八十七話 鈴鹿御前(美知子の妖怪捕物帳・陸拾玖)
「ところでそちらのお嬢さんは誰なんだい?」と生田さんが俺の方を見て聞いた。
「この方は知る人ぞ知る経営コンサルタントの藤野嬢で、しかも謎解きも得意なんだ。水戸黄門の扮装をした理由も、『黄門』から思いついて僕たちに教えてくれたんだ。それで生田のところに確認に来たというわけさ」と谷口さんが俺を紹介した。
「最終的な謎解きは皆さんでしていただきました」と俺は断った。
「不可解だけど事実がわからない謎でも抱えているのなら、藤野さんに相談できますよ」と中山さんも言った。
「へー、そうなのかい」と生田さんは俺をじろじろ見ながら言った。
「実は警察にもわからなかった謎があるんだが、聞いていいかな?」
「いくらでも聞くといい。ただじゃないけどな」と谷口さん。
「お金を取るのか?」と俺を見て聞く生田さん。
「金を払ってでも藤野さんの意見を聞きたいという人はたくさんいるんだ」
「今、持ち合わせがないから、代わりに払ってくれないか?」と生田さんが中山さんに言ったので、
「いえ、お役に立てるかわからないので、お金はいただけません」と俺は言った。
「そうかい。じゃあ、お言葉に甘えて・・・」俺に話し始める生田さん。
「藤野さん、だったかな?あなたは安保闘争についてご存知かな?」
「はい。終戦後にアメリカと結んだ日米安全保障条約、略して安保が昭和三十五年に改定されるときに、野党の政治家や学生たちが大々的なデモを行い、機動隊と衝突して、死者まで出た事件ですね?」
亡くなったのは当時東大生だった樺美智子さんで、死因はデモ中の転倒による圧死とも、機動隊による暴行とも言われている。
「そう。さらに今年は安保が自動延長される年で、二年前から条約破棄を主張する全共闘や左翼系の学生運動が再び活発になった。これを七〇年安保と呼んでいるが、結局六月に安保は自動延長された」と生田さんは説明を続けた。
「私は学生運動に参加していませんが、その安保闘争が何か?」
「七〇年安保の際、具体的には二年前の十月に起こった新宿騒乱のときなんだが、抗議活動が加熱して学生たちが新宿駅の構内になだれこみ、停車中の電車や駅事務室に投石して窓ガラスなどを破壊するという事件が起こった。そのとき、他局のカメラマンをしている俺の友人が駅構内まで取材をしに行ったんだが、同行していた友人の同僚が死亡した」
「詳しい状況を教えてください」
「ああ。友人の名は亀田 壽。当時発売されてまもないビデオカメラを持って、デモの取材に行った。同行したのがアナウンサーの米澤圭司と亀田の助手の長谷部耕造、そして運転手兼映像技術者の山城 肇の三人だった。ビデオカメラはカメラヘッドとビデオデッキが分離したもので、ケーブルで繋がれている。亀田がカメラを持って撮影し、ビデオデッキについたベルトを肩にかついだ長谷部が付き添った。米澤はショルダーバッグにカセットテープレコーダーを入れ、それに繋いだ有線マイクを持って実況しようとした」
「カメラにはマイクがついてなかったのですか?」
「デモの中でもみくちゃにされたら亀田たちと米澤が離れ離れになるし、音声もデモの喧騒ではっきりと録音できない可能性があったので、実況内容は米澤自身が自分で録音することにしたようだ。米澤のレポートは後で録音し直すこともできるんだが、現場の熱気を生に近い形で伝えるため、亀田たちと一緒に行ったそうだ」
「デモの中に潜入か?無謀じゃないのか?」と谷口さん。
「デモ内に紛れ込めるように、デモ隊の学生と同じように三人は安全ヘルメットをかぶり、顔には粉塵マスクをつけたんだ。デモ参加者に見えるようにな」
「カメラなどの機材を持っていたら怪しまれないか?」
「問い詰められたらデモの記録を取るよう指導者に頼まれたと言い訳するつもりだったらしい」
「生放送ではなかったんだな?」と谷口さんが聞いた。
「ああ。翌日の放送用に撮影・録音していたんだ。乗って来たバンはデモに巻き込まれないよう駅から少し離れたところに駐車し、山城が残って番をしていた。バンには再生用のビデオデッキが積んであって、撮影した映像を確認するつもりだった」
「なるほど。そういう体制で取材をしに行ったのですね?」
「亀田たちはデモの端の方に侵入して、撮影を始めた。デモ隊の人数が多くて全体像が把握しにくいので、亀田はカメラのファインダーをのぞかず、カメラを右手で頭上に掲げて撮影したそうだ。その背後に長谷部がはぐれないよう密着し、亀田の少し前で米澤が実況した」
「それで、何が起こったのですか?」
「撮影した映像を俺も後で見させてもらったんだが、最初米澤は左前にいてカメラを見上げながらレポートしていた。デモ隊に押されて映像は終始揺れていた。その途中でカメラの前に右からデモ隊がなだれ込んできて、米澤は視界の左側に倒れ込むように消えていった。すぐにカメラを左下に向けると、米澤が倒れていた。そこで映像は切れたんだが、倒れた米澤を助けようと長谷部が近づくと、米澤の腹にナイフが刺さって出血していたんだ」
