八十四話 スタジオの怨霊(美知子の妖怪捕物帳・陸拾漆)
「ところで、いろいろアイデアをいただいたけど、それとは別に相談に乗ってもらえるかな?」と谷口さんが言った。
俺はいつものことだと思い、「はい、どうぞ」と答えた。
「これはテレビ局でよくある話なんだが、実はテレビ関東の古い撮影スタジオに・・・出るんだ」
「出る?何が出るのですか?」
「もちろん幽霊だよ。それも目撃者の話では、怨霊だということだ」
「怨霊ですか・・・」この手の話には慣れているので、もうビビりはしない。
「テレビ局は敷地がそこそこ広いので、昔は処刑場だったとか、墓場だったとか、根拠のあやふやな話が多いんだが、そのせいか普段あまり使わない奥まった撮影スタジオに幽霊が出るという噂がよく広まるんだ」
「なるほど」
「で、テレビ関東の旧第四スタジオがそれなんだが、今は小道具や大道具の倉庫になっていて、普段は誰もいないところなんだ」
「そういう部屋はあるでしょうね。特に歴史の長いテレビ局には」
「おい、あの話をするのか?」と中山さんが谷口さんに聞いた。
「ああ、中山も興味があるだろ?」
「それはそうだが、藤野さんにもわからないだろう。現場を見なくちゃ」
「なら現場に来てもらおう。・・・藤野さん、テレビ関東まで来てもらえないか?」
「え?・・・ええ、時間はありますから、かまいませんが」
「よし、出よう!中山、支払いを頼む!」そう言って谷口さんは立ち上がり、俺をつれてホテルの正面玄関に向かった。
後ろを振り返ると中山さんが支払った後で領収書を書いてもらっていた。仕事の経費として落とすつもりなんだろうが、テレビ局から独立する話をしていたのに、経費で落として問題ないだろうか?と思った。
正面玄関を出た谷口さんが客待ちをしていたタクシーに合図を送る。タクシーが進み出て俺たちの前で停まり、ドアを開けてくれた。そこへ中山さんが追いついて来た。
三人でタクシーに乗り込む。助手席には中山さんが座った。また領収書を書いてもらうためだろう。
テレビ関東はホテルからそれほど遠くないところにあり、三十分も経たないうちに到着した。すぐに通用門に向かうが、外来者である俺は通路に面した受付(警備員室)で氏名と連絡先を書かされた。来局の理由は、谷口さんが「番組の打ち合わせ」と書いてくれた。
テレビ局の中は迷路のように入り組んでいて、俺にはどこをどう通っているのか皆目見当がつかなかったが、だんだんと人気のない方へ向かっていることは肌で感じられた。
しばらく歩いてようやく第四スタジオと書かれた部屋に到着する。
中山さんが入口の鍵を開け、重い鉄製のドアを開けて中に入った。すぐに谷口さんが電気を点けてくれたが、中は大小様々な物が置かれた乱雑な部屋になっていた。
「この部屋なんだ。小道具を取りに来たアシスタントが部屋の奥の方に怨霊の顔を見たんだ」と説明する谷口さん。
「怨霊の顔?どんな顔でしたか?」
「髪を長く伸ばした女性の顔で、目が吊り上がり、口を大きく開け、『呪い殺してやる』と言ったそうだ」
「声はともかく、怨霊の顔は見間違いかもしれませんよ」と中山さん。
「例えば向こうの壁にしみがありますよね、水が垂れたような」
中山さんが指した方の壁を見ると、二条のほぼ上下に伸びる黒いしみがあった。そのしみの間のやや上の方には、楕円形のしみも見えた。
★壁のしみ
「壁のしみや、板の木目などが実際に人の顔に見えることがあります。点または丸が逆三角形の頂点上にあるだけで、人の顔のように見えてしまうことは有名な錯視です。・・・しかし、あの壁のしみはどう見ても、人の顔のようには見えません」
「そうだな。・・・見間違いとしても説得力がない」
「もう少し、怨霊の顔が見えたときの状況を詳しく教えてください」
「そのアシスタントは二、三個の小道具を両手に抱えて部屋を出ようときびすを返した。そのとき床に落ちていた何かを踏んで、後に倒れたそうなんだ」
「この部屋で倒れたのですか?何かに当たってけがをしそうですが・・・」
「そこに床運動用のマットが畳んであるだろ?その上に倒れ込んだから、けがはしなかったそうだ」
