25話 攘夷志士の追憶編Ⅵエピローグ
25話 攘夷志士の追憶編Ⅵ エピローグ
――萩の夜。
灯りが、柔らかく街を照らしている。
戦いは終わった。
だが――
その余韻は、まだ身体の奥に残っている。
空気は穏やかになっているのに、
完全に気が抜けたわけじゃない。
どこか、静かに張り詰めたまま。
それでも。
確かに一歩だけ、“日常”に戻っている。
⸻
「……で、どうする?」
セレナが軽く腕を組みながら言う。
「さっき“美味しいもの食べに行く”って話だったけど」
少しだけ肩をすくめる。
「この辺、何が有名なの?」
一瞬、間。
その中で――
「……萩なら」
晋作が、ぽつりと口を開く。
視線は、どこか遠く。
「海のもんは美味い」
一拍。
「魚は外さねぇ」
セレナが、小さく笑う。
「まあ、それはそうよね」
スマホを軽く振る。
「でも店は分かんないでしょ?」
晋作が、鼻で笑う。
「当たり前だ」
一拍。
視線をわずかに逸らす。
「時代が違いすぎる」
短く。
だが、それだけで十分だった。
総司が、くすっと笑う。
「じゃあ適当に入ろうか」
美雪が、小さく頷く。
「うん……それがいいかも」
そのまま、歩き出す。
夜の萩。
静かな通り。
灯りのある店をいくつか横目に見ながら――
「ここ、よくない?」
セレナが立ち止まる。
落ち着いた雰囲気の店。
明るすぎず、暗すぎず。
「いいんじゃない?」
総司が答える。
晋作も、特に否定はしない。
「……入るぞ」
暖簾をくぐる。
店内は、静かで温かい。
木の香り。
落ち着いた空気。
「いらっしゃいませ」
席に案内される。
全員が腰を下ろす。
メニューが手渡される。
セレナが開く。
「……へぇ」
少しだけ目を細める。
「普通に和食って感じね」
美雪も、そっと覗く。
「お刺身……煮物……」
総司がページをめくる。
「種類多いね」
その時。
セレナの手が止まる。
「……ん?」
少しだけ首を傾げる。
「“瓦そば”って何?」
ページを指で軽く叩く。
総司が覗き込む。
「本当だ」
「聞いたことないな」
美雪も、小さく首を傾げる。
「……そば、だよね?」
セレナが、少し笑う。
「いや、そばなのは分かるんだけど」
一拍。
「“瓦”ってなに?」
その横で――
晋作が、ちらっと視線を落とす。
「……ああ」
小さく、呟く。
「それか」
全員の視線が向く。
晋作は、軽く息を吐く。
「茶そばを、瓦の上で焼く」
短く。
だが、はっきりと。
「上に肉とか乗せてな」
一拍。
「戦の時、瓦で焼いたのが元って話もある」
セレナが、少しだけ目を細める。
「へぇ……」
総司が、楽しそうに笑う。
「それ、普通に美味しそうだね」
美雪も、わずかに頷く。
「……香ばしそう」
セレナが、即決する。
「決まりね」
一拍。
「そういうの、好きよ」
晋作が、小さく息を吐く。
「……好きにしろ」
注文が通る。
しばらくの静かな時間。
やがて――
「お待たせしました」
運ばれてくる。
瓦の上で焼かれたそば。
ジュウ、と音を立てる。
香ばしい匂いが、一気に広がる。
「……おお」
総司が、少し目を細める。
「これは……いいね」
セレナが、素直に声を漏らす。
「ちょっと待って、普通に当たり引いたんだけど」
美雪が、小さく微笑む。
「……いい匂い」
晋作が、短く言う。
「冷める前に食え」
その一言で、全員が動く。
箸が伸びる。
音が戻る。
張り詰めていた空気が、少しずつほどけていく。
完全じゃない。
でも――確かに。
ここは、戦場じゃない。
その実感だけが、静かに広がっていった。
食事が、ひと段落する。
皿は空になり。
湯気も、少しずつ落ち着いていく。
「……美味しかった」
美雪が、小さく呟く。
総司が、満足そうに笑う。
「うん、当たりだったね」
セレナが、軽く背もたれに体を預ける。
「正解だったわね」
一拍。
ふっと視線を上げる。
「……で」
