20話 攘夷志士の追憶編Ⅰ
20話 攘夷志士の追憶編Ⅰ
第20話
「攘夷志士の追憶編Ⅰ」
――新幹線車内。
一定の振動。
流れていく景色。
窓の外は、穏やかすぎるほどに静かだった。
だが――
車内の空気は違う。
誰もが、言葉少なに座っている。
総司は、静かに目を閉じている。
美雪は、腕を組みながら窓の外へ視線を流す。
セレナは、軽く足を組み、何も言わず前を見ている。
晴明も、静かに目を伏せている。
茜は、小さく手を握りしめていた。
そして――
晋作。
窓の外を、ぼんやりと眺めている。
流れる景色。
だが、その目は――
何も見ていない。
「……」
虚ろな視線。
意識は、別の場所へと沈んでいく。
――過去。
――松下村塾。
木の床。
差し込む光。
静かな空気。
その中心に――
一人の男。
吉田松陰。
座っているだけで、場が締まる。
「……よいか」
静かに、語り始める。
その声は穏やかだが――
芯がある。
「国とは何か」
「守るとは、何か」
一瞬の沈黙。
「ただ排することではない」
「ただ拒むことでもない」
言葉が、深く落ちる。
久坂が、真っ直ぐに見ている。
晋作も、腕を組みながら聞いている。
「考えよ」
松陰が言う。
「己の頭で」
「何が、この国に必要なのかを」
その目が、二人を捉える。
「志とは――」
一拍。
「他人に与えられるものではない」
「自ら見出すものだ」
空気が、震える。
久坂の拳が、静かに握られる。
「……ならば」
ぽつりと呟く。
「私は、この国を守ります」
まっすぐに。
迷いなく。
松陰が、静かに見る。
そして――
小さく頷く。
「それも一つの志だ」
次に、晋作へ視線が向く。
「お前はどうだ」
晋作が、少しだけ目を細める。
「……さあな」
軽く言う。
「まだ分からねぇ」
久坂が、少しだけ眉を動かす。
だが――
松陰は、わずかに笑う。
「それでいい」
穏やかに。
「迷うこともまた、志へ至る道だ」
その言葉に――
晋作の目が、わずかに変わる。
「考え続けろ」
松陰が言う。
「それをやめた時、人は止まる」
静かに。
だが確実に。
二人の中に、刻まれる。
その日。
同じ場所で。
同じ言葉を聞いた。
別に日
風が、やわらかく通り抜ける。
「晋作!」
声が響く。
振り返る。
そこにいるのは――
久坂。
だが、目は真っ直ぐだ。
「またそんな顔してるな」
軽く笑う。
晋作が、肩をすくめる。
「うるせぇよ」
「考え事だ」
「どうせ、またくだらねぇことだろ」
久坂が、近づいてくる。
「くだらねぇかどうかは、お前が決めることじゃねぇだろ」
晋作が、少しだけ笑う。
「ほう?」
「じゃあ聞くけどよ」
振り返る。
「この国、どうする?」
一瞬、空気が変わる。
久坂の表情が、変わる。
真っ直ぐに。
迷いなく。
「守る」
即答。
「異国に好き勝手させるわけにはいかない」
その声は、揺れない。
晋作が、じっと見る。
「攘夷、か」
「そうだ」
久坂が、一歩前に出る。
「この国は、この国のままであるべきだ」
強い言葉。
揺るがない信念。
晋作が、ふっと笑う。
「相変わらず、真っ直ぐだな」
「悪いか」
「いや」
少しだけ目を細める。
「嫌いじゃねぇよ」
その言葉に――
久坂が、わずかに笑う。
「お前も、来いよ」
「一緒にやるぞ」
手を差し出す。
その手を――
晋作は、少しだけ見つめる。
そして。
軽く、その手を叩く。
「仕方ねぇな」
「付き合ってやるよ」
その瞬間。
風が吹く。
二人の間に、確かなものがあった。
信念。
仲間。
未来。
――現在。
新幹線。
晋作の視線が、わずかに揺れる。
「……チッ」
小さく舌打ちする。
思い出している。
あの言葉を。
あの時を。
「……面倒くせぇな」
ぽつりと呟く。
揺れが、一定に続く。
晋作は、まだ窓の外を見ている。
だが――
視線は、どこか遠い。
「……晋作さん」
小さな声。
隣から。
晋作の視線が、わずかに動く。
「……あ?」
ゆっくりと、横を見る。
茜が、こちらを見ている。
少しだけ、心配そうに。
「さっきから……ぼーっとしてます」
控えめに。
でも、はっきりと。
晋作が、少しだけ目を細める。
「……そうか?」
「はい」
短く頷く。
一瞬の沈黙。
「……別に」
晋作が、窓の方へ視線を戻す。
「昔のこと思い出してただけだ」
軽く言う。
だが――
その声には、少しだけ重みがある。