「それは良かったですね」
「ただ、長いこと放置されていたマットだから、ほこりがぶわっと巻き上がった」
「そうでしょうね」と俺は床に畳んで置いてあるマットを見下ろした。
「しかもそのマットの上に鳥の羽を入れた袋があったそうで、ほこりと一緒に羽も舞い上がったそうだ」
俺はそれを聞いてマットの上と周辺を見回した。すると一枚の白い羽が落ちていることに気づいた。わずかに反っている、ハトか何かの羽毛のようだ。
「マットの上に倒れ込んだときに怨霊の顔を見たのですか?」
「そう。ほこりも舞っていたが、視界を遮るほどではなかったそうだ」
俺はマットに近づき、何かを拾う動作をしてから入口の方に振り返った。このとき奥の壁は背中側にあるので、見ることはできない。
ここでマットの上に倒れ込んだと言うのなら、のけぞった状態で奥の壁を見たことになる。さらに鳥の羽が舞ったのなら、その羽も視界に入る。
マットの上はまだほこりが貯まっていたので、俺は倒れないように気をつけながら後にのけぞって奥の壁を見た。当然のことながら上下逆に見える。
さらに拾った鳥の羽を顔の前にかざすと、奥の壁と羽が重なって見えた。
「わ、わかりました」と俺は上体を起こして中山さんと谷口さんに言った。
「怨霊の顔が見えた理由がわかったのかい?」
「はい。お二人も後にのけぞって奥の壁を見てください」
「う、う、う・・・見にくいな」うめきながら上体を後ろに反らせる二人。
「左右の、上下に長い黒いしみが女性の長い髪に、そして中央上部のしみが口に見えませんか?」
「う、う・・・そうか?よくわからん」「う、う・・・私も顔のようには見えません」うめきながら二人は言った。
「確かにそのままだと顔と錯覚しにくいと思います。しかし中央のしみの少し上に鳥の羽が二つ、たまたま舞ったら?」と言って、体を起こした二人に拾った鳥の羽を見せた。
「壁のしみで形作られる不完全な顔の両目の位置にた鳥の羽が舞っていたために、怨霊の顔と錯覚してしまうということですか?」と聞き返す中山さん。
★怨霊の顔?
「そのアシスタントさんの目に本当にそのように見えたらと言う仮定の話ですが・・・」
「この部屋の中が薄気味悪いと思っていたら、そういう風に見えやすいということか・・・」と谷口さんも言った。
「でも、そのアシスタントは『呪い殺してやる』という怨霊の声も聞こえたそうですが?」
「空調の管か配水管か壁の割れ目などを通って別の部屋の物音が聞こえただけかもしれません。ほんとうは『呪い殺してやる』という言葉ではなかったのを、反響したようなくぐもった音声だったので、アシスタントさんには音量の顔からそう思っただけかもしれません」
「う・・・ん・・・。必ずしも納得できる答ではないが、そうだったと言われればそんな気もするな」と谷口さん。
「ただ、これはひとつの解釈です。別の答があるのかもしれません」
「それはどういう答なのですか?」と聞き返す中山さん。
「ここはテレビ局です。いろいろな映写音響設備があるはずです」
「映写と・・・音響?怨霊の顔と声は機械的に出されたものだってことかい?」と谷口さんが聞いた。
「はい。ところでそのアシスタントさんはどういう方ですか?」
「若い女性だよ。この業界の裏方に女性が入って来ることはまだ珍しくてね、しかも顔がそこそこ可愛かったから、みんなにちやほやされていたんだ」
「つまりもてていたのですね?いろいろな人から食事とか飲みに誘われていたのでしょうか?」
「その通り。ただ本人は家が厳しいのでと断って、誘いにはほとんど乗らなかったようだ」
「お誘いだけでなく、からかうなどちょっかいを出されていたんじゃないですか?」
「そういうことはよくあったね」と谷口さん。
「谷口、君が一番ちょっかいをかけてたんじゃないか?」と中山さんが指摘した。
「そういうこともあった・・・」と遠い目をする谷口さん。
「そう言う谷口さんのような人が、その女性を怖がらせるためにちょっとしたいたずらをしたのかもしれませんね」
「と言うと?」
