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21話 攘夷志士の追憶編Ⅱ

21話 攘夷志士の追憶編Ⅱ

――夜。


風が、静かに抜けていく。


草を撫でるその音だけが、かろうじて世界をつなぎ止めているようだった。


「……」


茜は、その場に立っている。


動けない――いや、動くという選択肢そのものが、どこかへ消えてしまったような感覚だった。


ついさっきまで、確かにそこにいたはずの存在。


声も、気配も、温度すらも、まだこの空気の中に残っているはずなのに。


「……晋作さん……」


呼ぶ。


かすれた声で。


届くはずがないと分かっていながら、それでも、呼ばずにはいられなかった。


返事はない。


分かっている。


それでも――


胸のどこかが、それを受け入れきれずにいる。


沈黙が広がる。


いや、違う。


“何もない”という感覚だけが、じわじわと侵食してくる。


――ぽつり。


頬に、冷たいものが触れた。


一瞬遅れて、それが雨だと理解する。


ゆっくりと、顔を上げる。


空は、いつの間にか重い雲に覆われていた。


さっきまでは、ただ静かなだけの夜だったのに。


ぽつり。


また一滴。


その間隔が、少しずつ短くなっていく。


まるで、何かの合図のように。


やがて。


静かに、だが確実に――


雨が降り出した。


「……っ」


その瞬間。


何かが、内側から崩れた。


耐えていたものが、ほどける。


膝が、力なく折れる。


支えるものは、もう何もない。


そのまま、地面へと落ちるように崩れた。


雨が、肩を叩く。


細かく、容赦なく。


髪を濡らし、頬を伝う。


それが雨なのか涙なのか、もう区別はつかない。


「……どうして……」


声が、うまく出ない。


喉が、締まる。


それでも、零れる。


「……どうして……」


同じ言葉を、繰り返す。


意味なんてない。


答えもない。


それでも、その言葉以外、出てこなかった。


――その時。


すぐそばに、違和感があった。


気配、と呼ぶには静かすぎる。


だが、確かに“何か”がいる。


「……」


ゆっくりと、視線を落とす。


そこに、白い影があった。


雪豹。


雨に濡れながら、動かない。


ただ、静かに。


茜のすぐそばに寄り添うように、身を低くしている。


逃げるでもなく。


警戒するでもなく。


まるで――


崩れた彼女を、そのまま受け止めるように。


「……え……」


呼吸が、止まる。


雨の中で。


その白い存在だけが、やけに鮮明に見える。


冷たいはずの空気の中で。


その体温だけが、わずかに現実を引き戻していた。


「……茜……」


不意に、声が重なる。


はっとして、振り向く。


そこにいたのは――


木に手をつき、身体を支えるように立つ美雪だった。


肩で大きく息をしながら、それでも視線はしっかりと茜を捉えている。


その傍らには、もう一体の雪豹。


主の側に寄り添うように、静かに立っていた。


「……美雪……?」


信じられないように、名前を口にする。


声はまだ震えている。


美雪は、すぐには答えない。


乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと視線を落とす。


茜のそばにいる雪豹へ。


「……その子が……教えてくれたの……」


その言葉が、雨音に溶けていく。


――回想。


宿は、深い眠りの中にあった。


人の気配も、足音もない。


静けさが、空間そのものを包み込んでいる。


その中で――


ひとつの気配だけが、わずかに動いた。


雪豹。


音もなく、美雪のそばへ歩み寄る。


影のように静かに、そして確かに。


そっと、その手に触れた。


「……ん……」


微かな反応。


眠りの底から、意識が浮かび上がる。


まぶたが重たげに開く。


まだ夢の残滓を引きずるような視界。


「……どうしたの……?」


身体を起こしかけた、その瞬間だった。


――視界が、重なる。


まるで、もうひとつの世界が流れ込んでくるように。


夜。


松下村塾。


静まり返った空気。


その中心に、二つの影。


晋作と、久坂。


