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八十六話 水戸黄門傷害事件(続き)

「もし、社長さんが飴原由嘉利のファンではなく、時代劇ドラマに不満を抱いていたとしたら、別の可能性も考えられますね」と俺が言うと、中山さんと谷口さんは俺の顔を凝視した。


「どういう意味ですか?」と聞き返す中山さん。


「その前に、社長さんは局員や撮影スタッフから嫌われていたということはありませんか?」


「それはあるな。すぐに制作予算をケチろうとして、局員が善かれと思って提案する番組案をしょっちゅうボツにするし、その周囲の役員も似たようなもんだった。連中を好いている下っ端の局員なんて、ほとんどいないだろう」と谷口さんが言った。


「だから私たちは独立して番組制作会社を立ち上げようと考えていたのです」と中山さんも言った。


番組制作に関して文句がなければ、独立しようなんて考えないだろうな、と俺も思った。


「さらに、局員に対して威圧的だったり、女性にすぐに触ろうとするなど、嫌な行為をしたことはありませんか?」


「そんなことはしょっちゅうだ。気に入らないことがあるとすぐに頭ごなしに怒鳴りつけるし、美人の女性アナウンサーの体にはすぐに触りたがり、しかも役員の宴会に呼び出すし、で最悪だ。社長だけに限らないけどな」と谷口さんが愚痴った。


「おいおい、女性スタッフに手を出して結婚したのは谷口も一緒じゃないのか?」と谷口さんをからかう中山さん。


「俺の場合は手を出したりしないうちに仲良くなったので、嫁に迎えただけだ。社長連中と一緒にしないでくれ」


「しかし社長は、ハンサムな男性スタッフにも馴れ馴れしく触ろうとしてましたね」と中山さんが俺に向かって言った。


「そ、それって、男性にも興味があったと言うことですか?」


「そこまではわかりませんが・・・」


「いや、社長に媚を売れば男でも女でも出世できるとの専らの噂だった。若い男も好きだったんじゃないかな」


「ケチで、男女かまわず迫ろうとするなんて、最低な社長だな」と俺は思った。この局で秘書を募集していても、応募しないでおこう。


「そうだとしたら、仕返しで嫌がらせをしようと考える人もいそうですね。けがを負わせることまではしないまでも」


「ということは、今回、社長の頭を殴ったのも、水戸黄門の扮装をさせたのも、仕返しを考えていた誰かの仕業なのですか?」と中山さんが聞いてきた。


「その可能性も考えてみた方がいいですね」と俺は言った。


「ただ、誰かの仕業と考える場合、いくつか明らかにしたいことがあります」


「何でしょうか?」


「社長さんを第一スタジオに呼び出したメモが実在したのか、そうでないのかはさておいて、なぜ社長さんは第一スタジオに行こうとしたのでしょうか?」


「今までの社長の行動を考えると、金か若い男か女で誘われたんじゃないか?」と谷口さん。


「そうですね。次に、社長を第二スタジオにどうやって来させたかです。いくら普段来たことがない場所と言っても、案内表示があるから、社長もさすがに迷わないと思うのですが」


「実際にスタジオに向かう通路に行ってみよう」と谷口さんが言い、俺たちは第一、第二スタジオ近くまで移動した。


ごちゃごちゃした局内の廊下を進むと、第一スタジオと第二スタジオの分岐点に来た。通路の壁にはそれぞれのスタジオの行き先を示す案内板が貼ってあった。


その案内板を触ってみる。すると上の方になにかネチャネチャしたものが付いているのに気づいた。


「中山さん、谷口さん、ここにセロテープを貼った跡があるようです」


俺が言うと、二人も近づいて案内板の上の方を触ってみた。


「確かにネトネトしているな。第一スタジオと第二スタジオの方向を逆に書いた紙でも貼ってあったのかな?」と中山さん。


「しかしあの日は第一スタジオで撮影があり、ここを通った関係者が少なくないはずだ。反対向きの案内表示が貼ってあったのなら、道を間違えたやつがほかにもいたと思うが、そんな話は聞かなかったぞ」


「あの日ここを通ったのは、第一スタジオで撮影していた制作スタッフがほとんどだろう?通い慣れているから、いちいち案内表示なんて見ないんじゃないか?」と中山さんが谷口さんに言った。


「なるほど。誤った案内表示に惑わされるのは、ここに滅多に来ない人だけか。第一スタジオの見学は許可されてなかったから、部外者が来て道を間違えることはない。・・・社長を除いて」