茜が、静かに聞く。
「……松下村塾、ですか?」
晋作の目が、わずかに止まる。
「……ああ」
短く答える。
「久坂もいた」
その名前。
空気が、少しだけ変わる。
茜が、小さく息を吸う。
「……どんな人だったんですか?」
静かに問う。
晋作が、少しだけ笑う。
懐かしむように。
「……面倒くせぇ奴だ」
一拍。
「でも――」
視線が、わずかに遠くなる。
「真っ直ぐだったな」
ぽつりと。
その言葉には、嘘がない。
茜が、静かに頷く。
「……今も、変わってないんですね」
「さあな」
晋作が、肩をすくめる。
「変わってねぇから、こうなってんのかもな」
少しだけ、苦く笑う。
一瞬の沈黙。
「……でも」
茜が、静かに言う。
「今は、晋作さん一人じゃないです」
その言葉に――
晋作が、わずかに目を動かす。
「……ああ」
小さく答える。
「分かってる」
視線が、前に向く。
そこには――
仲間がいる。
総司。
美雪。
セレナ。
晴明。
そして、茜。
「……行くか」
小さく呟く。
すると間も無くして新幹線が減速。
景色が、ゆっくりと変わっていく。
山々の緑。
広がる田園。
どこか懐かしい空気。
「……もうすぐだね」
総司が、静かに言う。
車内アナウンス。
――まもなく、新山口。
「……来たわね」
セレナが、小さく呟く。
ゆっくりと停車する。
扉が開く。
――新山口駅。
一歩、外へ出る。
空気が変わる。
少し暖かく、湿り気を帯びた風。
「ここからね」
晴明が言う。
「萩までは、少しある」
――移動。
車。
窓の外に広がる景色。
山。
川。
古い町並みが、少しずつ増えていく。
時間の流れが、ゆっくりになる。
「……雰囲気変わってきたわね」
セレナが呟く。
「ええ」
美雪も、小さく頷く。
「さっきまでとは違う」
静かに。
でも確かに。
空気が、変わっていく。
――そして。
車が、ゆっくりと止まる。
「……着いたか」
晋作が、ぽつりと呟く。
扉が開く。
一歩、外へ出る。
――萩。
静かな街並み。
低い建物。
白壁。
どこか、時間が止まったような空気。
「……ここが」
茜が、周囲を見渡す。
「萩……」
観光客の姿はある。
だが――
騒がしさはない。
落ち着いた、独特の静けさ。
「……思ってたより、静か」
美雪が、ぽつりと呟く。
周囲を見ながら。
「表は穏やかでも――」
晴明が、続ける。
「内側は別かもしれない」
晋作が、ゆっくりと歩き出す。
地面を踏みしめる。
周囲を、静かに見渡す。
「……現代的にはなってるけど」
一拍。
少しだけ目を細める。
「変わってねぇところもあるな」
ぽつりと呟く。
その声には、どこか懐かしさが混じる。
「……覚えてるんですか?」
茜が、そっと聞く。
「……ああ」
短く答える。
「嫌でもな」
総司が、周囲を見渡す。
「……違和感は?」
一瞬の沈黙。
「……今はないわね」
セレナが答える。
「でも――」
少しだけ目を細める。
「静かすぎる」
その言葉に――
「……まあ、地方ってこんなもんだ」
晋作が、前を見たまま言う。
「都会とは違う」
一拍。
「静かなのは、別に珍しくねぇよ」
淡々と。
当たり前のことのように。
「異変ってほどじゃねぇな」
晴明が、小さく頷く。
「……確かに」
「そういう意味では、自然だね」
美雪も、周囲を見ながら言う。
「落ち着いてるだけ」
茜も、少し安心したように息を吐く。
空気が、少しだけ緩む。
だが――
晋作は、前を見たまま。
「……ただ」
小さく呟く。
その先は、言わない。
「……行くぞ」
――萩市内。
白壁の町並み。
静かな通りを、6人は歩く。
足音だけが、わずかに響く。
観光客の姿はある。
だが――
騒がしさはない。
どこか、時間がゆっくり流れているような空気。
「……この辺りだね」
総司が、周囲を見ながら言う。
「一度、整理しよう」
その一言に、全員が頷く。
通りの一角。
古い木造の建物が目に入る。
控えめな看板。
――古民家カフェ。
「ここでいいか」
晋作が、軽く顎で示す。
「ちょうどいいわね」
セレナも頷く。
引き戸を開ける。
――店内。
木の香り。
柔らかな光。
静かに流れる時間。
「……落ち着くわね」
セレナが、静かに呟く。
周囲を見渡しながら。
6人は、奥の席へ向かう。
ゆっくりと座る。
「とりあえず、何か頼むか」
晋作が、メニューを手に取る。
「何も頼まねぇのも悪いしな」
