七十八話 百々目鬼(美知子の妖怪捕物帳・陸拾参)
「さあ、神田さん、田沼さんから言われたことをこの藤野さんに相談してみなさい」と紺野家政婦派出会の紺野さんが言った。
「はい、私は今、田沼さんのお宅に家政婦として通っています」と神田さんが説明を始めた。
「田沼さんはひとり暮らしの七十代の男性で、子どもは仕事の都合で地方におり、奥さんは先年亡くされました。体はご壮健で頭もしっかりしているのですが、家事をされたことがないのでこちらに家政婦の派遣を依頼され、現在は私が担当しています」
「その方から何か言われたのですね?」
「はい。預金通帳から一万円が引き出されていたそうで、先日『お前が盗んだんだろう!お前は百々目鬼か!?』と怒られました」
「百々目鬼とは何ですか?」
「お金を盗んだ女性の腕にたくさんの目が生じた妖怪のことです。江戸時代に石燕という浮世絵師が書いた妖怪の画集に出てくるのだそうです」
「妖怪はともかくとして、神田さんは田沼さんの預金通帳に触ることができるのですね?」
「はい。毎月一度、田沼さんから生活費を降ろすようにと通帳と印鑑を預かり、銀行へ行っています。銀行から帰ったら通帳や引き出したお金をすぐに田沼さんに渡し、お金は小さな金庫にしまわれています。食費や生活必需品の購入費を田沼さんに金庫から出してもらい、買い物に使っています」
「家政婦さんを信用して通帳やお金を預けているのですね?」
「そうです。もちろん銀行や買い物に行った後は、すぐに現金と通帳やレシートを照らし合わせて出納を確認されています」
「お金に細かい人なのですね」
「はい。定年退職されるまでは銀行の支店長だった人で、そのせいかお金の帳尻はしっかりと確認されます」
「そんな状況ではお金を盗むことはできないように思われますが、どういう理由で神田さんがお金を盗んだと言いがかりをつけられたのですか?」
「私が銀行から生活費を降ろしてきた際にいつものように通帳を確認されたのですが、突然『この一万円を勝手に降ろしたのはお前か!?』と怒鳴られたのです。私は心当たりがなく、『どういうことですか?』とお聞きしたら、預金通帳を見せられて『今月の十日に口座から一万円が引き出されている!』と言われたのです」
「十日に通帳から一万円を降ろしたという記載があったのですね?」
「はい、確かに」
「通帳にはどこで引き出されたとかの記載はなかったのですか?」
「はい。通帳には数字と記号しか印字されませんから、日付と引き落とした金額と残高しかわかりません」
そうだった。この時代の預金通帳にはカナはまだ印字できないんだった。
「田沼さんがご自分で銀行でお金を降ろしたということはないのですか?」
「田沼さんは銀行に行くのを避けておいでで。・・・実は田沼さんが支店長をしていたのが口座がある銀行で、定年後に田沼さんが行くと古参の銀行員がいちいち挨拶してくるので、それがうっとうしいと言ってご自分では行かれなくなりました。さすがに今は顔見知りの行員はいないと思いますが」
「それで通帳に触ることができる神田さんが疑われたということですか。・・・田沼さんは警察に訴えたりはしなかったのですか?」
「田沼さんはうちの家政婦の働きには不満がないようで、『お金を返さないのなら、警察には言わないから家政婦を替えてくれ』と私に電話してきたのです」と紺野さんが言った。
「実はお金を盗んだと田沼さんが怒った家政婦は神田さんだけでなく、その前に二人、私どもの派出会から派遣した家政婦が同じように一万円盗んだと言って家政婦の交代を申しつけてきたのです」
「神田さんが初めてではなかったのですか?」
「はい。家政婦が盗んだので、交代した家政婦の最初の三か月分の代金は払わないと言われて。・・・神田さんも他の二人の家政婦も信用できる人なので、『お疑いなら警察に通報して、調べてもらってください』とも言ったのですが、警察嫌いなようで、通報はしてもらえませんでした」
「銀行の支店長だった人が警察嫌いなのですか?」
「二年前に起こった三億円事件の犯人を警察が未だに捕まえていないことにご立腹だったそうなので、警察を信用していないのでしょう」
「で、結局その一万円は、家政婦代を払わないことで紺野さんが払ったのと同じことになったのですね?」
