夢……ではない
入浴を済ませて部屋に戻ってきたリリアナは、夜風を入れるためにベッドの傍の窓を開くと、冷たい風が頬を撫でた。
リリアナは火照った体に気持ちの良い風に目を閉じ、深呼吸をして目を開く。
見上げた空には白い月が浮かび、静かに地上を照らしている。眼下には林が広がっていた。
「……あれ?」
ふと、リリアナは柔らかく吹く風の中に良く知っている香りが混じっていることに気が付く。隣に部屋を取っているペブリムがまだ起きているのかもしれないと、僅かに身を乗り出して隣の部屋の窓を見るが、部屋は暗く窓は閉じられていた。
――ペブリムさんと同じ匂い、なんだけどな?
月が登っている位置を見るに、間もなく深夜になろうとしている時間だ。
気のせいかと首を傾げた時、下から小枝を踏み折る音が聞こえ、リリアナはそちらに目を向けた。
宿のある建物から地面を踏み、誰かが歩いて来る影が見える。
――誰?
リリアナはその人物のことが無性に気になった。
この空気感、香り……それらがすべてペブリムによく似ている。何より、昨晩夢うつつの中で見た人物にも近いような気がして、その正体が誰なのかを知りたいと思った。
木と木の間はそこまで密集しているわけではないが、枝葉が大きく広がっているため、リリアナのいる位置からは良く見えない。
「……」
よく見ればペブリムによく似た人物のほかに、もう一人誰かの姿もある。
二人は何か話しているようなだが、その声までは聞こえてこない。
リリアナは枝と枝の隙間から様子を窺い見るも、どちらも夜の暗がりで顔までは見ることが出来なかった。
――降りてってみようかな。
リリアナがそう思った瞬間、ピーッと甲高い指笛と共に、バサバサと大きな鳥が羽根を羽ばたかせて上空から舞い降りてくる。
鳥はそのまま、ペブリムに似た人物の傍に舞い降りる。そしてそれはほんの僅かな時間だった。鳥は、口に何かを咥えてすぐに空へと舞い上がり、遥か北を目指して飛んでいく。
リリアナがその鳥を見送っていると、一人はその場を離れていく足音が聞こえた。そして、ペブリムによく似た人物は数歩宿に近づいて足を止め、リリアナのいる窓を何気なく見上げるような動作をする。
「!!」
リリアナは思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
別にしゃがむ理由もないと言うのに、見てはいけない場面に出くわしてしまったかのような後ろめたさから、咄嗟に体が反応してしまった。
――体が勝手に……。
何か悪いことをしているかのような感覚に陥り、バクバクと心臓が早鐘のように打つ。ぎゅっと体を抱きしめて息を潜めた。
――う、後ろめたくなんかない。たまたま見ちゃっただけだし。悪いことしてない、たぶん。
自分に言い聞かせるようにそう言いながら、リリアナはそろそろとベッドに横たわる。
まだ少し湿った髪から香る石鹸の香りは、少しだけ甘く優しい。試しにくん、と空気中の匂いを嗅いでみるが、ペブリムと同じ香りはもうしなくなっていた。
それが、なぜかやけに寂しく感じてしまう。
リリアナは開け放ったままの窓から空をぼんやりと見上げる。
――明日、また聞いてみようかな……。
慌てて首を引っ込めてしまった以上、もう一度窓から顔を覗かせる勇気はなかった。だが、聞いてもいいことなのかどうか、ただの他人の空似でたまたま同じ香りがしているだけだった可能性もある。
先日、自分以外の誰かが来ていたかと訊ねた時のペブリムを思い出すと、リリアナは目を閉じてため息を吐いた。
――いや、やっぱり聞かない方がいいかも……。
あの時の鋭い眼光は、分かっていてもヒヤリとしたものを感じてしまう。
「……」
柔らかく吹き込む風と、月を見上げていたリリアナは再び眠気を感じ始める。
――明日はまた、この町を出て次の場所へ移動することになるんだよね……。
この次もこんな風に宿に泊まれるかどうかも分からない。また野営の可能性もあることを考えると、今の内にしっかりと体力を蓄えておく必要がある。
「……明日から、また……頑張らなくちゃ」
リリアナは意識が遠のく感覚を覚えながら、小さく呟く。そしてゆっくりと瞼を閉じ、静かな寝息を立てはじめた。