向かい合い、言葉を交わしている。


声は届かない。


だが、空気は伝わる。


張り詰めた気配。


逃げ場のない重さ。


「……っ」


一瞬で、眠気が消えた。


理解するより先に、身体が反応する。


さらに、視界が揺れる。


わずかに角度が変わる。


木陰。


そこに、もうひとつの気配。


「……茜……」


思わず、名前がこぼれた。


その姿を捉えた瞬間――


迷いは、消えた。


布団を跳ねるように抜け出す。


足が床に触れる。


冷たさすら、意識に入らない。


扉へ向かう。


手をかけ、開ける。


廊下の空気が、肌に触れる。


静寂。


だが――


その静けさすら、今は邪魔だった。


走る。


音を殺しながら、それでも速く。


迷いなく向かう。


セレナの部屋へ。


扉を叩く。


「セレナ……!」


抑えた声。


それでも、切迫している。


「起きて……!」


すぐに、気配が動く。


扉が開く。


「……どうしたのよ」


眠気の残る声。


だが、美雪の表情を見た瞬間――


その色が変わる。


「晋作が……!」


息を切らしながら。


言葉を繋ぐ。


「久坂と……松下村塾に……!」


一気に、吐き出す。


セレナの目が、細くなる。


一瞬で、理解する。


「……総司と晴明、起こす」


短く、的確に。


「あなたは先に行きなさい」


その言葉に、迷いはなかった。


美雪は、頷く。


「……お願い」


それだけを残して。


もう振り返らない。


踵を返す。


そのまま、外へ。


扉を開けると、夜の空気が流れ込む。


そして――


走り出す。


一直線に。


雪豹を従え。


ただ一つの場所へ。


茜の元へ。


――


現在。


雨が、降り続いている。


音が、世界を満たしている。


すべてを、包み込むように。


「……遅かった……」


美雪の声は、小さかった。


だが、その中にあるものは、はっきりと伝わる。


わずかに、震えていた。


雨は、やまない。


細く、しかし絶え間なく。


屋根を打つ音が、どこか現実感を奪っていく。


「……」


美雪は、ゆっくりと歩み寄った。


急がない。


足音も、ほとんど立てない。


ただ、そこに“いる”と分かる距離まで――静かに、寄る。


そして、隣にしゃがみ込む。


何も言わない。


言葉にすれば壊れそうな何かが、そこにあったから。


「……茜」


小さく、名前だけを呼ぶ。


それだけ。


それだけでいいと分かっているように。


「……っ……」


肩が、震える。


止めようとして、止められない震え。


茜は顔を上げる。


ぐしゃぐしゃのまま。


涙も、雨も、もう区別なんてついていない。


「……晋作さんが……」


途切れる。


うまく繋がらない。


「……晋作さんが……っ」


同じ言葉を、繰り返す。


それしか、出てこない。


美雪は頷く。


一度だけ。


ゆっくりと。


「……うん」


それだけで、“否定されない場所”ができる。


「……話、あとでちゃんと聞くから」


少し間を置いて、


「……ここ、冷えるよ」


柔らかく、でも逃げ道を残さずに。


「……戻ろう」


強くはない。


けれど、確かに前へ進ませる声。


「……うん……」


かすれる返事。


美雪が手を差し出す。


引くためじゃない。


落ちないように、支えるための手。


茜は、それを掴む。


弱い力で。


でも――離さない。


立ち上がる。


足元は、まだ覚束ない。


それでも。


歩き出す。


雨の中へ。


ゆっくりと。


一歩ずつ。


「……私……」


ぽつり。


歩きながら、言葉が落ちる。


「……好き、なんです……」


間を置かず、続ける。


止めたら崩れるから。


「……あの人のこと……」


息が詰まる。


それでも。


「……止めたかったのに……」


「……何も、できなくて……」


声が崩れる。


言葉が形を失っていく。


それでも、吐き出す。


全部。


美雪は、何も言わない。


ただ、隣を歩く。


同じ速さで。


同じ雨の中で。


その時――


前方の闇が、揺れた。


複数の気配。


足音が、近づく。


速い。


「……美雪!」


セレナの声。


鋭い。