「そう考えると辻褄が合いますね。次は第二スタジオに行ってみませんか?」


俺の言葉を聞いて中山さんと谷口さんが第二スタジオまで案内してくれた。大きな鉄扉の上に『第二スタジオ』と書いた札が固定されていたが、古いもののようで、かなり文字がかすれていた。


「扉の表面にもセロテープの跡があります。ここに『第一スタジオ』という偽の表札が貼られていたのではないでしょうか?」


「確かにここもネトネトしているな。まだ新しいテープ跡のようだ」と谷口さんが確認した。


「ということは、社長は偽の案内板に誘導されてここに来て、偽の表札を見て中に入ったわけなのですね?」と中山さん。


「おそらく。入ったはいいけれど中は薄暗く、社長さんが怪訝に思っているところを、後から誰かが何かで殴ったのです」


「頭を殴られて、打ち所が悪ければ死ぬ危険がある。相当恨みを持っていた人物だろうな、犯人は」


「そうですね」


「仕事上の折り合いが悪いってだけではここまでしないでしょう。となると、その恨みは?」


「体をしつこく触られて困っていた男性か女性、あるいはその知人かもしれませんね」


「しかし、恨みが積もり積もって暴行に及ぶってのはまだ理解できるにしても、意識を失った社長にわざわざ水戸黄門風の扮装させたのはなぜなのでしょうか?」


「・・・『水戸黄門』と聞いて連想することは何でしょうか?」と俺は逆に二人に聞いた。


「そうだな。老人、ご老公、好々爺(こうこうや)、副将軍、世直し旅・・・くらいかな?」と谷口さん。


「小学生が連想しそうなことはいかがでしょうか?」


「ひょっとして、『黄門』から『肛門』、つまりお尻の穴を連想するってことか?確かにすぐに思いつくけど、そんな単純なことなのか?」


「いや、社長が男性に迫って性的な行為に及ぶとすれば・・・」と中山さん。


「オカマ野郎!とののしったつもりだったのか?」と聞き返す谷口さん。


俺はそういうことを言うのが恥ずかしいので、言葉の連想は二人に任せておいた。


「じゃあ、犯人は社長に襲われた男性か?・・・局員か、若手俳優かはわからないが」


そして、これも言うのははばかられるが、『水戸』も別の意味としてとらえることができそうだ。


日本最古の書物『古事記』には日本神話を含む古代の歴史が綴られているが、その中に伊邪那美命いざなみのみこと伊邪那岐命いざなぎのみことの二柱の男女の神が国生みを始める記述がある。


その記述の中で、国生みの儀式のことを美斗能麻具波比みとのまぐはひと呼んでいた。その意味は、寝所で見つめ合うことから夫婦の交わりと解釈されている。


人間の行為をそのまま神様に当てはめることはできないし、水戸黄門ファンや茨城県の人には言えないが、犯人はそこから穿った解釈をし、社長さんを貶めようとしたのかもしれない。なお、『水戸』とは本来、水路や海や川などの水の出入口を差す言葉である。


