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第14話:席替えは、誰の隣も平等に危ない

 管理表は、更新停止したはずだった。

 はずだった、という言葉は信用できない。それは昨日、こはるによって正式に危険ワード認定されたばかりだ。


 だから今朝の食卓で、俺は管理表の方を見ないようにして味噌汁を飲んでいた。


「お兄ちゃん」

「何だ」

「今日は、管理表を持ち出しません」

「それはいいことだ」

「ただし、警戒はします」

「何をだよ」

「外部イベント」


 妹は、すっかり危機管理担当の顔になっていた。

「白瀬先輩の買い出し、芽衣ちゃんのスーパー、莉愛さんのゲーセン、一ノ瀬先輩の図書室、雫ちゃんの全員分確認。ここまで全部、場所が変わったら事件になってるからね」

「言い方が重いな」

「事実だから」


 こはるはヨーグルトを混ぜながら、死んだ目で続けた。

「今日は何か学校行事ないの?」

「ないと思う」

「ほら、『思う』って言った」

「やめろ」

「信用不可フラグ、入りました」


 朝から、また負けた。


* * *


 教室に入ると、宮坂が黒板の前で固まっていた。

「佐倉」

「何だ」

「終わったぞ」

「朝から縁起でもない」


 宮坂が震える指で黒板を指した。そこには、担任の字でこう書かれていた。


> 本日六限後、席替え


 俺は黙った。宮坂も黙った。教室の空気が、妙にざわついている。

「佐倉。管理表の次は、座席表だ」

「言うな」

「いや、これはまずい。お前の周辺配置が、そのまま学級秩序に関わるんだよ」

「一ノ瀬みたいなことを言うなよ」


 その一ノ瀬凛花が、前方の席から静かに振り返った。

「宮坂くんの指摘は正しいです。ここ数日の状況を考えると、佐倉くん周辺の座席配置には注意が必要です」

「正しくしないでください」


 城ヶ崎が後ろから身を乗り出してくる。

「席替えかー。隣になったら、毎日近いね」

「そういう言い方をするな」

「前でも後ろでも楽しいけど、斜め前もいいよね。振り返れるしさ」

「配置に意味を持たせるな」


 芽衣は、いつものように静かにこちらを見ていた。

「悠斗、窓際好きだよね」

「覚えてるな」

「中学の時、窓際だと授業中に外見てたから」

「余計な情報を出すな」

「あと、廊下側だと休み時間に逃げやすいって言ってたよ」

「本当に余計な情報だ」


 宮坂が机に突っ伏した。

「幼なじみ、座席の好みまで把握してる……」

 芽衣は少しだけ笑った。

「好みというより、癖かな」

 重い。スーパーとは別方向で、生活圏がまた来た。


* * *


 六限後。担任が座席表の紙を黒板に貼った瞬間、教室の空気が少し変わった。

「今回はくじ引きだ。ただし、視力や委員会の都合がある者は先に言うように」

 その一言で、何人かがざわついた。


 城ヶ崎が小声で言う。

「都合って、どこまで都合?」

「やめろ」


 一ノ瀬が即座に反応した。

「個人的な距離調整は、座席配慮の理由にはなりません」

「まだ何も言ってないじゃん」

「言う前に止めました」

 強い。


 芽衣は少し考えてから、俺を見る。

「悠斗」

「何だ」

「隣になったら、ノート見せるよ」

「それは配慮理由じゃない」

「じゃあ、隣じゃなくても見せるね」

「なぜそうなる」


 宮坂が震える声で言った。

「佐倉。俺はお前の隣だけは嫌だぞ」

「親友だろ」

「親友だから言うんだよ。お前の隣は、今このクラスで一番危ない席だ」

 否定しきれないのがつらい。


 担任がくじ箱を持ち上げる。

「では、順番に引け」

 教室中が妙に緊張していた。俺の番が来る。紙を一枚引いた。開く。

 窓際から二列目。後ろから二番目。悪くない。いや、悪くないはずだった。


「佐倉、どこだ」

「後ろから二番目。窓際から二列目」

 宮坂が座席表を見て、顔を青くした。

「……周辺を確認する」

「確認するな」


 確認された。結果。