少しだけ口元を上げる。
「明日、どうする?」
総司が、軽く考えるように視線を動かす。
「そうだね……」
一拍。
「せっかくだし、明日こそ海鮮いく?」
その言葉に、美雪がすぐ反応する。
「……いいね」
小さく頷く。
「さっき言ってたし」
その横で、茜が少しだけ顔を上げる。
「……私も、行きたい」
一拍。
少しだけ、柔らかい声。
「海のもの、ちゃんと食べたい」
セレナが、指を軽く鳴らす。
「あ、それなら」
スマホを取り出す。
画面を操作する。
「“唐戸市場”ってのがある」
一拍。
「下関だけど」
総司が、少し興味を持つ。
「市場?」
「そう」
セレナが頷く。
「その場で食べられる系のやつ」
画面を見せる。
「海鮮、かなり充実してるっぽい」
美雪が、少し目を輝かせる。
「……行きたい」
即答。
総司が、くすっと笑う。
「決まりかな」
その横で。
晋作が、腕を組んだまま呟く。
「……下関か」
一拍。
「まあ、行けねぇ距離じゃねぇな」
セレナが、ちらっと見る。
「車あるし」
軽く肩をすくめる。
「ちょっと遠いくらいでしょ」
晋作が、鼻で笑う。
「“ちょっと”な」
だが、否定はしない。
その時。
晴明が、静かに口を開く。
「問題はないでしょう」
一拍。
「結界の残滓も、現時点では確認されていません」
「移動しても支障はない」
セレナが、小さく笑う。
「はい、許可いただきました」
総司が、まとめるように言う。
「じゃあ決まりだね」
一拍。
「明日は唐戸市場」
美雪が、小さく頷く。
「……楽しみ」
茜も、静かに続ける。
「……うん」
ほんの少しだけ。
口元が緩む。
セレナが、軽く笑う。
「決まりね」
――夜の萩。
宿の扉が、静かに閉まる。
軋むような小さな音だけが、夜に溶けた。
晋作は、一人で外へ出る。
冷えた空気。
静まり返った町並み。
足音だけが、ゆっくりと響く。
――その時。
「……晋作さん」
後ろから、声。
足が止まる。
振り返る。
そこには、少しだけ息を弾ませた茜が立っていた。
「……気づいてた」
晋作が、軽く息を吐く。
「ついてきてただろ」
茜は、少しだけ肩をすくめる。
「バレてた?」
一歩、近づく。
「……また一人で行くのかなって思って」
視線をまっすぐ向ける。
「だから来た」
一拍。
晋作が、わずかに目を細める。
「……そうか」
それ以上は言わない。
拒まない。
それが答えだった。
「……行くぞ、茜」
「うん」
二人は、並んで歩き出す。
夜の萩を。
ゆっくりと。
⸻
やがて。
晋作の足が、ふっと止まる。
視線の先。
「……ここか」
そこにあったのは――
見慣れた形の屋敷。
「……」
言葉はない。
ただ、見ている。
長く。
深く。
茜が、静かに隣に立つ。
「……ここ」
晋作が、小さく頷く。
「ああ」
一拍。
「俺の家だ」
風が、抜ける。
建物は、残っている。
形も。
空気も。
だが――
「……妙なもんだな」
ぽつりと。
「残ってんのに、帰ってきた感じがしねぇ」
少しだけ視線が揺れる。
「もう、俺の場所じゃねぇって分かってるからかもな」
茜は何も言わない。
ただ、隣に立つ。
それだけでいい。
やがて。
晋作が、小さく息を吐く。
「……行くか、茜」
「うん」
二人は、また歩き出す。
⸻
次に足が止まったのは、小さな屋敷の前だった。
「……ここも、残ってんのか」
晋作の声に、わずかな驚き。
茜が、首を傾げる。
「ここは?」
晋作が、少しだけ口元を緩める。
「あいつの家だ」
一拍。
「伊藤の」
茜の目が、わずかに開く。
「……伊藤博文?」
「ああ」
短く。
「同じ塾だ」
視線は、屋敷へ。
「昔は、ただの生意気なガキだったけどな」
少しだけ、懐かしむように。
「頭の回転だけはやたら速ぇやつだった」
風が抜ける。
静かな時間。
「……今はもう、別の時代の人だ」
ぽつりと。
だが、それは切り捨てる言葉じゃない。
受け入れている響き。
