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「熱と熱」

 陣内と話をする、そう意気込んではみたはいいものの、結局その日は特に何もせずに家に帰ってきた。

 ……いや、だってこれまでずっとしお対応で接してきたのだ。急にこっちから話しかけられるはずがないだろ。


 家に着くと、まずセイラが先にドアノブを回した。

「ただいま〜」

 この挨拶も、すっかり俺らしい。

 俺も、セイラに続いてひかえめな声で、

「ただいま」

と言った。

 すると奥から、

「おかえり〜」

という声が聞こえてきた。

 その声に、俺は動きを止めて少しうつむく。

「ん? どうしたの? チラッ」

 その様子を見たセイラが、不思議そうに小声で尋ねてくる。

「……セイラ、ちょっと母さんと話がしたい。付き合ってくれるか?」

 俺は彼女の目をまっすぐ見てそう言った。

 セイラは一瞬キョトンとした様子で固まっていたが、すぐに内容を理解し、

「おっけい! ピース」

と右手のピースを突き出しながらニカっと笑った。


 トントン

「……母さん、少し良い?」

 俺は母さんの部屋の扉をノックし、中に入った。

 もちろん正確には俺とセイラは、だが。

「なあに? マサ」

 部屋に入ると、おだやかな表情で母さんが迎え入れてくれた。

 母さんは今日は体調が良いらしく、ベッドで横にはならず、ベッドに腰掛けていた。

 そばには、先ほどまで読んでいたとみられる本が置かれている。

「少し、話したいことがあって……」

 俺がそう言うと、母さんは少し驚いたような表情を見せた。が、すぐにその顔は微笑ほほえみへと変わった。

「そう……。何でも聞くわよ」

 それを聞き、俺は口を開いた。


 ……しかし、なぜだかすぐには言葉が出てこなかった。

 話そうと思っていたことがあるはずなのに、それがなかなか言葉にならない。

 少しの間、沈黙が流れた。


 セイラが一度、こちらをチラッと確認してきた。しかしすぐに視線を正面に戻すと、何も言わずにじっと俺が言葉を放つのを待ってくれていた。

 その時、ふと彼女との会話が頭をよぎった。

「……俺は、」

 そうして俺は、ようやく一つの言葉を紡ぎ出した。

「……俺は、この家族のことが、大好きなんだ」


 この言葉を口にした途端、もやもやしていた思考が一気に収束しゅうそくし、そして流れ始めた。

「昔からずっとそうだった。俺は、家族の皆が大好きで、この家族で一緒に過ごす時間が大好きだった。だから、父さんが単身赴任して色々あった時も、母さんや妹のために家事をしたりするのは苦でもなんでもなかった。それが俺の一番したいことだったんだ! だけど……」

