まだ見ぬ母親
「ここまでくれば、もう大丈夫です」
ペブリムはそう言うと、森の出口付近で一度馬の速度を緩めた。
鬱蒼とした森を抜けると明るく視界が開け、あまりの眩しさに目がくらむ。体感温度も、さきほどまで少し肌寒さを覚えるほどだったが、陽の下に出るとじんわりとした温かさを肌に感じ、思わずホッと息が漏れた。
「ペブリム様、お気を付けて」
「ご苦労さま」
森の入り口に立っていたデルフォス兵が、ペブリムに声をかけ敬礼をする。
ペブリムは彼らにも短く労いの言葉をかけ、手綱を緩く握り直すとまたゆっくりと馬を走らせた。
「わぁ……綺麗」
リリアナは思わず感嘆の声が漏れる。
ブレディシア領地は広大な草原の広がる大地だったが、デルフォス領地は僅かに地面が隆起したような土地が広がっている。
まるでパッチワークのように、地面が色とりどりの植物で彩られ、緑の草原には牛や羊などがあちらこちらに見受けられる。そんな彼らを誘導する牧場主の姿も見られた。
「凄く綺麗な場所なんですね」
「今は丁度実りの時期で、各地でこのような景色が見れますよ」
「……平和だなぁ。ずっとこうだったらいいのに」
「……そうですね」
ペブリムの複雑そうな言葉に、リリアナもまた複雑な気持ちになる。
マージ兵のことを思えば、確かに裏ではまだ危ない状態が続いていると言ってもいいのかもしれない。
広大な牧場を通り過ぎる中、城に向かって商人と思われる人が乗った馬車や、大きな荷物を担いだ旅人たちの数が少しずつ増えてくる。そんな中、ふと視界の端に牧場を経営している人たちが通り過ぎ様にこちらに手を振る姿が目についた。
リリアナは思わず手を振り返したが、ふと、ダメだったかとペブリムを見ると、彼女はニコリと微笑む。それにホッとした顔を浮かべ、もう一度周りに目を向ける。
心地よい風に土と、時折花のような香りが漂ってくる。天気も良く、抜けるような空の青に雲が流れていて、穏やかな時間に包まれていた。
「旅人や商人の数が多いんですね」
「そうですね。デルフォスは、主に真綿や鉱石で栄えています。鉱石は世界的に見ても質の良いものが採れるので、買い付けに来ているのでしょう」
「そうなんですか」
デルフォスと言う国がもたらす豊かさの理由を知り、プレッシャーを感じて無意識に鞍を握る手に力が入ってしまう。
――あたし、ほんとにこの国のお姫様なのかな。
リリアナは改めて、自分の手の甲を見る。
――ペブリムさんが言うんだから、たぶん間違いないんだろうけど、なんか……やっぱり実感湧かないな。
複雑な心境に、つい、ため息が漏れた。
風を切って馬を走らせていると、やがて遠くの前方に大きく突き出た丘が見え、その上に立派な城が建っているのが見えてきた。
「あれが、デルフォス城ですか?」
「はい。丘の上にあるため、条件が揃うと丘の裾野に雲海が広がり、別名、天空城とも呼ばれています」
「天空城……」
リリアナはじっと城を見つめる。
全くと言っていいほど記憶はない。記憶はないが、得も言われぬ懐かしさのようなものが胸にこみ上げ、胸が詰まるような思いがした。
リリアナは無意識に胸元に手を当てる。
「ペブリムさん……」
「はい」
「さっき話してた、ポルカ様って……誰ですか?」
確信はあるが、改めて聞いておきたかった。
ペブリムは、リリアナ自身がそのことに興味を持ったことに、心なしか安堵したような笑みを浮かべる。
「……リリアナ様のお母君で、デルフォス国の王妃さまです。十七年間ずっと、あなたの帰りを信じて待ち続けております」
「……」
やはり、自分に関係ある人だったんだと思うと、何とも言えない気持ちになる。
まだ見ぬ母親は、十七年もの間生きている確証もないのに娘の身を案じ、帰ってくることを信じて待ち続けていた。それがあまりにも健気で、リリアナは自然と王妃さまは強く、優しい人なんだと思えた。
「……不安、ですか?」
ふと黙り込んだリリアナに、ペブリムが声をかけると、首をゆるゆると横に振った。
「不安、と言うか……。ただ、あたしにもちゃんと親がいたんだなって思うと、なんか……。言葉が見つからないです」
「……」
リリアナは小さく息を吸い込み、口を開く。
「でも、会うのが嫌だとかそう言うんじゃないんですけど、複雑だなと思って……」
そう呟くと、ペブリムの表情は僅かに表情を硬くした。そして、しばし沈黙を守ったあと、どこか言いにくそう聞き返す。
「……恨んでは、いませんか?」
その言葉に、リリアナは驚いた顔でペブリムを振り返る。
「恨む?」
訊ね返され、ペブリムは言葉を選ぶように間を置きながら静かに続けた。
「産まれたばかりで離されたことに対して、です」
リリアナは少し考える。
だがどう考えても、王妃を恨むと言う感情に思い当たらない。
「……そう、ですね。恨むことはないかも。だって、事情が事情じゃないですか。それに、その後もずっと探してくれていたし……」
ただ……と、リリアナは静かに続ける。
「でもそれは、納得がいくだけの事情があったと分かったから、そう思うんだと思います。そうじゃなければ、恨んでいたかもしれない……」
リリアナの嘘のないその真っ直ぐな言葉に、ペブリムは言葉を飲んだ。




