八十一話 浮舟殺人事件(美知子の妖怪捕物帳・陸拾伍)
「実は舟木は、もうひとつ別の殺人事件が間近で起こったと言うのです」と、樽見人材派遣所の樽見所長が俺、藤野美知子に言った。
「え?離島の別荘での事件以外に人殺しが起こってたの?」と、紺野家政婦派出会の紺野さんが聞き返した。
「その舟木って人、殺人犯でなければ疫病神じゃない?」と、紺野家政婦派出会に所属する家政婦の神田さんも言った。
「いや、この事件の現場には舟木はいなかったし、殺人犯の容疑をかけられたわけでもありません。だから謎を解いてもらいたいのではなく、ついでに話を聞いてもらいたいだけなのですが」
「かまいません。お話をお聞かせください」と俺は言った。
「助かります。実は舟木は以前勤めていた会社で、配置転換で藤田ら、別荘で殺された人たちの同僚になったと説明しましたが、異動前での部署でも親しかった同僚が二人亡くなって、そのごたごたで元の部署の再編が行われ、舟木は異動させられたと言ってました」
「詳しい話を舟木さんから聞いたのですか?」
「いえ。別荘の話を聞いた後で舟木がその話をぽろっとこぼし、『あんなことぐらいで殺し合うなんて』と言ったんで、詳しい事情を知っているんじゃないかと思って問いただしたのですが、しらばっくれて、詳しい話は聞けませんでした」
「じゃあ事件の内容はわからないのですか?」
「いいえ、気になって図書館で過去の新聞を閲覧して、その事件の記事を見つけました。記事によると・・・」と樽見さんは言って、メモ帳を見た。
「亡くなったのは舟木の元同僚の宇賀地太郎さんと藪野五郎さんです。いずれも当時二十代で、元々は親友どうしだったそうです。宇賀地は同僚の女性と交際していたのですが、藪野が横恋慕をしたようで、二人は急に仲が悪くなったということでした」
「まあ、三角関係ね。まるで浮舟の話みたい」と紺野さんが言った。
「浮舟の話って何ですか?」と聞く神田さん。
「源氏物語のお話のひとつよ。浮舟という美人が二人の男から慕われるの。最終的に浮舟は出家して、二人の男は死なないけどね」
「宇賀地さんと薮野さんの話に戻りますが、二人はけんかになって、亡くなるような大けがを互いに負ったのでしょうか?」と俺は聞いた。
「はい。藪野はある夜、公園で頭部をバットで殴られて亡くなりました。凶器のバットが近くに落ちていて、傷跡と一致したそうです」
「バットで殴られたの?なんて恐ろしい!」と紺野さんが言った。
「そしてそこから百メートルぐらい離れた路上で宇賀地は腹から血を流して死亡していました。路上に血が付いたナイフが落ちていたそうです」
「薮野さんに刺されたの?」と神田さん。
「はい。バットには宇賀地の指紋が、ナイフの柄には藪野の指紋が付いていて、警察は二人が凶器を準備して争い、藪野は即死で、宇賀地は現場から逃げる途中で出血多量で力尽きたとみているようです」
「動機と殺害方法がわかっているようですが、それで事件は解決したのですか?」
「おそらく捜査は終了したのでしょう。しかし、実はまだ話の続きがあります」
「続き?」
「はい。うちの人材派遣会社に所属している別の男性にたまたまこの事件の話をしたら、『その事件と同じような話が雑誌に載っていた』と教えてくれたので、数日後にその雑誌を借りて読んでみました」
「どうでしたか?」
「その雑誌は男性向けのゴシップ誌で、どれだけ正しいことが書かれているのかわかりませんが、宇賀地と藪野が争った経緯が詳しく書かれていました。もっとも二人とも仮名になっていたので、本当に同じ事件の話なのか、保証できませんが」
「とりあえずその雑誌の記事の内容を教えていただけますか?」
「わかりました。会社員Aは、同僚の女性社員のBと交際しており、結婚の約束をしていたそうです。Aの親友のCは、当初はそんな二人を温かく見守っていたそうです」
「そうだとしたらAとC、つまり宇賀地さんと藪野さんはほんとうに仲が良かったのね」と紺野さん。
「ええ。ところが恋人Bが帰宅する際に、誰かにつけられていることがあったそうです。それも一回や二回ではなく、ほぼ毎日です」
俺は以前に帰宅途中に誰かにつけられている気がするという相談事を思い出した(四十四話参照)。あのときは勘違いと思われたが、今度はほんとうに跡をつけられていたのだろうか?
