九十一話 昭和四十五年のきさらぎ駅(美知子の妖怪捕物帳・漆拾弐)
今回のお話は平成十六年にネット上で話題になった都市伝説に想を得ていますが、あくまで無関係のフィクションであることを明記しておきます。
「ところで藤野さんは不可思議な謎を解き明かしてくれるそうだね?」と白砂女子短大の佐貫理事長が聞いてきた。
「いくつか謎解きをして、お役に立てたことがあったと思います」
「私たちも謎を持ってるんだが、解き明かしてくれるかな?」
「今回もお役に立てるかわかりませんが、お話は伺います」と俺は答えた。
「誰から相談する?」と佐貫理事長は常木理事と冨士名理事に聞いた。
しばらく相談した後、最初は冨士名理事からになった。
「私の相談事は、女子短大の教育や経営のこととは関係ありませんが、頭の片隅に引っかかっていることがあるのでご教授いただきたいのです」と冨士名理事が言った。
「どんな相談事でしょうか?」
「これは私の友人から聞いたお話ですが、友人の妹の頭がおかしくなったんじゃないかと思われたことがありました」
「何か妙な症状でもあったのですか?」
「いえ、実は友人の妹が不思議な体験をしたと友人に話したそうですが、その話の内容が理解できなかったので、私に相談してきたのです。でも、私にもうまく説明できませんでした」
「どんな体験ですか?」
「その友人と妹は静岡県の浜松市郊外に住んでいるのですが、ある日の夜、市内に出ていた友人の妹が自宅に帰るために遠州鉄道という私鉄に乗って自宅の最寄り駅に向かいました。その電車の中で妹は不思議な感覚に襲われたそうです」
「その不思議な感覚とは?」
「時間の進み方が妙に遅くなり、いつまで経ってもどの駅にも停車しなかったと言うのです。さらに、いつの間にか妹以外の乗客がいなくなっていました。どこかの駅で降車したわけではなく、徐々に姿が透けていって、最終的に見えなくなったそうです」
「それは妙な感覚ですね。お酒を大目に召し上がった後とかではなかったのですか?」
「妹はお酒を嗜みませんので、その夜も一滴も飲んでいませんでした」
「そうですか。それから妹さんはどうしましたか?」
「いつまで経っても駅に停まらないので、妹の胸の中で不安がどんどん大きくなっていきました。しかしその後まもなく電車がどこかの駅に停まったので、妹は急いで電車を出て、ホームに降り立ちました。しかしそこでも不思議なことがあったのです」
「何が起こったのですか?」
「既に夜が更けていましたが、駅の周囲が真っ暗だったそうです。郊外でも人家の何軒かは線路沿いにあるはずなのに、灯りがまったく見えない漆黒の闇でした。そんなことに気を取られているうちに、妹が乗って来た電車は発車して、駅から遠ざかって行きました」
「気味が悪いですね。妹さんはどこの駅で降りられたのですか?」
「ホームには電灯がついていたので、駅名の表示板を見に行きました。そのとき妹は目がかすんでいたのですが、駅名表示板にはカナで『きさらぎ』と書いてあったそうです。でも、おかしいのです!」と冨士名理事が声を上げた。
「何がおかしいのですか?」
「遠州鉄道には『きさらぎ』駅なんてないのです!」
そう言うと冨士名理事は部屋の傍らのテーブルに置いてあった自分のバッグを取りに行き、中から畳んだ紙を取り出した。
テーブルに紙を広げる冨士名理事。その紙は、遠州鉄道の路線図だった。
「この路線図に書いてある駅名を見てください。知人の家は終点の西鹿島にあるのですが、起点の新浜松駅から西鹿島駅の間に『きさらぎ』駅なんてないのです!」
俺は路線図をじっくりと見た。確かにきさらぎ駅またはキサラギ駅なんて駅はない。きさらぎと読める漢字、例えば如月、衣更着、あるいは更衣という駅名もなかった。
「妹さんはその駅が『きさらぎ』駅だとはっきり言われたのですね?」
「ええ。そんな駅はないと友人が何度も妹に言っても、『確かに駅名がきさらぎと書いてあった』と言い張るのです」
「乗られたのが遠州鉄道で間違いないとすると、確かに妙な話ですね」
「そうでしょう?」
「『きさらぎ』駅に降りた妹さんはそれからどうなされたのですか?」