だが、その奥にあるのは――安堵。


振り向く暇もなく、三人の影が現れる。


総司。


晴明。


そして、セレナ。


「……無事でよかった」


短く。


それだけで、十分だった。


視線が一瞬で状況を捉える。


濡れた二人。


崩れかけた空気。


何があったかは――聞かなくても分かる。


「戻るわよ」


即断。


「ここで立ち止まる理由はない」


誰も異論を挟まない。


そのまま、全員で動き出す。


言葉は少ない。


だが、足並みは揃っている。


――宿。


戸を閉めた瞬間、外の音が遠のいた。


代わりに、静けさが戻ってくる。


「……先に風呂」


セレナが言う。


指示ではない。


当然の判断として。


「冷え切ってる」


美雪が頷く。


「……行こ」


茜の手を軽く引く。


今度は、さっきより少しだけしっかりと。


――湯気。


空気が、柔らかい。


肌に触れる温度が、少しずつ感覚を戻していく。


「……さっきの……」


茜が、ぽつりと呟く。


視線は、水面の揺れに落ちたまま。


「……本気で、言ったんだよね……」


確認するように。


怖がるように。


美雪は、少しだけ笑う。


ほんのわずかに。


「……うん」


迷いなく。


「ちゃんと、届いてると思う」


一拍。


湯気の中で、言葉が少しだけ滲む。


「……だから」


視線を上げる。


まっすぐに。


「取り戻そう」


静かに。


でも、芯は揺れない。


「晋作を」


その名前で。


茜の呼吸が、変わる。


涙が滲む。


けれど――


今度は、崩れない。


「……うん……」


小さく。


でも、確かに。


少し前を向いた返事だった。


湯気の残る廊下を、二人は並んで歩いていた。


身体は温まっている。


それでも――


胸の奥に沈んだものは、まだそのままだった。


「……」


茜は、何度も口を開きかけては、閉じる。


言葉が見つからない。


見つけても、うまく形にならない。


それでも、抱えたままではいられなくて。


美雪は、何も言わない。


ただ、歩幅を合わせる。


同じ速さで。


隣にいることだけを、静かに伝えるように。


やがて、足が止まる。


セレナの部屋。


中から、気配。


待っている空気。


「……入るね」


小さく声をかけ、扉を開ける。


視線が、集まる。


セレナ。


総司。


晴明。


三人とも、すでにそこにいた。


一瞬、空気が張る。


だが――


「……茜」


セレナが、静かに名前を呼ぶ。


その声は、やわらかい。


ただ呼ぶだけではなく、“ここにいる”と伝えるように。


一歩、近づく。


距離を詰めすぎないまま、視線を合わせる。


「……戻ってこれたのね」


小さく。


確かめるように。


それだけで、張り詰めていた何かが、ほんの少しだけほどける。


「……大丈夫?」


続けて、問いかける。


急かさない。


押し付けない。


ただ、そこに置くように。


茜は、一瞬だけ言葉に詰まる。


それでも――


「……はい……」


小さく、頷く。


セレナは、その様子を見て、わずかに表情を和らげた。


「無理しなくていい」


一拍、置く。


「話せる分だけでいいから」


優しく。


けれど、逃げ場だけにはしない声音で。


「……聞かせて」


その一言は、命令ではなく。


受け止める準備ができているという合図だった。


茜は、小さく息を吸う。


そして――話し始める。


途切れながら。


それでも、確かに。


久坂と晋作の会話。


松陰の死。


八月十八日。


蛤御門。


止まれなかった久坂。


「……晋作さんが……」


声が揺れる。


それでも。


「……“俺もまだ攘夷志士みたいだ”って……」


その言葉が落ちた瞬間。


部屋の空気が、わずかに沈む。


誰も、口を挟まない。


ただ、聞く。


受け止める。


「……それで……」


息を整える。


続ける。


「……“みんなに伝えといてくれ”って……」


「……“明日、また会おう”って……」


震えながらも、言い切る。


「……あと……」


一拍。


「……奇兵隊が……何人も……」


晴明の視線が、わずかに鋭くなる。


「……でも……生きてる感じじゃなくて……」


