第13話:妹は、管理表を共有ファイルにした覚えはない
朝食の味噌汁の横に、管理表の原本が置かれていた。
原本。
そう呼びたくないのに、もうそうとしか見えない。
太めのマジックで書かれた題字。赤ペンで増え続ける修正。端の方には、こはるの小さな字で、注釈まで入っている。
> 白瀬玲奈 仮デート疑惑
> 橘芽衣 幼なじみ買い足し ※生活圏が強い
> 城ヶ崎莉愛 放課後遊び ※理由なしが強い
> 一ノ瀬凛花 学習管理/相互指導 ※管理のはずが近い
> 小鳥遊雫 全員分確認 ※たぶん自分も気にしている
「お兄ちゃん」
「何だ」
「今日、大事なお知らせがあります」
こはるは箸を置いた。朝から目が完全に据わっている。
「これは共有ファイルじゃないからね」
「急にどうした」
「紙だからね。食卓に置いてあるただの紙なの。私が手で書いて、写真を撮って、泣きながら送ってるだけなの」
「……泣きながらだったのか」
「心は泣いてる」
こはるは管理表を指で小さく叩いた。
「なのに、みんな修正依頼を送ってくる。表記案を送ってくる。『念のため』とか『正確には』とか『仮ではなくまだです』とかさ。おかしいでしょ。紙に編集権限はないんだよ」
「送らなければいいんじゃないか」
「送らないと、個別に聞いてくるんだよ。『私の欄はどうなりましたか』って。送っても送らなくても来る。もう逃げ場がないんだよ」
かなり深刻だった。こはるは赤ペンを握りしめる。
「だから、今日で更新停止します」
「いい判断だ」
「本当に?」
「ああ。管理表はもう十分働いたよ」
「じゃあ、お兄ちゃんからも言ってよ。『今後、管理表は更新停止です』って」
「俺が言うのかよ」
「発生源でしょ」
「やめろ」
こはるはスマホを操作し、俺にも画面の文面を見せてきた。
> 本日より、佐倉悠斗周辺・恋愛騒動管理表の更新を停止します。
> 原本は紙です。共有ファイルではありません。
> 修正依頼・表記案・編集権限の申請は受け付けません。
「こはる」
「何」
「編集権限の申請って、本当に来たのか?」
「莉愛さんが『コメント権限だけでもだめ?』ってさ」
「もう来てたのかよ」
「昨日の夜ね」
完全に手遅れだった。
* * *
教室に入ると、宮坂が俺を見るなり真顔になった。
「佐倉。管理表が更新停止になるって本当か」
「なぜ知っているんだ」
「城ヶ崎が騒いでる」
見ると、城ヶ崎がスマホを片手にこちらへ歩いてきた。
「悠斗。こはるちゃん、本気?」
「本気だと思う」
「困るんだけどなー」
「なぜだよ」
「うちの『理由なしが強い』、昨日追加されたばっかりだよ? まだ育てたいじゃん」
「育てるな」
そこへ芽衣も来る。
「悠斗、管理表なくなるの?」
「更新停止らしい」
「じゃあ、私の『生活圏が強い』もこのまま?」
「何か問題があるのか」
「もう少し増えると思ってた」
「増やすな」
一ノ瀬は前方から静かに近づいてきた。
「佐倉くん。管理表そのものの更新停止は理解します。しかし、誤記訂正の窓口は残すべきです」
「窓口を作るな」
「不正確な記録が残るのは問題です」
「紙です」
「紙でも記録です」
白瀬先輩まで教室の入口に立っていた。自然な顔で。……自然ではない。
「こはるさんからご連絡をいただきました。更新停止とのことですが、私の欄の『仮デート疑惑』は、今後の表記にも関わりますので、必要であれば正式な修正依頼をお送りします」
「停止すると言ってるんですが」
「ええ。ですから、停止前の確認です」
強い。どこまでも食えない。
そして、最後に小鳥遊が現れた。
「佐倉先輩」
「はい」
「白瀬先輩に関わる欄だけは、例外にできませんか」
「できません」
「では、確認だけでも」
「それが更新になるんだって」
「確認は更新ではありません」
一ノ瀬が少し反応した。
「確認と更新は別概念です。ただし、確認結果を反映すれば更新になります」
「一ノ瀬さん、補強しないでください」
教室の空気が、完全に管理表を中心に回り始めていた。
宮坂が俺の横で、しみじみと呟く。
「佐倉。管理表、更新停止する前に炎上してるぞ」
「言うな」
* * *
昼休み。俺の席の前に、こはるが立っていた。
手には原本。つまり、あの紙である。
「皆さんにお知らせがあります」
こはるの声は疲れていた。なのに、妙に事務的だった。
「これは共有ファイルではありません。佐倉家の食卓に置いてある紙です。私が手で書いています。写真を撮って送っているだけです。編集権限もコメント権限もありません」
城ヶ崎が手を上げる。
「コメントだけでも?」
「ありません」
「閲覧権限は?」
「私が送った時だけです」
「じゃあ、更新通知は?」
「ないです」
白瀬先輩が穏やかに言う。
