表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/79

七十七話 家政婦と人材派遣

七月になった今日もまた掲示板に就職指導部からの呼出が貼ってあった。こうも頻繁に呼び出されると、しょっちゅう俺の名前が貼り出されるのでどうにも恥ずかしい。俺だけにわかる符牒、例えば「XYZ」とだけ書かれた紙を貼ってもらうことにした方がよいのではないだろうか?・・・意味不明すぎて、逆に注目を集めるかもしれない。


そんなことを考えながら就職指導部に行くと、相良さんから説明があった。


「紺野家政婦派出会というところから相談したいって電話があったけど、どうする?秘書の募集はしていないようだけど」


「また誰かから私の噂を聞いたんでしょうね。今日は会社訪問の予定がないので、変なところでないなら伺ってもかまいませんが」


「電話帳に広告を載せているから、変なところではないと思うけど。行くのなら先方に電話をかけてあげるわ」


「いつもすみません」


相良さんが電話をすると、すぐに来てほしいということだったので、住所のメモを頼りに紺野家政婦派出会に赴いた。見た目は普通の住宅のような木造の一軒家だったが、玄関の上に「紺野家政婦派出会」とペンキで書いた板が貼り付けてあった。


「失礼します」と言って玄関の引き戸を開ける。するとすぐに中から中年の男女が出てきた。


秋花しゅうか女子短大から来ました藤野美知子です」


「よく来てくださいました」と歓迎ムードの女性。「とりあえず応接室にお入りください」


二人に招かれて玄関のすぐ奥の応接室に入った。応接セットでも何でもない普通のテーブルと四脚の椅子が並んでいた。


俺が椅子に腰かけると、女性がすぐに煎茶を淹れて出してくれた。そして俺の向かい側に座る二人。


「藤野さん、私が紺野家政婦派出会の代表の紺野政子と申します。本日はお越しいただき、ありがとうございます」そう言って頭を下げる女性。


「私は紺野代表の親戚の、樽見健太郎と申します」と男性が頭を下げた。二人は夫婦ではなかったのか。


「私は樽見人材派遣所の所長をしています。紺野さんとは仕事が似ているのでよく話をしているのですが、藤野さんの噂を聞いて一度助言を請いたいと相談して連絡を差し上げました」


「どなたから私の噂を?」


「知り合いの探偵です。藍原さんという・・・」


ああ、あの藍原さんか、と俺はすぐに思い出した。(三十九話参照)


「藤野さんが秘書を志望されて就職活動を行っていることはお聞きしました。私どものところでは秘書を置く余裕などなく、それなのにわざわざ来ていただきまして、ほんとうに感謝しています」と紺野さんが言って再び頭を下げた。


「いえ、お気になさらずに。・・・それではさっそく相談事というのをお話しください。お役に立てるか自信ありませんが」


「ご謙遜を。・・・藤野さんは家政婦という仕事をご存知ですわね?」


「はい。依頼者のお家に行って家事を手伝う人のことですね」


「そうです。もともと日本では古くから素封家では住み込みの女中を雇っていました。女中になるのはたいてい独身の若い女性で、先輩の女中から掃除、料理などの家事を教わりました」


女中は古い言い方で、今ではお手伝いさんという言い方が広まっている。


「一方、家政婦は大正時代から始まった職業で、住み込みではなく通いで家事を担当します。家政婦の多くは寡婦か中年女性で、家事に慣れた女性が素封家のお宅で働くのです」


確かに家政婦には、若い女性というイメージはない。


「私どものような家政婦の派出会は、家政婦になりたい女性を登録し、依頼のあったお宅に紹介して派遣しています」


「私の人材派遣所では、家政婦は扱いませんが、事務職員・・・会社員の経験があるものの様々な理由で休職中の者や、掃除婦などを、依頼があった会社に派遣する仕事です」と今度は樽見さんが説明した。


「労働者を派遣する仕事も昔からあるのですが、昭和二十二年に制定された職業安定法により、労働者供給事業は全面禁止になりました」


「と言うと、紺野さんや樽見さんのお仕事は今はできなくなっているということですか?その労働者供給事業の一種のように思いますが」


「法律を厳密に解釈するとそういうことになりますが、『労働者派遣』ではなく、『業務請負』であるという建前で仕事は続けております」


「『業務請負』とは?」


「『労働者派遣』も『業務請負』も労働者が派遣元、つまり我々のような会社に所属しているのは同じですが、『労働者派遣』では派遣された先の会社の指示で働くのに対し、『業務請負』では派遣元の指示で仕事をするという違いがあります。もっとも仕事の現場は派遣先ですから、先方の意向に沿って仕事をするので、本質的な違いはありません」