「……泰山府君……だと思います……」


その名が、静かに落ちる。


重く。


沈むように。


しばらく、誰も言葉を発しない。


雨音だけが、部屋を満たしている。


やがて――


「……そっか」


総司が、静かに口を開く。


短い。


だが、軽くはない。


「ちゃんと、晋作のままだね」


やわらかく、わずかに笑う。


「それなら――」


一拍。


「取り戻せる」


迷いなく。


はっきりと。


その言葉に、茜の目が揺れる。


美雪が、隣で小さく頷く。


「……うん」


静かに、重ねる。


晴明が、ゆっくりと続く。


「……よく見てきましたね」


まず、労う。


「怖かったでしょう」


ほんの一瞬、視線が柔らぐ。


だが――


すぐに戻る。


「泰山府君……規模が大きい」


低く。


「結界も、相当なものです」


セレナが、息を一つ吐く。


思考をまとめるように。


それから――


もう一度、茜を見る。


「……ありがとう」


はっきりと。


受け取ったことを伝える。


「十分よ」


その言葉に、嘘はない。


一拍。


視線が、やわらぐ。


「今日はもういい」


声が、さらに落ち着く。


「……無理しなくていい」


そして――


自然に続ける。


「部屋まで送るわ」


茜が、わずかに目を見開く。


「……え……」


戸惑いが滲む。


だが、セレナは一歩だけ近づく。


距離を詰めすぎないまま。


「一人で戻らせるほど、強くないでしょ。今のあなた」


責めない。


優しく、現実を示す声。


「大丈夫」


短く。


「ちゃんと戻れるところまで、一緒に行く」


その言葉に。


茜の表情が、少しだけ崩れる。


張っていたものが、ほどける。


「……はい……」


小さく、頷く。


セレナが、軽く視線を向ける。


「少し外すわ」


総司と晴明、美雪にだけ伝える。


三人は、何も言わずに頷く。


――


廊下。


二人の足音が、静かに響く。


今度は、さっきよりもゆっくりと。


セレナは、横に並ぶ。


先にも行かない。


引きもしない。


ただ、同じ速さで歩く。


「……寒くない?」


何気ない一言。


「……大丈夫です……」


小さな返事。


それでも、少しだけ落ち着いている。


沈黙が続く。


無理に埋めない。


その空白ごと、受け止める。


やがて。


茜の部屋の前で、足が止まる。


「……ここね」


静かに。


確認するように。


茜が、小さく頷く。


「……はい……」


――それでも。


セレナは、すぐには離れなかった。


一歩だけ、近づく。


ほんのわずかに。


距離を詰める。


視線を合わせる。


何かを言おうとして――


やめる。


代わりに。


そっと、腕を伸ばした。


強くではない。


包み込むように。


静かに。


茜を抱き寄せる。


「……っ……」


茜の呼吸が、止まる。


一瞬だけ。


だが――


すぐに。


その体から、力が抜けた。


張り詰めていたものが、ほどける。


「……大丈夫」


耳元で、低く。


落ち着いた声。


「ここまで、よく頑張った」


優しく。


ただ、認める。


「……明日、一緒に取り戻す」


言葉が、まっすぐに落ちる。


ほんの数秒。


そのまま。


やがて。


そっと、距離を戻す。


「……行きなさい」


やわらかく。


茜の目に、涙が滲む。


だが――


もう、崩れない。


「……はい……」


扉を開ける。


中へ入る。


振り返る。


セレナが、そこにいる。


それを確認してから。


静かに、扉が閉まった。


扉が、閉まる。


音は、小さい。


けれど――


やけに、長く残った。


「……」


茜は、その場に立ったまま動けなかった。


腕の中に残る感触。


あの温もり。


耳の奥に、まだ残っている。


「……大丈夫」


あの声が、何度も繰り返される。


ゆっくりと。


息を吐く。


力が、抜ける。


そのまま。


崩れるように、その場に座り込んだ。


「……っ……」


涙が、こぼれる。


止めようとしても、止まらない。


けれど――


さっきとは違う。


完全に壊れてしまうわけじゃない。


