旅立ち
村の入口で部下たちの馬に積んでいた荷物の一部を自分の馬に移し替え、ペブリムはそっと馬の鼻面を撫でた。
「城へ戻るまでの間、頼れる相棒はお前だけだ。大変だとは思うが、頑張ってくれよ」
瞳を閉じ、優しく励ますように声をかけて鼻面に額を付ければ、それに応えるようにペブリムの愛馬は短く鳴き、ぐいっと鼻先を押しつけてくる。
ペブリムは小さく微笑むと、背後で砂を踏む音が聞こえそちらを振り返った。
「……準備、してきました」
リリアナは横がけの鞄をギュッ握り締める。
鞄の中には写真立てや数枚の着替え、そして自分で調剤した医薬品を少しだけ入れていた。
「では、参りましょう」
リリアナは視線を下げてペブリムに数歩近付くが、すぐに立ち止まりもう一度村を振り返る。
十七年育った村。もうここには戻ることはないと思うと、離れ難い。
「……っ」
リリアナはぐっと歯を食いしばる。
泣き出したい気持ちを懸命に押し殺し、逃げるように背を向けると真っ直ぐにペブリムの前に歩み出た。
「王女殿下。本来であれば馬車を用意し、護衛隊を付けるべきなのですが、今はそうすることで逆に危険が及ぶ可能性があります。大変恐縮ですが、城に着くまでの間私の馬に同乗して頂きます」
「あ……は、はい。でもあたし、馬なんて乗ったことなくて……」
戸惑うリリアナに、ペブリムはニコリと微笑み返した。
「私が支えますから、ご安心ください」
「え?」
――支えるって……。
困惑しているリリアナを他所に、ペブリムは立膝で跪き、手を差しだしてくる。
「え?」
突然のことに思わずキョトンとしてしまう。しかし、ペブリムは何と言うこともない顔でリリアナを見つめた。
「私の足を踏み台にして、その鐙に足を乗せてください」
「えぇ……?!」
慌てるリリアナの手を掴むと、ぐいっと自分の側に引き寄せる。
リリアナは他人の、しかも一国の騎士の足を踏み付ける行為に、どうしても抵抗があった。
「で、でも、汚れちゃうし、あたし重いし……」
「問題ございません」
「……っ」
有無を言わせぬような笑みに、リリアナはそれ以上何も言えなくなる。
ペブリムの膝を見れば、汚れても良いようにナフキンが掛けられていた。リリアナは恐る恐るペブリムに言われたように彼女の膝に足をかける。
「ご、ごめんなさい!」
そう言いながら踏み込み、急いですぐそばの鐙に足をかけた。
「失礼致します」
短く断りを入れて、踏み台になっていたペブリムが立ち上がり、リリアナの腰に手を添える。
「……ひぇっ!」
唐突に腰を押さえられたリリアナは思わず叫んでしまうが、ペブリムは涼しい顔をしていた。
「鞍を掴んで、鐙を蹴るようにしながらそのまま馬に跨ってください」
「は、は、はい!」
もはや頭の中は混乱していた。ただ、言われるままに動くしかない。
何とか鞍に跨ると、今度はあまりの高さと不安定さに思わず馬の首にしがみついてしまう。
――こ、怖いっ!!
経験したことのない恐怖に、音を上げそうになる。
体はガチガチに緊張し、余裕はどこにもない。
そうしている間に、リリアナのすぐ後ろに軽々とペブリムが乗り、馬が微かに揺れた。
「!」
「……王女殿下。少し体を起こしてください」
「お、起こす? え、無理! 落ちる!」
ガッチリしがみついていたリリアナに、ペブリムが身を屈め、背後から声をかけた。
「この命に誓って、絶対に落としません」
「っ!!」
至近距離から囁かれる言葉と、同時に包み込むように腰に腕を回され、真っ赤になったリリアナはギュッと目を閉じたまま反射的に体を起こした。
一瞬、驚いたような顔をしたペブリムだが、すぐに見送りに来た兵士たちに視線を向ける。
「では、救護班到着まで、頼んだぞ」
「はい! ペブリムさまもお気を付けて!」
ペブリムはリリアナのすぐ傍にある手綱を手に取ると、僅かに前屈みになる。
思いの外背中に密着する形になったリリアナは、早鐘のように鳴る胸に、ますます頭がパニックになった。
――ち、近い! 近い近い!
他人とここまで密着するのは、幼い頃以来だ。これが城に到着するまでの間続くのかと思うと、緊張せずにはいられない。
「……」
ペブリムはあまりにガチガチになっているリリアナを気遣い、馬をゆっくり歩かせる。
方向転換しながら歩く馬の動きに、グラッと体が外へ大きく振れる。その感覚に、リリアナの鞍を掴むにますます力がこもり、手が白んでいた。
「……王女殿下」
「ひゃいっ!!」
「目を開けて、力を抜いてください」
――無理です。
真後ろから抱き寄せられることも、囁かれることも、ましてや初めて馬に乗るなんてことも、何もかも不慣れな状況で力を抜くのは無理だ。ただこの状況の中、唯一の救いは、ペブリムが女性だと言うこと以外ない。
「……」
固く目を閉ざしたまま、石像のようにカチコチになったリリアナに、ペブリムは小さく困ったような笑みを浮かべた。
――これは……しばらくこのペースで行くしかないな。




