美少女
節子は本当に可愛い。
可愛いとは、
「愛せるって」ってことよね、
としきりにつぶやいていたのは、
僕が初対面から数度目で、
「愛してる」
と、言った同級生だった。
確かに、
あのナポリタンのパスタと具材を適度に絡めようとしている手際は、
手際が悪いという愛らしさを醸し出すという、
生きる手際の良さが感じられる。
だからこそ、
あの超自己中心的な生き方も、
可愛いく思えるのだろう。
そう思ってみれば、
節子とは美少女なのだ。
僕が愛してる、
と、人生では初めていった頃、
大学と家との間には、
先斗町と木屋町、寺町といった京都の繁華街があった。
確か、
四条から三条に上がる(京都の言葉で北に行くという意味)真ん中、
飾り戸に、
麗子の絵が飾ってあった。
種々の骨董品と混ざるそれを横目に、
すでに馴染みになっいた店へと流れていくのが日課だった。
その頃、
ある本で「野苺の歌」を歌った美少女がいるのを知った。
麗子は岸田劉生の娘をモナリザを模して描いたと言われているけれども、
その麗子とその美少女がよく似ているのを知ったのは、
随分と後のことだった。
そもそも、
山之口を山口之と記憶違いをしていた。
二人の少女の間には、
約40年ほどの隔たりがあり、
僕が愛している、
と、告白した女性は、
そこから15から20年を隔てていると思うが、
正しく数えてはいない。
100年間、
冷凍保存されている内に、
まさか、
自分が九歳まで若がるとは予想外だったけれども、
もっと、
予想外だったのは、
節子も付いてきていて、
彼女が若返った僕にふさわしく、
自分も若返りした、
ということだ。
お互い、
20世紀末の東京では、
20代後半と30代後半の相手しか知らない。
こうして、
9歳と20代後半になって向かいあい、
ナポリタンを食べる、
というのは実に新鮮で愉快だ。
「愉しそう」
と、節子が言った。
「楽しいよ、一緒にいれて」
と、僕が言う。
彼女が右手を上げて手首をから先を少し立てて、
軽く指を前にふる。
「本当。あなたとゆっくり、いたいって、何度思ったことかしら」
笑う節子に僕はいう。
「その仕草、変わらないね」
「おばさんぽい?」
「僕も9歳ぽくはないでしょ、そういうこと」
「百年寝ていても、あなたは変わらず、生意気だわ」
飲み干したグラスに白ワインを注ぎ足す。
「大地震やテロとか、色々と願ったのよ、一緒になれるなら、
東京が壊れてもいいって」
「そうだね」
「二人の時に、地震がくれば、あの人も実家も終わりでしょ?
そしたら、その時からはあなたとずっと二人でいられるのに、
本気でそう思っていたのよ」
僕は何度も彼女のそうした科白を知っている。
種々、
過激なものもあった。
そのもっとも過激な科白は、
今、
レムたちが何故か深刻な話をしている南山荘2号室でだった。
「南山荘、覚えてる?」
と、僕は訊いてみた。
「坂の上ね、まだ、あるのかしら。お庭で昼寝すると」
節子は懐かしそうにグラスを揺らして、
フォークでケチャップ色の太めのパスタを巻いた。
「本当に、楽しいのよ」
僕にとっての美少女とは、
わたし以外は塵芥とし、
絶対的に可愛いとみせ、
心胆を凍りつかせる、
生まれつきの鏖殺者だ。
俗世において、
その吐息から生産される言葉によって、
美少女を中心とする同心円は、
常に死屍累々だ。
だから、
節子は美少女ではなく、
愛される可き女性でいて欲しい。
「ねぇ、
私たち、これからどうするのかしら」
僕の9歳の唇から顎を汚したタマネギがつけた赤いのあとを拭いながら、
節子が言った。




