八十二話 不倫放火容疑事件(美知子の妖怪捕物帳・陸拾陸)
「ところでついでに私も相談していいかしら?」と紺野家政婦派出会に所属する家政婦の神田さんが言った。
「神田さんも何か謎を抱えているの?」と聞く紺野さん。
「ええ。私の知り合いのお手伝いさんをしている女性なんだけど、以前勤めていたお宅で妙なことがあったの」
「それは興味深いですね。お話を聞かせてください」と気を取り直した樽見人材派遣所の樽見所長が言った。
「はい。そのお手伝いさんの名前は間宮優子さんで、お手伝いさんとして通っていたお宅には五十代のご夫婦がいたの。奥さんの体の具合が良くなかったので、間宮さんが雇われたのね」
「そうなんですね」と俺は答えた。
「ところが旦那さんが仕事に行っている間に、そのお宅が火事になったの。間宮さんは奥さんに頼まれた買い物に出かけていて、帰って来たときにはそのお宅からは炎と煙が立ち上り、近所の人の通報を受けて来た消防車が放水を始めていたの。そして焼け跡から奥さんのご遺体が発見されたそうよ」
「それは大変でしたね。火災の原因は何だったのか聞かれましたか?」
「火災の原因を調べるため間宮さんは警察に呼ばれて事情聴取を受けたみたいだけど、奥さんのいる一階よりも二階の方が焼けていたみたいで、間宮さんは『二階には火の気はなかった。奥さんは足腰が弱く、ひとりで二階には行けない。自分はたまに掃除をしに二階に上がったけど、最後の掃除が一週間前で、そのときも火を使ったことはない』と答えたそうよ。ただ・・・」
「何かあったのですか?」
「奥さんの足元の瓦礫の中に焦げた電気コンロが落ちていたの」
「電気コンロというと、電気が通ると発熱するニクロム線のコイルを丸く納めたコンロのことですか?」
「そうよ」
「その電気コンロが火元なのですか?」
「それはどうかしら。一階から燃えたわけではないから。・・・それに間宮さんはそんなコンロをこの家で見たことも使ったこともないと言っていたわ。どこかに仕舞ってあったのが落ちて来たんじゃないかしら」
「二階建ての一軒家だったのですね?最終的に火元はわかったのですか?」
「警察は漏電が原因だろうと結論づけたらしいわ。ただ、間宮さんはその後旦那さんに怒られたそうよ」
「怒られたって、火災は間宮さんのせいではないのでしょう?」
「そうなんだけど、以前から間宮さんは旦那さんから言われのないお小言をもらっていたそうなの」
「お小言ですか?」
「ええ、冷蔵庫に入っていた旦那さんのビールが一本少ないとか、旦那さんの好物のおやつやおつまみがなくなっているとかで、まるで間宮さんが盗んだみたいな言い方をされたらしいの。もちろん間宮さんには心当たりがなかったけど」
「ほんとうにそれらのものがなくなっていたのですか?」
「さあねえ。少なくとも奥さんが飲み食いするものではなかったわ。旦那さんは家事を一切やらない人だったから、思い違いしていたんじゃないの?」
「お金がなくなっていると言われたことはありませんでしたか?」
「間宮さんからは聞いたことがないわね。もっとも食料品の買い出しは間宮さんがしていたから、奥さんも旦那さんも、お金の残高を把握していなかったんじゃないかしら」
「火事で奥さんが亡くなられた後に間宮さんが旦那さんから怒られたのはなぜですか」
「実はね・・・」と小声で話し始める神田さん。俺たちは話を聞くために身を乗り出した。
「奥さんはベッドの上で亡くなられたけど、そのベッドの上に別の男性のご遺体があったの。ベッド上でお互いに向かい合った姿勢で亡くなっていたそうよ」
「別の男性!?」紺野さんが声を上げた。「留守中に男を引き入れて、同じベッドで寝ていたの!?」
「浮気して放火心中するなんて、谷中の五重塔の心中事件みたいですね」と樽見さんが言った。
「五重塔の心中?それはどんな事件ですか?」と俺は聞き返した。
「昭和三十二年のことだったと思いますが、台東区の谷中霊園内の五重塔から火災が発生して焼け落ちたことがあったのです」
「そういえばそんな話を聞いたことがあったわ」と紺野さん。
「亡くなったのは確か洋裁店に勤務していた中年男性と若い女性で、不倫関係を清算するために火を着けて心中したという話でした。現場で石油を詰めた一升瓶や睡眠薬が見つかったそうです」
