国境の森・2
森の中は薄暗く、常に枝葉が影を作り空を覆うように茂っているためか、吹いてくる風に一層の冷たさを感じさせる。ほんの一息、息を吐くだけで微かに白さを帯びる。
風で木々が揺すられる度に、ざわざわと目に見えない大勢の人々が騒いでいるような錯覚を起こすほどだった。右を見ても左を見ても、森の奥は暗くて見通しが悪い。分かるのは、人為的に作られただろう、今走っている一本街道だけ。
その街道に時折陽の光が入り込み、点々と道にまだら模様を作る。その様子を見つめていたリリアナは、不謹慎にも「綺麗だな」と思った。
――こうしてると、普通に綺麗なんだけどな……。
まだ出口の見えない森でも、リリアナは不安をあまり感じてはいなかった。
背中に感じるペブリムの絶対的信頼はもうすでにある。彼女がいるから、リリアナは大きく不安に揺らぐことはなかった。
会話もなく馬の走る振動と、地面を蹴る音がやけに近く感じている中、ペブリムがふと身を屈めてくる。
「リリアナ様。手綱を」
「え?」
リリアナは突然何を言われたのか分からず顔を上げた。
――手綱……手綱って……。
ほんの僅かな時間、頭の中で忙しなく考え目の前の手綱を見つめる。数日前少しだけ教わった乗馬のことを思い出した。その瞬間、ペブリムが馬を跨いでいる内腿に力を入れ、手綱を掴んでいた手元を緩める。
「あ、わ!」
それに気付いたリリアナは慌てふためき、ペブリムの手から離れかけた手綱に反射的に手を伸ばして握りしめた。
――ま、まだ数回しか乗ったことないのにぃぃ!!
リリアナは頭がパニックになっていたが、それでもしっかりと握りしめる。
「伏せて!」
「ひぇっ!」
言われるまま、手綱を握りしめたままリリアナは反射的に前に伏せる。
ペブリムは素早く腰に佩いた剣を抜き去り、屈んだリリアナの上空を振り払うとバチンと強い衝撃音がすぐそばに響く。
――な、何っ?!
何の音なのか確認することもできず、耳元で響く衝撃音に、リリアナはだんだん恐怖の芽が育ってくる。せめて何が起きているのか確認したくなり、僅かに顔を上げた。
「駄目です!」
瞬間その行動は止められ、リリアナはそれ以上顔を上げられなくなる。
ペブリムは片手に抜き身の剣を握ったまま、逆手でリリアナの手を掴むように手綱を握り、同じように身を屈めてきた。
息苦しさを覚えるほどに体で馬に押し付けられるが、ペブリムの放つ緊張感がリリアナにも伝わってくる。その間にも、ペブリムは器用に剣を振りかざし、何かを悉く叩き落としていた。
「手綱を私に!」
リリアナは言われるまま、握り締められていた手から自分の手を外し、鞍にしがみつく。
ペブリムは手に握っていた剣を、鞍脇に固定してあった予備の鞘へ素早く収めると両手で手綱を掴む。
「スピードをあげます!」
「ひゃぁっ!」
言い終わるが早いか、馬の走る速度が突然上がった。
息を継ぐのも精一杯に思えるほど煽られる風に、リリアナは硬く目を閉じて顔を伏せる。
ある程度スピードが乗ったところで、ペブリムは再び鞘から剣を抜き去り、リリアナめがけて降り注ぐ何かからその一本の剣で守り通す。
絶え間ない攻防。すぐそばで何かが弾けるような音ばかりが響き、その度に空を切る鋭い音も聞こえてくる。
「……ッチ」
リリアナは頭上でペブリムが舌打ちをする瞬間を初めて聞いた。それを聞いた瞬間、もしかしてこちら側が劣勢なのでは、と思わず勘ぐってしまう。
「思ったよりも数が多い……読み違えたな」
独り言のようにポロっとこぼしたペブリムの呟きが、リリアナの耳にハッキリ届いた。
今のリリアナに出来るのは、ただ祈ることしかできない。
――神様!
リリアナは薄目を開けて僅かに前を見た。
まだ森に入って数時間しか経っていない。出口はまだ見えてこない。ここから抜け出すまでには、まだ結構ありそうだった。
「……っつ!」
その瞬間、小さく呻くペブリムの声と同時に、リリアナの顔の傍を一本の弓が素早く抜けていく。
それに驚いて目を見開き、リリアナはペブリムを振り返った。
「ぺ、ペブリムさん!」
「この程度、問題ありません!」
彼女の腕には一筋の傷が走り、鮮血が流れている。
ペブリムを信頼していないわけではない。それでも手傷を追ったという事実に顔が青ざめた。しかし、かなりのスピードを出しているこの状況でどうすることもできず、リリアナは必死に馬にしがみつくことしかできない。
「……来た!」
ペブリムの短い声がリリアナに届く。