「誰かが・・・デモ隊の誰かが刺したのですか?」と中山さんが聞いた。
「犯人は誰かわからないそうだ」
「ビデオの映像に犯人が映っているかもしれないぞ」と谷口さん。
「デモ隊の学生たちは安全ヘルメットをかぶり、顔には粉塵マスクをつけていた上に、カメラは頭越しに撮影をしていたから、誰が米澤の近くにいたのかわからない」
「それでどうしたのですか?」
「長谷部はすぐに米澤の体を抱き起こし、苦労して駅構内から脱出したようだ。すぐに病院に運ぶためにバンに戻って山城が車を出したが、病院に着いたときには既に亡くなっていたそうだ」
「当然警察には通報したんだな?」と聞く谷口。
「ああ。しかし警察はゲバ棒で武装したデモ隊の学生らを逮捕するのに人手を取られていて、捜査は後手に回った」
ちなみにゲバ棒(ゲバルト棒)とは、当時デモ隊が持っていた角材のことだ。
「確か、大勢の学生が逮捕されましたね?その中に犯人がいたのでしょうか?」
「百五十人近くの学生が逮捕されたけど、後で警察が取調べたところ、ナイフのような刃物を持っている学生はいなかった」
「犯行に使われたナイフは米澤の体に刺さったままだったから、犯人が誰であれ、持っているはずがない」と指摘する谷口さん。
「米澤さんが刺殺されたのなら、失礼ですがご友人の亀田さんや長谷部さんにも容疑がかかりますが、米澤さんが殺されるほど恨まれていたという事実はありましたか?」
「・・・実は、米澤はハンサムで、テレビのニュース番組に出演していたから、女性からけっこうもてた。亀田の恋人だった女も、亀田を振って米澤に乗り換えたことがあった。まもなく米澤に捨てられたけどね」
「となると、亀田は米澤を恨んでいたんじゃないのか?」と谷口さん。
「そうかもしれないが、仕事中は米澤と一緒でも割り切っていて、そんな素振りは見せなかったな。米澤が女を奪おうとしたわけではなく、女が勝手に乗り換えようとしたらしいから」
「長谷部さんはどうですか?」
「長谷部は婚約したばかりで、米澤に取られないよう注意していたな。もっとも仕事以外で米澤の近くに寄ることはないから、取り越し苦労だったと思うけど」
「ずっと車の中にいたという山城さんには犯行動機はなさそうでしたか?」
「山城は、撮影現場の裏方である亀田や長谷部のさらに裏方で、米澤との直接の接点はなかったと聞いている。車の中でずっと待っていたということだが、ひとりでいたから証明はできない」
「群衆の間をすり抜けてナイフでひと刺しか。まるで鈴鹿御前のようだ」と谷口さん。
「鈴鹿御前とは誰ですか?」と俺は聞き返した。
「お伽噺に出てくる、鈴鹿山の峠に住み着く女盗賊だよ。後に平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂と結婚したんだが、敵部隊の間を通り抜ける神通力も持ち、三明の剣と呼ばれる大通連、小通連、顕明連の三本の剣を振るって、鬼神を退治したと伝えられている」
「伝えられているって、お伽噺だろう?」と言い返す生田さん。
「だが、群衆の間をすり抜けて米澤の腹を刺せるのは、鈴鹿御前ぐらいのものだろう?米澤に捨てられた女が、そんな神通力を得て復讐に来たのかもしれないぞ」
「バカバカしい」と一笑に付す生田さん。
「結局、警察は犯人を特定できず、デモ隊の中に紛れ込んでいて、米澤の実況に腹を立てた誰かの犯行だろうと結論づけた。まだ捜査は続行中だが、おそらく迷宮入りになるだろう。・・・藤野さんはこの事件をどう考える?」
「そうですね、まず、亀田さん、長谷部さん、山城さんの三人の中に犯人がいるという場合を考えてみます」と俺は言った。
「その三人以外に犯人がいて、デモ隊の中に変装してこっそり紛れ込み、米澤の近くに来て犯行に及んだ可能性は低いでしょうね。デモ隊でごった返していた駅構内で米澤を見つけて、人をかき分けて近寄ることは難しそうだから」と中山さんが補足した。
「それでも三人とも犯人である可能性が否定されれば、名前もわからない誰かが鈴鹿御前みたいにそっと近づいてナイフを刺したということになるな」と生田さん。
「ナイフは血まみれで、指紋は長谷部のがかろうじて検出されたそうだ。しかし、長谷部は自分が米澤の腹からナイフを抜いたと言っていたから、それだけでは犯行の証明にはならない」
「そうですね」
「で、三人の誰が犯人なんだ?俺の友人の亀田が犯人だとしても、はっきり言ってかまわない」
「動機の有る無しはおいといて、犯行が容易なのは亀田さんか長谷部さんです」
「亀田はカメラ撮影中で、長谷部はビデオデッキを肩にかついでいた。亀田の犯行なら映像が乱れるはずだし、長谷部の犯行としても、ビデオデッキとカメラを繋げているケーブルが犯行時に引っ張られて、映像が乱れるはずだ。俺もその映像を見たけど、デモ隊に押されて画面は揺れていたが、大きく傾いたり上を向いたりといった映像の大きな乱れはなかった」
「長谷部さんが倒れた米澤さんにすぐに近づいて抱き起したんですよね?