「そうです。いい迷惑です。でも、田沼さん本人が引き出していないのなら、通帳に触ることができるのはうちの家政婦だけなので、言い返せなくて困っています。・・・藤野さん、誰が一万円を盗んだのか、突き止めていただけませんか?」
「前の二人の家政婦も一万円を盗んだと田沼さんは仰られたのですね?その一万円は何日に引き出されていたか、わかりますか?」
「はい。その二人のときも十日に引き出されていたようです」
「それは妙ですね。三人の家政婦さんがそれぞれ一万円ずつ盗んだとしても・・・あ、もちろん仮の話です・・・同じ日に引き落とすなんて偶然があるでしょうか?しかも金額もまったく同じで」
そのとき俺ははっとひらめいた。
「電気、ガス、水道などの公共料金を自動引き落としに設定しているのなら、十日に引き落とされたのではないですか?」
「いえ。田沼さんが住んでいる町内はだいたい月末頃に口座から公共料金が引き落とされているようです。第一、公共料金がきっちり一万円ということはまずないと思いますが」
公共料金は検針結果から算出される。だから一円単位までの細かい金額になるはずだし、ひとり暮らしの家で公共料金が一万円というのは高すぎる。
「田沼さんには何か趣味がおありですか?」
「いいえ。昼間は散歩に出られることが多いですが、滅多に買い物はされません。出かけるときにお財布には二、三千円しか入れていないと言われたことがあります。後はご自宅でテレビや新聞を見るくらいでしょうか。ちなみに新聞は日経新聞です」
そう言ってから神田さんは何かを思い出したような顔をした。
「そういえば先日、紙袋を持って散歩から帰られたことがありました。中に何が入っていたのか存じ上げませんが、大事そうに抱えておられて、しかもちょっと嬉しそうでした」
「その何かを買うために銀行から一万円を降ろしたのではないですか?」
「田沼さんはまだ頭がしっかりしていますから、自分で引き出したお金を忘れることはないと思いますが」
「ひょっとしたら、家政婦代をチャラにするために、わざと知らない振りをしていたとか・・・?」
「そんな方には見えません。年金のほかに預金はけっこうあるようですし、株なども持っておられるので、お金には困っていないと思います。銀行の支店長だった人が、そんな詐欺まがいのことをするでしょうか?」
「・・・そうですね。仮に詐欺だとしても同じ金額を同じ日に引き出すのは、やっぱりおかしいですね」
俺はしばらく考え込んでから、「田沼さんが持って帰ったという紙包みが怪しいですね。田沼さんは本当に無趣味なのですか?酒もタバコもやらない人ですか?」と神田さんに聞いた。
「タバコを吸っておられるところは見たことがありません。居間の戸棚の中にウヰスキーの瓶が入っていましたので、お酒はたまに飲まれているのではないでしょうか?昼間から飲まれているところを見たことはありませんが」
「ウイスキー?・・・そのウイスキーの銘柄はわかりますか?」
「銘柄とは?」と聞き返す紺野さん。
「どこが造っている何という名前のウヰスキーかってことですよ」と、これまでずっと話を聞いていた樽見さんが口をはさんだ。
「さあ。私はウヰスキーには詳しくないので」
「ダルマか角でしょうか?・・・レッドということはないでしょうね」と樽見さん。
「ダルマ?角?レッド?・・・それは何ですか?」とウイスキーに詳しくない俺は樽見さんに聞き返した。
「ダルマというのはサントリーオールドというウヰスキーのことです。ずんぐりむっくりの黒い瓶で、値段は千九百円くらいだったと思います。角はサントリー角瓶、レッドはサントリーレッドのことで、それぞれ千五百円と五百円くらいします。角瓶には黄色いラベルが、レッドには赤いラベルが貼ってあるはずです」
「それらのウイスキーを何本か買ったとしても、一万円もかかりそうにないですね」
「私が田沼さんのお宅で見たウヰスキーは、黒い瓶でも、黄色や赤のラベルを貼った瓶でもありません。確か、黒っぽいラベルが斜めに貼ってあったような・・・」と神田さん。
「そ、それはジョニ黒じゃないか!?」と樽見さんが叫んだ。
「じょにくろ?」
「ジョニーウォーカーの黒ラベルというスコッチウヰスキーで、一本一万円するはずです!・・・買ったことはありませんが」
