別れ
ペブリムはリリアナを振り返ると、彼女の傍に静かに歩み寄る。
リリアナは緊張した面持ちで、目の前に立ったペブリムを上目遣いに見上げたが、気まずさに勝てず、すぐに視線をそらしてしまう。
「……リリアナさん、でしたね」
ブレディシアで、ゲーリがたった一回、口にしていた名前を、ペブリムは記憶している。そのことにリリアナは一瞬息を飲んで視線を泳がせた。
「そ、そう、ですけど……」
その時、ふと視線を下げた先に自分の手元が見え、ハッとなる。
――そう言えばあの時、手袋外れかかってて……。
リリアナが視線をあげると、先ほどまでの冷たい眼差しとは違い、ブレディシアで見た柔らかな表情と笑みを浮かべるペブリムと目が合う。そして彼女は恭しくリリアナの左手を取り、そっと持ち上げて、痣を見つめる。
「……やはり、私の見間違いではありませんでした」
「……!」
――やっぱり、この人分かってたんだ。
あの時、ペブリムが引き起こそうとしたほんの一瞬、不自然に動きを止めたことを不思議に思っていた。その少しの間に、彼女は痣を見逃すことなくちゃんと確認している。
リリアナが固まっていると、ペブリムは左手を取ったまま、その場に跪いた。
「王女殿下。あなたを長く探し求めておりました。こうしてお会いでき、大変光栄です」
「……え、と」
突然そんな対応されても、ただ戸惑ってしまう。
どう返せば良いのか困惑していると、兵士に介抱されていたゲーリが僅かに身を乗り出し、声を上げた。
「リリアナ!」
名を呼ばれたリリアナは、弾かれたようにそちらを振り返り、ペブリムの手を振りほどいてゲーリの傍に駆け寄る。
布でしっかり巻き付けられているが、よほど深く切られたのか、じわじわと血が滲んできていた。
痛みで脂汗が浮き上がり、苦悶に顔を歪めるゲーリの体を、リリアナは慌てて抱きとめる。
「ゲーリ、傷が……」
「リリアナ……行くんですか……?」
苦しそうに息を吐きながら、ゲーリがリリアナに視線を向けると、彼女の顔は泣きそうに歪んだ。
「こんなゲーリ置いて行けないよ!」
その言葉が、ゲーリにとってこれほど嬉しいことは無かった。だが、現実はそう簡単でないことは理解している。
「あなたが、そう思っても……この方は、そうは思わないでしょう」
「……!」
リリアナはすぐ後ろに立ったペブリムを振り返り、瞳に涙を滲ませながら見上げる。
「お願いします! 兄なんです! たった一人の家族なんです! こんな状態で放っておけないから、だから……っ」
いつの間にかボロボロと零れる涙に、リリアナは声を詰まらせる。
ペブリムはリリアナの傍にしゃがみ込むと、その震える肩にそっと手を置いた。
「……あなたのお気持ちは、痛いほど分かります」
「……」
静かに囁いたペブリムの言葉は、決して同情やその場しのぎの言葉でない。そう感じさせたのは彼女の表情だった。何か、深い闇を抱えているかのような、痛みを知っている人にしかできない、そんな顔……。
リリアナが思わず言葉を失っていると、ペブリムは一度瞳を伏せた。
「あなたの申し出は理解致しました。私の命に代えても、お兄さんを必ずお守ります。ですが、あなたがここに残ることは、賛同致しかねます」
「でも……っ」
「マージはまだ近くにいます。我々が目を離した隙に、再び来ないとは言い切れません」
「……」
その言葉に、リリアナはぎこちなく周りに視線を巡らせる。
つい数時間前まで、普通に暮らしていたはずの村人たち。幼い頃からよく知った人たちが、今ではもう物言わぬ骸と化している。
パン屋のおばさんも、小麦工場のおじさんも、よく遊んだ隣近所の友人も、みんな、血溜まりに沈んでいた。
――そうだ。あたしがいたから、みんな殺されちゃったんだ……。
彼らの姿を見て、リリアナは涙が溢れる瞳をギュッと強く閉じた。
「……ごめん、ごめんなさい! あたしがいたから……!」
「いいえ。あなたのせいではありません」
「だけど……」
すると、ゲーリはリリアナの腕を掴んだ。それに驚いて顔を上げると、ゲーリもまた首を横に振る。
「あなたのせいじゃない。あなたは、私の……この村の太陽でした。誰も、あなたを恨んだりしません。恨まれるべきは、あなたをあの日、この村に連れ帰った……私です」
その言葉にリリアナは驚きに目を見開いた。
ペブリムはゲーリの言葉を聞き、胸に手を当てて深く頭を下げる。
「……あなたのおかげで、我々は王女殿下にお会い出来ました。これまで、殿下をお守り頂き感謝致します。この礼は、必ず」
ゲーリはゆるゆると首を横に振り、顔を伏せる。そして、苦しそうに呟いた。
「……リリアナを……王女殿下を、お願い……します……」
「ゲーリ……」
ゲーリはそのまま深々と頭を下げると、ペブリムは僅かに視線を下げた。
「お気持ち、痛み入ります」
「ゲーリ!」
ゲーリは、きつく拳を握りしめる。
「……行ってください、リリアナ。私なら大丈夫です。生きていれば、きっとまた会えます」
「……っ」
体を震わせながら、ゆっくりと顔を上げたゲーリの目にも、涙が滲んでいた。




