七十話 清住酒造を訪問
今日もまた短大の掲示板に俺を呼び出す案内が貼ってあったので、すぐに就職指導部を訪れた。
「藤野さん、今度訪問を依頼されたのは清住酒造という酒造会社よ」と俺を目にした相良さんが近づいて来て言った。
「酒造会社?日本酒を造っている会社なのですか?」
「そのようね。大手ではないから私も知らなかったけど、『清住』という銘柄の特級酒を造っているらしいわ」
「酒造会社に秘書の求人はあるのでしょうか?」
「それはわからないわ。小さな酒蔵なら、事務一般を担うのかもしれないわね。・・・どうする?行ってみる?」
「お酒には詳しくありませんが、話を聞くだけなら」と俺は答えた。
「ひょっとしたらおみやげにお酒をくれるかもしれないわね。余分があれば私におすそ分けしてね」と相良さん。
相良さんはお酒も好きなのか。そう思っているうちに、電話をかけて先方にアポイントを取ってくれた。
指定された日時に都内(ただし郊外寄り)にある清住酒造の本社を訪れた。古びた木造の社屋の横に、実際にお酒を作っているところなのだろうか、レンガ造りの倉庫のような建物が建っていた。
本社の入口らしきガラス戸を開け、「こんにちは、お邪魔します」と声をかける。
入口近くの机に座っていた事務員らしき女性が立ち上がって、「何かご用ですか?」と聞いてきた。
「秋花女子短大から参りました藤野と申します。社長さんに呼ばれてきましたが、ご在室でしょうか?」
「藤野さんですね、少々お待ちください」とその女性事務員は言うと、事務室の奥の方に歩いて行って、ドアを開けて中に声をかけた。
「藤野さんって方がお見えですけど」
「ああ、応接室に通してくれ。丁重にな」とドアの中から声がした。
女性事務員は俺の方に戻って来ると、「こちらにどうぞ」と言って俺を応接室に案内してくれた。そこは事務室の奥にあり(先ほど事務員が声をかけた部屋とは別の部屋)、六畳間ほどの応接室で、ソファセットが並べられていた。俺は言われるままにソファのひとつに腰を下ろした。
事務員は応接室を出て行ったが、しばらくしてその事務員と、初老および中年の男性二人が部屋に入って来た。二人の男性は俺の向かいのソファに腰かける。事務員は俺たちの前に煎茶椀を並べて退室して行った。
「わしが清住酒造の社長の柳楽慎司です。藤野さんですね?わざわざご足労いただきかたじけない」と初老の男性が名刺を出しながら俺に自己紹介した。
俺が立ち上がって自己紹介しようとしたら、「あ、そのまま、そのまま」と言って、今度は中年の男性が名刺を差し出した。
「私は清住酒造の営業部長の柳楽 昭です。お噂はかねがね。どうかよろしくお願いいたします」
名字が同じだからこの二人も親子なのだろうか?最近はこういう家族経営的な会社が多いなと思いつつ、
「ご丁寧なごあいさつありがとうございます。あいにく名刺は持ち合わせておりませんが、秋花女子短大の藤野美知子と申します」と俺も言って頭を下げた。
「まだ若い女子短大生でありながら、適格な経営指南をいただけると各界で評判が高いことを聞き及んでおります」と営業部長さん。最近は「見かけからは想像できませんね」などと言われることはなくなっていた。
「私どもは小さな酒造会社を営んでおりますが、将来への発展に向けて藤野さんに指南していただきたいのです」と言って、社長と営業部長が改めて頭を下げた。
「お役に立ちたいのは山々ですが、あいにく私は普段お酒を嗜まず、日本酒についてもよくわかりません。御社のお酒『清住』も飲んだことがありません。お役に立つか自信ありませんので、まず日本酒についての基本的な質問をしてもよろしいでしょうか?」と俺は聞いた。
「もちろん、どうぞ。日本酒に詳しくなくても、先見の明がある藤野さんなら役に立つご指摘をいろいろしていただけると期待しております」と営業部長。
「むしろ本職のわしらが気づかないことを言ってくれると信じております」と社長も言った。
そこまで期待されてもなあ、と思いつつ素人の質問をぶつけてみた。
「まず、日本酒には甘口と辛口があると聞いておりますが、どういう違いがあるのですか?そして御社のお酒『清住』はどちらに該当するのでしょうか?」
「甘口、辛口は、昔は文字通り甘味が強いか弱いかでざっくばらんに分けられていましたが、今では『国税庁所定分析法』に基準が規定されています」と営業部長が説明した。
