「瞬間、光が差して」
すっかり失念していた……。
登校日は午前中しか授業がない。ゆえに、お昼を学校で食べる必要はないのだ。
「やれやれ……」
俺の本来の目的は、あの中庭でおにぎりを食べることだったはずなのだが。
……まあ、中庭で時間を過ごせただけよしとするか。
俺は最寄駅から家までの道で、そんなことを思っていた。
……しかしそれにしても、
「……お前、本当にウチまで来るのか?」
俺は、横に歩く爽やかイケメンこと陣内海斗にそう言った。
「なんだよ、一度は来てもいいって言ってくれただろ? 今さら追い返すのは無理だぜ、へへ!」
「まあ、そうなんだが……」
どういうわけか、俺は陣内と一緒に自分の家を目指して歩いている。
詳しい流れは覚えていないが、なんとなく勢いと流れで、放課後は陣内と遊ぶことにしたのだ。
しかしまさか、学校からそのまま家についてくるとは思わなかった。
「マサの家って、意外と駅から歩くんだな……。それにしてもあっついな!」
陣内は隣で、そんなことをぼやいたりしている。
「……確かに暑いな」
「これだけ暑いと、海とか川が気持ちいいだろうなあ!」
「ハハ、だな」
俺達は、そんな軽口を叩きながら歩いた。
最初に家に来ると言われた時には戸惑いもしたが、考えてみるとこうして誰かと帰るのはとても久しぶりで、俺は何だか新鮮な——それでいながらどこか懐かしい、そんな不思議な気分になっていた。
「着いた、ここがウチだ」
家の前に着くと、俺はそう言って三段ほどの短い階段を登りドアの鍵を開けた。
「おお、ここがマサの家か! かっけえな!」
「別に……、ただの一軒家だろ」
ガチャ。
「お邪魔します!」
陣内は玄関に入ると、元気な声でそう言った。
「……今、家には誰もいない。今日は母さんが病院に行く日で、父さんはそれに付き添ってるんだ。妹も、今日は何か用事があるらしい」
「なんだ、そうなのか……」
「……まあ、あがれよ」
「おう! ありがとう!」
陣内はそう言うと靴を脱ぎ、丁寧に向きを揃えてから家に上がった。
正直に言うと、俺は家に友達を招いたことがない。だから、どうしたら良いのか全く検討がつかない。
俺はなれない手つきで、ひとまず陣内を二階にある自分の部屋に入れた。
「……ちょっと待っててくれ、今なにか飲み物を持ってくる」
俺はひとまず、どこかで見聞きしたような対応をしてみる。
「そうか、ありがとう!」
そう言う陣内はとても自然体だった。何気ない行動に礼儀正しさが滲み出ていて、そういうところがとてもかっこいいと思った。
「……経験値が違うな」
俺はキッチンで、一人麦茶を注ぎながらそうつぶやいた。
改めて、自分はあまり人と関わらずに生きてきたんだなと実感させられた。
部屋に戻ると、陣内は立ったまま部屋の中を見物しているようだった。
「……まあ座れよ」
「へへ、なんかマサの部屋とかすごく新鮮で、色々みたくなっちゃうな。あ、麦茶ありがとう!」
俺は陣内を机の前の椅子に座らせると、自分のベッドに腰掛けた。
「なあマサ……」
「ん?」
「実際のところ、記憶って今どんな感じなんだ……?」
慎重なトーンで陣内は聞いてきた。
「いや、別に答えたくなかったら答えなくていいんだけど」
いくら触れないでおこうと気遣っていても、やはり気になるものは気になるのだろう。
俺はそんな陣内の葛藤も察しながら、素直に答えることにした。
「……ある期間の記憶だけが、すっかり抜け落ちてるって感じかな」
「ある期間?」
「直近一ヶ月間くらいの記憶が、ほとんどないんだ。最後に覚えているのは、妖精の泉って場所で足を踏みはずして滝壺に転落したことくらい。それから、次起きたら同じ妖精の泉にいて、時間だけが一ヶ月過ぎてたんだ」
俺は、自身の経験を赤裸々に告白する。
正直、俺だって戸惑っている。目を合わせていないだけで、底知れぬ恐怖がすぐそこに立っているのだ。
