生還
視察団の兵士が戻ってから更に二日後。レルムは城にようやく帰還した。
静かな夜の闇の中、遠征先から戻ってきた兵士の大半は無事だったものの、重症を負ったのはレルムだけだった。遠征隊の帰りを待っていたポルカは、戻ってきたレルムの状態をみるやすぐに指示を仰ぐ。
「彼を自室へ。医師を呼び直ちに処置を施してください。今彼を失うわけには行きません」
運ばれていくレルムを、ポルカの傍で見ていたリリアナは不安に胸が押し潰されそうだった。
ここへ帰り着くまでの間に、同行していた救護班が巻いたであろう包帯は肩口から胸にかけて巻かれていた。しかし傷口が大きい為か包帯からも滲み出してしまうほどの血に染め上がり、レルム本人の意識はない。
閉ざされた瞳がもう二度と開かないような雰囲気に飲まれて、泣き出したいような気持ちになる。
――まだ、手遅れと決まったわけじゃない。
リリアナは必死にそう言い聞かせて、こみ上げそうになる涙を堪えていた。
皆がレルムを救うために尽力を尽くしているのに、自分は何も出来ないでいることがもどかしい。
リリアナはぎゅっと拳を握り締め、やがて顔を上げてポルカを振り返った。
「あの……王妃さま」
そう声をかけられたポルカが振り返ると、強張った表情のリリアナに小さな笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。彼ならきっと大丈夫」
励ますようにそう言うポルカの言葉は、まるで自分にも言い聞かせているようにも見えた。
ポルカを支えているのは、王族として、指導者としてのプライドなのかもしれない。リリアナはそんなポルカを見て、自分もしっかりしなければと拳を握り締める。
「あの、あたしにも何かさせて下さい。少しなら医療の心得もあります。村にいた時は医者を目指そうと思っていましたから」
リリアナが進言すると、ポルカはしばし考えてからリリアナを見つめた。
「……そうね。ではあなたには、レルムの傍に付いていてもらいましょう。何かあればすぐに連絡するのですよ」
「はい!」
嬉しそうに返事を返し、リリアナはレルムの後を追って駆け出した。
そんな彼女の姿を見つめ、ポルカは深く息を吐く。
「あの子の為にも、私がしっかりしなくては……」
リリアナの姿を見て落ち着きを取り戻したポルカは、再び目の前を右往左往している使用人たちに指示を仰いだ。
兵士塔の最上階にあるレルムの個室。その部屋の扉は開かれたまま、忙しなく医師や召使が行き来していた。
忙しない室内に、リリアナが足を踏み入れるとその場にいた全員がうやうやしく頭を下げる。
「あの、すいません。お医者様はどこですか?」
皆が頭を下げる事に気圧されながらリリアナが訊ねると、奥の部屋へ続く扉から初老の男性が出てきた。
彼が医師と分かるとリリアナはすぐに彼の元へと駆けつける。
「レルムさんの状態はどうですか?」
「今、処置が全て終わったところです。傷は深いですが、命に別状はございません」
命に別状はない。
その一言が聞けて、リリアナはここで初めて体の力が抜けた。
「良かった……」
「ですが、傷の具合からしばらくは高熱と痛みに悩まされるかと」
「……そうですか」
「では、私はここで失礼致します」
医師は小さく頭を下げてその場を離れた。
目の前の扉を見つめ、リリアナはそっと扉に手をかけた。
小さな軋みを上げて開いたドアから、薬品の臭いが漂ってくる。質素な部屋の奥で処置の終わった大量の血痕がついた包帯を籠に集めた召使が、リリアナに小さく会釈をしてすぐ横を通り過ぎていった。
リリアナはゆっくりとベッドの傍に近づいていくと、僅かに眉間に皺を刻んでいるレルムの姿が映る。
声をかけて良いかどうか悩んだが、静かに声をかけてみた。
「レ、レルムさん……」
「……っ」
レルムはピクリと眉を動かし、うっすらと目を開く。そして緩慢な動きでこちらに顔を向けてきた。
「……王女殿下」
力ない応えだったが、リリアナはそれだけで心から安堵を覚え、ボロボロと涙がこぼれおちてしまう。
「良かった……生きて帰って来てくれて、本当に良かったぁ……」
リリアナは涙を何度も拭いながら、その場に立ったまま涙した。レルムはそんな彼女を朦朧とする頭で見つめ、やがて瞳を閉じると静かに寝息を立て始めた。
――薬が効き始めたみたい。
リリアナは心底ホッとして、ベッドの傍らに置かれた椅子に腰を下ろし、眠るレルムの顔を見つめる。
怪我を負ったのはレルムだが、きっとペブリムは無事に違いない。彼女の姿はまだ見ていないが、レルムの代わりにやらねばならないことがあるに違いない。
彼女もその内、訪ねてくるだろう。
「ほんとに、良かった……」
リリアナは薄く笑みを浮かべた。
***
あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。
いつの間にかベッドに顔をうつぶせた状態で眠っていたリリアナは、ふと気が付いて体を起こす。
「……あれ。いつの間に寝ちゃってたんだろう」
目を擦りながら窓の外を見ると、まだ夜は明けていないようだったが、ランプの油の量を見る限りもうじき夜明けがやってくる時間だ。
リリアナはまだぼんやりとする頭でレルムの顔を覗き込むと、彼はまだ眠っているようだった。
「ちゃんと寝れてる。良かった」
ホッと胸を撫で下ろすと、リリアナはそばに置かれていた桶に手を伸ばし、中の水に浸されていた布を絞る。そしてレルムの額に滲む汗を丁寧に拭っていると、背後から扉の開く音が聞こえ、咄嗟に振り返った。
「大丈夫?」
そこにはランプを片手に微笑むポルカの姿があった。驚いたように目を瞬くリリアナにくすっと笑う。
「ふふふ。私が供もつけずに一人でここへ来る事がそんなに不思議? 娘が一人で看病しているのに、私が気にならないわけないでしょう?」
ポルカはリリアナの隣に静かに腰を下ろす。
「私はあなたの体も心配なのです。無理をしないで、召使や医者に任せて休む時は休みなさい」
ポルカはふっと微笑み、そっとリリアナの頭をなでる。
リリアナは母親の優しさに触れて何も言えなくなり、視線を下げた。




