災厄
――王女である可能性が極めて高い。確固たる証拠が掴めたらその場で接触を。掴めなければ彼女の所在地を特定せよ。
ペブリムの命に忠実な兵士たちは、この言葉を元にリリアナたちの動きをマークし、それは彼女たちがルク村へ帰るまで続いた。
たくさんの薬草が入った袋を幾つも抱えたリリアナとゲーリは、予定通り馬車に乗って帰路に着く。その馬車を、兵士たちは馬に乗って一定の距離を保ったまま後を追いかけた。
ブレディシア王国から離れ、広大な土地を駆けている兵士達の姿を、崖の上から見下ろす影があった。
その人物はデルフォスの兵がこの地にいることを不思議に思った。
栗毛の長い巻き髪を風に揺らめかせ、デルフォスの物でもブレディシアの物でもない軍服を着込み、腰にレイピアを携えたその女性は、前を走る馬車を追って駆け抜けていく兵を見つめた。
「……」
ふと不敵にほくそえんだ女性はくるりと踵を変えて、傍に待機させていた黒馬に飛び乗った。
大きく手綱を引き上げると、馬は甲高く嘶きながら前足を高く持ち上げて空を掻き、着地すると同時に凹凸の激しい崖の斜面を駆け下りる。
目指すはあの二人の兵士。
大地に着地した黒馬は猛烈なスピードで地面を駆ける。腹の底に響き渡る重たい振動とともに距離を縮めてくる女性の存在にデルフォス兵たちは気付き背後を振り返った。
「あれは……マージの!?」
「急げ! あいつに追いつかれたら終わりだ!」
迫り来る女性の姿を目の当たりにした兵士は顔を強張らせ、馬のスピードを上げる。
かなりの速さで駆け抜ける三頭の馬だが、女性の乗る黒馬のスピードは明らかに二人の馬を上回っていた。そして瞬く間に距離は縮まり、気が付けばすぐ傍まで迫る。
「しまった……!」
兵士がそう声を上げるが早いか、女性は併走しながら目を細めて優美に微笑む。しかし、その目はまるで笑ってはいない。その彼女に一瞬視線を奪われた兵士に、女性はその長い足を振り上げて脇腹に蹴りを食らわせた。
「うっ……!?」
対処しきれなかった兵士は、バランスを崩して地面に落ち、主を無くした馬はそのまま走り去ってしまう。
もう一人の兵士は落ちた仲間を気にかけ、スピードを緩めそうになった。
「は、走れっ!」
落ちた兵士の叫び声に一度は緩めそうになったスピードをもう一度奮い立たせ、走り続ける。
その兵士を追いかけて走る女性の馬は、ある程度まで追いかけると諦めたかのように速度を緩めた。そして落馬した兵士の元へと駆け戻る。
兵士は、落ちた衝撃で肩と腕、足の骨を折り起き上がることも出来ず仰向けに倒れたままでいた。
女性はそんな彼に近づくと、馬を下りることなく冷たい眼光で睨み下ろしてくる。
「なぜデルフォス兵がここにいるのかしら?」
「……敵国であるお前に、話すことなど何もない」
鋭く睨みつけながら吐き捨てるようにそう言い放つと、女性はフンと鼻を鳴らす。
「貴様こそ、こんなところで何をしていた?」
「先ほどの言葉、そっくりそのままお返しするわ」
冷めた目でこちらを見下ろした女性の表情は冷酷そのものだった。
女性は馬から下り、不敵に笑いながら兵士の前にしゃがみこむ。そして兵士の前にすっと手を翳した。
「な、何を……」
「話したくないようだから、話させてあげるのよ」
手を翳された兵士は、ドクリと大きく胸を打つ鼓動を感じた次の瞬間、ぐらりと視界が揺らいた。酷い眩暈を覚えて意識が朦朧としてくる。
相手の意識をコントロールする魔術を会得している女性は、兵士の心を操り言葉を引き出そうとしていた。
「さぁ、言いなさい。なぜお前はここにいるの?」