どこかで、支えられている。


「……取り戻すって……」


小さく、呟く。


「……言ってくれた……」


その言葉が、胸の奥で、かすかに灯る。


それでも。


「……でも……」


視線が、落ちる。


「……いなくなった……」


現実が、遅れて追いついてくる。


胸が、締め付けられる。


「……っ……」


涙が、また溢れる。


肩が、小さく震える。


どれくらい、そうしていたのか。


分からない。


やがて――


呼吸が、少しだけ整う。


波が、ゆっくりと引いていく。


その中で。


ふと、手が動いた。


無意識に。


スマホを、手に取る。


SDではない。


ただの、日常の延長にあるもの。


画面を開く。


指が、自然に動く。


アルバム。


表示される一枚。


六人で撮った、花見の写真。


笑っている。


全員が。


その中に――


晋作がいる。


「……っ……」


視界が、滲む。


それでも、目を逸らさない。


見てしまう。


見続けてしまう。


――ふと。


別の光景が、滲むように重なる。


水面の揺れ。


光の反射。


小さな赤い影。


「……あ」


金魚。


あの時の。


――『こうやるんだよ』


すぐ近くで、落ちた声。


重なる手。


触れる距離。


『力入れすぎ』


「……っ……」


胸が、強く締め付けられる。


『ほら、ゆっくり』


水面が、わずかに揺れる。


ポイが沈む。


『……あ、いけた!』


自分の声。


少し、弾んだ声。


『だろ?』


あの時の笑い方。


「……なんで……」


ぽつりと、零れる。


どうして今。


こんな時に。


こんな風に、思い出すのか。


「……っ……」


指が、震える。


その時。


画面の端に、小さく表示が出ていたことに気づく。


未読メッセージ。


時間は――


あの出来事が起こる、少し前。


差出人。


晋作。


「……え……」


息が、止まる。


心臓が、大きく打つ。


ドクン、と。


嫌な予感と。


それでも、確かめたいという気持ちが。


同時に押し寄せる。


さっきの記憶と。


今の現実が。


どこかで繋がるような感覚。


指が、止まる。


一瞬。


躊躇う。


開けば、何かが変わる。


そんな気がして。


それでも――


止まれない。


ゆっくりと。


震える指で。


そのメッセージに、触れた。


メッセージ内容-----

 茜へ


これ読んでる頃、俺がどうなってるかは正直分からねぇ。


三条河原で撃たれた時の弾な、

あれ、ただのもんじゃねぇ気がしてる。

なんかずっと、身体の奥に違和感が残ってる。


もしこの先――

俺がお前らの前に出てきた時、

それが“俺じゃなくなってた場合”はさ。


まずは、LINKで引っ張り戻してくれ。

茜との絆に賭けてみたい。


お前なら出来るだろ。

そういうの、得意そうだしな。


……それでもダメだった時は。


遠慮すんな。


お前の矢で、ちゃんと終わらせてくれ。


中途半端なのが一番ダサいからな、俺。


こんなこと頼むのもどうかしてるとは思うけどよ。


まあ、俺は俺なりに――

お前らとちゃんと向き合ってたつもりだ。


だから、任せる。


……あとさ。


こういう時に言うのも変だけど。


俺、茜のこと――


好きだ。


……なんてな、って流すつもりだったけど。


やっぱやめだ。


ちゃんと伝えとく。


茜といる時間、

あれ、俺にとっては結構特別だった。


――じゃあな。

また明日、って言えりゃよかったんだけどな。


高杉晋作

-------------------


指が、止まる。


画面に映る文字は、すでに最後まで読んでいるはずなのに、その意味だけが、ゆっくりと、遅れて胸の奥に沈み込んでくる。


「……」


理解が、追いつかない。


いや――追いつきたくないのかもしれない。


一度目を閉じても、あの文章は消えないまま、はっきりと残っている。


「……なに、これ……」


かすれた声が、思わず零れた。


自分でも驚くほど、弱い声だった。


もう一度、視線を落とす。


同じ文章。


同じ言葉。


当然のように、そこにある。


変わらない。


変えられない。