「水戸黄門の扮装にそういう意味があったとしても、実際に着替えさせるのは大変じゃないか?」と疑問を呈する谷口さん。


「そうですね。水戸黄門風の衣装を入手できる人、そしてその衣装に着替えさせることに慣れている人かもしれませんね。単独犯とは限りませんし」


「時代劇のスタッフが協力し合ったのでしょうか?」と中山さん。


「例の時代劇ドラマの撮影に協力している大道具の生田に聞いてみよう」と谷口さんが言い、第一スタジオの方に歩き出した。俺と中山さんもその後に続く。


第一スタジオに到着すると。谷口さんはすぐに入口の鉄扉を開けて中に入った。


スタジオの中は照明が着いていたが、今日はドラマの撮影は行っていなかった。


スタジオの奥では何人かが作業をしている。古い日本家屋の室内の組み立てをしているようだった。


「生田はいるか?」と手近にいたスタッフに聞く谷口さん。


「はい。右手の奥の方にいます」


その言葉を聞いて谷口さんは何の躊躇もなく奥へ進んで行った。


「生田、いるか?」と声をかける谷口さん。


「誰だ?・・・何だ谷口さんか。今忙しいんだが、何か用かい?」と中年の男性が返答した。薄汚れた肌着シャツにズボンをはいており、頭にはタオルを巻いていた。


「ちょっと人目のないところで話そう」と谷口さんは言って、生田さんをスタジオの隅に引っ張って行った。


「この前の社長が殴られていた件だが・・・」


「そのことなら何度も質問されたよ。俺たちは何も知らない。第一このスタジオで撮影中で、第二スタジオまで行く暇なんかなかった」


「撮影中だからって、関係者全員が忙しいってわけじゃないだろ?出番待ちをしている俳優や、スタジオの設営を終えたスタッフとか・・・」


「俺たちを疑っているのか?」ときつい目で谷口さんを見返す生田さん。


「いや、僕は犯人探しをしているわけじゃない。ただ状況の確認をしているだけで、上の連中に話すつもりはない」


「上司の命令もないのにご苦労なこった。それで何が聞きたいんだ?」


「社長にしつこく迫られた関係者を知らないか?男女問わずだが」


「しつこく迫られたのは主演女優の飴原由嘉利だな。最初に別室で台本の読み合わせに来た日に社長を含めた役員連中がきて、テレビドラマに出演してくれる飴原由嘉利に感謝の言葉を述べたが、社長は無理矢理飴原由嘉利の手を握ろうとして、マネージャーに遮られていた」


「それで飴原由嘉利は怒ったのか?」


「気を悪くしただろうが、あからさまに怒ったりはしなかった。ただ、共演者や監督は苦々しく見てたそうだ。飴原由嘉利が機嫌を損ねてドラマから降板する恐れもあったからね。僕はその場にはいなかったが」


「社長は飴原由嘉利の出演を歓迎していたんだな。一流の女優で美人だから、お近づきになりたいという野心があったのかもしれない」


「それだけかい?」


「いや、スタジオでの撮影を見学したいとも社長は言ってきたよ。そこで監督は部外者出入り禁止にして、社長の見学を許さなかった。撮影に専念したいと言ってね」


「飴原由嘉利以外に嫌がらせを受けた俳優はいなかったかな?男性スタッフも含めてだけど」


「今回のドラマではそういう話は聞かないが、飴原由嘉利と同じ会社に所属していた俳優が以前にドラマに出演したときに、社長にやけに気に入られていた。・・・いや、気に入られたからドラマへの出演が決まったようだ」と生田さんが思い出して言った。


「飴原由嘉利の弟分と言えるほど、飴原由嘉利に見込まれていた俳優だった。だから飴原由嘉利や同じ会社の俳優たちやスタッフもドラマ出演を喜び、応援していた」


「その俳優はどうなったんだ?」


「ドラマの撮影が始まる直前にその俳優は俳優業を辞め、映画やテレビの仕事から身を引いた。これから売り出されるときなのに、なぜなのか理由は知らなかったが、飴原由嘉利たちは気落ちしていたな。それから飴原由嘉利はテレビドラマ出演をそれまで以上に毛嫌いしたんだが、なぜか今回だけは依頼を受けてくれた・・・」


「ひょっとして、その俳優は社長に迫られて俳優を辞めたので、飴原由嘉利の所属会社の俳優たちやスタッフが社長を恨んだのではないでしょうか?その仕返しをするために、テレビ関東の出演依頼を受けたのでは?」と中山さん。


「そうなると動機も方法も納得いくな。スタジオに不案内な社長を偽の案内表示で第二スタジオに誘い込み、頭を殴って昏倒させた。・・・俳優の中にはケンカ慣れした元不良もいるだろうから、殴る加減がわかっていたのかもしれない」と谷口さん。


「そして衣装担当のスタッフがすぐに着替えさせ、過去の所業の恨みだと暗に示したのかも」


「おいおい、飴原由嘉利たちが社長を襲った犯人だって言うのか?ドラマの撮影が進んでいるんだ。余計なことを言って、撮影を中止させないでくれよ」と生田さんが必死の形相で頼んできた。


「さっきも言ったように、そうだとしても社長や役員にチクるつもりはない」と谷口さん。


「ただ、ドラマの撮影が終わった後で誰かがゴシップ誌にでもたれ込めば・・・。若い男に迫っていた社長が誰かに殴られ、意味深な水戸黄門の扮装をさせられたという憶測記事が載れば、社長は立場を失って辞任するかもしれない」


そう言って谷口さんは生田さんの背中を叩いた。


「心配するな。社長には思い当たる節がたくさんありそうだから、飴原由嘉利のところの俳優への所業の仕返しだとは断定できないさ」


「そうなったら、俺たちは知らぬ存ぜぬで通すだけだ」と生田さんが言った。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

飴原由嘉利あめはらゆかり 映画女優。

中山大樹なかやまだいき テレビ関東の報道部の社員。

谷口篤郎たにぐちあつろう テレビ関東の演出部の社員。

生田征夫いくたゆきお テレビ関東の大道具係。


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