートを開きそうになる。
白瀬先輩は微笑んだまま続けた。
「なので、正しくは、まだ振られておきます、でしょうか」
「日本語が怖い」
宮坂が小さく呟いた。
「白瀬先輩、振られ状態を継続更新した……」
やめてほしい。
そういう言い方をされると、管理表が本当に必要なものに見えてくる。
その時、俺のスマホが震えた。こはるからだった。
『白瀬先輩から管理表の修正依頼が来たんだけど』
俺は頭を抱えた。続けて、また震える。
『小鳥遊さんからも、自分の欄に「観察中」を追加してほしいって』
もう駄目だった。
「佐倉くん?」
白瀬先輩が首を傾げる。
芽衣が画面を覗き込みかけ、城ヶ崎が楽しそうに身を乗り出し、一ノ瀬が「情報の扱いに注意が必要ですね」と言い出す。
俺はスマホを伏せた。
「こはるの管理表は、今日で廃止する」
「無理だと思うよ」
芽衣が言った。
「もうみんな、更新する気になってるし」
城ヶ崎も頷く。
「うちの欄、『候補なので』は残してね」
一ノ瀬が静かに言う。
「私の欄は、恋愛騒動ではなく風紀管理に分類してください」
白瀬先輩が最後に微笑む。
「私の欄は、まだ、でお願いします」
宮坂が両手で顔を覆った。
「佐倉、お前の人生、表形式で詰んでる……」
俺はこはるに返信した。
『管理表を破棄してくれ』
すぐに既読がついた。
『無理。更新依頼が多すぎる』
昼休みの教室で、俺はようやく理解した。
管理表は、状況を整理するためのものではなかった。
状況を、さらに悪化させるためのものだった。




