九十話 白砂女子短大を訪問
今日もまた就職指導部に呼ばれた。俺が訪れると、すぐに相良さんがやって来て、なぜか渋い顔を見せた。
「藤野さん、また職場訪問の依頼が来ているけど・・・」奥歯に物がはさまったような言い方だ。
「秘書募集の件なら喜んで伺いますが」
「それがね、白砂女子短大の学長さんからの依頼なの。白砂女子短大は知っているわよね?」
「はい。秋花女子短大を受験するときに、滑り止めとして受験しました」
「短大から訪問依頼が来るとは思わなかったわ。もし知っていたなら、そちらよりも先に本学の学長に面談するよう進言したのに。藤野さんをよその短大に取られたら、大損失ですよって」
「そう言ってくださるのは嬉しいのですが、秋花女子大学は秘書の募集を行っていませんよね?」
「そうなのよ。間が悪かったわね。・・・でも、藤野さんがこれだけ有名になったのなら、本学に経営企画相談室ってのを作るって戦略もあったのに。そして大学の業務の一端として外部からの依頼者を募るのよ」
「そうそう顧客は来ませんよ」
「それはわからないわよ。もしあなたが室長になったら、私が室長秘書に立候補しても良かったのに」秘書志望だったのに、秘書を置く立場になるのかな?
「冗談はさておいて、白砂女子短大からの要望を教えてください」
「冗談じゃないのに・・・」と相良さんはぶつぶつ言いながら、「近日中に学長を訪ねて来てほしいってことよ。お電話しましょうか?」と言ってくれた。
「お願いします」と俺が答えると、相良さんは自分の机まで下がって電話をかけた。
「もしもし、秋花女子大学就職指導部の相良と申しますが・・・」
何言か話してから相良さんは俺の方を向いた。
「今日、これからで大丈夫かしら?」
「大丈夫です」と俺が答えると、相良さんは受話器に向かって話し出した。話が終わると俺の方を向いて、
「白砂女子短大の管理棟に入って、受付に『学長から呼ばれた』と告げてくれって」と言った。
「わかりました。一時間くらいで伺えますと言ってください」
俺はさっそく就職指導部を出ると、大学最寄りの駅に向かった。そして電車に乗り、数駅のところで降りた。ここから歩いて行くと、まず一色たちが入学している明応大学の前に着く。そこを通り過ぎて少々歩くと、すぐに白砂女子短大の正門が見えた。
一年半前に受験しに来たときと変わっていない。しかし管理棟がどこかわからなかったので、正門横にいた守衛さんに場所を聞いて向かった。
管理棟は講義室や研究室がある建物から独立している、三階建てのレンガ作りの建物だった。歴史を感じさせる。
古びた入口のガラス戸を押して中に入り、すぐ横にある受付に声をかけた。
「すみません。藤野美知子と申しますが、学長さんに呼ばれて参りました」
受付の女性には話が通っていたようで、「正面の階段を三階まで上がってください。階段の正面に応接室がありますので、そこにお入りください」と言われた。
歴史を感じさせる階段を三階まで昇ると、正面に応接室と書かれた木製のドアがあった。俺はドアを軽くノックしてから、そっと開けて声をかけた。
「秋花女子短大から参りました藤野美知子です」
「入りなさい」と言われてドアを大きく開けて中に入ると、応接セットの横に二人の初老の男性とひとりの中年女性が立っていた。
「ようこそ、藤野さん。よく来てくれました」と一番年かさの男性が頭を下げた。
「私が白砂女子短大の学長兼理事長の佐貫です」
「私は経営担当理事の常木です」と隣の男性が自己紹介した。
「そして私が教育担当理事の冨士名です」と女性が言った。
佐貫、常木、冨士名・・・タヌキ、キツネ、ムジナと聞こえてしまった。化かされないよう気を引き締めなければ。
「どうぞおかけください」と促され、我に返った俺は三人と一緒にソファに腰かけた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」とあいさつする。
「いやいや、こちらこそ。・・・藤野さんは秋花女子短大に通っておられると聞きましたが、本校をごらんになっていかが思われますか?」と佐貫学長・理事長が聞いてきた。
「歴史を感じさせる短大ですね」と俺が言うと三人は笑い出した。
「古めかしいということかな?ですが、明治時代から女子専門学校として女性の高等教育に当たり、社会に貢献する教養の高い女子を輩出してきたことは本校の誇りです」と佐貫学長・理事長が言った。
「そのように伝統ある本校なのですが、終戦後の昭和二十四年に新しい教育基本法の下で女子大学に昇格しようと検討した際に、戦争によって崩壊した校舎の立て替えに時間がかかり、十分な教育施設が必要であるという大学の要件を満たせなかったのです」と常木理事が続けた。
