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デルフォス巡想記 ~リリアナの帰還~  作者: 陰東 紅祢


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17/20

初めての愛称

 昼食を済ませ、一路宿を取るための町を目指して馬を進ませ、ほどなくその町が見えてきた。


「あ。あれですか?」


 リリアナが思わず声を上げて指さし、ペブリムを振り返る。


「はい。今日はあの町で休みましょう」

「……へぇ」

「?」


 リリアナが間の抜けたような返事をしたことにペブリムが不思議そうに見下ろすと、リリアナの目は期待に満ちているような顔を浮かべていた。


「あたし、他の町に泊ったことないんですよね! ちょっとわくわくしてます!」


 興奮気味にそう言いながら、リリアナは一人ソワソワし始めた。

 放っておくと、馬を下りた瞬間走り出してしまいそうな勢いのリリアナに、ペブリムは僅かに身を乗り出して静かに声をかける。


「リリアナ様」

「ひゃいっ!!」


 突然近づき、耳元で囁かれる言葉にビクッと体が大きく跳ね上がる。その瞬間、それまで高揚していた気持ちが一気に吹き飛び、緊張から顔が強張った。

 ペブリムはそんな彼女を目を細めて見つめながら口を開く。


「マージ兵はどこに潜んでいるかも分からないため、町の中にいる間私はあなたの専属騎士であり、あなたは貴族のお嬢様として扱わせて頂きますが、構いませんね?」

「う……は、はい」

「名前も滞在中は改めましょう。リリアナ様は、普段なんと呼ばれていましたか?」


 リリアナは勝手に早鐘のように鳴る胸を押さえ、小さく息を吐く。


 ――分からないわけじゃないんだけど、近いんだってば……。


 バクバクと鳴る心臓に、リリアナは一度、吐いた息を大きく吸い込む。


「ふ、普通に名前で呼ばれてました。あだ名で呼ばれることもなかったし……」

「そうですか……」


 そう言うと、ペブリムは逡巡し何かを閃いたようにリリアナを見た。


「……では、リーナとお呼びしても?」


 呼ばれたことがない名前にドキッと心臓が跳ねる。

 自然と顔に熱が集まりだし、初めて名前を貰ったような不思議な感覚と、気恥ずかしさが込み上げた。


「は……はい」


 リリアナは赤らむ顔を俯け小さく頷き返す。

 その名前は嫌いではなかった。むしろ、リリアナにとって特別なものに聞こえ心地良ささえ覚える。


「では、そのように。私のことはレムとお呼びください」


 ペブリムはにこりと微笑み、身を乗り出していた体を起こして馬の歩を進ませた。

 リリアナはちらりと様子を見るように見上げると、ペブリムは何とも思っていないような顔で、馬が止められそうな位置を探すために前を向いている。

 なんとなく、その様子につまらなく感じ、リリアナは僅かに口を尖らせた。


 ――なんでこの人は平気な顔してられるんだろう。こっちはペブリムさんの反応にいちいち緊張してドキドキしてるのに……。


 そこまで考えてリリアナははたと止まる。


 ――女性に対してドキドキするって、何だろう? いや……そもそも、ペブリムさんは女性でもかっこいいんだもん。そりゃドキドキだってするよね。


 誰とも付き合ったことが無いリリアナにしてみれば、ペブリムの存在はほぼ完璧だった。


 女性でも、凛々しさがあり逞しさがあり、立ち振る舞いまでかっこいい。こんな人が軍の総司令官だと言うのだから、憧れないわけがない。


 リリアナが一人であれこれと考えている間に、二人は町の入り口まで辿り着く。


「では、リーナお嬢様」

「は、はい!!」


 ペブリムが馬を先に降り、にっこりと微笑みながら手を差し伸べてくる。しかも新しく使う偽名に躊躇いと緊張感を持って応え、手を差し出した。

 リリアナの体を軽々と抱えて降ろせるペブリムはもはや、王子様のように見えてしまう。


 ペブリムは、馬をそのまま森の茂みの奥に連れて行くと手綱をそこに縛り付け、乗せていた鞍ごと荷物を下ろして茂みの中に隠した。

 王家の紋章の刻まれた荷物を、このまま町には持ち込めないためだ。


「こちらを」

「?」


 そう言って手渡されたのは一枚の地味な色のローブだった。

 リリアナが不思議そうにそれを受け取ると、ペブリムは身に着けていたマントや上着をその場に脱ぎ、身軽な姿に何の変哲もないロングソードを腰に差し直す。


「あなたは、一族から追われている貴族のご令嬢です。面が割れないよう、宿に着くまではローブを纏っていてください」


 そんなシナリオまで必要なのだろうかと一瞬考えてしまったが、念には念を入れて、という事だろう。

 リリアナはローブを頭からかぶり、目深にフードをかぶった。


「では、リーナお嬢様。参りましょうか」

「は、はい」


 リリアナは、先を歩き出したペブリムに小走り気味について行った。

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