労働
僕は「山田悠紀」を観察して思った。
やはり、
労働とは世界を滅ぼす最大の原因だと。
別に、
20世紀末、
100年にわたる冷凍睡眠の影響で体が9歳に戻ってしまう前、
学んだことを思い出した訳ではない。
確かに、
マルクスは労働者を莫迦にしていたし、
フレデリック・テイラーは、
ある種の労働においては愚かさが必要だといった。
科学的生産管理によって分断された人間性が結果として、
どんな「人間」を再生産するのか、
という点については、
彼らの想像力は及ばなかったわけだ。
彼らはもっと、
考古学的視点を持つべきだった。
そうすれば、
21世紀の危機を回避できたかもしれない。
20世紀においても参照可能だった古代メソポタミアの神話や、
日本の二系統の神々や、
中国の神仙神話に、
古代の社会崩壊の原因は明確に残されていたのだから。
メソポタミアの古代神話では、
神は有閑族と労働族に分かれていた。
労働族の反乱を契機に、
彼らの代替品として「人間」が造られた。
今につながる世界のインフレーションは、
ここから始まった。
もっとも、
この「人間」は「ペイガン」であり、
後世、
ペイガンが自らの起源を喪失した後、
人間を自称したにすぎない。
そもそも、
いまにつながる「神」という定義など、
ローマ帝国民がみた景色から生まれた、
一つの人間に対する解釈にすぎない。
闘技場に放り込まれて、
獣たちに襲われて死んでいく異教徒たちの殉教する姿に、
その死に対する稀な姿勢によって心打たれてローマ市民が考え出したのが、
今につながる「神」の姿だ。
彼らは、
死を嬉々として受け容れる人々をみて、
衝撃を受けたわけだ。
そして考えた。
あれは何か、
凄い何かの仕業だと。
その何かを「神」と定義した。
それ以前の世界においては、
神は人を罰し脅し、
労働を課す存在だった。
まさに、
ローマ帝国時代、
人間は初めて自らを愛する超越的存在の定義を手に入れたわけだ。
僕は「山田悠紀」を観察していて、
つくづく思った。
神とは、
ペイガンという人間の模造品が苦心して作り出した、
フレーム問題に対する対処法なのだと。
労働を目的に生み出されたペイガンたちが、
世代を経るごとに複雑さをます状況への適応を求める中で、
新しい「神」は産み落とされた。
得た情報を外部記憶としてしか残せないペイガンたちにとっては、
その神の定義の伝承すら満足にできなかったわけたが、
「紙」の発明によって定義の固定化に成功する。
羊皮紙などに比べて超越的に改竄が困難な「紙」に記されたことで、
神の定義は固定化され、
さらに「紙」の生産性が向上するにつれて、
地域言語への翻訳が進み、
飛躍的に広がることになる。
けれども、
彼らの生産性は飛躍的に向上したけれども、
彼らが労働に専念すればするほど、
彼らは愚かになった。
特に驚くべきことは、
労働効率を上げるために、
長期間の学習を行うことで、
さらに愚かになったことだ。
そういえば、
未来の戦争に備えることはできない、
といったのは誰だったか?
彼らは僕と違い未来をみれないから、
滅びる。
僕はとても長い日々で、
彼らのような存在を無限にみてきた。
一つの宇宙として完結している人間も、
無限に繰り返すという意味では、
虚しいともいえるが、
それでも、
その精神的構造転換でうむ虚空が超集合することで、
新しい「宇宙」をうめる。
僕はこの度、
ペイガンにどうにかして「宇宙」をうませてみたい。
そのための良い材料が、
今、
麻布で暴れている不思議な者達ではないのかな、
と思っている。
沖田総司、乃木希典、清河八郎、白蓮、
そして、霞山と名乗ったらんちう。
人間でもなくペイガンでもない存在。
僕は彼らを使えば、
何かが生まれるような気がしたので、
薬師えつこの「首級」奪還を口実にして、
戦力を投入することにした。
勿論、
その一人は「山田悠紀」だ。
彼ほど、
夢の中で人を殺した者はいないのだから、
きっと、
期待に応えてくれるはずだ。




