第4話:風紀委員長は、恋愛騒動を管理したい
翌日の朝も、俺の予定は勝手に埋まっていた。
通学路の曲がり角には、予告通りに橘芽衣が立っていた。
「おはよう、悠斗」
「……本当に待ってたのか」
「昨日、予約したから」
「予約制になった覚えはない」
「莉愛ちゃんには言わないんだ?」
言った。
言ったが、たぶんあいつにはあまり効いていない。
芽衣は俺の隣に並ぶと、いつもの道を当然のように歩き出した。
何度も並んで歩いた道なのに、今日は微妙に足元の感覚がふわついている。
「今日のお昼、莉愛ちゃんなんだよね」
「勝手にそうなった」
「ふーん」
「その『ふーん』は何だ」
「別に。幼なじみは朝を取ったので」
「取るな」
「じゃあ、隣を歩いてるだけ」
芽衣はそう言って、少しだけ笑った。
昨日までは、それで終わっていたはずだった。
でも今は、並んで歩いているだけの時間にも、何かの名前が付きそうで落ち着かない。
誰とも付き合う気はない。
そう言っただけなのに、朝の通学路まで意味を持ち始めている。
* * *
教室に入ると、城ヶ崎莉愛が待っていた。
自分の席に座っているのに、完全にこちらを見ている。
昨日の昼休みを取った顔だった。
「おはよ、悠斗。朝の予約、消化した?」
「消化って言うな」
「じゃあ確認完了?」
「もっと悪い」
城ヶ崎は笑って、俺の机を指先で軽く叩いた。
「今日の昼、忘れてないよね」
「忘れてはいない」
「よし。四時間目が終わったら即移動ね。学食、混むから」
「普通に昼を食べに行くだけだろ」
「違うよ」
城ヶ崎はにこっと笑った。
「候補としての初回学食」
周囲の男子たちが、一斉に机へ突っ伏した。
「佐倉、昼飯に名前がつき始めたぞ……」
「候補としての初回学食って何だよ……」
「俺たちの昼飯はただの昼飯なのに……」
宮坂が死んだ目でこちらを見てくる。
「佐倉。お前、食べる前から負けてるぞ」
「昼飯で勝ち負けを作るな」
「作ってるのはお前じゃなくて周囲だ」
その通りすぎて、反論できなかった。
少し離れた席で、芽衣が城ヶ崎を見ている。
城ヶ崎もそれに気づいて、ひらひらと手を振った。
「芽衣、今日は借りるね」
「借り物じゃないよ」
「じゃあ、誘うね」
「それなら、どうぞ」
笑顔と笑顔。
昨日も見た光景だ。
ただ、白瀬先輩と芽衣のそれが静かにぶつかる感じだったのに対して、城ヶ崎と芽衣はもっと軽く、火花が散っている。
宮坂が小声で呟いた。
「女子って、笑いながら戦えるんだな」
「俺に聞くな」
* * *
四時間目のチャイムが鳴った瞬間、城ヶ崎が立ち上がった。
「はい、行くよ」
「早い」
「学食は戦場だから」
「昼飯を戦場にするな」
「でも昨日から悠斗の周り、だいたい戦場じゃん」
否定できなかった。
俺が席を立つと、教室の視線が一斉についてくる。
城ヶ崎はそれを気にした様子もなく、俺の袖を軽くつまんだ。
「ほら、早く。遅れると席なくなる」
「袖を引くな」
「手はまだ早いかなって」
「袖も早い」
「じゃあ今日は袖で我慢する」
男子たちの呻き声が背後で重なった。
「我慢するって言った……」
「佐倉、袖から始まるルート入ったぞ……」
「袖ルートって何だよ……」
真柴紬が通りすがりに、静かに言った。
「佐倉くん、今日も火力高いね」
「俺が燃やしてるわけじゃない」
「燃えやすい場所にいるのは確かだよ」
返す言葉がなかった。
* * *
学食は、いつも通り混んでいた。
ただ、俺たちが入った瞬間、少しだけ視線が集まった気がした。
城ヶ崎莉愛と佐倉悠斗が二人で学食に来た。
それだけのはずなのに、昨日からの流れのせいで、どう見てもただの昼飯ではなくなっている。
「何食べる?」
「日替わりでいい」
「サラダつけよ」
「なんで」
「ブロッコリー確認」
「まだその話続いてるのか」
「候補なので」
「候補って便利な言葉だな」
城ヶ崎は楽しそうに笑って、俺のトレーに勝手に小鉢のサラダを置いた。
「支払いは自分でします」
「そりゃそうでしょ。うちはサラダを乗せただけ」
「それも勝手にやるな」
「でも取らなかったら、ブロッコリー残すか確認できないじゃん」
「確認する必要がない」
「あるよ。悠斗の弱点かもしれないし」
「ブロッコリーが弱点の男は嫌だろ」
「かわいいかも」
「やめろ」
なぜか近くの席の男子が箸を落とした。
城ヶ崎は気にせず、窓際の二人席を確保する。
「ここ」
「目立つ場所を取るな」
「奥だと逆に怪しくない?」
「何が怪しいんだ」
「二人で学食」
「ただの昼飯だ」
「うん。候補としての」
「普通に食べてくれ」
向かい合って座ると、城ヶ崎は頬杖をついて俺を見る。
「で、昨日からどう?」
「どう、とは」
「モテ期」
「災害みたいに言うな」
「でも、ちょっとそんな感じじゃない?」
城ヶ崎は箸を持ったまま、軽く笑う。
「白瀬さんに告白されて、芽衣が朝から来て、うちと学食。普通に考えたら、すごいことだよ」
「自分で言うのか」
「うちは自分も人数に入れるタイプのギャルなので」
「努力型ギャルの次は何だ」
「自己申告型ギャル?」
「意味が分からない」