「それで間宮さんの話の奥さんが、誰かわからない浮気相手と心中したって言うの?」と聞く紺野さん。
「旦那さんがそう思って間宮さんを問い詰めたらしいわ。でも、間宮さんは旦那さん以外の男性が家に来た覚えはないし、第一奥さんは足腰が弱っていて、他人を家に入れたり、まして浮気なんてできる状態ではなかったの」と神田さん。
「どうかしらねえ?・・・若いときの浮気相手だったんじゃないの?」
「どこの誰が奥さんと寝ていたのかわかったのですか?」と樽見さんが聞いた。
「それが、男性の遺体の顔は黒く焦げて、どんな顔だちだったか判別できなかったらしいの。警察の捜査で身元がわかったのか、わからなかったのか、間宮さんは聞かされなかったと言っていたわ」
「奥さんが浮気できる状態でなかったのなら、秘かに奥さんを想っていた男が侵入して、あの世で一緒になろうと無理心中を図ったのかもしれませんね」と樽見さん。
「奥さんは五十代よ。間宮さんに聞く限りではごく普通のおばさんで、美人と言われるほどの顔ではなかったそうなの」
「恋は盲目、あばたもえくぼと言うからわかりませんよ」
「ところで二階の方がよく焼けていたと言われましたが、火災の程度はどのくらいでしたか?」と俺は神田さんに聞いた。
「二階と屋根がまるまる焼け落ちて、一階の奥さんの亡骸の上にはたくさんの瓦礫が落ちていたそうよ」
「その男性の上にも瓦礫が積もっていたのですね?」
「そうだと思うわ。瓦礫を取り除いて奥さんとその男の遺体が発見されたんじゃなかったかしら?」
「その男性の顔が焦げていたと言われましたが、奥さんの顔も焼け焦げて、誰なのか判別できない状態ではなかったのですか?」
「奥さんは・・・煤だらけだったけど、顔は判別できたと間宮さんは言っていたわ。警察に頼まれて、旦那さんだけでなく間宮さんも奥さんの顔を確認させられたそうなの」
「それでは、一階はそんなに焼けてなかったのですね?」
「瓦礫だらけだったけど、床やベッドは一部焦げていたものの、燃え残っていたそうよ。二階は完全に焼け落ちていたようだけど」
「なるほど。・・・話は変わりますが、近所で窃盗事件が頻発していたということはありませんか?」
「その男性が窃盗犯で、盗みに家に入ったときにたまたま火事に遭遇したって言いたいの?・・・近所で空き巣被害があったことなんて聞いてないわ。間宮さんはその近所に住んでいたわけではないから、知らなかっただけかもしれないけど」
「わかりました。警察が遺体の身元を割り出していたのなら話は早いのですが、これまでに聞いていたことから考えられるその男性の正体は・・・」
「わかったの?」と身を乗り出す神田さん。
「はい。ひとつ考えられることは、その男性はその家の屋根裏に秘かに住んでいた浮浪者のような人だろうということです」
「浮浪者?」
「はい。住むところに困っていた浮浪者が偶然その家の屋根裏に入り込む方法を見つけたのです。その方法がどういうものだったのか、家が焼け落ちた後では確かめようがありませんが」
「わかったわ!家からお酒やおつまみがたびたび消えていたのは、住み着いていた男性がこっそり盗んでいたのね?」
「その可能性があると思います。ただ、あからさまな盗みを行うと警察が呼ばれて、その男性が住んでいたことがばれる危険が生じるので、その家からの盗みは最小限にしていたのでしょう」
「その屋根裏を拠点にして、近所の家で空き巣を働いていたのね?」
「おそらく。そして火災の原因は、とりあえず警察が言っていた漏電だったとします。二階あたりから出火して、その男性が潜んでいた屋根裏に煙が充満し、一酸化炭素中毒を起こして動けなくなったのでしょう。そして本格的に燃え出すと、その男性はそのまま焼け死んでしまったのです」
「そのときには奥さんは一緒でなかったの?」
「はい。遺体の焼け方が違うと聞きましたので、おそらく奥さんは一階のベッド上で寝ていたのです。炎も煙も上の方に広がっていきますから、奥さんの体はあまり焼かれなかったのでしょう。しかし屋根裏と二階が焼け落ちて、奥さんの体の上に炎に包まれた瓦礫が落ちて来て、奥さんも亡くなられたのです」
「でも、屋根裏で死んだ男性と奥さんがなぜ同じベッド上で死んでいたの?」
「最初からベッドに並んで寝ていたわけではなかったのですが、二階や屋根裏が崩れ落ちる際にたまたま男性の焼死体が奥さんの寝ているベッド上に落ちて来て、向かい合う体勢になったのでしょう」