「そこで翌昭和二十五年になんとか女子短大になることができ、戦後の女子教育に貢献してきたのですが、今後、いっそうの発展を期すためにどうしたらよいか、藤野さんのご意見をお聞きしたいのです」と冨士名理事が言った。
「私はまだ短大生で、短大や大学の教育や経営を語る資格などありませんが、学生の立場からの意見でよろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
「短大は二年制で、入学したと思ったらすぐに就職しなければならないので、就職活動に役立つ実践的な教育を行っておられると思いますが、受験を考えている高校生のために、その教育課程を明示する必要があると考えます」
「ほう?例えば?」
「私は秘書になることを志望して短大に入学しましたが、どの大学でも短大でも、どの学科に進学すれば秘書になれるのか、はっきりわかりませんでした。私のような学生に、就職に直結するようなカリキュラムがあれば良かったのにと思いました」
「ということは、どうすればよいのですか?」
「各学科に何々専門コースというような、その職業に就きたい場合に専攻できる専門のコースを設けて、受験生にアピールできると良いと思います」
「例えばどんなコースを用意すればいいのでしょうか?」
「秘書になりたい人のための『秘書実務コース』などです」
「なるほど。『秘書実務コース』以外にはどのようなコースを設けたら良いと思いますか?」
「そうですね、日本の企業はこれからどんどん海外進出すると思いますから、『ビジネス英語コース』なんてどうでしょう?」
「ビジネスに特化した英文の作成や翻訳、英会話を教えるコースですね?いいじゃないでしょうか」と冨士名理事。
「会社の事務員になりたい人のためには『経営会計コース』、投資を行う企業や機構に就職したい人のためには『財務管理・投資戦略コース』なんてのも考えられます。また、これからはますます観光業が栄えると思いますから、『観光事業コース』なんてのもいいかもしれません」
「家政学科にはどんなコースを設けたらいいでしょうか?」
「そうですね。管理栄養士の資格取得を目的とした管理栄養士コース、幼稚園教諭を目指す学生のためのこども教育コース、保育士を目指すこども保育コースなどです」
「なるほど。これは教育の目的と卒後の進路への道筋が今以上に明示でき、本校の受験を促す良い指標になりますね」と常木理事も言った。
「短大での学習を経て、その分野をもっと勉強したいと思った学生のためには、四年制大学に編入できる制度を設けるのもいいかもしれません」
「検討してみよう。隣の明応大学の協力を得られれば良いが」と佐貫学長・理事長が言った。
「そんなところでしょうか?」と冨士名理事が聞いた。
「そうですね、短大の女子学生は四年制大学の女子学生より二年早く社会に出て、しかも就職率が高いと聞いています」
「その通り。実践的な学問ができ、社会から求められている」と佐貫学長・理事長。
「当面は経営は安泰だな」と常木理事。
「二十世紀の間、つまりあと三十年は短大経営は安泰でしょう」と俺が言ったら三人が注目した。
「三十年は安泰?その後はどうなると言うんだね?」と聞き返す佐貫学長・理事長。
「現在女子短大の志望者が多いのは、就職率が良いことのほかに、女子だけの教育環境に、それも地元の学校に娘を置きたいという保護者の意向を反映しています」
「そうだな。それが娘を持つ親心ってもんだ」と常木理事。
「さらに、今までは女子の高等教育を軽視していた風潮があって、男子学生より教育水準が低かった事実があって、男子と競争させるべきではないという考えが教育者の中にもありました」
「古い考え方ですけどね」と冨士名理事が言った。
「しかし、肉体労働はさておき、知性において男女に明らかな差はないと考えます。そのためこれから徐々に女子の教育水準が上がり、より良い高等教育を受け、より良い職場に就職したいと女子全般が考えるようになるでしょう」
「それは我々教育者の望むことではありますが・・・」
「そうなると女子の四年制大学への進学意欲が上がり、良い職場に就職し、冨士名さんのように役職に就く女性が増えることでしょう。それと反比例して、徐々に短大志望者は減っていくと思います」
「私自身はこの白砂女子短大を卒業し、就職し、男性に負けないよう頑張ってようやく教育担当理事まで上り詰めました。私のような女性が増えることは望むところですが、短大の志望者がほんとうに減るのでしょうか?」