「値段が一致しますね。・・・田沼さんは散歩に出て、酒屋でそのジョニ黒を買った。普段一万円も持ち歩かない田沼さんは、銀行から引き出して代金を払ったのです」と俺は言った。
「しかしその推理だと、田沼さんが自分で口座からお金を引き出した記憶がないことと矛盾します。そして十日にだけウヰスキーを買ったのも、不自然です」と神田さんが言った。
「そうですね。まだ謎は完全に解けませんね。・・・ちなみに田沼さんのご住所を教えてもらえませんか?」
俺は田沼さんの住所を聞くと、鞄に入れてあったメモ帳を取り出した。これまでに会った人の名前や住所や電話番号が記してある。ぱらぱらとめくると、目当ての人物を見つけた。
「田沼さんのご住所は、萩野洋酒販売のお店に近いですね。洋酒を専門に扱っている酒屋さんです」と俺は言った。
「確かめてみますので、お電話をお借りしてもよろしいですか?市外にはかけませんので」
「どうぞ、どうぞ」と言ってくれる紺野さん。
俺はその部屋に置いてあった黒電話の受話器を取ると、メモ帳を見ながら萩野洋酒販売に電話をかけた。
「もしもし、萩野洋酒販売さんですか?私は先日お会いした藤野という者ですが、社長の萩野さんはおられますか?」
『お待ちください』と店員らしい人の声がして、まもなく萩野さんが電話口に出た。
『藤野美知子さんですか?いや〜、先日はお世話になりました』と萩野さんが言った。(七十四話参照)
「少しお聞きしたいことがありますが、今、お電話大丈夫ですか?」
『大丈夫ですよ』
「えっと、そちらでジョニ黒を売ってますよね?おいくらですか?」
『売っています。一万円ぽっきりです』
「先月か先々月に田沼さんという人がジョニ黒を買いませんでしたか?七十代の方だそうですけど」
『田沼大二郎さんのことですか?確かにうちで時々ジョニ黒を買っていただいているお得意様です』
「代金はその場で現金払いされましたか?それとも月末に集金されたのですか?」
『いえ、日本クレジットビューローのクレジットカードでのお支払いでした。いわゆるJCBカードのことです』
「クレジットカードで買われたのですか!代金は銀行口座から引き落とされるのですね?」
『はい。毎月十日が引き落とし日になっています』
「ありがとうございました!これですべての謎が解けました!」俺はお礼を言って電話を切ると、神田さんの方を向いた。
「田沼さんはジョニ黒をクレジットカードで買って、その代金が十日に銀行口座から自動的に引き落とされたのです」
「クレジットカードって何?」と神田さんが聞いた。この時代ではまだ知らない人が多いのだろう。
「代金を後払いできる決済方法ですよ。現金を持っていなくてもクレジットカードに対応しているお店なら高額の商品を買え、代金は決まった日に銀行口座から引き落とされるのです」
「それなら辻褄があいますが、銀行の支店長をしていた田沼さんともあろう人がそのカードでの買い物や代金の引き落としを知らないことがあるのでしょうか?」
「クレジットカードというのは日本ではまだ十年も歴史がなく、馴染みのない人が多いのです。田沼さんは定年後にカードを作られたのでしょうが、その場で現金の支払いがなく、月末に集金に来ることもないと、慣れていない人だとただで買い物をした気になるのです」
やがて買い過ぎて、カード破産する人が出てくることだろう。
「田沼さんが現役の銀行員だった頃にはまだクレジットカードがなかったのですね?それなら代金を払っていないことを忘れることもあるでしょうね」と神田さんが言った。
「萩野洋酒販売で過去に田沼さんがジョニ黒を買った日付を教えてもらって、その翌月に一万円が口座から引き落とされていることを確認すれば、田沼さんも納得してくれるでしょう」
「さっそく調べて、明日にでも田沼さんにかけ合うわ!チャラにされた家政婦代を払ってもらわなくては!」と紺野さんがいきり立っていた。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
神田久里子 紺野家政婦派出会に所属する家政婦。
田沼大二郎 家政婦を依頼した老人。
紺野政子 紺野家政婦派出会の代表。
樽見健太郎 樽見人材派遣所の所長。紺野政子の親戚。
萩野武蔵 萩野洋酒販売の社長。
書誌情報
鳥山石燕/今昔画図続百鬼(『百々目鬼』収載、出雲寺和泉掾、1779年)