茜が、少しだけ笑う。
「でも、こうして残ってるのって――」
一拍。
「ちょっと嬉しいね」
晋作が、わずかに目を細める。
「……ああ」
短く。
でも、確かに。
そして、背を向ける。
「……行くぞ」
⸻
松下村塾。
夜の中で、静かに佇んでいる。
晋作の足が、自然と止まる。
「……変わってねぇな」
低く。
懐かしさを含んだ声。
茜が、そっと見る。
「ここで勉強してたの?」
「ああ」
一拍。
「やかましい連中ばっかだったけどな」
口元が、わずかに歪む。
「退屈はしなかった」
茜が、くすっと笑う。
「それ、楽しかったってことでしょ」
晋作は答えない。
だが、否定もしない。
それが、答えだった。
一拍。
茜が、静かに周囲を見る。
「……さっきまでさ」
「ここ、結界の中だったんだよね」
晋作が、わずかに頷く。
「ああ」
「中は別の空間になってただけだ」
「外は、そのまま残ってる」
少しだけ視線をずらす。
「……そのすぐ外で、俺は久坂とやり合ってた」
風が、抜ける。
同じ場所で。
別々の戦い。
茜が、小さく息を吐く。
「……こんな近くで」
「別々に戦ってたんだね」
「……ああ」
短く。
それだけ。
沈黙。
やがて。
茜が、横目で見る。
「……だから来たの?」
晋作は、少しだけ間を置く。
そして――
「……ああ」
静かに。
「ゆっくりと見ておきたかった」
一拍。
「夕飯食う前までのこと、全部な」
視線は、塾のまま。
「……流すには、まだ早ぇ」
静かな言葉。
でも、芯がある。
茜は、何も言わない。
ただ、隣に立つ。
同じ景色を見る。
それで、十分だった。
静かな町を抜けて。
二人は、並んで歩いていた。
「……まだ行くの?」
茜が、少しだけ首を傾げる。
晋作は前を見たまま答える。
「もう少しだけな」
一拍。
「せっかく、お前といるし」
その一言に、茜が少しだけ目を細める。
何も言わない。
でも、歩幅を合わせる。
やがて。
視界が、開ける。
――萩城跡。
夜空が、一気に広がる。
街の灯りが遠くに滲んで。
その上に――
無数の星。
「……っ」
茜の足が止まる。
「……すご」
息を呑む。
「……綺麗」
ぽつりと。
そのまま、空を見上げる。
晋作も、隣で立ち止まる。
「……ああ」
短く。
でも、その声は少しだけ柔らかい。
風が、静かに吹く。
二人の間に、言葉はない。
ただ、同じ空を見ている。
やがて。
茜が、少しだけ視線を落とす。
「……ねえ」
小さく。
「一つ、聞いていい?」
晋作が、視線を空のまま向ける。
「なんだ」
少しの間。
迷うように。
でも――決める。
「……あのさ」
深く息を吸う。
「メッセージのこと」
空気が、わずかに変わる。
晋作の目が、ほんの少しだけ細くなる。
「……あれ」
茜が続ける。
「ちゃんと聞いてなかったなって思って」
視線をまっすぐ向ける。
「……あれ、本気?」
静かに。
でも、揺れている。
晋作は、少しだけ間を置く。
夜空を一度見上げてから――
「……当たり前だ」
短く。
迷いなく。
「本気じゃなきゃ、あんなこと言わねぇ」
その言葉に。
茜の肩が、わずかに揺れる。
「……そっか」
小さく。
でも、どこか安心したように。
一歩、近づく。
「……じゃあさ」
少しだけ、声が震える。
「もう一個、いい?」
晋作が、視線を向ける。
「……なんだ」
茜が、目を逸らさない。
「……あの時のキスさ」
一拍。
空気が、少しだけ張り詰める。
「……どう思った?」
まっすぐ。
逃げない問い。
晋作が、ゆっくり息を吐く。
そして――
「……助けられた」
低く。
静かに。
「正気に戻ったのは、あれのおかげだ」
一歩、距離を詰める。
「……あれがなかったら、俺は戻ってねぇ」
視線を、まっすぐ向ける。
「だから――」
わずかに間を置く。
「誤魔化せなくなった」
茜の目が、揺れる。
晋作の声が、少しだけ柔らぐ。
「ただの手段じゃなかった」