「部屋のどこかにスライド映写機とテープレコーダーのようなものを隠しておいて、女性がこの部屋に入ったら作動するように仕掛けておくのです。映写機には幽霊のような女性の顔のスライドをセットして、奥の壁に映すようにしておきます。また、テープレコーダーには『呪い殺してやる』という不気味な音声を録音したテープをセットし、映像と一緒に流れるよう設置したおいたのです」
「・・・具体的にはどうするのかな?」
「それぞれの装置の電源コードを、コンセントに差していない延長コードに差し、スイッチをオンにしておきます。女性がこの部屋に入って目当ての小道具を持った瞬間に、いたずらを仕掛けた犯人が延長コードをコンセントに差します。すると幽霊の顔が映写され、呪いの言葉が再生され、その女性が恐れ戦くといった計画です」
「現実的な解釈だと思うけど、壁に映写機の光が当たればすぐにばれるんじゃないかな?」
「ここからは私の想像ですが、小道具を拾った女性は部屋を出ようときびすを返しました。それとほぼ同時に映写機の電源が入り、壁に幽霊の顔が映し出されたのですが、女性は背を向けていたので気づきません。この部屋の電気が点いていたので、壁を照らした映写機の光にも気づかなかったのです」
「いたずらの犯人が延長コードをコンセントに差すのが一瞬遅れたということですね?」と聞く中山さん。
「はい。しかし再生された音声は聞こえます。女性はその声に驚いて、そのせいで足が何かに引っかかって転んだのかもしれません」
「後にあったマットの上に倒れ込み、その瞬間に壁に映し出された幽霊の顔を見たということですか」
「そうです。しかし転ぶときに足が延長コードに引っかかっていたのか、すぐに延長コードがコンセントから引っこ抜かれ、映像も音声も消えてしまったのです。そのため女性は一瞬だけ見えた壁の幽霊の顔が映写されたものだと気づけず、ほんものの怨霊と思ってしまったのではないでしょうか?」
「なるほど。・・・おもしろい解釈だ」
「もっと簡単なやり方もあります。女性を驚かそうと考えた犯人が幽霊の扮装をして、女性が背を向けたときに壁の前に現れて、『呪い殺してやる』と低い声で話したのです。女性が驚きすぎて転んでしまったので、犯人はあわてて幽霊の扮装を脱ぎ捨て、女性の元に駆け寄ったのです」
「転んだときに幽霊に扮装した犯人の顔が視界に入って誤解したわけか」
「映写機にしろ、扮装にしろ、犯人はこの部屋の中かすぐ外にいたはずですから、倒れた女性にたまたま気づいたふりをして、すぐに駆け寄って来た人が犯人でしょう」
「・・・だそうだ、谷口」と中谷さんが谷口さんに言った。
「そこまで見抜かれるとはね」と観念した様子の谷口さん。「最初の見間違いの解釈もおもしろかったけど、やっぱり藤野さんには真相がわかるんだな」
「どういうことですか?」と俺はすぐに聞き返した。
「映写機やテープレコーダーを仕込んでからかったのは僕なんだ」と自白する谷口さん。
「しかし彼女が本気で怯えていたので、自分が犯人だとは名乗れなかった。彼女は本当に幽霊の存在を信じたようで、仕事が長引いて帰るのが夜遅くになった日なんかは、彼女が怖がっているのを知っていたので、贖罪のつもりで彼女を家まで送り届けたんだ」
「そしてそれがきっかけで彼女と仲良くなったんだな」と中山さんが言ったので俺は驚いた。
「いたずらで怖がらせて、寄り添うふりをして信頼できる人だと思わせたのですか?まるで詐欺じゃないですか!」
「最初は軽い気持ちだったんだ。ちょっと驚かせて、すぐにネタばらししようと思ってたけど、本気で怖がらせちゃったんで、申し訳なくて彼女に優しくしたんだ。もう十年以上前の話だ」
「それが奥さんとの馴れ初めだったね」と中山さん。
「結婚までしちゃったんですか?これは一生かけて奥さんに償わないといけませんね」と俺が言ったら、ちゃらそうな見た目の谷口さんが顔を赤らめて頭をかいた。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
谷口篤郎 テレビ関東の演出部の社員。
中山大樹 テレビ関東の報道部の社員。