「……お、俺、は……っ」
しかし、兵士も抗っているのか、がくがくと打ち震えながらもゆるゆると首を横に振る。
「なかなかしぶといわね。さすがは、あの人の教育を受けているだけあるわ」
ふっと笑った女性は脇に携えていた剣をスラリと引き抜き、その切っ先を兵士に突きつける。
「言いなさい。言わなければ死を早まらせるだけよ」
「……っ」
どちらにしても最後にくる選択肢は死。
兵士は血が滲むほどぐっと唇を噛み、どの道死ぬのであれば絶対に口を割らないと決め込む。
「……そう、そのつもりならいいわ。意地でも話させてみせる」
女性は苛立だった様子で、兵士の顔の脇に振り上げた剣を突き立てた。
***
リリアナたちがルク村へ戻ってから数日が経つ。
いつもと変わらない日常。
ゲーリは診療所を留守にして往診に向かい、リリアナは調薬の為に自宅兼診療所に籠る。ただ一つ、難点があるとすれば、リリアナは調薬が大の苦手だった。
「一人で小部屋に籠って調薬だなんて、本当につまらない」
ランプの火に焙られて、コポコポと沸騰する液体の水泡を見つめながら、心底退屈そうに両肘をついて深いため息を漏らすリリアナは、ちらりと調剤室の窓に目を向けた。
――ちょっと抜け出しちゃおうかな。どうせゲーリは往診中だし。
少しぐらいなら問題ないだろう。そう思ったリリアナは火を止めて調剤室の窓から外へと抜け出す。
用心深く周りを見回し、ゲーリの存在が近くにないことを確認してから、村の外れにある小麦畑に足を向かおうとした。そこは、彼女にとって秘密基地のような場所で、サボるには打ってつけの場所だった。
「あら、リリアナ。どこへ行くの?」
パン屋の前を通り過ぎようとした時、ふとパン屋の女性に声をかけられたリリアナは、へらっと笑う。
「へへへ。秘密!」
「……まぁたそんなこと言って。ゲーリ先生に内緒で出かけようとしてるんじゃないの?」
「ち、違うよ! ただちょ〜っと休憩しようかな〜って……」
「ふぅ〜ん」
疑いの眼差しを向けてくる女性に、ぎこちなく視線を泳がせていたリリアナは、焦りの色を見せ両手を顔の前で強く打ち鳴らして手を合わせると、拝み倒す。
「お願い! ゲーリには言わないで!」
必死なリリアナの様子に、女性は意地悪く目を細めニヤニヤと口元に笑みを浮かべる。
「ど〜しよっかな〜」
「ねぇー! ほんとに、お願い!」
「じゃあ、うちのパン買ってってくれたらいいわよ」
「ほんと!? 買う買う! 買わせてください!」
リリアナは嬉々として女性の前に並んでいるパンに目を走らせると、女性は「しょうがないなぁ」と笑っていた。
「……?」
リリアナはお気に入りのパンを受け取り、代金を手渡していると、ふと村の入り口が急に騒がしくなった事に驚いて振り返る。
「へ、兵士だ! マージ兵が来た!!」
誰からともなくそう声が上がるのと同時に、悲鳴が上がった。
リリアナが見つめる前で赤い雨が降る。そして数人の人が突然地面に倒れ伏した。
「ここにデルフォスの王女さまがいるんだろう? さっさと連れ出して来いよ。そしたらお前たちは助けてやるからさぁ!」
下卑た笑いを浮かべる二人の男たちは、血の付いた剣を舐め、周りの村人たちを睨みつけていた。
「早くしねぇと、人がいなくなっちまうぜ?」
そう言うが早いか、男は逃げ出そうと背を向けた女性を容赦なく斬り捨てる。
「……」
リリアナが凍りついてその場から動けなくなっていると、ふいに後ろから強く腕を引かれた。
『リリアナ! こっちへ!』
振り返ると、そこには息を荒らげたゲーリの切羽詰まった顔があった。