一拍。
「お前の気持ちも」
そして。
「……俺のもな」
沈黙。
風だけが、静かに流れる。
茜の指先が、わずかに震える。
「……バカ」
ぽつりと。
でも――
その声は、優しい。
一歩、踏み込む。
距離が、消える。
「……最初から、そういうのちゃんと言ってよ」
晋作が、わずかに笑う。
「言ってるつもりだ」
短く。
不器用に。
そのまま、手を伸ばす。
茜の手に、触れる。
そっと。
でも、確かに掴む。
「……茜」
名前を呼ぶ。
まっすぐに。
「これからも、一緒にいてくれ」
飾らない言葉。
でも、逃げない。
茜の目が、少しだけ潤む。
それでも、笑う。
「……うん」
はっきりと。
「一緒にいる」
一歩、さらに近づく。
胸に触れる距離。
「……よろしくね、晋作さん」
晋作が、静かに頷く。
「……ああ」
そのまま。
自然に。
二人の距離が、重なる。
静かなキス。
今度は――
救うためじゃない。
確かめるためのもの。
星の下で。
風が、優しく吹き抜ける。
夜は、何も言わない。
ただ、そこにある。
二人を、包むように。
やがて、離れる。
でも――手は離さない。
そのまま、並んで空を見る。
もう、迷いはない。
同じ方向を。
同じ未来を。
二人で、見ていた。
風が、静かに通り抜ける。
星の下。
二人は、しばらく並んでいた。
やがて――
晋作が、小さく息を吐く。
「……帰るか」
短く。
でも、どこか柔らかい声。
茜が、少しだけ笑う。
「うん」
頷く。
そのまま――
自然に。
手が、触れる。
指先が重なり、そのまま、しっかりと繋がる。
言葉はいらない。
二人は、並んで歩き出す。
夜の萩を。
ゆっくりと。
街灯の光が、足元を照らす。
静かな道。
足音が、重なる。
離さない手。
それだけで、十分だった。
⸻
宿の前。
足が止まる。
少しの沈黙。
どちらからともなく、手が離れる。
名残はある。
でも――重くはない。
茜が、少しだけ笑う。
「……おやすみ、晋作さん」
晋作が、頷く。
「……ああ」
一拍。
「風邪引くなよ」
ぶっきらぼうに。
でも、優しい。
茜が、くすっと笑う。
「晋作さんもね」
それだけ言って、扉を開ける。
振り返らない。
でも――
分かっている。
背中に、視線があることを。
静かに、扉が閉まる。
⸻
女子部屋。
襖が、すっと開く。
「ただいま」
茜が、いつも通りの声で入る。
――その瞬間。
「……おかえり」
「遅かったね?」
視線。
二つ。
部屋の中で待っていたのは――
美雪とセレナ。
並んで座っている。
そして――
揃って。
ニヤニヤしていた。
「……」
一瞬、空気が止まる。
茜の動きも、止まる。
視線を逸らす。
明らかに、怪しい。
セレナが、口元を押さえながら笑う。
「ふーん」
ゆっくりと。
「いい夜だったみたいね?」
美雪も、くすっと笑う。
「顔見れば分かるよ、茜」
一拍。
「……隠せてない」
茜の頬が、わずかに熱を帯びる。
「……別に」
そっけなく返す。
だが。
声が、少しだけ揺れている。
セレナが、身を乗り出す。
「で?」
間を詰めるように。
「どこまで行ったの?」
直球。
遠慮なし。
「……っ」
茜が、言葉を詰まらせる。
美雪が、横でやわらかく重ねる。
「手、繋いだ?」
にこっと。
悪気はない。
「それとも――」
少しだけ声を潜める。
「もっと?」
「ちょっと美雪さん!?」
思わず声が上がる。
その反応で――
確信。
セレナが、肩を震わせる。
「……あー、なるほどね」
満足げに頷く。
「完全にそういう空気だったってわけだ」
茜が、顔を逸らす。
そして――
「……うるさい」
小さく。
一拍置いて。
「松平みたいな尋問、やめてよ」
その一言で。
空気が、少し緩む。
セレナが、吹き出す。
「はは、確かに」
美雪も、くすっと笑う。
「それはちょっと厳しいかも」
空気が柔らぐ。
そのまま。
美雪が、やわらかく続ける。