「そうだね」
総司も頷く。
「軽くでいいと思うよ」
茜が、メニューを開く。
「和菓子とかありますね……」
少しだけ嬉しそうに。
美雪も、静かに視線を落とす。
「……これ」
小さく指差す。
「抹茶、ある」
晴明が、わずかに笑う。
「じゃあ、それにしようか」
セレナが、肩をすくめる。
「私はコーヒーでいいわ」
それぞれが、注文を決める。
――数分後。
湯気の立つ湯呑み。
運ばれてくる甘味。
静かな空気の中に、わずかな温もりが加わる。
その上で――
総司が、地図を広げる。
萩市内の地図。
松下村塾の位置。
周辺の地形。
「ここだね」
指で示す。
「松下村塾」
「距離はそこまで遠くない」
晴明も、軽く覗き込む。
「徒歩でも行ける範囲だ」
「だが――」
一拍。
「敵地だ」
セレナが、腕を組む。
「正面から行くのはリスク高いわね」
「……そうだね」
総司が頷く。
その時――
美雪が、静かに口を開く。
「……ねえ、晴明さん」
視線を、地図に落としたまま。
「蘆屋道満が手を加えそうな地形とか」
一拍。
「霊脈を使った術って、何かできそう?」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「京都でも、色々仕込んでたみたいだし……」
空気が、少しだけ変わる。
晴明が、目を細める。
地図を見る。
指先で、地形をなぞる。
「……可能性はある」
静かに言う。
「萩は――」
指が動く。
「北に日本海」
「南に山地」
さらに、別の地点へ。
「そして――」
「指月山」
「この周辺を中心に、気の流れが緩やかに循環している」
一拍。
「大きな霊脈ではない」
「だが――」
指先が、松下村塾の位置で止まる。
「人工的に“歪める”には、ちょうどいい規模だ」
セレナが、腕を組む。
「つまり?」
「局所的な霊場化」
晴明が続ける。
「気を一点に集めることで」
「結界、呪術強化、あるいは――」
一瞬。
「術者自身の増幅」
空気が、わずかに重くなる。
総司が、静かに言う。
「道満なら、やるか」
「やるだろうね」
晴明が頷く。
「特に松下村塾のような“意味のある場所”なら」
「場の記憶ごと利用する可能性が高い」
美雪が、小さく息を呑む。
「……それって」
「過去の残滓を引き出すようなもの?」
「近いね」
晴明が、わずかに笑う。
「精神にも干渉する可能性がある」
一瞬の沈黙。
「……厄介ね」
セレナが、低く言う。
「ええ」
晴明も、静かに応じる。
だが――
そのまま、何気なく地図に指を滑らせる。
誰にも気づかれないほどの動き。
「一応――」
何でもないように続ける。
「対策は打っておくよ」
総司が、軽く目を向ける。
「……何をする?」
「簡単なものさ」
晴明が、肩をすくめる。
「呪具をいくつか配置する」
「気の流れを“固定”しておけば」
「向こうの干渉を受けにくくなる」
さらりと説明する。
その直後――
晴明が、軽く視線を上げる。
「私は一応」
何気ない口調で続ける。
「呪具の設置を広範囲でやっておくよ」
「……広範囲?」
セレナが、わずかに眉を上げる。
「完全に防ぐことは難しいけど」
晴明が肩をすくめる。
「干渉の精度は落とせる」
一拍。
少しだけ口元を緩める。
「セレナ、付き合ってくれるかい?」
その言葉に――
セレナが、ふっと笑う。
「いいわよ」
即答。
「どうせ、じっとしてるよりそっちの方が性に合うし」
軽く立ち上がる。
「行きましょうか」
晴明が、小さく頷く。
「助かるよ」
そのやり取りを見て――
総司が、静かに口を開く。
「じゃあ、俺たちは宿を確保する」
「情報の共有は後で」
「了解」
全員が、短く応じる。
――その直前。
総司が、わずかに手を上げる。
「……待って」
空気が止まる。
「先に、目だけ出しておこう」
その言葉に――
晴明が、静かに頷く。
「まずは“見る”べきだね」
一歩、前に出る。
「式を飛ばす」
その言葉に――
美雪が、わずかに顔を上げる。
「……晴明さんの式」
一拍。
「道満なら、気づいて何かしてこない?」
静かに問う。
空気が、少しだけ止まる。
晴明が、わずかに目を細める。
「……その可能性は高い」
あっさりと認める。
「むしろ、何もしてこない方が不自然だね」
セレナが、小さく笑う。
「やっぱりそうよね」
「だからこそ、数を散らす」
晴明が続ける。
その瞬間――