城ヶ崎は楽しそうだった。
けれど、ふと声を少しだけ落とした。
「でもさ、悠斗が誰とも付き合う気ないって言ったの、ちょっと安心したんだよね」
「安心?」
「白瀬さんだから無理だった、じゃないってことでしょ」
「そういう話ではない」
「分かってる。けど、うちから見たらそう聞こえたの」
城ヶ崎はサラダのブロッコリーを一つつまんで、俺の皿の端に置いた。
「全員駄目なら、全員まだゼロじゃん」
「理屈が雑だ」
「雑でも動けるならいいじゃん」
そう言って、城ヶ崎は笑った。
軽い声だった。
でも、全部が冗談ではないことくらいは、さすがに分かった。
「悠斗」
「何」
「うちは、白瀬さんみたいに綺麗に始められないから」
城ヶ崎が、自分の箸でサラダを指す。
「とりあえず、ブロッコリーから見る」
「始め方が変すぎる」
「いいの。うちらしくて」
俺は皿の端に置かれたブロッコリーを見る。
食べないと、たぶん何かを負けたことにされる。
仕方なく口に運ぶ。
「食べた」
「偉い」
「高校生男子に言う言葉じゃない」
「候補なので」
「またそれか」
城ヶ崎は満足そうに笑った。
その瞬間だった。
「城ヶ崎さん。佐倉くん」
横から、きっちり整った声がした。
振り向くと、一ノ瀬凛花が立っていた。
風紀委員長。
成績優秀で、校則にも行事運営にも強い。廊下の掲示物のズレすら見逃さないタイプの女子だ。
その一ノ瀬が、俺たちのテーブルを見下ろしている。
目がまっすぐで、妙に逃げ場がなかった。
「少し、よろしいですか」
「一ノ瀬さん。今、お昼中なんだけど」
「承知しています。ですが、昼休み中の食堂で過度に注目を集める行為は、周囲の利用を妨げます」
「うちら、普通にご飯食べてるだけだよ?」
「本当に普通であれば、あちらの男子生徒たちがそろってこちらを見ている理由を説明してください」
見ると、少し離れた席の男子たちが一斉に目を逸らした。
宮坂もいた。なぜいる。
「宮坂」
「違うんだ佐倉。これは監視じゃない。昼飯だ」
「目を逸らしながら言うな」
一ノ瀬は小さく息を吐いた。
「昨日の中庭の件に続き、今日の教室、そして学食。佐倉くんの周囲で生徒が集まりすぎています」
「俺のせいなんですか」
「原因の一部ではあります」
「全部とは言いません。ですが、中心にいるのは事実です」
反論しづらい。
城ヶ崎が面白そうに笑った。
「一ノ瀬さん、それって佐倉くんを指導するってこと?」
「必要があれば」
「放課後に?」
「状況確認は必要です」
「へえ」
城ヶ崎の目が、明らかに楽しんでいる。
「それ、放課後の予約じゃん」
「予約ではありません。指導です」
「でも、放課後に二人で話すんでしょ?」
「必要な確認です」
「場所は?」
「生徒会室を使います」
「ほら、個室じゃん」
「生徒会室は個室ではなく、正式な校内施設です」
「言い方が強いだけで、やってることは放課後に呼び出しだよね」
一ノ瀬は、少しだけ黙った。
そこへ、いつの間にか近くまで来ていた芽衣が言う。
「悠斗、今日の放課後は?」
「……白瀬先輩の件は昨日だったから、今日は特に」
「じゃあ空いてるんだ」
芽衣の声に、城ヶ崎がすぐ反応する。
「あ、芽衣も狙ってた?」
「帰り道くらいはね」
「じゃあ一ノ瀬さんが取ると、今日の放課後も埋まるね」
「ですから、取るという表現は不適切です」
一ノ瀬の声が少しだけ硬くなった。
しかし、そこで引かないのが城ヶ崎だった。
「でも佐倉くんの時間、取るんでしょ?」
一ノ瀬は、俺を見る。
まっすぐな目だった。
白瀬先輩の綺麗さとも、芽衣の近さとも、城ヶ崎の軽さとも違う。
正しさで距離を詰めてくる目。
「佐倉くん」
「はい」
「本日放課後、生徒会室まで来てください。昨日からの一連の騒動について、状況を確認します」
「……俺だけですか」
「まずは、あなたからです」
まずは。
その言葉が、なぜかとても嫌な予感を連れてきた。
「それは、断れますか」
「断る理由があるなら聞きます」
「昼休みを、普通に過ごしたいです」
「それは私も同感です。だから確認します」
正論だった。
正論なのに、どこか逃げ場がなかった。
城ヶ崎が小さく笑う。
「よかったね、悠斗。今日の放課後も予約入ったよ」
「予約ではありません」
一ノ瀬が即答する。
「継続観察です」
周囲の男子たちが、また死んだ。
* * *
昼休みの終わり、教室へ戻る途中で宮坂が隣に来た。
「佐倉」
「何だ」
「お前、ついに生徒会室まで行くのか」
「指導だ」
「学食デートのあとに生徒会室指導って、流れだけ聞いたら完全にイベントなんだよ」
「イベントではない」
「お前がそう思ってても、周囲がそう見るんだよ」
嫌な言葉だった。
教室に戻ると、芽衣がこちらを見ていた。
城ヶ崎は自分の席で、こちらに向かって小さく手を振る。
そして教室の前方では、一ノ瀬凛花がノートを開いていた。
姿勢よく、静かに、何事もなかったかのように。
だが、俺は知っている。
今日の放課後、俺は生徒会室へ行くことになっている。
それは予約ではない。
たぶん、もっと断りにくいやつだった。