「Bさんは美人だったの?」と聞く神田さん。
「雑誌には誰もが振り返るほどの美人だったと書いてありましたが、写真はなかったのでほんとうかどうかはわかりません」
「それで誰かにつけられていたBさんは、どうしたのですか?」
「もちろん恋人であるAさん・・・宇賀地に相談しました。そこで宇賀地はBさんをほぼ毎日自宅まで送り届け、宇賀地の都合が悪いときはCさん・・・藪野に送ってもらっていたそうです」
「それでBさんと藪野さんが仲良くなって、宇賀地さんを裏切る形になったのかしら?」と紺野さんが目を輝かせて聞いた。こういう話が好きそうだ。
「先走らないでくださいよ、紺野さん」と注意する樽見さん。
「その雑誌には、宇賀地さんと薮野さんが所属していた部署にいるBさんのインタビュー内容も書かれていました。それによると藪野はあくまで紳士で、Bさんに言い寄るようなことはなかったそうです」
「当事者の言葉はどこまで真実か、わからないわよ」と口をはさむ神田さん。
「その紳士ぶりに惚れて、Bさんは藪野さんに乗り換えようとしたのかもしれないわよ」
「雑誌にはそんなことは書いてありませんでした」と樽見さん。
「Bさんは宇賀地と藪野のおかげで、誰かにつきまとわれることがなくなったようです。ところがやがて宇賀地と藪野が会社で口論をするようになりました」
「きっとBさんを取り合うようになったのよ」と紺野さん。
「当たらずとも遠からずですね。Bさんによると、宇賀地は藪野がBさんにちょっかいを出している、藪野は宇賀地がほかの女に色目を使っている、と言い張っていたそうですが、Bさんは藪野に迫られたことはないし、宇賀地も浮気をしている風にはまったく見えなかった、と雑誌の記者に語っています」
「Bさんの言う通りだとすると、宇賀地さんと藪野さんがけんかをする理由はないように思えますが」
「本人にその気がなくても、はた目にはやけに親しくしているように見えたのかもしれないわよ、Bさんと藪野さんが」と神田さんが言った。
「そして悩んだ宇賀地さんが、別の同僚の女性に相談していたのかもしれないわ。それで誤解が生じたのよ」と紺野さんも言った。
「そういうことがあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。とにかく、雑誌によるとBさんには二人がけんかをする理由が思い当たらなかったそうだ」
「ほとんどの日を宇賀地さんがBさんを送っていたとすれば、そんな思い違いは生じなさそうに思えますけどね」と俺も言った。
「男女の仲なんて、わからないものよ」と紺野さん。
「そんなこんなでけんかがヒートアップし、宇賀地と藪野は最終的に殺し合ったのでしょう」と樽見さん。
「ひょっとしたらBさんをつけていたのは薮野さんだったんじゃないの?」と神田さんが言った。
「薮野さんは以前からBさんが好きで、親友の宇賀地さんの手前、気がないふりをしていたけど、だんだん我慢ができなくて、Bさんの帰宅時に後からついて来ていたのよ。そして機会があれば、Bさんを襲って・・・」
「いえ、Bさんは雑誌の記者にこうも言っていました。当初、Bさんをつけていたのは藪野ではなかったと思うと。だから薮野はBさんに特に好意を持っていなかったと」
「なぜ薮野さんがつきまとっていたわけではないとわかったのですか?その人物の顔を見たのでしょうか?」と俺は聞いた。
「いえ、『ただなんとなく、つきまとっていたのは宇賀地でも藪野でもない別人のようだった』と記事には書かれていました」
「となると、宇賀地さんと藪野さん以外に、第三の男がいたということになるわね。・・・男だと断定してしまうけど」と紺野さん。
「記事の中で、つきまとっていた人は男だったとBさんは最初から言っていました」
「第三の男がBさんの跡をつけてきたから、宇賀地さんと薮野さんが交代でBさんを送るようになった。薮野さんがBさんに迫るようなことはしていない。・・・となると、さっき言ったように、宇賀地さんと薮野さんがもめる理由はありません。・・・二人が亡くなった後、Bさんが誰かにつきまとわれることはなくなったのですか?」と俺は聞いた。
「第三の男が帰宅時に追いかけて来ることはなくなったそうです。ただ、Bさんがほんとうに美人だったせいか、恋人を亡くして傷心のBさんに言い寄る同僚の男は何人もいたそうです」
「第三の男につきまとわれなくなった点だけは良かったですね、二人も亡くなってしまいましたが」と俺は言った。