「でもそれなら、奥さんの遺体の上には瓦礫があって、男性の遺体はその瓦礫の上に落ちたのではないの?」
「その家の間取りなどがわかりませんのであくまで想像ですが、家の中央から焼けたため、床や天井は真ん中が割れて部屋の隅に落ちて行ったのではないでしょうか?そして男性の遺体がベッド上に落ち、屋根や瓦が二人の遺体の上に落ちて来て、あたかも一緒に寝ていたかのように見えたのです。・・・もう一度言います。あくまで想像です」
「なるほど。・・・しかし死んだ後で浮気を疑われた奥さんは成仏できなかったのでしょうね」と樽見さんが言った。
「旦那さんこそ、奥さんと家を焼失して、気落ちされたんじゃないでしょうか」
「それがね、生命保険と火災保険が下りて、旦那さんは小ぎれいなアパートに引っ越したそうよ。半年も経たないうちに若い女性と再婚したとも間宮さんは聞いたみたい」
「・・・その話を聞くと、別の可能性も考えられますね」と俺は言った。
「別の可能性?」と聞き返す神田さん。
「はい。そんなに早く再婚したとなると、実は旦那さんは奥さんが亡くなられる前からその女性と浮気していたのかもしれません。そして邪魔になった奥さんを亡き者にして、保険金を手に入れるために、旦那さんが家に放火したのです」
「え?・・・でも、旦那さんは朝仕事に出かけているわ。火事が起こったのはそれから何時間か後のことだから、家に放火できるわけないじゃないの?」
「火災が数時間後に起こるよう、細工をしたのです」
「どんな細工なの?」
「まず出勤前に二階に行って、電気コンロをコンセントにさしたのです。そのままでは電熱線の発熱が他のものに引火しないので、その上から布団をかぶせたのです」
「そんなことをしたらすぐに布団が燃え上がって、時間を置かずに火事になるんじゃないの?」
「いえ、電気コンロの周りを密閉するように布団をかぶせると、電熱線の熱で接触していた布団の内側が焦げ始めます。しかし空気が遮断されているため、なかなか燃え上がりません。しかし、電気コンロは発熱し続けているため、布団の焦げる範囲が広がっていきます」
「それで?」
「コンロによる布団の焦げが布団の表面にまで達したとき、そこで空気に触れて布団が一気に燃え始めます。そして二階から屋根裏にかけて燃え上がり、床が抜けて瓦礫が一階に降り注ぎます。そのとき、同時に屋根裏で寝ていた浮浪者の焼死体が奥さんが寝ていたベッドの上に落ちたのです」
「つまり旦那さんが放火殺人犯ってことね?その家に間宮さんがいたら、一緒に焼け死ぬ危険もあるのに・・・」
「間宮さんが火事で亡くなったら、火事の原因を間宮さんのせいにするつもりだったのかもしれませんね」
「間宮さんは買い物に出かけていて助かった。一方で屋根裏に潜んでいた浮浪者が焼死し、しかも奥さんのベッドの上に落ちた・・・」
「その浮浪者を奥さんの浮気相手とみなして間宮さんを怒ることで、自分への容疑をそらそうとしたのかもしれませんね」
「自分が浮気しておいて、邪魔になった奥さんを殺すついでに浮気を疑うふりをするなんて、旦那さんはなんてひどい人なの!」と紺野さんが怒りを露わにした。
「間宮さんから警察に言ってもらわなきゃ!」
「あくまで私の想像で、旦那さんが放火犯だと決まったわけではありません。それに家は焼け落ちてしまったので、旦那さんの犯行が事実だったとしても、それを証明することは難しいかもしれません」
「犯罪を暴くことが難しいとしても、警察に言ってみたらと間宮さんに言いなさいよ」と紺野さんが神田さんに言った。
「藤野さんは警視庁で犯人を推理し、事件を解決したことがあると聞きました。その藤野さんの推理です、と断れば、警察も本腰を入れて再捜査するかもしれませんよ」と樽見さんも言った。
「そうねえ。間宮さんにそう話してみるわ」と神田さん。
俺の推理はただの想像だから、捜査は警察だけでしてくれと願うのだった。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
神田久里子 紺野家政婦派出会に所属する家政婦。
紺野政子 紺野家政婦派出会の代表。樽見健太郎の親戚。
樽見健太郎 樽見人材派遣所の所長。
間宮優子 神田久里子の知り合いの女性。