「なるほど」


「それで私どもの仕事は今後どうなって行くのか、我々は今後どうしたらよいのか、その点につきまして藤野さんのご意見を伺いたいのです」


俺は考え込んだ。平成時代には派遣社員の問題が大きくなっていて、正社員と同じ仕事をしているのに給料が安い、正社員よりも首にされやすく、身分が不安定、しばしば正社員から見下される、などの問題がクローズアップされていた。また、派遣社員が増えれば正社員の雇用が減る、などといった問題も生じていた。しかし、そういう問題が起きるほど、派遣社員の雇用は広がっていたようだ。


「現在は法律で禁止されているという人材派遣ですが、おそらく今後社会の要望があって法律は変わっていくと思います。つまり、人材派遣業が正式に認められるようになるでしょう」


「本当ですか!?」と樽見さんが叫んだ。


「ただ、すべての業務に対して人材派遣が認められるとは限りません。既に雇用されている正社員の身分を保証するためにです」


「どういう業務なら認められるのでしょうか?」


「おそらく従来の会社には人材がいなかった、専門的な知識や技術が求められる業務だと思います。例えば、取引文書の作成、事務用機器の操作、建築設備の点検・整備、通訳・翻訳・速記などです」


「なるほど」


「それらの業務に関しては派遣する人の教育や研修が必要になるでしょう。派遣元でそういう教育ができれば、宣伝しやすくなると思います」


「我々にそこまでできるのでしょうか?」


「退職ないし休職されている経験者がいれば、そういう人に指導者になってもらえばいいのかもしれません」


「そうですね。・・・考えてみます」


「また、正社員には任せられない仕事、例えば、駐車場の管理、建物の清掃なども人材派遣が認められることでしょう」


「私どものところで行っている掃除婦の派遣も合法になる見込みなのですね」


「確約はできませんが、おそらく。・・・ただ、問題があります」


「どういう問題なのでしょう?」


「有用な人物だとしても派遣先では正社員より下に見られ、給与や待遇面で損をすることになりかねません。また、派遣先の都合で簡単に首を切られると、その人の生活がなりたたなくなります。樽見さんのところで収入面での保証をするか、保証されるよう派遣先と交渉する必要はあるでしょう」


「人手不足を一時的に補うだけのアルバイトのようなものだと先方で思われていたら、なかなか交渉が難しいでしょうね」と困惑する樽見さん。


「そのためにも優秀な人材の育成が必要になるでしょうね。大変だと思いますが」


「樽見さんのところは会社相手に人を派遣するお仕事ですよね。それに比べて家政婦は、お金に余裕がある個人宅への派遣がほとんどです。私の方はどうなるのでしょう?」と紺野さんが聞いてきた。


「個人相手の家政婦派遣が合法化されるのか、私にはよくわかりませんが、当面は紺野さんは有料紹介所という形で家政婦さんを紹介するだけで、家政婦さんの雇用は先方に一任せざるを得ないでしょうね」


「そ、そうですか・・・」


「ただ、先ほど『労働者派遣』と『業務請負』の違いを樽見さんから聞きました。家政婦さんの派遣も、『業務請負』としてやり方を変えるのがいいのかもしれません」


「『業務請負』?・・・確か樽見さんの説明では、派遣した家政婦が私どもの指示で働くということですか?想像がつきにくいのですが」


「家政婦という概念を忘れて、家事代行業務として発展させていけばいいと思います」


「家事代行業務、ですか?」


「はい。樽見さんのお仕事の掃除婦の派遣は、先方の会社に行って決められた範囲の清掃を行うというものですが、それを個人宅に応用するのです」


「といいますと?」


「いわゆる『家事』には、家の清掃だけでなく、料理、洗濯、買い物の代行、場合によっては子守りや高齢者のお世話などが含まれます。それをひとりの家政婦さんに全部やってもらうのではなく、家事代行のチームを作るのです」