「……でも」
一拍。
「よかったね、茜」
からかいじゃない。
ちゃんとした言葉。
茜の視線が、少しだけ戻る。
「……うん」
小さく。
でも、はっきりと。
セレナが、ふっと息を吐く。
「ま、あそこまで言ってたしね」
肩をすくめる。
「成立しない方がおかしいでしょ」
一拍。
にやっと笑う。
「で?」
再び、視線を向ける。
「ちゃんと付き合うことになったの?」
逃がさない。
茜は、一瞬だけ目を伏せて――
そして、顔を上げる。
「……なった」
静かに。
でも、確かに。
その言葉に。
美雪の表情が、ぱっと明るくなる。
「ほんとに?」
「うん」
頷く。
セレナが、軽く手を叩く。
「はい決定」
満足げに。
「じゃあ明日はお祝いね」
茜が、少しだけ笑う。
「……もう決まってるじゃん」
「唐戸市場でしょ?」
セレナが、ニヤっとする。
「ちょうどいいわ」
一拍。
「フグでも食べながら、ちゃんと祝ってあげる」
美雪が、くすっと笑う。
「いいね、それ」
茜が、少しだけ肩の力を抜く。
口元が、ほんの少しだけ緩む。
そして――
ふっと、顔を上げる。
「……美雪さんもでしょ?」
一拍。
にやっと、小さく笑う。
「総司さんと」
美雪が、ぴたりと止まる。
「……え?」
一瞬の硬直。
セレナが、横で吹き出す。
「来たわね」
茜は止まらない。
そのまま、視線をずらす。
「……セレナさんも」
さらっと。
「晴明さんと」
「……は?」
今度はセレナが固まる。
完全に不意打ち。
茜が、すっと視線を逸らす。
「……おあいこでしょ」
一拍の沈黙。
そして――
茜が、さらっと続ける。
「……セレナさんの時は、皆んなで一部始終見てたし」
一拍。
セレナの目が、わずかに細くなる。
「……それ」
ゆっくりと。
「全部見てたってこと?」
沈黙。
茜が、少しだけ肩をすくめる。
「……まあね」
その瞬間――
セレナが、顔を覆う。
「……最悪なんだけど」
その一言で。
空気が弾ける。
美雪が吹き出し。
茜も、小さく笑う。
さっきよりも、自然に。
三人の笑いが、部屋に広がる。
夜は、静かに更けていった。
⸻
男部屋。
襖が、静かに開く。
「……戻った」
晋作が入る。
その声に、すぐ反応が返る。
「おかえり、晋作」
総司が、軽く手を上げる。
晴明も、ゆっくり視線を向ける。
「……どうでしたか」
一拍。
「故郷は」
晋作が、少しだけ間を置く。
部屋の空気が、わずかに静まる。
「……変わってねぇとこもあれば」
ぽつりと。
「変わりすぎたとこもあるな」
短く。
それだけ。
だが――十分だった。
総司が、小さく頷く。
「そっか」
それ以上は聞かない。
その距離感が、ちょうどいい。
――その時。
隣から、声が漏れる。
「……なった」
「ほんとに?」
「うん」
わずかに、はっきり聞こえる。
三人の動きが、止まる。
「……」
「……」
「……」
一拍。
そして――
総司が、ふっと笑う。
晴明の口元も、わずかに緩む。
二人の視線が、同時に晋作へ向く。
「……おめでとう、晋作」
総司が、さらっと言う。
「おめでとうございます」
晴明も続ける。
静かに。
だが、確信を持って。
晋作が、きょとんとする。
「……は?」
一拍。
状況を理解する。
「あー……」
少しだけ、視線を逸らす。
「……ありがとう?」
どこか、歯切れが悪い。
その様子に、総司がくすっと笑う。
だが、すぐに晋作が顔をしかめる。
「……てか」
天井を見上げる。
「なんだこの宿」
一拍。
「別府の時もそうだったけどよ」
少し苛立ったように。
「壁、薄すぎだろ」
総司が、吹き出す。
「確かに」
晴明も、わずかに息を吐く。
「……否定はできませんね」
隣からは、まだ笑い声が微かに聞こえる。
それを聞きながら。
晋作が、小さくため息をつく。
だが――
その顔は、どこか穏やかだった。
翌朝。
やわらかな光が、障子越しに差し込む。