美雪が、一歩前に出る。
「……なら」
静かに言う。
「私も出す」
総司が、視線を向ける。
「雪豹か」
「うん」
小さく頷く。
「三体」
一拍。
「式だけより、追いきれないはず」
晴明が、わずかに笑う。
「いい判断だ」
指先が、わずかに動く。
「じゃあ、行こうか」
空気が、静かに揺れる。
式が、滑るように現れる。
同時に――
美雪の足元から、冷気が広がる。
白い粒子が集まり、形を成す。
――雪豹。
三体。
静かに、目を開く。
「……お願い」
小さく呟く。
次の瞬間。
式と雪豹が――
同時に、散る。
外へ。
音もなく。
気配もなく。
静寂だけが、残る。
「……これでどう出るか、だね」
晴明が、静かに言う。
その一言を合図に――
それぞれが、動き出す。
――静かに。
だが確実に。
戦いの準備が、進んでいく。
――松下村塾周辺。
静かな空気。
風が、ゆっくりと流れる。
だが――
その奥。
目には見えない領域。
歪んだ“場”。
その中心に――
一人の男。
蘆屋道満。
口元を、ゆっくりと歪める。
「……来たか」
低く、呟く。
その目は、遠くを見ている。
「奴ら、この地に来たみたいだぞ」
不敵に笑う。
その背後。
一人の影が、静かに立っている。
「……そうか」
短く、返す。
わずかな間。
「高杉は?」
その問いに――
道満の笑みが、さらに深くなる。
「居るとも」
楽しむように。
「でも――」
一拍。
「わしの放った式神を通して見ると」
ゆっくりと、目を細める。
「お前から撃たれた傷は、まだ完治してないようだがな」
くくっと、喉を鳴らして笑う。
空気が、わずかに歪む。
影の男が、わずかに目を細める。
否定はしない。
ただ――
静かに受け止める。
「……近いぞ」
道満が、ゆっくりと言う。
「お前との因縁の衝突は――」
一拍。
空気が、張り詰める。
影の男が、前を見る。
その視線の先には――
まだ見ぬ敵。
そして、過去。
「あぁ」
短く、答える。
その直後――
「奴らが来たなら」
低く、続ける。
「俺は動かせてもらう」
その声には、静かな決意。
迷いはない。
ただ――
研ぎ澄まされた意志だけが、そこにある。
――萩市内。
白壁の町並みから、少し外れた路地。
人通りは、ほとんどない。
「……この辺りで一つ」
晴明が、足を止める。
視線は、地面へ。
「流れが緩んでる」
小さく呟く。
セレナが、周囲を見渡す。
「……ここでいいの?」
「悪くない」
晴明が頷く。
袖の中から、小さな呪具を取り出す。
木札のような形。
そこに刻まれた術式が、わずかに淡く光る。
「少しだけ、整える」
指先でなぞる。
空中に、淡い光が走る。
「オン・バザラ・キリク・ソワカ」
低く、短く。
次の瞬間――
呪具が、静かに地面へと沈む。
見えなくなる。
だが――
空気が、わずかに“整う”。
「……何したの?」
セレナが、興味深そうに聞く。
「気の流れを固定した」
晴明が、何でもないように言う。
「乱されにくくなる」
「なるほどね」
セレナが、小さく頷く。
「地味だけど厄介なやつだ」
「そういうものだよ」
晴明が、わずかに笑う。
「見えないところで効くのが一番いい」
――移動。
少し開けた通り。
遠くに海が見える。
風が、ゆっくりと抜けていく。
晴明が、再び足を止める。
「……ここは強いな」
視線を、周囲に巡らせる。
「流れがぶつかってる」
セレナが、少しだけ目を細める。
「……なんとなく分かる」
「でしょ?」
晴明が軽く笑う。
「こういう場所は、逆に抑えておくべきだ」
今度は、石状の呪具を取り出す。
それを、そっと置く。
指先で、軽く触れる。
「オン・バザラ・キリク・ソワカ」
先ほどより、わずかに強い響き。
空気が、ピンと張る。
一瞬。
そして――
静かに、収まる。
「……今のは?」
セレナが聞く。
「起点の固定」
晴明が答える。
「ここを軸に、流れを崩れにくくしている」
セレナが、ふっと笑う。
「相変わらず抜かりないわね」
「君がいるから、少しは大胆にできる」
さらりと言う。
セレナが、少しだけ眉を上げる。
「それ、褒めてる?」
「もちろん」
晴明が、穏やかに答える。
風が、静かに通り抜ける。
「……あと数箇所」
晴明が、周囲を見ながら言う。
「同じように配置していく」
「了解」
セレナが、軽く頷く。
二人は、再び歩き出す。
――見えない網を張るように。