 俺の右隣、宮坂。前、一ノ瀬。斜め前、芽衣。後ろ、城ヶ崎。

 教室の時間が止まった。


 少し離れた列で、真柴紬が新しい座席表と俺の周囲を見比べていた。

「佐倉くん、火元の周りに椅子まで並んだね」

「やめてくれ」

「最初に言ったでしょ、油だって。今度は座席表にまで染みてるよ」

 真柴はそれだけ言うと、自分の新しい席に鞄を置いた。恋愛方面の騒ぎには一歩引いているくせに、こういう時だけ妙に正確なことを言う。


「完全な包囲陣じゃん……」

 宮坂が死んだ魚のような声で呟いた。

「やめろ」

「いや、これは包囲陣だ。前方管理、斜め前生活圏、後方理由なし、右に俺」

「最後だけ弱そうだな」

「俺は防波堤だよ」


 城ヶ崎が後ろの席から楽しそうに言った。

「悠斗の後ろか。いいね。寝癖見えるじゃん」

「見るな」

「寝癖ある日、教えてあげるね」

「いらない」


 芽衣が斜め前から振り返る。

「悠斗、消しゴム忘れたら貸せる距離だね」

「忘れない」

「忘れたことあるよ。中二の六月」

「記録するな」


 一ノ瀬が前の席で、姿勢よく言った。

「佐倉くん。授業中の私語は控えてください。後方からの会話も、斜め方向からの物品貸借も、授業の妨げになります」

「俺が何かしたみたいに言わないでください」

「中心にいるのは事実です」

 またそれだ。


 宮坂は座席表を見ながら、深く息を吐いた。

「佐倉。これは管理表じゃない、座席表だ。だけど、やってることは同じだぞ」

「言わないでくれ」

「お前の周囲が、また可視化されたんだよ」


* * *


 休み時間。予想通り、俺の席の周りには人が集まりかけた。

 城ヶ崎が後ろから椅子を軽く蹴る。

「悠斗、後ろから話しかけるの楽しいね」

「蹴るな」

「椅子をちょんってしただけだし」


 芽衣が斜め前からノートを差し出す。

「これ、さっきの板書。悠斗、最後の行写してなかったでしょ」

「見てたのか」

「斜め前だからね」

 強い。


 一ノ瀬が前から振り向く。

「橘さん。授業中の観察は控えめに」

「観察じゃなくて、気づいただけだよ」

「区別が難しいです」


 宮坂が横で頭を抱える。

「俺、防波堤のはずなのに、波が全部俺の上を越えていくんだが」


 その時、教室の入口がざわついた。白瀬先輩が立っていた。また自然な顔で。……自然ではない。

「佐倉くん。席替えがあったと聞きました」

「早いですね」

「こはるさんから聞きました」

 こはる。たぶん、教室外から状況を確認している。


 白瀬先輩は座席表を見て、少しだけ微笑んだ。

「良い席ですね。皆さんの距離が分かりやすくて」

「分かりやすくしなくていいです」


 その背後から、小鳥遊も顔を出した。

「佐倉先輩。座席配置について確認します」

「確認しなくていい」

「白瀬先輩が教室へ来る際、入口から佐倉先輩の席までの動線が少し遠いです」

「来る前提にしないでくれ」

 小鳥遊は真剣だった。

「白瀬先輩のためです。……たぶん」

「今のは自分で言っただろ」

「言っていません」

 言った。


* * *


 昼休み前の授業は、最悪だった。別に、授業そのものが難しかったわけではない。

 前には一ノ瀬。斜め前には芽衣。後ろには城ヶ崎。右には宮坂。ただ座っているだけなのに、情報量が多すぎる。


 俺がノートに視線を落とすと、一ノ瀬の背筋が視界に入る。少し顔を上げると、芽衣が斜め前でペンを回している。後ろからは、城ヶ崎が時々小さく椅子を鳴らす。右からは宮坂の絶望の気配がする。

 逃げ場がない。完全に逃げ場がない。


 昼休みになった瞬間、宮坂が机に突っ伏した。

「佐倉。俺はもう無理だ」

「早いよ」

「右隣から見るお前の包囲網、精神に来るんだって」

「俺は中心だぞ」

「だから余計に分からない。お前、よく平気だな」

 平気ではない。


 ただ、ふと見たら、少し離れた席の女子たちがこちらを見てひそひそ話していた。さらに廊下には、白瀬先輩目当てなのか、ちらちら覗く生徒がいる。このままだとまた人が集まる。