空気は澄んでいて。
どこか、昨日とは違う軽さがあった。
⸻
「今日は――」
セレナが、伸びをしながら言う。
「唐戸市場でしょ?」
「海鮮ね」
美雪が、くすっと笑う。
「楽しみだね」
総司も、軽く頷く。
「朝から動くのも悪くないね」
その流れの中で――
晋作が、ふっと口を開く。
「……その前に」
視線を、少しだけ逸らす。
「一箇所、寄っていいか」
空気が、ほんの少しだけ変わる。
晴明が、静かに見る。
「どこへ?」
一拍。
晋作が、まっすぐ答える。
「松陰神社」
そして、付け加える。
「……墓参り、してぇ」
それだけで、十分だった。
総司が、やわらかく笑う。
「いいよ」
美雪も、静かに頷く。
「うん、行こう」
セレナが、肩をすくめる。
「決まりね」
晴明も、短く。
「参りましょう」
⸻
松陰神社。
朝の空気は、ひんやりと澄んでいる。
砂利を踏む音だけが、静かに響く。
六人は、まず拝殿へ向かう。
手を合わせる。
それぞれに、静かな時間。
やがて――
晋作が、一歩、離れる。
「……行ってくる」
短く。
それだけ言って、歩き出す。
その背を――
茜が、静かに追う。
少しだけ距離を詰める。
「……晋作さん」
小さく。
でも、確かに呼ぶ。
晋作が、足を止める。
振り返る。
「……一人で行くつもりだった?」
少しだけ、柔らかい目。
晋作が、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……いや」
一拍。
「来るだろうと思ってた」
その言葉に。
茜が、ほんの少しだけ笑う。
「ならいいけど」
並ぶ。
自然に。
そのまま、二人で歩き出す。
⸻
墓前。
石の前に、立つ。
しばらく、何も言わない。
風だけが、通る。
やがて――
晋作が、口を開く。
「……先生」
低く。
かすかに震える声。
「久坂は……俺がやった」
一拍。
目を伏せる。
「……ちゃんと、終わらせた」
言葉が、続く。
途切れながら。
それでも、止めない。
「安政の大獄の後……」
「何もできなかった」
「止められなかった」
「全部……背負わせたままにした」
拳が、わずかに震える。
「……遅ぇよな」
笑う。
力なく。
それでも――
吐き出す。
ずっと溜めていたものを。
一つずつ。
そのまま――
静かに、涙が落ちる。
止めない。
その隣で。
茜が、そっと寄る。
肩に手を添える。
晋作が、わずかに目を閉じる。
ほんの一瞬――
その手に、寄りかかる。
やがて。
ゆっくり息を吐く。
顔を上げる。
「……でもな」
一拍。
横へ、視線を向ける。
茜を見る。
ほんの少しだけ。
優しく。
「今は――一人じゃねぇ」
そのまま、墓へ向き直る。
「……先生」
低く。
だが、はっきりと。
「茜がいる」
一瞬だけ。
視線が、隣へ向く。
そして――
「俺の、大事な人だ」
その言葉の直後。
茜の肩が、わずかに揺れる。
驚いたように、ほんの少しだけ目を見開く。
そして――
ゆっくりと。
頬が、淡く染まる。
何も言わない。
ただ、少しだけ視線を落とす。
でも――
その表情は、確かにほどけていた。
晋作は、続ける。
「仲間もいる」
静かに。
確かに。
「だから――」
一拍。
「もう迷わねぇ」
真っ直ぐに、前を見て。
「この時代で、生きる」
「皆んなと一緒に」
その言葉は、まっすぐに空へと抜けていく。
「……見ててくれ」
手を合わせる。
その隣で――
茜も、静かに手を合わせる。
何も言わない。
ただ、同じ方向を向く。
同じ時間を、共有する。
やがて。
二人同時に、そっと手を下ろす。
晋作が、一歩、下がる。
ゆっくりと、振り返る。
その先に――
茜がいる。
少しだけ、間を置いて。
茜が、静かに口を開く。
「……もう良いの?」
やさしい声。
急かさない。
確かめるように。
晋作が、ほんの少しだけ息を吐く。
空を見上げて――
それから、茜を見る。