逃げる余地なんて、どこにもなかった。


「……好き……って……」


その一行だけが、異様に重く感じる。


まるで、そこだけが切り取られたみたいに、鮮明に浮かび上がってくる。


胸の奥に、ゆっくりと沈んでいく。


じわじわと、確実に。


「……っ……」


息が乱れる。


喉の奥が詰まり、うまく空気が通らない。


視界が、にじむ。


「……なんで……」


ぽつり、と。


言葉が落ちる。


「……今、なの……」


遅い。


そんな言葉が、頭のどこかをかすめる。


けれど――否定できない。


あの言葉も、あの声も。


全部、本物だと分かってしまうから。


「……っ……」


涙が、あふれる。


今度は、止めようともしなかった。


止められないと、分かっているから。


「……晋作さん……」


名前を呼ぶ。


届かないと分かっていても。


それでも、呼ばずにはいられない。


声が震え、うまく形にならない。


それでも――呼ぶ。


「……バカ……」


小さく、吐き出す。


責めるようでいて。


どこか、優しさが混ざっていた。


「……そんなの……」


続けようとした言葉が、途中で途切れる。


胸の奥が、痛い。


苦しい。


それでも――


その奥に、確かに残っているものがある。


あの時間。


あの距離。


金魚すくいの時の、あの近さ。


触れそうで、触れなかった距離。


笑った顔。


何気ない声。


「……好きって……」


自分に言い聞かせるように、繰り返す。


ゆっくりと、拳を握る。


震えている。


それでも、止めない。


そのまま、ぎゅっと力を込める。


「……取り戻す……」


小さく。


けれど、はっきりと。


「……絶対に……」


涙は、まだ止まらない。


それでも――


もう、さっきとは違う。


崩れて終わる涙じゃない。


前に進むために、零れている。


そのまま、スマホを強く握りしめる。


指先に、わずかに力がこもる。


「……待ってて……晋作さん……」


声は、まだ震えている。


それでも、その中には、確かな意思があった。


揺れているのに、折れていない。


そのまま、ゆっくりと顔を上げる。


涙で滲んだ視界の向こうに、何もない部屋が広がっている。


けれど――


その中で。


確かに、前へ進むための何かが、静かに灯っていた。


セレナの部屋--------

扉が、静かに閉まる。


セレナが部屋に戻ると、空気はすでに変わっていた。


さっきまでとは違う。


話を終えたあとの、重さ。


そして――


共有された事実の余韻。


「……」


セレナは、何も言わずに歩み寄る。


ゆっくりと。


そのまま、定位置に立つ。


一瞬だけ、視線を落とす。


考えるように。


整理するように。


そして――


「……ほんと、何やってんのよあいつは」


低く、吐き出す。


怒りを抑えた声。


「勝手に行って」


「勝手に覚悟決めて」


腕を組む。


「“明日また会おう”?」


わずかに、皮肉が混ざる。


「帰ってくる気でいるのか、いないのか……はっきりしなさいよ」


その言葉の裏にあるのは、苛立ちだけじゃない。


“戻ってこい”という感情。


総司が、静かに目を伏せる。


「……でも」


小さく、言葉を挟む。


セレナは一瞬だけ視線を向ける。


総司は、ゆっくりと続ける。


「晋作らしい、とは思うよ」


短く。


だが、確かに。


晴明も、静かに頷く。


「ええ」


「状況を見て、覚悟を決める」


「そして、誰にも背負わせないように動く」


一拍。


「……彼らしい」


セレナが、小さく舌打ちする。


「分かってるわよ、そんなの」


即答。


苛立ちは、そのまま。


「だから余計に腹立つのよ」


視線を逸らす。


ほんの一瞬だけ。


「……一人で全部抱え込んで」


「勝手に背負って」


「勝手に消えるなんて」


言葉が、少しだけ強くなる。


「ふざけてる」


はっきりと。


だが――


完全な否定ではない。


その奥にあるのは、理解してしまう自分への苛立ち。


「……でも」


もう一度。


今度は、少しだけ静かに。


「久坂の話を聞いた限りじゃ」


視線を上げる。


「戻るつもりはあるんでしょうね」


“明日また会おう”