静かに。
確実に。
この地を、整えていく。
――萩市内・宿。
夜。
部屋の中。
総司たちは、すでに戻っている。
静かな空気。
そこへ――
扉が開く。
「……ただいま」
セレナの声。
その後ろに、晴明。
「遅かったな」
晋作が、軽く言う。
壁にもたれたまま。
「少し広めに回ってたのよ」
セレナが、肩をすくめる。
「そっちは?」
総司が、視線を向ける。
「宿は問題なさそうだね」
穏やかに言う。
「周囲も、特に問題はなさそうかな」
柔らかく続ける。
「……そう」
セレナが頷く。
「こっちも、一応終わったわ」
晴明が、静かに口を開く。
「配置は完了してる」
「干渉は、ある程度抑えられるはずだよ」
総司が、小さく頷く。
「助かるよ」
一拍。
空気が、少し引き締まる。
「で――」
セレナが、腕を組む。
「本題いきましょうか」
その一言で。
全員の意識が、揃う。
総司が、晴明を見る。
「……どうだった?」
晴明が、ゆっくりと目を開く。
「式は――」
一拍。
「いくつか、消された」
空気が、わずかに張る。
「……やっぱりね」
セレナが、小さく呟く。
美雪が、静かに口を開く。
「……雪豹は無事」
短く。
「今も、展開してる」
わずかに目を細める。
「視界、まだ繋がってる」
総司が、少しだけ眉を上げる。
「差があるね」
「おそらく――」
晴明が、静かに言う。
「精霊だからだろうね」
一同の視線が集まる。
「精霊は、術式で捉えにくい」
「存在の位相が少し違う」
「認知されにくいんだ」
セレナが、軽く息を吐く。
「なるほどね」
「便利な話だ」
晋作が、低く呟く。
その時――
総司が、視線を向ける。
「……松下村塾は?」
美雪が、ゆっくりと答える。
「雪豹を通して見てるけど」
一拍。
「目立った何かは、なさそう」
「外からは、ってことだね」
総司が、静かに言う。
「ええ」
晴明が頷く。
「だから――」
指先が、わずかに動く。
「残しておいた式を、少し奥へ進めてみた」
空気が、わずかに張る。
全員が、黙る。
「……結果は?」
セレナが聞く。
晴明が、目を細める。
「入った瞬間」
一拍。
「消えた」
沈黙。
「……速いわね」
セレナが、低く言う。
「反応が早すぎる」
「結界か、領域か」
総司が呟く。
「どちらにせよ」
晴明が続ける。
「何かあるのは、間違いない」
その言葉で――
全員の認識が、揃う。
「……どうします?」
茜が、静かに問う。
一瞬の間。
総司が、ゆっくりと口を開く。
「……無理に動く必要はない、かな」
少し考えながら。
「夜は、視界も悪いし」
一拍。
「条件は、あまり良くないと思う」
セレナが、腕を組む。
「確かに」
軽く頷く。
晴明が、静かに続ける。
「それに――」
一拍。
「道満の術は、夜の方が洗練される」
低く、落ち着いた声。
「陰の時間帯だからね」
セレナが、小さく息を吐く。
「それなら決まりね」
一歩、前に出るように。
「今日は動かない」
「明日、日中に仕掛ける」
総司が、軽く頷く。
「……うん、それがいいと思う」
晋作が、低く言う。
「焦る必要はねぇ」
「逃げやしねぇだろ」
その一言で――
全員の意志が、自然と揃う。
「じゃあ、決まりだね」
総司が、柔らかく言う。
「今日は休もうか」
一拍。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
それぞれが、立ち上がる。
「おやすみなさい」
茜が、静かに言う。
「……おやすみ」
美雪も、小さく返す。
セレナが、軽く手を振る。
「ちゃんと寝ときなさいよ」
「うん」
総司が、穏やかに頷く。
――やがて。
部屋は静かになる。
灯りも、落ちる。
夜。
深い静寂。
だが――
一人だけ。
眠っていない者がいる。
晋作。
窓際。
腕を組み、外を見ている。
街の灯り。
遠くの闇。
その先。
見えてはいないはずの場所。
「……」
何も言わない。
だが――
その視線は、確かに向いている。
過去へ。
そして――
これから訪れる、衝突へ。
「……久坂」
小さく、呟く。
街の灯り。
静かな通り。
その中――
視界の端に、人影。
「……」
ゆっくりと、視線を向ける。
宿の前。
月明かりの下。
一人、立っている。
「……久坂か」
低く、呟く。
その影――
久坂が、わずかに手を動かす。
来い。
そう言うように。
静かに。
