「痛みは心に」
バイクで山道を駆け上がっていると、空から雫が落ちてきた。
その雫はあっという間に勢いを増し、視界が一気に悪くなる。
「……また雨かよ」
俺は薄暗い空を見上げながら、彼女を失ったあの日を思い出し呟いた。
「陣内、大丈夫か⁉︎」
俺は、視界が悪くなり地面も滑りやすくなったことを心配し、陣内に声をかける。
「気をつけながら運転する! マサの方こそ、大丈夫か⁉︎」
「俺は大丈夫だ! 安全運転しながら、急いでくれ!」
「へっ、了解っ‼︎」
あっという間にずぶ濡れになった身体に、正面から風が吹き付ける。
目には落下途中の雫が飛び込んできて、前をしっかり見ることも困難だ。さまざまな方向からのストレスが、一気に襲いかかる。
しかし、それがなんだ!
俺にとっての一番のストレス、一番の苦しみは、彼女を失ってしまったことだ。数日の間、彼女を忘れていたことだ。
それに比べたら、こんな困難、屁でもない。
思えば、この一ヶ月で妖精の泉に向かうのは三度目になる。泉へと続くこの道も、すっかり馴染みのあるものに感じられた。
「もうすぐだ!」
看板を見て、陣内が叫ぶ。
「ああ!」
俺も、目的地が近いことは分かっていた。
俺は口元をぎゅっと閉じ、湧き上がる衝動を必死で抑えながら到着を待った。
雨がますます強くなる中、俺と陣内はあの駐車場にたどり着いた。
「どうする⁉︎ どこに行けばいい⁉︎」
雨音がうるさい中、陣内が叫ぶ。
「泉までは俺一人で行く! 陣内は、あの屋根の下で待っててくれ!」
俺は、自動販売機などが立ち並ぶ屋根のあるスペースを指差しながらそう叫ぶと、ひらりとバイクを降りた。
「……俺もついてくよ!」
「ダメだ! 悪いが一人で行かせてくれ、頼む!」
俺がそう言うと、陣内はわかった、と言うように親指を立てて頷いた。
「……ここまで送ってくれてありがとう‼︎ 本当に助かった!」
俺は心からの感謝を伝えると、階段へ向かって走り出した。
「おう‼︎」
背後から、陣内の声が聞こえた。
俺はもう一度振り返って陣内に手を振ると、まっすぐ階段を降り始めた。
雫が木の葉を打つ音が、俺の周囲を包み込む。
斜面には水が流れ、地面はとても滑りやすくなっている。
まだ川までは少し距離があるが、すでに水が激しく流れる音が聞こえてきた。
「……セイラ」
俺は走りながら、彼女の名を呟いた。
彼女は、無事だろうか? 無事だったとして、果たして会えるのだろうか? もし会えたとして、何を言おう、何を伝えよう?
いや、そんなこと、きっと部屋を飛び出したあの瞬間から決まっている。
「……待ってろ!」
俺はそう呟くと、短いつり橋を渡り始めた。
普段はただの草むらだった橋の下が、今は若干の水が流れ川のようになっている。
「……すげぇ。」
俺がそれを見ていた次の瞬間、
——バキッ!
「うわあ⁉︎」
突然足下の木板が割れ落ち、俺は片足を踏み外した。
そのまま体勢が横に崩れ、俺は橋の下へと滑り落ちる。
「わわわ‼︎」
——バチャドンッ、ガサガサ
俺は三メートルほどの高さから地面へ落下し、全身を強く打った。
「くはっ……!」
……前々からボロくさいなと思ってたんだ、この橋。よりにもよって今崩れるとは、なんて不運だ……。
落下の衝撃が鈍く残る体に、思い出したように雨が降り落ちる。
走っていた時には聞こえていた風を切る音が耳元から消え、雨が草木に落ちる音だけがやけにはっきりと聞こえてくる。
それに耳を傾けていると、このままずっとここで横になっていたいと思えてくるようだった……。
——いや、そうじゃないだろ!
「……立て、立つんだよ!」
俺は拳を握りしめ、歯を食いしばる。
俺には、立って行かなければならない場所がある。
会わなくてはならない者がいる。
俺の命を救ってくれた存在。
俺に光をくれた存在。
俺に、恋を教えてくれた存在。
彼女に会いに行く、そのためならこんな困難、何度だって乗り越えてみせる!
俺はグッと立ち上がり、斜面をよじ登った。
全身泥だらけで、あちこちが痛い。もうボロボロだ。
それでも、すぐそこにある。俺と彼女が出会った、あの泉が。
俺はゆっくり、ゆっくりと歩調を早め走り出した。
木々の隙間にできた狭い道を走り抜け、ついに俺はあの泉へとたどり着いた。