「……医者は、原因不明だって。何か刺激が加わることで、記憶が戻ることがあるかもしれないとも言ってた。だから、今日はその記憶が戻るような刺激を求めて学校に来たんだ」
「……そうだったのか」
陣内は、じっと俺の目を見て話を聞いていた。
「……それで、今記憶は?」
「……戻ってない」
俺は首を横に振って言った。
「そうか……」
陣内が視線を切ると、俺は自分の部屋を見渡した。
「……正直なことを言うと、俺も自分の家に帰ってくるのは久しぶりなんだ。目覚めてからすぐ、病院に行って入院したから」
俺はキョロキョロとあたりを見回しながら言った。
部屋は以前より片付いていて、まだ夏なのにもかかわらず、部屋の隅には毛布が用意されていた。
記憶が無い期間の俺は、ここでどう過ごしていたのだろうか。
「……じゃあ、もしかしたらこの部屋に、記憶を戻すヒントがあるんじゃないか⁉︎」
陣内はそう言うと、パッと立ち上がった。
「……確かに、少し思うところはある」
「ほらな! ならもっと部屋を探ってみようぜ! こことか!」
陣内はそう言うと、勢いよくクローゼットを開けた。
「あ……」
すると、中を見た陣内がピタリと固まった。
俺は不思議に思って声をかける。
「……ん? どうした?」
それを聞いた陣内がゆっくり振り返る。
「……これは、妹さんの?」
「妹?」
俺は立ち上がりクローゼットを覗きこんだ。
するとそこには、明らかに女性物の衣類と、下着が吊るされていた。
「——んなっ⁉︎」
俺はのけぞり、驚愕する。
「何だこれ⁉︎ こんなの俺、知らないぞ!」
「マサ……」
「いやほんとだって!」
俺は弁解するように陣内に訴える。
「……ほんとに?」
「ほんとに‼︎」
俺は目をまっすぐ見て訴えかける。
すると、陣内はふむと納得したような顔をして、
「本当らしいな」
と言った。
俺はホッと胸を撫で下ろす。
「……しかし、だとしたらこれは大きな手がかりになるんじゃないか?」
「……確かに」
「どうだ? これを見て、何か思い出したことはないか?」
俺は、クローゼットに吊るされているヒラヒラとしたフリルの付いたワンピースや、太ももが全部出るような短いズボンを見ながら考える。
それらを見ていると俺はなんだか胸がざわついたが、それ以上の成果は得られそうになかった。
「……いや、だめだ。何も思い出せない」
「そうか……」
俺がそう言うと、陣内は残念そうに言った。
しかしすぐに切り替え、
「……でも、きっとまだ何かあるさ! 探してみようぜ!」
と言った。
俺は頷くように、
「ああ……!」
と言った。
それから俺と陣内は、部屋のさまざまなところを漁った。机の中、タンスの中、しまいにはベットを持ち上げてその下を覗いてみたりもした。
しかし、そこまでしても目新しい手がかりは見つけられなかった。
「どうだ? 何か思い出したことはあったか?」
「ハアハア……。だめだ、何も思い出さない」
「そうか……」
俺たちはすっかり汗だくになりながら、元のポジションに戻った。
……ベッドに座る、ということに不思議となじみがあった。入院中、ベッドの上で過ごしていた影響だろうか?
俺が不思議に思っていると、目の前の椅子に座っていた陣内が立ち上がった。
「……マサ悪い、トイレを借りてもいいか?」
「ああ、良いよ。一階に降りてすぐの、階段の横にある扉がトイレだ。」
「ありがとう」
そう言うと、陣内は部屋を出て行った。
「……着替えるか」
俺はそう言うと、すっかり汗まみれになってしまった制服を脱ぎ捨て、クローゼットの中から手頃なTシャツとズボンを取り出した。
その際、視界に先程の女性の衣類が目に入った。
「……なんだってこんなものを」
やはり妹が入れたと考えるのが妥当だろうか?
しかしもしそうじゃなかったなら、これは俺が買ったということなのか? 一人で? 何のために?