「では、必要がある場合は、従来通りこはるさんへ修正依頼をお送りすればよろしいですか」
「それをやめてほしいという話です」
「なるほど」
本当に分かっているのか分からない笑顔だった。
一ノ瀬がノートを開く。
「佐倉こはるさん。運用停止にあたり、過去の記録はどう扱う予定ですか」
「過去の記録?」
「破棄するのか、凍結するのか、保存するのか」
「紙をそんな正式文書みたいに扱わないでください」
芽衣が少し首を傾げる。
「でも、なくなると困らない?」
「困らないです」
「今日誰が悠斗と帰るか分からなくならない?」
「分からなくていいです」
「こはるちゃん、昨日は私のプリン食べたよね」
「食べました」
「じゃあ、今日の帰り道欄だけでも」
「プリンを人質に取らないで」
小鳥遊は真面目な顔で管理表を見ている。
「白瀬先輩の欄だけ、私が確認しておきます」
「雫ちゃんもやめて」
「白瀬先輩のためです。……たぶん」
「言った」
「言っていません」
こはるは深く息を吸った。
「全員、今から私が言うことを聞いてください」
教室が静かになった。
「管理表は、本日をもって更新停止です。異議は受け付けません。表記修正も受け付けません。欄の追加も、注釈の更新も、比較表の成長も、全部終わりです」
こはるは、そこで原本を閉じるように二つ折りにした。
「以上です」
すごい。妹が完全に勝った。
そう思った瞬間、白瀬先輩が静かに手を挙げた。
「こはるさん」
「何でしょうか」
「更新停止という状態は、管理表に記録されますか?」
こはるが止まった。
城ヶ崎が「あ」と声を漏らす。
芽衣が気まずそうに目を逸らす。
一ノ瀬が真面目に言った。
「運用状態の変更は、記録として残す必要があるかもしれません」
「やめてください」
小鳥遊が紙を見つめる。
「停止したことが記録されないと、後から確認できません」
「確認しないで」
宮坂が机に突っ伏した。
「佐倉。更新停止を更新しないといけないらしいぞ」
こはるの手が震えた。
* * *
家に帰ると、食卓には管理表が置かれていた。
閉じられているはずだった。二つ折りにされているはずだった。
なのに、開かれていた。しかも、赤字が増えている。
「こはる」
「何」
「更新停止したんじゃなかったのか」
「したよ」
「増えてるんだが」
「更新停止を記録したの」
こはるは完全に目が死んでいた。
管理表の端に、新しい欄ができている。
> 佐倉こはる 管理者/原本保有/紙で運用中/共有ファイルではない
そして、その横。
> ※編集権限を求めないこと
> ※コメント権限もない
> ※更新停止を更新済み
「こはる」
「何」
「最後の注釈、おかしくないか」
「私もおかしいと思うよ」
こはるは猫のぬいぐるみを抱きしめた。
「でもね、書かないと全員から聞かれるんだよ。『停止はいつからですか』『停止前の表記は確定ですか』『凍結扱いですか』『確認中の欄はどうなりますか』ってさ」
「誰がそんなことを」
「全員」
全員か。
こはるのスマホが震えた。
白瀬先輩からだった。
『共有ファイルではない件、承知しました。今後は必要な場合のみ、個別に修正依頼をお送りします』
芽衣。
『紙なら、差し入れはプリンよりペンの方がいい?』
城ヶ崎。
『コメント権限だめなら、口頭コメントはあり?』
一ノ瀬。
『更新停止後の誤記訂正手続きについて、明日確認します』
小鳥遊。
『白瀬先輩関連のみ、例外運用の余地があるか確認します』
こはるがテーブルに突っ伏した。
「何も終わってない」
「そうだな」
「むしろ、私の欄が増えた」
「そうだな」
「お兄ちゃん」
「何だ」
「責任取ってよ」
「どうやってだよ」
「分からない。分からないけど、何とかして」
難題すぎた。
* * *
夜、こはるから管理表の画像が送られてきた。
『今日の更新分』
> 白瀬玲奈 仮デート疑惑
> 橘芽衣 幼なじみ買い足し ※生活圏が強い
> 城ヶ崎莉愛 放課後遊び ※理由なしが強い
> 一ノ瀬凛花 学習管理/相互指導 ※管理のはずが近い
> 小鳥遊雫 全員分確認 ※たぶん自分も気にしている
> 佐倉こはる 管理者/原本保有/紙で運用中/共有ファイルではない
『なんで自分の欄まで作ったんだ』
『作らないと説明できなかったんだもん』
『更新停止は』
『更新停止を更新したので、今日はもう限界です』
俺はスマホを置いた。
管理表は共有ファイルではない。編集権限も、コメント権限もない。ただの紙だ。佐倉家の食卓に置かれた、手書きの紙。
それなのに、俺の周囲の全員が、その紙に自分の場所を持ち始めていた。
誰とも付き合う気はない。
そう言ったはずなのに、とうとう妹まで、俺の恋愛騒動の欄に巻き込まれてしまった。