「チーム?」


「はい。掃除のプロ、料理のプロ、ベビーシッター、介護のプロなどの技術を持たせたスタッフを、家事代行の依頼があった個人宅に必要に応じて派遣するのです。彼らの雇用主はあくまで紺野さんの方で、指示された仕事を先方の家に行ってこなし、済んだら引き揚げます。一日だけの依頼もあれば、一週間に一回とか、定期的に通うこともあるでしょう」


「私が抱いている家政婦のイメージとはだいぶ異なるようですね」


「はい。家政婦さんを先方の家に雇わせるのではなく、紺野さんのところで雇っている人を依頼主のお宅で働いてもらう、『業務請負』そのままの形になります」


「大きな話になってきたように思います。資金も必要になりそうですわ」と困惑気味の紺野さん。


「そうですね。会社として取り組む事業になりそうです。ただ、紹介できる家政婦さんが何人もおられるようでしたら、そういう形式の業務請負を小規模な段階から始めていけるかもしれません。・・・当事者でないので、無責任な発言に聞こえるかもしれませんが」


「いや、これはエポックメーキングですよ、紺野さん!」と樽見さんが口をはさんだ。


「『エポックメエキング』とは何ですか?」と紺野さんは樽見さんに聞いた。


「社会に大きな影響を及ぼすほどの画期的な発明という意味ですよ!今いる人材を使って家事代行という業務に移行できるか検討した方がいいですよ!」と興奮気味の樽見さん。


「いっそ、私の会社でそういうのを立ち上げてもいいかもしれませんね。掃除婦の派遣は今でもできますが、料理や買い物などの家事ができる人を捜しましょうか!」


「待ってください、樽見さん。それはこっちの仕事ですよ!」と紺野さんが文句を言った。


「そうですわね、『紺野家政婦派出会』の看板をおろして、『コンノ家事代行本舗』とでも名称を変えましょうか?『コンノ』は漢字でなく、カタカナで書くと目新しさが増しますわ!」


「それならうちも『樽見人材派遣所』から『タルミ人材プロ』にでも名前を変えましょう」


「『人材プロ』?どういう意味ですの?」と聞き返す紺野さん。


「プロは専門職という意味のプロフェッショナルと、人材会社という意味のプロダクションをかけているのです」


「いい会社名ですわね」と紺野さんが賛同していた。「私も『コンノ家事代行プロ』にしようかしら?」


「私が先ほど言った法律の改正はおそらくまだ何年も先の話になると思いますので、ゆっくり検討していけばいいと思います」と言っておく。


(作者註:労働者派遣法が成立し、日本で正式に派遣ビジネスが認められたのは昭和六十年)


「やることは多いのですが、先が見えただけでも藤野さんの話を伺った甲斐がありました」と樽見さん。


「そうですわね。やっぱり噂通りでしたね」と紺野さん。


「探偵の藍原さんの話では、知恵を貸してもらって問題を解決できたとたいそう褒めていました。謎を解くのも得意だそうですね?」


やはりこういう流れになるのかな?


「そのことを聞いていたので、藤野さんに解いていただきたい問題を用意してきましたの」


「私もです。なんてことない問題かもしれませんが、どうしても気になることがあるのです」


そのとき応接室のドアが開いて、ひとりの中年女性が入って来た。


「今戻りました。・・・あ、お客さまですか?」


「神田さん、お疲れさま。ちょうど良かったわ。あなたもここに来て話に加わりなさい」とその女性に言う紺野さん。


「自分のお茶は自分で淹れてね」そう言って紺野さんは俺の方を向いた。


「この方はうちに所属している家政婦の神田久里子さんよ。この方も私が相談したい謎に関わっているの」


「そのお嬢さんはどなたですか?」と聞く神田さん。


「名探偵の藤野さんよ」と紺野さんは俺を変に紹介した。


登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科二年生。

相良須美子さがらすみこ 秋花しゅうか女子大学就職指導部の事務員。

紺野政子こんのまさこ 紺野家政婦派出会の代表。

樽見健太郎たるみけんたろう 樽見人材派遣所の所長。紺野政子の親戚。

藍原清佐あいはらきよすけ 藍原探偵事務所を経営する探偵。

神田久里子かんだくりこ 紺野家政婦派出会に所属する家政婦。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