そして――
背を向ける。
歩き出す。
迷いはない。
「……」
晋作は、しばらく動かない。
一拍。
だが――
目を細める。
そして。
ゆっくりと、窓から離れる。
扉へ向かう。
音を立てずに開ける。
廊下。
静寂。
そのまま、外へ。
夜の空気。
少し冷たい。
足を進める。
影を追う。
言葉はない。
ただ、ついていく。
やがて――
辿り着く。
「……ここか」
松下村塾。
月明かりに照らされた、その姿。
静かに、佇んでいる。
宿の別の一室。
障子越しに差し込む月明かりが、淡く床を照らしている。
茜は、窓際に立っていた。
外は静かだ。
人の気配も、ほとんどない。
ただ、遠くで風が揺れる音だけが、かすかに届く。
「……」
その時――
ふっと、視界の端を影が横切る。
「……?」
反射的に目を向ける。
通り。
街灯の下を、一つの影が歩いていく。
迷いのない足取り。
急ぐでもなく、止まるでもなく。
まるで――
導くように。
「……あれ……」
思わず、声が漏れる。
見覚えのある背中。
見間違えるはずがない。
「……晋作さん?」
胸の奥が、わずかにざわつく。
ただの外出ではない。
そう直感する。
呼ぶべきか――
一瞬、迷う。
だが。
すぐに、その考えは消える。
「……行かなきゃ」
小さく、呟いた。
次の瞬間には、もう動いている。
窓から離れ、扉へ。
そっと手をかける。
軋まないよう、ゆっくりと開ける。
廊下。
静まり返っている。
誰もいない。
足音を殺しながら、進む。
そのまま外へ。
夜の空気が、頬に触れる。
少しだけ、冷たい。
視線を巡らせる。
――いた。
遠く。
小さくなりかけた影。
「……あっち」
息を整える。
そして、歩き出す。
急がない。
気配を消すように。
だが、確実に距離を詰める。
闇の中へ。
一人、静かに追っていく。
――松下村塾。
夜。
月明かりが、静かに建物を照らしている。
風が、草を揺らす。
その前に――
二人。
向かい合っている。
晋作と、久坂。
沈黙。
言葉はない。
だが――
それだけで、十分だった。
「……来たか」
久坂が、低く言う。
「呼んだのはお前だろ」
晋作が返す。
短く。
乾いた声。
一歩、踏み出す。
砂を踏む音が、小さく響く。
「……変わらねぇな」
久坂が、わずかに目を細める。
「そうか?」
「いや」
一拍。
「変わったか」
その言葉に――
晋作の視線が、わずかに揺れる。
――回想。
昼。
笑い声。
松下村塾。
「晋作、またサボりか」
「うるせぇな、久坂」
「松陰先生に言いつけるぞ」
「やれるもんならやってみろ」
笑い声が、響く。
何気ない時間。
だが――
確かに、そこにあった日々。
――
風が、吹き抜ける。
笑い声は、もうない。
残っているのは。
夜と、静寂。
そして――
目の前の男。
久坂。
「……あの頃は」
久坂が、ぽつりと呟く。
「まだ、何も失っていなかった」
風が、強く吹く。
草が揺れる。
晋作は、何も言わない。
だが――
その拳が、わずかに強く握られる。
「……先生は、江戸で死んだ」
久坂の声。
低く。
重く。
「俺たちは、何もできなかった」
一歩、踏み出す。
「見届けることすら」
――回想。
知らせは、唐突だった。
一言。
それだけで、十分だった。
「――松陰先生が……」
その先は、誰も続けられない。
空気が、止まる。
音が、消える。
誰も動かない。
いや――
動けなかった。
「……は?」
晋作の声。
意味を持たない、掠れた音。
理解を拒むように。
久坂は、何も言わない。
ただ、立っている。
微動だにせず。
握りしめた拳だけが、わずかに震えている。
「……嘘だろ」
誰かが呟く。
だが、否定は返らない。
沈黙だけが、重く落ちる。
「……江戸で」
ぽつりと。
「処刑……された……」
その瞬間。
何かが、崩れる。
――脳裏に、声が蘇る。
「志を持て」
松陰の声。
穏やかで。
真っ直ぐで。
揺るがない響き。
「たとえ、この身が朽ちようとも」
――別の日。
松下村塾。
柔らかな光の中。
「お前たちは、生きろ」
静かに。
だが、強く。
「生きて、この国を変えろ」
――
風が、吹き抜ける。
その声は、もう届かない。
「……っ」
晋作が、顔を伏せる。
歯を食いしばる。
何かを言おうとして――
出ない。
言葉にならない。
久坂は、動かない。
目も逸らさない。
ただ、その事実を受け止める。