「駅の外に出て、暗闇の中の道を少し歩いてみたそうです。やはり人家の灯りは見えなかったのですが、遠くから太鼓の音が聞こえてきたということです。まるで、どこかでお祭をしているかのように・・・」
「それからどうされましたか?」
「妹は怖くなって今来た道を戻り、再び『きさらぎ』駅のホームに立ちました。その駅では、駅員や他の乗客を一切見かけなかったそうです」
「それは恐ろしい体験ですね。・・・でも、その話をご友人が聞いたということは、妹さんは無事に家に帰って来られたのですね?」
「はい。ホームで震えているうちにいつの間にか電車に乗っていて、気がついたら終点の西鹿島駅に着いていたそうです。妹はいつもと同じように西鹿島駅を出て、自宅に戻りました」
「なんか、キツネにつままれたような話だな」と佐貫理事長が言った。
「いえいえ、タヌキに化かされたような話でしたよ」と常木理事も言った。
「酔っぱらってなかったのなら、何か強い薬でも飲んでいて、頭がぼーっとなっていたんじゃないか?」と佐貫理事長。
「いえいえ、ボケ始めていたんですよ」と常木理事。
「妹はまだ五十代です!ボケるには早すぎますよ!それに妙な薬も飲んでいなかったと聞いてます!」
「タヌキやキツネの仕業というのは冗談だが、その妹さんがそう話しているのなら、確かに妙な話だ」と佐貫理事長。
「そうなのです。ほかの鉄道路線も調べてみましたが、『きさらぎ』駅は日本のどこにもなさそうでした。藤野さんには、妹が降りた『きさらぎ』駅がどこなのか、それを教えてほしいのです」と冨士名理事。
「さすがの藤野さんでも、これはわからないんじゃないか?」
俺は遠州鉄道の路線図を見ながら考えた。
「この路線図に『きさらぎ』駅はありませんが、『さぎの宮』という駅はありますね?」
「そうなのです。妹はその駅名を見間違えたんじゃないかとも思えるのですが・・・」
「しかし合っているのは『さ』と『ぎ』だけじゃないか。酔っぱらっていたとしても、これが『きさらぎ』とは読めないだろう」と常木理事が言った。
「常木さんには聞いていません。藤野さん、どう思いますか?」
「そうですね。・・・はっきり言って、その妹さんに何が起こったのかはまったくわかりません。その上で、考えられる可能性を検討してみましょうか?」
「はい。お願いします」
「まず、異界に迷い込んだとか、妖怪の類に化かされたとか、そういう可能性は考えないことにします」
「そうですわね」
「つかぬ事をお聞きしますが、妹さんはその後病院に行かれましたか?」
「いえ、特に持病はないですし、体調が悪くなったとは聞いていませんので、病院には行ってないと思います」
「藤野さんは、その妹の頭がおかしくなったと言いたいんじゃないか?」と佐貫理事長が口をはさんだ。
「あるいは目と耳がおかしくなったとか」と常木理事。
「妹が『きさらぎ』駅というこの世に存在しなさそうな駅に降り立ったのは、病気のせいだと言いたいのですか?」
「その可能性はなきにしもあらず、と思いますが、私はお医者さんではないので断定はできません。ただ、妹さんが嘘をついていないのなら、妹さんはその夜、時間感覚の異常や幻視、幻聴の症状があったことになります」
「時間感覚の・・・異常?」
「はい。これらの幻覚は高齢者やある種の精神疾患で経験することが多いように思います。正確なことはわかりませんが」
(作者註:幻視や幻聴はさまざまな原因で起こりうる現象であり、認知症、精神疾患、薬物、視力低下などが原因になる。時間感覚のずれが起きる見当識障害も認知症で起こることがある。また、高齢者や重病患者に多く出現する『せん妄』では、注意力の低下、意識の変容、支離滅裂な思考などが急に起こるが、健康な人でも睡眠中に強引に覚醒させられると同じような症状が起こる場合があるらしい)
「と言うことは、何らかの原因で妹が幻覚に襲われ、存在しないはずの『きさらぎ』駅を見てしまったと言うことですか?」
「結論から言うとそうなります」
「それでは『きさらぎ』駅がどこかなんて、誰にも答えられないわけなのですね?」
