後編: 深海
リンドール候爵アントニオは、内心頭を抱えていた。
娘のソフィアが、領土内の一番南の島から男を連れ帰ったと報告を受けたのだ。
男についてはソフィアと付き合いだしてから、定期的に調べ上げて報告をさせている。
名前はオーウェン。
年齢は不明だが、おそらく20代後半だろう。元々の島の民ではなく、難破船から打上げられた生き残りだという。
決まった仕事はしておらず、島民の手伝う事でその日暮らしをしているようだった。
周囲の住民の評判は悪くない。
税もちゃんと納めている。
遠い島に恋人として囲っているだけなら問題のない若者だったのだが――
「無理に引き離そうとしたのが裏目に出ましたね」
長男のレオニスに言われて、ぐっと言葉に詰まる。
アントニオには一男三女の子供がいる。
ソフィアは三番目の子で、娘達の中ではちょうど真ん中にあたる。
幼い頃から、何をさせてもそつなくこなす娘だった。アントニオと妻を始め、周囲の誰もが思っていた。大人しく、物分かりのいい手のかからない娘だと。
しかし――娘が成長するに従って気がついた事だが――ソフィアはただ大人しいのではなく、人の心の機微を正確に読み取って、それに合わせて行動していた。
その娘が、父親の思惑に気づかないわけがない。
「干渉してくれるなという意思表示なのだろうな」
「ソフィアが選んだのなら、信頼に足る男なのでは?」
「レオニス、信頼できる男とリンドールにとって有益な男は必ずしも一致する訳ではないぞ」
「世の中、信頼できる男が一番得難いのではないでしょうか」
息子の言うことももっともだと思いながらも、アントニオは認めたくなかった。
「ここで我々が話していても埒があかん。ソフィアが無理なら、男の方を説得するしかあるまい」
数日後、アントニオは使いの者をやってオーウェンを城館に呼びつけた。
島から来た若者は、白い麻のシャツと細身の黒いズボンを身にまとっていた。
どこにでもいるような若者と聞いていたが、平凡なのは服装だけで、本人はアントニオが今まで見てきた中でも、一二を争うような美丈夫だ。報告者の目は節穴か。
「そなたがオーウェンか。大儀であったな」
「ごきげんよう、領主殿。俺もあなたに会いたいと思っていたから、ちょうどよかった」
権力者の威光と強面の見た目で凄んだつもりだったが、拍子抜けするほど軽く返される。
「私に会いたかったとは?」
「このあたりの貴族の家では、女性に求婚する前に父親に許可を取る習わしだと聞いた。俺はソフィアの夫になりたい」
あまりにも遠慮のない物言いに、アントニオはカッとなった。
「分を弁えろ! どこの馬の骨とも分からない、無一文の男に大切な娘をやれるか! リンドールの娘だぞ!」
「ソフィアを貰うとは言っていないだろ? 俺が夫になりたいだけだ。それに無一文でもないしな」
オーウェンはそう言うと、小脇に抱えていた木箱を近くのテーブルに置いた。船で使う小物入れの箱だが、何を入れてきたのか。大きさの割に、置かれた時の音の重量感がすごかった。
「俺の持参金だ。検めてくれ」
アントニオが訝しげに蓋を開けると、中には大量の金貨が入っていた。
古い時代のものだ。
一般に流通している金貨と違って、昔の金貨はほぼ純金でできている。
「これをどこで手に入れた?」
「海の底。これでは足りないか?」
言外に『まだある』と匂わせる。
「そなた……何者だ? 魔物の類ではあるまいな」
「俺は〈ミルスの詩人〉だよ。本物の」
アントニオは目を見開いて、目の前の若者をまじまじと見た。
〈ミルスの詩人〉とは、海の神ミルスの予言を告げるシャーマンの事だ。遥か北の地からやって来て、かつてはどの島にもいたものだが――
「リンドール領では、海神信仰が廃れているんだな。今や〈ミルスの詩人〉を名乗るのは狂人か詐欺師しかいないと聞いている」
「そなたが、狂人か詐欺師ではないとどう証明する?」
「いくらでも。あなたの目の前で、望みの風を吹かせることもできる」
オーウェンは鼻先で笑って、壁に貼ってある海図に近づいた。
「あるいは――たとえばここ。気づいていないようだが、この島の北側の洞窟は無法者どものねぐらになっている。掃討するつもりがあるなら――そうだな2日ほど後がいいだろう。このあたりの海は今宵から大荒れになる」
アントニオは無言だ。
「ソフィアは俺を選んだ。あなたも分かっているだろう? 彼女が何かを望むことは稀だ」
その時、部屋の扉が音をたてて開いた。
「ソフィア?」
走ってきたのだろうか。
肩で息をしながら入ってきたソフィアは、父親を見て、恋人を見て、室内の一点に目をやると、悲痛な叫び声を上げた。
「嫌です、オーウェン! どこにも行かないで!」
「落ち着いて。俺はどこにも行かないよ」
「では、あれは何ですか?」
ソフィアの震える指先には、オーウェンの持ち込んだ金貨があった。
2人の男は顔を見合わせた。
「手切れ金……だと思ったようだな」
「おそらく……」
オーウェンは困ったような笑みを浮かべて、両手を広げた。
「ほら、おいでソフィア。くっついていたら、俺はどこにも行けないだろ?」
素直にオーウェンの胸に納まる娘を見て、アントニオは自分の負けを悟った。
「オーウェン、娘をリンドールから連れ去らないというなら許そう」
結婚の許可が、父としての威厳を保つ最後の防衛線になるとは……
オーウェンは小さく頷くと、金貨の箱に視線をやった。
「それはもっと必要か?」
アントニオが首を横に振る。
「この海域には伝説があってな。ある漁師が海神の娘を助けた礼に宝を貰ったのだ。男は欲を掻いて、娘がくれるだけの宝を船に積み込んで、その重みで船は沈んだ――大きすぎる対価は身を滅ぼす」
「そうか――ほら、ソフィア、俺たちの話は終わったよ。せっかくここまで来たんだから、俺に城を案内してくれないか?」
ソフィアは不安そうに父親を見た。
「東側の城壁を見せてやりなさい。リンドールの自慢の絶景だ」
アントニオがそう言うと、ソフィアは『はい、父上』と答えて、オーウェンに促されて部屋を出て行った。
「求婚するにもちょうどいい場所だしな」
閉まった扉に向って、アントニオは一人そう呟いた。
―fin―