逃げない。
逸らさない。
受け入れる。
その代わりに――
内側で、何かが静かに壊れていく。
「……」
誰も泣かない。
誰も叫ばない。
ただ。
立ち尽くす。
松陰の言葉だけが、残る。
――生きろ。
――変えろ。
それだけが。
あまりにも、重く。
――
夜。
風が、頬を打つ。
冷たい。
逃れようのない現実。
「……お前は、どう思った」
久坂が問う。
まっすぐに。
逃げ場のない問い。
「……」
晋作の視線が、落ちる。
揺れる。
ほんの一瞬。
過去に引き戻されるように。
「……何も」
やっと、出た言葉。
だが――
弱い。
「何も、できなかった」
絞り出すように。
その声は、わずかに震えている。
久坂が、静かに頷く。
「そうだ」
一拍。
「だからこそだ」
顔を上げる。
その目は――
もう、あの頃ではない。
「終わらせる」
低く。
はっきりと。
「ここで」
空気が、張り詰める。
晋作が、ゆっくりと顔を上げる。
その目に――
揺れが残っている。
だが。
消えてはいない。
「……お前は」
小さく、呟く。
「そこまで行ったか」
久坂は、何も答えない。
ただ――
一歩、前に出る。
「来い」
短く。
それだけ。
その一言で。
空気が、変わる。
――少し離れた木陰。
気配を消しながら。
茜が、息を潜めている。
「……」
聞こえている。
全て。
その会話。
その重さ。
「……晋作さん……」
胸が、締め付けられる。
ただの敵じゃない。
ただの戦いじゃない。
踏み出しかける。
だが――
止まる。
ここは、まだ。
入るべきじゃない。
そう、分かる。
だから――
見守る。
二人の行き着く先を。
静かに。
ただ、静かに。
風が、低く唸るように抜けていく。
松下村塾の影が、月明かりに沈んでいる。
その前で――
二人は、動かない。
距離は、わずか。
だが。
埋まらない。
「……それで終わりかよ」
晋作の声が、低く落ちる。
押し殺したような響き。
だが、その奥には――
割り切れない何かが、残っている。
視線は逸らさない。
久坂を、まっすぐに見据える。
久坂は、わずかに目を細める。
その視線は、鋭い。
だが――
斬るためではない。
見極めるためのもの。
「……何だ」
静かに返す。
促すように。
「話は、終わってねぇ」
晋作が、ゆっくりと言う。
言葉を選ぶように。
噛み締めるように。
「……先生が死んだ後」
空気が、沈む。
風が、その間を埋める。
「お前は、どうした」
一拍。
逃げ場のない問い。
「何を見て、何を決めた」
久坂は、すぐには答えない。
ほんのわずかに。
視線が遠くへ流れる。
記憶の底へ沈むように。
「……あの日からだ」
ぽつりと。
風が、草を揺らす。
「松陰先生が処刑されて――」
わずかに、息を吸う。
「全てが、変わった」
静かな声。
だが、その奥には。
抑えきれない熱がある。
「……あの時までは」
視線が、揺れる。
遠く。
戻らない時間へ。
「まだ、迷っていた」
「だが――」
ゆっくりと、顔を上げる。
「止まれなくなった」
その言葉は、短い。
だが――
重い。
あまりにも。
「八月十八日」
続ける。
「京を追われた」
「志は、届かなかった」
風が、強く吹く。
夜が、わずかに揺れる。
「……それでも」
一歩、踏み出す。
「終わりじゃなかった」
視線が、鋭くなる。
迷いはない。
「蛤御門で、取り戻すつもりだった」
土を踏む音が、重く響く。
「全てを、賭けて」
晋作の目が、わずかに揺れる。
「……そして」
低く、続ける。
「死んだ」
一瞬。
夜が、歪む。
「……ああ」
久坂は、否定しない。
静かに、受け入れる。
「退けなかった」
「引けなかった」
「止まれなかった」
その言葉は。
淡々としている。
だが――
そこにあるのは、狂気に近い覚悟。
「だから――」
「終わらせた」
過去を、断ち切るように。
言い切る。
「……それでいいのか」
晋作の声が、揺れる。
抑えきれずに。
滲む。
「それで、終わりでいいのかよ」
久坂は、答えない。
ただ――
一歩、近づく。
その距離が、詰まる。
逃げ場が、消えていく。
「だからこそだ」
静かに。
確信を持って。
「――再び、立たせた」
その瞬間。
空気が、変わる。
重く。
濃く。
“数”が、増える。
背後。
左右。
気配が、満ちる。
振り向かなくても分かる。
囲まれている。
だが――
敵意ではない。