「例えば先ほど触れた幼稚園教諭への就職ですが、短大卒の場合、二種免許状しか得られません。それに対し四大卒だと一種免許状が得られます。一種でも二種でも仕事の内容はほとんど変わりませんが、給料は一種の方が高くなります。それに、幼稚園の園長になるには一種免許状が必要です。ですから幼稚園教諭を目指す人は、どうせなら四年制大学に行こうと考えるようになると思います」
「しかし短大卒だと二年早く就職することができる。就職してもやがて結婚して退職することを考えれば、この二年の差は大きいのでは?園長になろうとする女性はそんなに多くないと思うのだが」と聞き返す佐貫学長・理事長。
「昔は七人も八人も子供を産む女性が少なくありませんでした。しかし文明が発達すれば少子化になる傾向があります。産む子供の数は二、三人以内で、その分子どもの教育にお金をかける親が増えるでしょう。そのため母親になった女性は産後も働きたいと考えるようになるでしょう。一方、十八歳人口は徐々に減っていきます。そうなると大学や短大は受験生の奪い合いになります。教育にお金をかけて娘を四年制大学に通わせようとする親は増えていき、短大の志願者は減っていく可能性があります」
「短大の未来は明るくないということですか?」と常木理事。
「地方の短大は、地元に通わせたいと思う親が多かったので入学者が維持できましたが、三十年も経てば定員割れを起こす短大が出てくるでしょう。白砂女子短大は都内にあるので比較的安泰ですが、積極的な方策を打ち立てないと尻すぼみになる可能性を否定できません」
「そ、それで、どういう方策を打ち立てればよいのでしょうか?」と聞く冨士名理事。
「四年制大学の併設や、男女共学化もいずれ視野に入れないといけないと思いますが、目先の戦略としてはいくつか考えられます」
「そ、そんなのがあれば教えてほしい」と佐貫学長・理事長が懇願してきた。
「先ほど例に挙げた幼稚園教諭の資格ですが、短大を卒業して二種免許状を取得した人でも、実務経験を積みながら不足する単位を修得すれば一種免許状へ切り替えることが可能だったはずです。そういう人たちのために短大に単位追加取得コースを作ることは可能でしょうか?大学院の修士課程にそういうコースを設けることが可能かわかりませんが、さらに勉強したい人をサポートできる教育課程があれば、この短大の出身者のみならず、他の短大を卒業した人も興味を示すでしょう」
「そういう教育課程を作りながら、四年制大学への昇格も模索すべきなのか・・・」
「四年制大学を設立すれば、そこへの編入制度も作れますね」
「・・・現在の実践的教育を強化するとともに、さらに資格を強化できる道筋を作るのか。容易ではないだろうが、我々が退職し、後進に道を譲った後のことも考え、準備を進めて行かないとならないな」
「それがいつか実を結べば、佐貫理事長は先見の明があったと短大教職員から神格化されるでしょうね。もちろん、私たちも実現するための努力を惜しみません」と冨士名理事が感銘を受けたような表情をして言った。
「さすがは各企業から神とも崇められている藤野さんのお言葉だった。藤野さんが新興宗教の教祖になれば、私はすぐに入信するだろう」と常木理事も言った。
「示唆に富むお話をいただいて感謝しかない。ただ、ひとつだけ我々のお願いを聞いていただけないだろうか?」と佐貫学長・理事長が言った。
「お願いとは何でしょうか?」
「今の話をほかの短大に、君の母校である秋花女子短大を含めて、内緒にしてもらえないだろうか?ほんの数年でもいい。我が白砂女子短大が全国に先んじて短大教育の改革を進めたいんだ」と常木理事が懇願してきた。
「私からもお願いする。謝礼金に色を付けるから、何卒、何卒」と佐貫学長・理事長も言った。
「わ、わかりました。ほかの短大には今のようなお話はしないことを誓います。・・・秋花女子短大からは意見を聞かせてほしいという依頼は特にありませんので、安心してください」
俺がそう言ったら、三人とも涙を流さんばかりに感謝してくれた。
これで終わりかな?ほかの相談事、つまり謎解きの依頼もあるのだろうか?
・・・多分あるだろうな。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
相良須美子 秋花女子大学就職指導部の事務員。
一色千代子 明応大学文学部二年生。美知子の女子高時代の友人。
佐貫幸三 白砂女子短大の学長兼理事長。
常木智和 白砂女子短大の経営担当理事。
冨士名美保 白砂女子短大の教育担当理事。