「ただ、幻覚には実在するものが変な感じに見える場合と、何も存在しないところに見える場合の二通りがあるようです。前者の場合、実在する駅名が『きさらぎ』に見えたことになります」
「どういうことですか?」
「カタカナは漢字の一部から作られ、さらにそれが崩れてひらがなになったと聞いたことがあります。つまり、駅名の表示板が経年劣化で文字がかすんでいた上に、目もかすんでいてよく見えなかったのなら、漢字がぼやけて一部しか見えなくなり、カナのように見えるかもしれないということです」
「漢字の駅名がカナに見えるということですか?」
「そしてそのカナを読むと、『きさらぎ』となるわけかな?」と佐貫理事長も聞いた。
「そういうことです」
「で、どの駅名が『きさらぎ』になるのですか?」
「この駅名を見てください」と俺は言って、遠州鉄道の路線図の一点を指さした。
「遠州・・・芝本駅ですか?」
「はい。『芝』という漢字はカタカナの『ラ』を含んでいるように見えませんか?」
「草かんむりを『ラ』の上の横棒に見立てて、その下の『之』がカタカナの『フ』に見えて、合わせて『ラ』ということかな?」と常木理事が言った。
「そうです。そして最後の『本』の斜め線がかすれるとカタカナの『キ』に近くなります」
「合わせて『ラキ』か」と佐貫理事長。
「遠州の『州』の字は、縦線の三本のうちの一本がかすれて見えなくなり、その間の三つの点がぼやけると横線のように見えます。これが『サ』になります」
「これで『サラキ』ですか?『遠』の字はどう見ても『キ』に見えませんが」と冨士名理事が言った。
「『遠』の右上の『袁』がかすれるとカタカナの『キ』に見えそうです。そして下のしんにょうがひらがなの『き』の下の横線に見えませんか?」
俺の説明を聞いて三人が首を傾げたので、俺は紙と鉛筆と消しゴムを借りて、『遠州芝本』が『きサラキ』に変わっていくのを図で示した。
★遠州芝本→きサラキ
「なるほど。『遠州芝本』がぼやけてくると『きサラキ』に見えなくもありませんね」と冨士名理事が言った。
「だが、妹は『きさらぎ』と言ったんだろ?『遠州芝本』が『きサラキ』に見えるところまでは認めるとしても、最後の濁点はどこから来たんだ?」と常木理事が聞いた。
「駅目の表示板に黒い汚点がついていて、それが濁点に見えたのかもしれませんし、『きサラキ』という聞きなれない言葉から馴染みがある『如月』へと、頭の中で濁点を補ったのかもしれませんね」
「『遠州芝本』が『きサラキ』に見えたのだとしたら、『キ』が『ギ』になっても大した違いはありませんね」と冨士名理事が言った。
「もちろん何の根拠もない想像なので、これが真実だとは言いません。説明のつかない不思議な現象に、無理矢理説明をつけると、こんな説明になるかもしれないということです」
「うむ。だが、なかなかおもしろい考察だった」と感心する佐貫理事長。
「知人にはこんなふうに目がかすんで漢字を読み間違えたんじゃないかと言っておくわ。そして、妹には一度病院に行って検査を受けてみるよう勧めておきます」と冨士名理事が締めくくった。
「さて、次は誰が相談する?」
「理事長の相談はトリとして置いておいて、私が先に話を聞いてもらってもいいでしょうか?」と常木理事が佐貫理事長に聞いた。
「ああ、かまわんぞ。おもしろい謎を聞かせてくれ」
「おもしろいかどうかは、保証できませんが」と常木理事は断ってから俺の方を向いた。
「藤野さん、あなたはサイモンとガーファンクルという、アメリカの二人組の歌手のことを知っているかな?」
「もちろんです。日本でも人気ですよね」
「相談したいのはそのサイモンとガーファンクルについてなんだ」
常木理事の言葉に俺は絶句した。常木理事は見た目は洋楽など聞きそうになかったからだ。もちろんサイモンともガーファンクルとも知り合いではないだろう。どんな相談事か、俺は常木理事の言葉を待った。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
佐貫幸三 白砂女子短大の学長兼理事長。
常木智和 白砂女子短大の経営担当理事。
冨士名美保 白砂女子短大の教育担当理事。