「……」
晋作の目が、細くなる。
ゆっくりと、視線を巡らせる。
月明かりの中。
影が、立っている。
銃。
刀。
構えられている。
その一人一人が――
記憶と重なる。
「……山縣」
声が、落ちる。
「……伊藤」
さらに。
「……品川……」
喉が、詰まる。
「……お前ら……」
そこにいるのは。
かつて、共に戦った仲間。
奇兵隊。
だが――
その瞳は、虚ろだ。
命の光が、ない。
「……泰山府君、か」
吐き出す。
重く。
久坂が、静かに頷く。
「そうだ」
一歩。
さらに、近づく。
だが、その動きは穏やかだ。
圧ではなく。
導くように。
「お前が作ったものだろう」
静かに。
諭すように。
「なら――」
一瞬。
声が、柔らぐ。
「分かるはずだ」
風が、止む。
夜が、張り詰める。
そして――
「来い、晋作……こっちへ」
低く。
静かに。
確信を持って。
その声は――
戦いではない。
呼びかけ。
迎え入れる声。
かつてと同じ温度で。
だが。
包囲は解かれない。
逃げ場も、ない。
優しさと圧が、同時に存在している。
「……」
木陰。
茜が、息を潜める。
胸が、ざわつく。
これは――
戦いじゃない。
選ばせている。
その先を。
「……晋作さん……」
声にはならない。
ただ、見つめる。
その背中を。
夜の中心で。
晋作が、ゆっくりと顔を上げる。
揺れていた視線が――
少しずつ、定まっていく。
だが、まだ。
決まりきってはいない。
「……」
言葉はない。
ただ――
その場に、立っている。
選択の中で。
「来い、晋作……こっちへ」
その声が、夜に沈む。
風が、止まる。
音が、遠のく。
「……」
晋作は、動かない。
ただ、立っている。
だが――
次の瞬間。
わずかに、足が動く。
一歩。
ほんの、わずかに。
その踏み出しは、静かだった。
抗うでもなく。
引き寄せられるように。
「――待って!」
鋭く、声が裂ける。
静寂を、引き裂くように。
「晋作さん……っ!」
茜。
木陰から、飛び出す。
息が乱れている。
だが――
止まらない。
「行かないで……!」
声が震える。
涙が、溢れる。
「……行かないでください……っ」
一歩、踏み出す。
さらに。
距離を詰めようとする。
「私を……」
言葉が、詰まる。
それでも、絞り出す。
「私を置いて行かないで……!」
その声は――
夜に、強く響いた。
――瞬間。
空気が、変わる。
銃口が、一斉に向く。
乾いた金属音。
奇兵隊。
一斉に、構える。
茜へ。
「……っ」
動きが、止まる。
だが――
晋作が、前に出る。
一歩。
鋭く。
「やめろ」
低く。
押し殺した声。
だが――
それだけで、空気が張り詰める。
「撃つな」
その一言で。
銃口が、わずかに揺れる。
沈黙。
晋作が、振り返る。
茜を見る。
その目は――
どこか、優しい。
だが。
決まっている。
「……悪いな、茜」
静かに。
わずかに、口元が緩む。
「俺もまだ――」
一拍。
「攘夷志士みたいだ」
風が、抜ける。
「みんなに、伝えといてくれ」
視線を外さずに。
「……明日、また会おうってな」
その言葉は。
軽いようで――
重い。
「……っ」
茜が、駆け出そうとする。
その瞬間。
――パンッ
乾いた音。
火縄銃。
足元。
土が弾ける。
「……!」
動きが、止まる。
あと一歩が、出ない。
「やめろ!!」
晋作の声が、響く。
怒りを含んで。
「撃つなって言ってんだろ!」
空気が、震える。
だが――
止まらない。
奇兵隊は、構えたまま。
「……来るな」
晋作が、低く言う。
茜に向けて。
その声は。
さっきより、強い。
「それ以上は来るな……」
一拍。
わずかに、目を伏せる。
「……頼む」
その一言。
それだけで――
足が、止まる。
完全に。
「……っ……」
声にならない。
涙だけが、落ちる。
久坂が、静かに言う。
「……行くぞ、高杉」
振り返らない。
そのまま。
一歩、踏み出す。
空間が、歪む。
結界。
闇が、揺れる。
久坂の姿が、その中へ消えていく。
晋作が、続く。
一歩。
迷いは、ない。
「――晋作さん!!」
叫びが、夜を裂く。
泣き声が、響く。
こだまする。
何度も。
何度も。
だが――
届かない。
次の瞬間。
そこには、もう。
誰もいなかった。
残ったのは――
夜と。
静寂と。
崩れ落ちるように立ち尽くす、茜だけだった。
20話 完