「ただし、言い寄ってきた同僚のひとりはとてもしつこく、仕事中にも迫って来て、仕事に支障が生じるようになってきたので、上司に相談して異動させてもらったそうです」と樽見さん。
「上司がすぐに対応してくれたのね」と神田さん。
「雑誌の取材を受けたときには異動した後だったようですね。『これで安心してAさんとCさんが残した仕事を進められる』と言っていたと、雑誌の記事は締めくくられていました」
「え!?ちょっと待ってください!」と俺は樽見さんに言った。
「どうかしましたか、藤野さん?」
「異動したのは、Bさんですか?それとも・・・」
「しつこい同僚がいたから、Bさんが上司に頼んで別の部署に異動したんじゃないの?」と紺野さんが言った。
「別の部署に異動したのなら、AさんとCさん、つまり宇賀地さんと薮野さんが残した仕事は続けられないんじゃないですか?異動元の仕事を異動先に持ち込むとは考えにくいのですが」
「同じ会社内なら、前にいた部署の仕事を持ち込んで、切りのいいところまで終わらせる・・・ということはないのでしょうか?」と自信なさげな樽見さん。
「私は大きな会社に勤めたことがないからわからないわ」「私も」と紺野さんと神田さんが言った。
「私が昔勤めていた会社では、・・・部署異動したことがないのでわかりません」と樽見さんも言った。
「それに樽見さんはさっき、『宇賀地さんと薮野さんがいた部署にいるBさんのインタビュー内容も書かれていた』と仰られた気がするのですが。そのお言葉が正しければBさんはまだ元の部署にいるとしか思えないのですが」
「え・・と」と樽見さんは言いながらメモ帳を読み返していた。
「このあたりは雑誌の記事をそのまま写したように思います」
「じゃあ、異動したのは誰なの?」と聞く紺野さん。
「それはBさんにまとわりついていた同僚の男性でしょうね」
「そうか。Bさんの言葉からはBさんが別部署に異動させてもらったと読んでしまったけれど、同僚の男性を異動してもらったとも読めるな」
「ちょ、ちょっと待ってください」と神田さんが言った。
「異動させられた男性って、まさか舟木さんのことじゃないの?」
「舟木は。『親しかった同僚が二人亡くなって、そのごたごたで元の部署の再編が行われた』と言ってましたが・・・」
「部署から二人いなくなったら、その穴埋めをするために残った同僚の仕事が増えるはずです。そんなときに異動させられるのはおかしいですね。・・・会社の内情によって違うのかもしれませんが」と俺は指摘した。
「実は仕事そっちのけでBさんに迫っていたのが舟木で、Bさんの要望で舟木が飛ばされたということでしょうか?」
「それに別荘の殺人事件で足を骨折し、容疑者になったからと言って、犯人でなかったのに首になるなんて事があるでしょうか?不当回顧だと労働組合が文句を言うはずですよ」
「・・・ということは?」
「舟木さんは前の部署でも問題を起こしていたため、合わせ技で首になったのかもしれません」
「嫌な合わせ技ね」と紺野さん。
「舟木さんがBさんに嫌がられるほど迫っていたのなら、帰宅時のBさんをつけていた第三の男は、舟木さんかもしれませんね」
「恋敵の宇賀地とその親友の薮野がいなくなったので、堂々と迫っていったということでしょうか?」
「それに舟木さんは宇賀地さんと薮野さんと親しかったと言っていたそうですね?宇賀地さんに『藪野さんがBさんにちょっかいを出している』と言い、藪野さんに『宇賀地さんがほかの女に色目を使っている』と吹き込んだのも舟木さんだったのかもしれません。舟木さんは二人の憎悪をかき立てさせ、最後には殺しあうほど憎ませ合った張本人なのかも知れませんね。・・・何の根拠もありませんが」
「いえ、きっとそうだわ!」と神田さんが叫んだ。
「そうね!樽見さん、舟木を派遣する会社に美人女性社員がいないことを確認した方が、問題が起こらなくていいかもよ!」と紺野さんも言った。
その言葉を聞いて樽見さんは頭を抱え込んだ。
「とんだ問題社員を抱え込んでしまった」と樽見さんは嘆いていた。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
舟木三郎 樽見人材派遣所に所属する派遣社員。
樽見健太郎 樽見人材派遣所の所長。
紺野政子 紺野家政婦派出会の代表。樽見健太郎の親戚。
神田久里子 紺野家政婦派出会に所属する家政婦。
藤田圭介 舟木三郎の元同僚。
宇賀地太郎 舟木三郎の元同僚。
藪野五郎 舟木三郎の元同僚。
書誌情報
紫式部/日本古典文学大系 源氏物語 五(岩波書店、1963年4月5日初版)