一人になり冷静になったことで、俺の中にふとたくさんの疑問が湧いてきた。
「……俺はこれを、アイツのために……」
独り言のようにこぼれた言葉に、俺は驚き息をのむ。
「なんだ? 今のは、一体……」
俺の中に、何かが流れ込んでくるような感覚が押し寄せてきた。
否、それは己の内から湧き出る泉のようだった。
「俺は……」
あと少し、あと一つピースが埋まれば、俺はそこに辿り着ける気がした。
——チャリ。
よろけるように一歩下がった瞬間、左ポケットから何か音がした。
それと同時に、俺はそこに何か入っていることに気づく。
「……なんだ?」
恐る恐る、ポケットに手を入れる。
ポケットの中で、指先が何かに触れる。掴むとそれは、小さい人形のようだった。
俺はそのままそれをゆっくりと取り出し、その物を見た。
「これは……」
それは、顔だけがライオンになっている人形のストラップ、あえて言葉にするなら、顔だけライオン人間のストラップだった。
「変なストラップ……」
俺は、ハハッと笑うようにそう呟いた。
その直後、突如として俺の視界が歪んでいく。
「……あれ? なんだ、これ?」
俺は、自分の目が涙が溢れていることに気がついた。
不思議なことに、いくら拭ってもそれはなくならない。
止めどなく溢れてくる涙を拭っていると、遠くから声が聞こえてきた。
『よかったねマサ! これでお揃いだよ!』
『花火、すっごい楽しみ!』
『やった!』
『じゃあまた少し待ってて! 他のも着てみる!』
『すごーい!』
『マサは、どうしてクラスの人を避けるの?』
『マサは、家族が大好きなんだね。』
『マサと一緒に行動するようになってから、毎日がすっごく楽しい‼︎ だから、ありがとう‼︎』
『アハハ、なに泣いてるの。大丈夫、思い出は消えない。私は君に会えて、本当に幸せだったよ』
夜空に咲く花火。
二人で見る、中庭の景色。
夕暮れに染まる白い肌、風に触れる金色の髪。
身体を包む甘く優しい匂い。
まっすぐで透き通った瞳。
眩しすぎるその笑顔。
すぐにどこかに駆けて行ってしまい、眺めていたのは後ろ姿ばかり。
けれど時折みせる不思議な表情は、この心を捉えて離さない。
いつでも元気いっぱいで、いつでも俺を引っ張り回して、いつでも俺に元気をくれた。
そうだ、彼女は……!
『私の名前はセイラ! よろしくね!』
——ダッ!
俺は部屋を飛び出し、階段を駆け降りた!
……そうだ、全て思い出した。
俺が失っていたこと、そして俺が受け取ってきたことも、全部!
俺は今、ここにいる。命を持ってここにいる。
ならばこの命を使ってやるべきことは、向かうべき場所は、一つしかない!
絶対に会わなくてはならない! 会って、伝えなくてはならない!
俺はお前に、伝えたいことがあるんだ!
「マサ? どうした?」
トイレから出てきた陣内が、俺に声をかけてきた。
「記憶が戻った! 悪いが、協力して欲しいことがある‼︎」
「マジか‼︎ ほんとに⁉︎」
「マジだ! 陣内、協力してくれるか⁉︎」
俺は明確な覚悟を持って陣内に問いかける。
陣内は俺と数秒間目を合わせると、ニヤッとして言った。
「もちろんだ、マサ。俺たち、友達だろ?」
俺と陣内は、目を見合わせたままフッと笑った。
「ありがとう、陣内」
「で? 何をすればいい?」
「妖精の泉に連れて行ってほしい! お前、バイク運転できるって言ってたよな⁉︎」
「……覚えてたのか。」
「たまたまな。どうだ、いけるか?」
「よっしゃ、まかせろ‼︎」
「よしっ‼︎」
ブウウウウウン‼︎
「行くぞ!」
「頼む!」
強い音を立てながら、一瞬にして俺たちは風と一つになった。
俺は陣内にしがみつきながら、前方にそびえる山々を見つめた。
待ってろ、セイラ。
今、会いに行く!
俺は確かな誓いを胸に、暗い雲が覆う山へと進んでいった。