「ああ」
短く。
でも、迷いはない。
一拍。
「……十分だ」
静かに言い切る。
そして――
「行くか」
少しだけ軽く。
茜が、こくりと頷く。
「うん」
二人は、並ぶ。
そのまま――
自然に歩き出す。
もう、振り返らない。
墓は、背中の向こう。
前には――
これからの時間がある。
二人で、戻っていく。
⸻
戻ると。
残りの四人が、待っていた。
誰も、何も聞かない。
その代わり――
総司が、少しだけ口元を緩める。
「……いい顔してるね」
セレナが、ニヤっとする。
「随分ゆっくりしてたじゃない」
一拍。
視線が、茜へ。
「二人で」
美雪が、くすっと笑う。
「……邪魔しなくてよかったね」
晴明が、静かに続ける。
「無粋は避けるべきですから」
晋作が、軽くため息をつく。
「……うるせぇよ」
だが――
その声は、軽い。
茜が、少しだけ笑う。
空気が、やわらぐ。
セレナが、手を叩く。
「はい、じゃあ行きましょうか」
「唐戸市場」
総司が、軽く手を振る。
「今度は食べる番だね」
全員が、歩き出す。
朝の光の中へ。
その足取りは――
もう、迷っていなかった。
⸻
下関・唐戸市場。
海の匂いと、活気。
威勢のいい声が、あちこちから飛ぶ。
「いらっしゃい!朝どれだよ!」
「寿司いかがー!」
色とりどりのネタが並び、光を受けてきらめく。
セレナが、目を輝かせる。
「ちょっと待って、テンション上がるんだけど」
美雪も、思わず前に出る。
「すごい……新鮮」
総司が、軽く笑う。
「どこから行こうか」
晴明は、周囲を一瞥して。
「……迷いますね」
一方。
晋作は、腕を組みながら笑う。
「こういうのはな――」
一拍。
「直感だ」
茜が、すぐに返す。
「絶対適当でしょ」
「当たり前だ」
即答。
セレナが、吹き出す。
「いいじゃない、乗った」
⸻
「これ!」
セレナが指さす。
「フグの握り」
「え、いきなりそこ?」
総司が苦笑する。
「いいじゃない、せっかく来たんだから」
一貫、口へ。
「……!」
一瞬、止まる。
次の瞬間――
「なにこれ、美味しすぎる」
目が、本気になる。
美雪も、そっと一口。
「……本当だ」
やわらかく、ほどける。
茜も、続く。
「……うわ」
思わず笑う。
「これ、ずるい」
晋作が、軽く鼻で笑う。
「だろ?」
一拍。
「俺の時代じゃ、こんな気軽に食えねぇからな」
ほんの少しだけ、空を見上げる。
「……いい時代だな」
空気が、ふっとやわらぐ。
⸻
にぎやかな声。
笑いが重なり、会話が混ざる。
その中で――
セレナが、ふと茜を見る。
「そう言えば茜」
一拍。
「なんか話し方、変わった?」
茜が、きょとんとする。
「え?」
セレナは、少し考えながら続ける。
「前より自然っていうか……」
「砕けたっていうか」
美雪も、やわらかく頷く。
「うん、分かるかも」
総司も、少しだけ笑う。
「前より、力が抜けてる感じするね」
晴明も、静かに続ける。
「良い変化かと」
視線が、集まる。
茜が、少しだけ戸惑いながら――
でも、素直に答える。
「……えっと」
一拍。
「素でいてもいいんだって」
少しだけ、照れながら。
「今回のことで思えて……」
言葉を選ぶ。
「前は、その……」
「空気読まなきゃ、とか」
「色々あって、ちょっと緊張してたというか……」
一瞬だけ、視線を落とす。
でも――
すぐに、顔を上げる。
「でも、もう」
小さく笑う。
「素の自分でいようかなって」
一拍。
そして、慌てて付け足す。
「あ、でも!」
「猫かぶってたわけではないのは信じてね!?」
セレナが、すぐに吹き出す。
「分かってるって」
美雪も、くすっと笑う。
「うん、大丈夫」
総司が、やわらかく言う。
「今の方が、茜らしいよ」
晴明も、静かに頷く。
「ええ」
一拍。
晋作が、横から口を挟む。
「……別に前から変わってねぇだろ」
ぶっきらぼうに。
茜が、少しだけ驚いて見る。
