第3話:高校デビューギャルは、半分冗談で本気を出す
昼休みが終わっても、教室の空気はまだ落ち着かなかった。
幼なじみ弁当。白瀬先輩の放課後予約。芽衣の帰り道予約。
たぶん、俺の昼休みは、もう昼休みではなかった。男子たちの視線が、ずっとこちらを刺している。
「佐倉」
宮坂が、一限目のチャイムが鳴る前の机に突っ伏したまま、呻くように言った。
「お前、今日一日でどれだけ予約されるつもりなんだよ」
「俺が予約したわけじゃない」
「そこが一番腹立つんだよ」
反論しようとしたところで、俺の机の横にすっと影が落ちた。
「ね、悠斗」
城ヶ崎莉愛だった。
同じクラスの女子。明るくて、距離が近くて、いつも教室の中心近くにいる。
髪は明るめで、爪も控えめに飾っている。制服の着崩し方も、先生に怒られないぎりぎりをよく分かっていた。
いわゆる、ギャルだ。
ただし俺は、中学時代の城ヶ崎も知っている。
「何だ、城ヶ崎」
「その呼び方、ちょっと硬くない? 心の壁を感じるんだけど」
「中学の頃からずっと城ヶ崎だろ」
「せっかく高校デビューしたんだから、そこは莉愛って呼ぶ流れじゃん」
「高校デビューって自分で言うのか、お前」
「努力型ギャルって呼んでよ」
城ヶ崎は俺の机にトンと片手をついた。
近い。
近いが、こいつはいつもだいたい近い。だから普段なら、周囲の男子も「また城ヶ崎が誰かをからかってるな」くらいのスルーで済ませるはずだった。
だが、今日は少し違った。
「佐倉、ついにギャルまで来たぞ……」
「昨日の白瀬さん、今朝の橘、昼休みの白瀬さん。で、次は城ヶ崎かよ」
「あいつ、もう予約制の窓口か何かなのか?」
やめてくれ。俺は公共施設でもなければ、人気店でもない。
「……で、何か用か」
「用ってほどじゃないけどさ」
城ヶ崎はにこっと笑った。
いつもの、冗談を仕掛ける前の軽い表情。
「白瀬さんでも振られるならさ。うちが振られたところで、別にそんな恥ずかしくなくない?」
教室の喧騒が、ぴたりと止まった。
「……何の話だ、それは」
「んー、参戦表明?」
「参戦」
「そ。昨日の告白見てて思ったんだよね。学園一の白瀬玲奈さんでも断られるなら、逆に今は全員横並びのスタートラインじゃんって」
「その計算、だいぶ間違ってると思うぞ」
「じゃあ、うちだけ予選落ち?」
「そういう大会でもない」
「なら、まだいけるじゃん」
城ヶ崎は隣の空いている椅子を勝手に引き寄せ、俺の机の真横に座り込んだ。
さっきよりさらに近い。
「おい城ヶ崎、もうすぐ授業だぞ」
「分かってるよ。あと五分。先生が来るまで」
「その五分で何をするんだ」
「距離、詰める」
周囲の男子たちが一斉に机に突っ伏した。
「佐倉、聞いたか。こいつ今、距離詰めるって宣言したぞ」
「聞こえてる」
「なんでそんなに冷静なんだよ! こっちは心臓が持たないんだよ」
城ヶ崎は楽しそうに笑っている。
ただ、その目は冗談だけではなかった。
「悠斗さ」
「何だ」
「中学の頃、うちのこと地味だと思ってた?」
「……思ってない」
「嘘だ」
「本当だ。ただ、今ほど派手な装備はしてなかったとは思ってたけどな」
「努力型ギャルになる前、って言えばいいのか」
「だからその言い方!」
城ヶ崎は少しだけ頬を膨らませた。
その反応は、今の派手な見た目よりも、かつての彼女に近かった。
「でもさ、悠斗ってそういうところあるよね」
「どういうところだ」
「変わったところはちゃんと見るのに、それを変な特別扱いしないところ」
「前髪の調整に毎朝だいぶ苦労してそうだな、とは思ってるけど」
「最低。そこは『かわいいね』って言うところ」
「努力は感じるよ」
「努力型ギャルって命名したの、そっちだからね?」
いつもの軽口だと思っていた。
けれど、城ヶ崎はそこでふっと声を落とした。
「中学の時からさ。悠斗だけだったんだよね。うちがちょっと見た目変えても、馬鹿にしないし、逆に変に褒めちぎったりもしない。いつも通りに普通にいじってくれるの」
「……いじられたいのか、お前は」
「いじり方によるかな」
「難しいな」
「簡単だったら、白瀬さんに勝てないでしょ?」
白瀬先輩の名前が出た瞬間、教室の空気がまた少し動いた。
城ヶ崎は笑っている。
軽い。いつも通りに見える。
「城ヶ崎」
「莉愛」
「城ヶ崎」
「かたい」
「……城ヶ崎」
「そこ粘るんだ。じゃあ、呼ばせるのは次の目標にしよ」
城ヶ崎はすぐに、いつもの笑顔を張り直した。
「じゃ、今日から候補ってことで」
「何の候補だ」
「彼女候補」
「俺は誰とも付き合う気はないって言ったはずだぞ」
「知ってるよ。だから今、まだ誰の彼氏でもないんでしょ?」
またその理屈か。
昨日から、俺の言葉がいろんな方向に変換されている気がする。
「それにさ」
城ヶ崎は俺の机に頬杖をつき、上目遣いで覗き込んできた。
「うち、白瀬さんみたいに綺麗に告白できないし。芽衣みたいに家庭的なお弁当も作れない。一ノ瀬さんみたいに、正面から来るタイプでもないし」