 一ノ瀬が立ち上がろうとした。

「人だかりが発生する前に、私が」

「待ってください」


 自分でも、少し驚くくらい自然に声が出た。一ノ瀬がこちらを見る。

「何ですか」

「俺が言います」


 教室が少し静かになった。宮坂が目を見開いている。俺は立ち上がり、周囲を見回した。

「席替えしたばかりで珍しいのは分かるけど、集まられると授業も昼も普通に困る。俺の席を見に来るのはやめてくれ」

 言った。言ってしまった。


 教室が、妙な静けさに包まれる。城ヶ崎が後ろで小さく息を呑んだのが分かった。芽衣がこちらを見ている。一ノ瀬は、少しだけ目を細めていた。


 宮坂が、ものすごく小声で言う。

「佐倉が、自分から交通整理した……」

「言い方」

 でも、効果はあった。廊下の生徒たちは気まずそうに離れていき、教室の中の視線も少し散った。


 一ノ瀬が静かに言った。

「今の対応は、適切でした」

「ありがとうございます」

「ただし、言い方はもう少し事前に相談してもらえれば改善できます」

「褒めた直後に管理しないでください」


 城ヶ崎が後ろから、机に軽く顎を乗せる。

「悠斗、今のちょっとよかったよ」

「何がだよ」

「自分でちゃんと言ったとこ」


 芽衣も斜め前で頷く。

「うん。珍しかったね」

「珍しい扱いするな」


 宮坂は俺の肩を叩いた。

「佐倉。お前、今日ちょっとちゃんとしてたぞ」

「普段は何なんだよ」

「発生源」

「やめろ」


* * *


 放課後。席替えの件は、当然のようにこはるへ届いていた。

 家に帰ると、食卓には管理表が置かれていない。代わりに、こはるがノートの切れ端を持っていた。


「こはる」

「安心して。管理表じゃないから」

「じゃあ何だ」

「座席メモ」

「同じ匂いがするんだが」

「違うよ。これは私用。共有しない。絶対に誰にも送らないから」


 こはるはそう言いながら、紙を見せてきた。


> 悠斗の席

> 前:一ノ瀬先輩

> 斜め前:芽衣ちゃん

> 後ろ:莉愛さん

> 右:宮坂さん

> 廊下から白瀬先輩・雫ちゃんが来る可能性あり


「ほぼ戦況図じゃないか、これ」

「戦況図じゃないってば。避難経路確認だよ」

「何から避難するんだよ」

「お兄ちゃんの周囲」


 ひどい。

 だが、こはるはそこで少しだけ俺を見た。

「でも、今日、自分で人だかり止めたんでしょ」

「誰から聞いたんだ」

「宮坂さん」

「あいつ……」

「それは、少しだけよかったと思うよ」

 珍しく、妹が刺してこなかった。


「少しだけか」

「少しだけ。お兄ちゃんが全部流されてるだけじゃないって分かったからさ」

 その言葉は、少しだけ効いた。


 こはるは、切れ端を小さく折った。

「だから今日は、管理表は更新しません」

「本当に?」

「本当にね」


 そこでスマホが震えた。こはるが画面を見た。白瀬先輩からだった。

『本日の佐倉くんの対応は、良かったと思います。管理表には記録されますか?』

 こはるは無言でスマホを伏せた。

「更新しません」

「強いな」


 続けて城ヶ崎。

『悠斗が自分で言ったの、ちょっとよかった。コメントだけ残しといて』


 芽衣。

『今日の悠斗、少しちゃんとしてたね。座席メモある?』


 一ノ瀬。

『本日の人だかり対応について、改善点があります』


 小鳥遊。

『白瀬先輩も評価していました。事実関係を確認します』


 こはるは猫のぬいぐるみを抱きしめた。

「更新はしません」

「えらい」

「でも、座席メモは封印じゃなくて保管する」

「それは危ないだろ」

「危ないから保管するの」

 妹は、また少しだけ管理者の顔に戻っていた。


* * *


 夜、こはるから画像は送られてこなかった。管理表の更新通知も来ない。

 代わりに、一通だけメッセージが来た。

『今日は更新なし』

 続けて、もう一通。

『ただし、座席メモは保管中』


 俺はスマホを置いた。

 管理表は更新されなかった。けれど、座席は変わった。

 前には一ノ瀬。斜め前には芽衣。後ろには城ヶ崎。右には宮坂。教室の入口には、白瀬先輩と小鳥遊が来る。


 誰とも付き合う気はない。

 そう言ったはずなのに、今度は俺の周囲の席まで、少しずつ誰かの意味を持ち始めていた。

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