「そう聞いている」
「長谷部さんがビデオデッキを持っていたのなら、高価な機材ですからすぐには米澤さんを抱き起こせなかったはずです。カメラとビデオデッキを買うとしたらおいくらでしょうか?」
「自分で買おうと思ったことがないから知らないな。車に積んでいた方のビデオデッキは二十万円弱だったと思うが」
ちなみに今年の大卒初任給の平均が約四万円だ。一般人が買えなくもないが、かなりの高額機器になる。
「長谷部さんならおおよその値段を知っていたでしょうね。そんな高価なものを、ただ倒れたとしか思っていなかった米澤さんを抱き起こすために放り出すなんてできなかったでしょう」
「そうかも」
「米澤さんはデモ隊に押されて亀田さんたちと離れ離れになる恐れがあったので、カセットテープレコーダーとマイクを自分で持っていました。同様のことは亀田さんと長谷部さんにも言えます。カメラとビデオデッキはケーブルで繋がっていたので、集団に押されて二人が離れたら、ケーブルが抜ける危険があります。ですから、デモ隊のすぐ近くに行く前に、亀田さんか長谷部さんがひとりでカメラとビデオデッキの両方を持ち、もうひとりは背後からフォローする体制だったんじゃないでしょうか?」
「だとすると、二人のどちらかの手が空くから、米澤にすぐに近づいて刺すことが可能だったということか」
「はい。それに車内で待機していたという山城さんにも犯行は可能だったでしょう」
「山城が車を離れて米澤を追って来たということか?亀田たちは気づかなかったようだけど」
「三人を見送った山城さんは、すぐに車内に隠しておいた予備のヘルメットとマスクとゲバ棒を身につけ、米澤さんを見失わないよう後をつけたのかもしれません。そうだとしたら、群衆の中でも米澤さんを見つけて刺すことが可能でしょう」
「なるほど。・・・で、その三人の誰が最も犯人らしいのかな?」と聞く生田さん。
「亀田さんは、亀田さんか長谷部さんのどちらかがカメラとビデオデッキの両方をひとりで持っていたとは言わなかったのですか?」
「二人で手分けして持っていたと言い、途中でどちらかが両方持ったという話は一切しなかったな」
「となると、米澤さんを抱き起した人、亀田さんの話を信じれば長谷部さんが犯人と考えるのが妥当でしょう。そして亀田さんがずっとビデオデッキを持っていたかのように説明した亀田さんは長谷部さんの行為を隠蔽しようとしたのではないでしょうか?」
「長谷部が実行犯で、亀田が共犯ってことか?」
「長谷部さんが事件を起こす前から亀田さんが協力していたのか、長谷部さんの犯行に気づいてからかばうために嘘をついたのかはわかりませんが、亀田さんは犯人が誰か知っていたと思います」
「長谷部が犯人である可能性が高いか。・・・山城の犯行だという可能性はないんだな?」
「さっき言ったように山城さんが変装して米澤さんに近づいて刺したのかもしれませんが、ヘルメットとマスクで変装していたとはいえ、服装や背格好から亀田さんも長谷部さんも、山城さんが米澤さんのそばにいたことに気づく可能性があります。その場合、亀田さんと長谷部さんが山城さんをかばうために嘘をつくかどうか、私にはわかりません」
「亀田は長谷部と一緒に仕事することが多かった。米澤に恋人を取られた恨みもある。亀田が長谷部をかばうことは十分に考えられるが、二人は山城をあまり知らなかったようだから、山城をかばおうとするのかは疑問だな」と生田さんが言った。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
生田征夫 テレビ関東の大道具係。
谷口篤郎 テレビ関東の演出部の社員。
中山大樹 テレビ関東の報道部の社員。
亀田 壽 他局のカメラマン。生田の友人。
米澤圭司 他局のアナウンサー。
長谷部耕造 他局のカメラマン助手。
山城 肇 他局の運転手兼映像技術者。
AV機器情報
SONY/携帯用ビデオテープレコーダーDV-2400『ビデオデンスケ』(1966 年7月発売)
SONY/カセットテープレコーダーTC-100(1966年11月発売)
SONY/ビデオテープレコーダーCV-2000(1964 年11月発売)