「一ノ瀬はまだ来てないだろ」
「来そうな顔してるじゃん」
そこは、俺も否定しきれない予感があった。
「だから、うちはこうする」
城ヶ崎は立ち上がり、俺の机に軽く指先を置いた。
「明日の昼、学食付き合って」
「明日?」
「今日はもう、芽衣と白瀬さんで埋まってるでしょ。だから明日」
「勝手に俺の予定を見積もるな」
「見積もらないと、もう取れないじゃん」
「何を」
「悠斗の時間」
さらっと、何でもないことのように言った。
その直後、周囲の男子たちが絶望したように崩れ落ちる。
「聞いたか……今、佐倉の時間を『取る』って断言したぞ」
「……聞こえてる。もう権利確定みたいな言い方だったな」
「何でお前はそんなに普通に座ってられるんだよ!」
普通にしているつもりはない。
ただ、どのタイミングで、どんな顔で慌てれば正解なのか、俺にはもう分からなかった。
城ヶ崎は自分の席に戻りかけて、ふと足を止めて振り返る。
「あと、ブロッコリー残すって本当?」
「残してない。最後に取っておいて食べるだけだ」
「それ、残す人の言い訳って言われない?」
「……今朝、こはるにも言われた」
「ふーん」
なぜか城ヶ崎は、少しだけ面白くなさそうな顔をした。
「じゃあ明日、うちが見てる。ちゃんと最後まで食べるかどうか」
「学食にブロッコリーがあるとは限らないだろ」
「なかったらサラダ単品でつける。強制的に」
「勝手に決めるな」
「候補なので。それくらい見る権利はあるでしょ」
意味が分からない。
先生が教室に入ってきたことで、城ヶ崎はようやく自分の席へと戻っていった。
その道すがら、芽衣の席の横を通る。
芽衣が顔を上げた。
「莉愛ちゃん、明日の昼を取るんだ」
「うん。芽衣は今日のお弁当を取ったんだから、いいじゃん」
「取ったわけじゃないよ。ただ作りすぎただけ」
「うちも、たまたま明日お腹が空く予定があるだけだよ」
二人は微笑み合っていた。
笑っているはずなのに、教室の空気がチリチリと熱を帯びた気がした。
* * *
放課後。
俺は白瀬先輩に言われた通り、弓道場の近くへと足を運んだ。
こはるの部活の件、という用事は本当にあったらしい。
新入部員の矢の管理表について、こはるが提出物を一枚忘れていたという説明を、白瀬先輩は丁寧にしてくれた。
「こはるさん本人にも伝えていますが、念のため佐倉くんにも。お家で確認してあげてください」
「すみません。助かります」
「いえ。妹さんの先輩ですから。当然のことです」
白瀬先輩は、そこでふわりと微笑んだ。
「今は、まだ」
その含みのある言い方に、俺は返事を数秒遅らせた。
「……まだ、ですか」
「はい。あなたにとって私は、まだ、『妹の先輩』でしかない、という意味です」
「それ以外の扱い方を、俺はよく分かっていませんから」
「分からなくても構いません。昨日よりは、少しだけ意識してもらえたと思うので。それで十分です」
白瀬先輩は涼しい顔で、淡々と言ってのけた。
この人は、振られたはずなのに一歩も引いていない。
むしろ、昨日よりも少しだけ近くに来ている気がする。
「それと」
「はい」
「今日は橘さんが待っているのでしょう?」
「……知っているんですか」
「教室で聞こえてきましたから」
白瀬先輩は、ほんの少しだけ目を細めた。
「幼なじみは、待つことができる。それは大きな強みですね」
「白瀬先輩」
「大丈夫です。今日は取りませんから」
「何を、ですか」
「帰り道です」
やめてほしい。
俺の一日は、いつから完全予約制になったんだ。
校門へ向かうと、そこには芽衣がいた。
「遅い」
「こはるの提出物の話だったんだよ。本当に用事だった」
「……疑ってたわけじゃないけど」
芽衣は少し気まずそうに俺の隣に並んだ。その瞬間、ポケットのスマホが震える。
城ヶ崎からだった。
『明日の昼、予約完了ね!』
俺は画面を見つめたまま指を動かす。
『予約制になった覚えはない』
即座に既読がつき、返信が来る。
『じゃあ今からシステム化する。明日の昼休み、うちが取るから。決定!』
隣から芽衣が、じーっと画面を覗き込もうとしてくる。
「誰から?」
「……城ヶ崎だ」
「明日の昼?」
「らしい」
芽衣は、ゆっくりと笑った。
「ふーん。じゃあ私は、明日の朝かな」
「増やすな」
「予約は早い者勝ちなんでしょ?」
「違う。そんなルールはない」
否定した瞬間、校門の向こうで宮坂がこちらを呆然と見ていた。
俺と芽衣、そして俺のスマホ画面を順番に指差し、力なく呟く。
「三話目にして、もう予約管理システムが稼働してる……」
たぶん、俺もまったく同じことを思っていた。
昨日、白瀬先輩を振った。
今日は幼なじみの帰り道が予約された。
そして明日の昼休みは、高校デビューギャルに確保された。
誰とも付き合う気はない。
そう言ったはずなのに、俺の予定だけが、どんどん誰かのものになっていく。