「そう?」
晋作が、肩をすくめる。
「最初からそんな感じだった気もするけどな」
一拍。
「今の方が、自然ってだけだ」
茜が、少しだけ目を丸くして――
そして、ふっと笑う。
「……そっか」
にぎやかな声。
笑い。
朝の光。
六人の時間が、流れていく。
⸻
本部。
見慣れた空間。
日常の空気。
「ただいまー」
セレナが、ソファに倒れ込む。
「食べすぎた……」
美雪が、くすっと笑う。
「楽しそうだったね」
総司が、軽く伸びをする。
「いいリフレッシュになった」
晴明が、静かに頷く。
「心身ともに、ですね」
晋作が、少しだけ息を吐く。
「……悪くねぇな」
茜が、その横で笑う。
「でしょ?」
一拍。
空気が、落ち着く。
――その時。
「随分と、良い顔をしているな」
低く、静かな声。
全員の視線が、そちらへ向く。
そこにいたのは――
松平。
デスクに座ったまま。
腕を組み、こちらを見ている。
「……いつからいたんだよ」
晋作が、少し呆れたように言う。
松平は、表情を変えずに答える。
「さてな」
一拍。
「報告は聞いている」
その一言で――
空気が、わずかに変わる。
視線が、晋作へ向く。
「戦闘中とはいえ」
一拍。
「一時的に敵側へ回った件」
静かに、突きつける。
空気が、張る。
晋作が、ゆっくりと視線を上げる。
「……ああ」
短く、認める。
沈黙。
そして――
松平が、言う。
「今回は、不問とする」
空気が、わずかに緩む。
「状況は理解している」
一拍。
「だが、次はない」
静かに。
だが、重く。
晋作が、わずかに笑う。
「……十分だ」
一拍。
「次はやらねぇよ」
松平が、わずかに頷く。
それで終わり。
⸻
「……ちょっと空気重くない?」
セレナが、わざとらしく言う。
美雪が、くすっと笑う。
「そうだね」
総司が、肩をすくめる。
「まあでも、らしいね」
晴明が、静かに言う。
「必要な確認です」
茜が、少しだけ晋作を見る。
晋作も、それに気づく。
「……なんだよ」
少しだけ照れたように。
茜が、ふっと笑う。
「別に」
空気が、戻る。
日常へ。
――その流れで。
セレナが、ぱっと何かを思い出す。
「あ、そうだ」
バッグを探る。
ごそごそと。
取り出したのは、小さな袋。
「はいこれ」
軽く放るように、松平へ。
松平が、受け取る。
無言。
袋を見る。
「下関でお土産買ってきましたー」
一拍。
にやっと笑う。
「経費で支払いましたけど」
沈黙。
一瞬。
部屋が、止まる。
総司が、吹き出す。
「それ言っちゃうんだ」
美雪も、笑いをこらえる。
「正直すぎる……」
晴明が、静かに目を伏せる。
「……後で精査が必要ですね」
晋作が、肩を揺らして笑う。
「やるな」
茜も、思わず笑う。
松平は――
無言のまま。
袋を見つめる。
そして。
ゆっくりと、顔を上げる。
「……領収書は」
一拍。
セレナが、即答する。
「あります」
そのやり取りに――
空気が、一気に崩れる。
笑いが広がる。
松平は、わずかにため息をつく。
だが――
その口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
⸻
――その夜。
誰もいない、場所。
風が、止まる。
空気が、わずかに歪む。
ゆらり、と。
影が、滲む。
「……なるほど」
低い声。
愉快そうに。
「随分と――良い“器”だ」
くつくつと、笑う。
「二つ」
「いや……六つか」
一拍。
「……面白い」
その視線は――
遠く。
確かに、彼らを見ている。
「いずれ、式にしてやろう」
静かに。
しかし、確信を持って。
「特に――」
わずかに、笑みが深くなる。
「白と、剣」
「……相性が良すぎる」
くつ、くつ、と。
笑いが、闇に溶ける。
「その時が――楽しみだ」
声が、消える。
気配が、消える。
だが――
何かが、確実に“始まっていた”。
⸻
25話 完