 ダムが決壊けっかいしたかのように、言葉と感情が一気に溢れてくる。

 自分でも、うまく言葉にできているか分からない。

 しかしそれでも、母さんはまっすぐと俺を見つめ、その言葉を受け入れてくれていた。

「……だけど、今はこんな風になってしまった」

 こんなはずじゃなかった。こんな風にしたかったわけじゃなかった。俺は別に、父さんや母さんに負い目を感じさせたくて頑張っていたんじゃない。

「俺はただ、もう一度……」

 ……もう一度、家族で楽しく過ごしたかった。ただ、それだけだった。

 ……なのに。

 なんだか涙が出そうになって、俺は顔を横に向けた。


「……そっか」

 母さんの声が、優しく響く。

「母さん、ちゃんとマサのこと見えてなかったんだね。」

「そんなこと……!」

 ……そんなことはない。

「ううん、でもありがとう。こうして話してくれて」

 母さんは立ち上がると、ゆっくりと俺の姿をしたセイラに近づき、そのまま彼女を抱きしめた。

「……母さんとっても嬉しいよ、ありがとう」

 セイラも俺も突然のことに少し驚いたが、セイラは素直にその温もりに身を委ねた。

「……私も、頑張らなきゃね」

 母さんが耳元で呟くのが、俺にもしっかりと聞こえた。


 セイラと目が合うと、彼女が少し申し訳なさそうに表情を困らせた。

「……いいよ。俺はこれで、充分だ……」

 俺はセイラを抱きしめる母さんを見てから、セイラに対してニッと笑ってみせた。

 するとセイラも表情を柔らかくして、ニコッと笑った。




 母さんとの会話を終え二階の自室へ戻ると、急に恥ずかしさが込み上げてきた。

 近しい人間に素直な気持ちを伝えるのは、時に恥ずかしさを伴うものだ。

 しかも今回は、それを第三者に近くで見られていたときた。

「はあ……」

 俺は安堵あんど落胆らくたんの混ざったため息をついた。


「お母さんと話できて、よかったね! ポンポン」

 セイラが、俺の二の腕をそっと叩きながらそう言ってきた。

 彼女は心からその言葉を発してくれたのだと、そのまっすぐな表情からわかった。

「……ああ、セイラのおかげだ。ありがとな」

「別に私は何もしてないよ。エヘヘ」

 俺たちは顔を見合わせて笑うと、セイラは机の前の椅子に、俺はベッドに腰掛けた。

 何を言ったわけでもないが、いつからか、ここが二人の定位置になっていた。

 俺は手を後ろについて上を見上げ、セイラは腰掛けたまま足を浮かして上下にバタバタとさせていた。


「……今日のお昼休み」

 俺が動きを止めて話しだすと、セイラも動きを止めた。

「咲ちゃんと話したね。ポワワン」

「……俺、陣内の話、初めて聞いたんだ。今まで、あんなこと全く知らなかった」

「両親を亡くして、ずっとおじいちゃんおばあちゃんと暮らしてたって話? ジッ」

「そう、その話」

 俺は少しうつむきながら、話を続けた。

「俺、あの話を聞いてショックを受けたんだ。世の中にはそんな大変な経験をしてきた人がいるんだってことにも、あの明るい陣内がそんな過去を持っていたんだってことにも」


 自分よりも大変な境遇きょうぐうの人間なんていくらでもいる。そんなことは、本やテレビ、インターネットなど、あらゆる媒体ばいたいで知ることができる。

 しかし、どこか遠い場所にいる人の話として聞くのと、身近な人間の話として聞くのとでは、どうしても情報の重みが違う。

 クラスの人気者で、何度無視しても懲りずに話しかけてくるお節介焼せっかいやき男、そんな陣内海斗に壮絶そうぜつな過去があったというのは、俺にとっては大変なニュースだったのだ。


「……俺、あいつともう少し話をしてみても良いのかもしれないって思った。こんな言い方だと、なんか偉そうだけどな」

 ハハ、と軽く笑ってみせる。

「そっか! 良いんじゃないかな、きっと楽しいよ! ニシシ」

 セイラは、その言葉の全てを受け入れてくれた。

 彼女が笑うと、俺もなんだか心が軽くなった。

「……ああ。少しだけ、明日が楽しみになってきた」

 母さんとの会話、陣内の過去、それらの要素が組み合わさって、俺の胸の中に暖かい風が流れ込んでくる。

 暗闇に光が差し込んだようで、俺はなんだか晴れやかな気分になっていた。


「……しかし熱いな」

 外はもう真夏の気温。カーテンを閉めているとはいえ、日当たりの良いこの部屋は、冷房の効きが少し悪かった。

「セイラ、そこにあるリモコンを取ってくれないか?」

 俺は、机の上に置いてあるエアコンのリモコンを指差してそう言った。

「どこ? キョロキョロ」

「その、ペン立ての横にあるやつだよ」

「ああ、これね! パシ」

 セイラは机の上のリモコンを手に取ると、大きく上に掲げてみせた。

「ちょっとそれ、貸してくれ」

「はーい! ホイ」

 セイラは腕を伸ばしてリモコンを渡そうとしてくる。しかし微妙に距離があり届かない。

「……めんどくさがるなよ」

「エヘへ……。ヨイショ」

 セイラは立ち上がり、リモコンを渡すため近づいてきた。

 ——そのとき! 彼女は床に落ちたタオルを踏んだ。

 そしてそのままツルッと滑り、彼女はバランスを崩した。

「——わっ⁉︎」

「——うおっ⁉︎」


 ——ボスッ!


 彼女はそのまま、俺を押し倒すようにしてベッドに倒れ込んだ。

 刹那せつな、俺の鼻を、優しい甘い匂いが包み込む。

 身体にはのしかかった物体からは、優しい温かさと、わずかな重みが伝わってくる。全体の印象としては少し華奢きゃしゃで、思わず丁寧に扱いたくなるような繊細せんさいさがある。

 しかし、その胸のあたりから伝わってくる柔らかさからは、繊細や華奢という言葉が似合わない、圧倒的な存在感が感じられた。


「ごめん!」

彼女が慌てて両手で身体を起こす。

「……いや、大丈夫」

 俺は、半分放心ほうしん状態で返事をする。

 身体を起こしたとは言え、普段の生活では無い距離に、互いの顔と身体がある。

 俺の心臓は、身体全体を弾ませる勢いでポンプしていた。


「……ん?」

 不思議なことに、セイラはその場から動かず、じっと俺を見つめていた。

「……セイラ?」

「……ねえ、この前の言葉、覚えてる?」

 俺をじっと見つめたまま、静かにセイラがそうつぶやく。

「……この前?」

 俺は、高まる心臓の鼓動を抑えながら返事をする。

 あたりを包む甘い香りが、自分の理性の壁をぶち破りそうになる。

「……この前って、」

 俺が再び口を開くと、セイラはゆっくりとその顔を近づけてきた。

 俺の脳裏に、この間の買い物の時の会話がよぎる。

 それと同時に、俺の視線は彼女のくちびるに向けられる。

「ちょっ⁉︎」

 脳を刺激する甘い香り、そしてそこに柔らかな吐息が混ざり、俺の鼓動は最高潮さいこうちょうに達する!

 俺とセイラの唇はみるみるうちに接近し、そしてそのまま重なろうと——


 ——ガチャッ!

「お兄ちゃん、帰ってるの〜?」


 突如扉が開いて、俺とセイラは止まった。

「……あれ? なんだ誰もいないじゃん」

 バタンッ

 妖精を見ることのできない心美ここみは、そう言うとドアを閉めて出ていってしまった。

 俺とセイラはそのままパッとと離れ、セイラは俺にリモコンを渡してれた。


 俺は身体の熱を冷ますように、エアコンの温度を思いっきり下げた。



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