その言葉を、なぞるように。


「なら――」


一歩、踏み出すように。


「こっちが引き戻すだけよ」


迷いはない。


「逃がさない」


短く。


強く。


「絶対に」


その一言で。


空気が、変わる。


感情ではなく――意思へ。


美雪が、小さく頷く。


「……うん」


総司も、静かに笑う。


「迎えに行こう」


晴明が、目を細める。


「ええ」


「そのための準備をしましょう」


四人の視線が、自然と揃う。


同じ方向へ。


その中心にあるのは――


揺るがない結論だった。


一通りの話が終わると、部屋の空気はゆっくりと落ち着いていった。


張り詰めていたものが、少しずつほどけていく。


それでも――


完全に緩むことはない。


それぞれが、同じ方向を見ているから。


「……今日はここまでね」


セレナが、静かに口を開く。


指示ではない。


自然とそうなる流れだった。


「無理に詰めても仕方ないわ」


誰も反論しない。


その通りだから。


美雪が、わずかに視線を落とす。


そして――


「……私、茜のところ行く」


ぽつりと。


だが、はっきりと。


「今のまま一人にするの、ちょっと心配」


その言葉に、セレナがすぐに反応する。


「……それ、私も混ざっていい?」


間を置かずに。


自然に。


美雪は一瞬だけ目を瞬かせて――


ふっと、やわらかく笑った。


「……うん」


小さく頷く。


「一緒にいよ」


その一言に、余計なものはない。


ただ、それだけで十分だった。


総司が、軽く息を吐く。


「……頼んだよ」


穏やかに。


信頼を込めて。


晴明も、静かに頷く。


「何かあれば、すぐに呼んでください」


落ち着いた声で。


そのまま――


自然に、解散となる。


誰も引き止めない。


それぞれが、やるべきことを理解しているから。


――


茜の部屋。


灯りは、落とされたまま。


静かな空間の中で。


茜は、その場に座り込んでいた。


手の中には、スマホ。


強く、握りしめられている。


指先が、わずかに震えている。


画面は、まだ消えていない。


あのメッセージが、そこに残っている。


「……」


ノックの音。


控えめに、二度。


返事はない。


それでも――


「……入るね」


美雪の声。


扉が、静かに開く。


セレナと、美雪。


二人が、部屋に入る。


空気が、少しだけ変わる。


美雪が、ゆっくりと歩み寄る。


距離を詰めすぎないように。


「……茜」


小さく、名前を呼ぶ。


反応は、遅れる。


ほんの少ししてから。


「……美雪……」


かすれた声。


セレナも、少しだけ距離を詰める。


「一人にする気、なかったのよ」


やわらかく。


「今日は一緒にいるわ」


当たり前のように。


それを聞いて――


茜の肩が、わずかに揺れた。


張っていたものが、少しだけ緩む。


「……あの……」


小さく、声が落ちる。


迷うように。


それでも。


「……メッセージ……来てて……」


二人の視線が、静かに動く。


だが、驚きすぎない。


受け止めるように。


「……晋作さんから……」


その名前で、空気がわずかに変わる。


美雪が、そっと膝をつく。


目線を合わせる位置まで。


「……見てもいい?」


静かに。


確認するように。


セレナも、言葉を重ねる。


「無理ならいい」


選択を、ちゃんと残す。


茜は、一瞬だけ迷う。


スマホを、強く握る。


そして――


小さく、頷いた。


「……はい……」


震える手で、画面を差し出す。


美雪とセレナが、少しだけ身を寄せる。


二人で、画面を見る。


流れる視線。


文章を追う。


一行ずつ。


静かに。


時間が、少しだけ止まる。


やがて――


美雪の手が、わずかに握られる。


感情が、滲む。


「……なにこれ」


小さく。


だが、はっきりと。


怒りと、悔しさが混ざる。


顔を上げる。


「……絶対、連れ戻す」


その声は、さっきよりもずっと強い。


「ぶん殴ってでも、引っ張り戻す」


迷いはない。


セレナが、ふっと息を吐く。


だが、その目は同じ方向を向いている。


「当然でしょ」


低く。


鋭く。


「分かるまで、何発でも殴ってやるわよ」


少しだけ口元が歪む。


怒りと、決意。


「勝手に終わろうとしてんじゃないわよ」


その言葉は、晋作に向けて。


だが――


茜の背中を押すものでもある。


美雪が、少しだけ視線を緩める。


「……大丈夫」


優しく。


「ちゃんと、取り戻すから」


セレナも、続ける。


「だから、今は休みなさい」


強くではない。


支えるように。


茜の目に、また涙が滲む。


けれど――


さっきとは違う。


崩れる涙じゃない。


「……はい……」


小さく。


でも、確かに。


二人の存在を、ちゃんと受け取った返事だった。


そのまま。


静かな夜が、ゆっくりと流れていく。


三人でいるその空間は――


もう、さっきまでの孤独とは違っていた。


――翌朝。


夜の重さは、完全に消えたわけではない。

けれど、窓から差し込む淡い光が、それを少しずつほどいていくようだった。


静かな空気の中、先に集まっていたのは四人。


セレナ、美雪、総司、晴明。


誰も無駄に言葉を交わさない。

ただ、同じ方向を見ているという感覚だけが、そこに確かにあった。


昨夜の出来事。

交わした言葉。

それぞれの中で整理されながら、ひとつの結論へと収束している。


その時――


廊下の奥から、足音が近づいてきた。


ゆっくりと。だが、迷いのない歩調で。


四人の視線が、自然とそちらへ向く。


やがて姿を現したのは、茜だった。


すでに身支度は整っている。

顔にはまだ、わずかな疲れが残っているものの――その瞳は、昨日とは明らかに違っていた。


揺れていない。


逃げていない。


しっかりと、前を見据えている。


美雪が、ほんのわずかに息を吐いた。

それは安堵に近い、しかし言葉にする必要のない感情だった。


セレナが、その様子を確認するように一度だけ視線を流し、やがてゆっくりと口を開く。


「……揃ったわね」


短い一言。


だが、それで十分だった。


場が整う。


そして、ほんのわずかに口元を緩めながら――


「じゃあ」


軽く肩を竦めるようにして続ける。


「あのバカ、連れ戻しに行きましょうか」


空気が、変わる。


重さではなく、方向が定まる。


戦うためではない。

“取り戻すために動く”という意思が、そこに生まれる。


セレナの視線が、まっすぐ茜へ向けられる。


「……ね?」


一拍。


「茜」


名を呼ぶその声音には、強制も疑いもない。

ただ、信じて任せるだけの重さがあった。


茜は、ほんの一瞬だけ目を閉じる。


深く息を吸い、ゆっくりと吐く。


そして、目を開く。


「……はい」


小さく――しかし、確かに響く声。


次の瞬間、足が一歩前に出る。


躊躇いはない。


「必ず、連れ戻します」


言葉が、はっきりと形になる。


「――引っ叩いてでも」


その一言に。


美雪が、ふっと笑った。


張り詰めすぎないようにする、やわらかな笑み。


「……それくらいでいいと思う」


軽く頷きながら、自然に同調する。


セレナも、肩をすくめながら笑う。


「むしろ、それでも足りないかもしれないわね」


視線は鋭いまま。


だが、その奥には確かな感情がある。


「分かるまで、何発でもいきましょうか」


その言葉に、総司が苦笑する。


「ほどほどにね……って言いたいところだけど」


一瞬、間を置いて。


「まあ、気持ちは分かるよ」


晴明が、静かに目を細める。


「ええ」


短く、しかし確信を持って。


「必ず、連れ戻しましょう」


その一言で。


全員の意思が、完全に重なる。


セレナが踵を返す。


迷いなく。


「――行くわよ」


その言葉を合図に、全員が動き出す。


誰かに続くのではなく、同じ目的に向かって並ぶ形で。


朝の光の中へ。


伸びる影が、ひとつの方向を指し示す。


松下村塾。


そこにいるはずの一人を――


取り戻すために。


21話 完

 

 

 

 

 

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