「日本酒の味わいは日本酒度と酸度で決まります。日本酒度とは糖分の量に基づく比重の違いを指し、糖分が少なくて水より軽いものが辛口、重いものが甘口となります。実際にはプラスマイナスの数値で表されます。そして酸度とは日本酒に含まれる有機酸の量の違いのことで、数値が高いとコクがある濃醇で辛口傾向に、低いとすっきりした淡麗で甘口傾向になります。『清住』は濃醇でやや甘口です」
「なるほど。『清住』はコクがあり、糖分がやや多いというわけですね」と俺が聞くと営業部長がうなずいた。
「もうひとつ、日本酒は特級酒、一級酒、二級酒に分かれていますが、これはどのように分けられているのでしょうか?素人質問ですみません」
「いいえ、お気になさらずに。・・・特級酒、一級酒、二級酒は昭和十八年に制定された日本酒の級別制度に基づくものです(作者註:平成四年に級別制度は廃止された)。これは粗悪な日本酒の普及を防いで品質を保証するともに、税収を確保する目的もあって制定されました。特級酒に一番多くの酒税がかかり、一級酒がその次、二級酒の税金が最も安いというわけです」
「なるほど。特級酒として売りたい場合はその級別審査に通る必要があるのですね?」
「はい。審査は利き酒で酒の色、香り、味を調べます。色があったり、香りや味に欠点があると減点され、一定の点数以下は不合格とされます」
「そういう審査では、特級酒は透明に近く、味や香りも際立ったところがなく、甘口、辛口の違いがあっても似たようなお酒になってしまいませんか?」
「ご指摘の通りです。さすがは藤野さんですね」と営業部長がいたく感心した。
「色がついていたり、味や香りに個性がある日本酒は特級酒にはなりません。そういうお酒でもおいしいと感じられるものは、あえて級別審査に出さず二級酒として売り出されているものもあります。一般の人は特級酒が一番おいしいと思いがちですが、二級酒でもおいしいお酒がいっぱいあります」
「それでも特級酒の方が売れやすいので、『清住』は特級と一級を卸しているんだ」と社長が補足した。
「それから吟醸酒というのを聞いたことがありますが、どういうお酒ですか?」
「『吟醸』とか『吟造』というのは昔からある言葉なのですが、具体的には日本酒の原料となる酒米の表面を多めに削って、主に酒米の中心にある真白だけで醸造する日本酒のことです。酒米の表面は蛋白質など雑味になる成分が多く、デンプンが多い真白でお酒を造ると、雑味のない淡麗な日本酒になります」
「酒米を半分以上削って作った吟醸酒のことを大吟醸と呼ぶようになってきた。最初に売り出したのは広島の『大吟造特製ゴールド賀茂鶴』で、中に金箔も入れているんだ」と社長。
「それは普段飲み用ではなく、主に贈答用です。吟醸酒は品評会に出すことがあっても、たくさんは造らないので、基本的に市場には出回りません」と営業部長。
「ところでお二人は幻の酒と言われる『越乃寒梅』をご存知ですよね?」
「はい、知っています。新潟県で作られる端麗辛口の味わいの名酒で、蔵が大きくないので全国には出回らず、ほとんど地方で消費されています。雑誌『酒』の編集長の佐々木久子氏が昭和三十八年に『週刊朝日』誌上で紹介され、入手の難しさも相まって評判になりました」
「昭和四十三年にも読売新聞紙上で紹介され、さらに認知度が高まった」と社長。
「お二人も清酒『清住』を『越乃寒梅』のように知名度を上げ、売り上げを増やしたいとお考えなのですね?」
「あからさまに言えばその通りです。どうすれば良いとお考えですか?」
「私は酒造りのことはよく知らず、可能かどうかわかりませんが、従来の日本酒の製造を続けるとともに、吟醸酒を本格的に造って、そのおいしさを少しずつ広めてブランド化する、つまり商品としての認知度を上げると良いと思います」
「吟醸酒ですか?」
「そうです。貧しかった終戦直後から時間が経ち、好景気になって人々の食物やお酒の品質に対する欲求が高まっています。そんなときに外国から品質の良いワイン、ウイスキー、ブランデーなどの洋酒がどんどん輸入されるようになったら、日本酒の人気が衰えるかもしれません。そうなる前に従来以上の品質のお酒を造って普及させるのです」
「な、なるほど・・・」
「品質の良いお酒ができたら品評会に出し、好評を得たら大々的に売り出しましょう。吟醸酒には吟醸香と呼ばれる果物のような香りがあると聞いたことがあります。そのような香りがついていると、級別審査では減点対象になる恐れがあるので、あえて審査に出さず、二級酒として売り出すのです。商品の認知度が上がっていけば、税率が低くて安い二級酒はかえって喜ばれるでしょう」
「なるほど」と感心する社長と営業部長。
「売れるようになってきたら生産量を増やしてもいいですが、むやみやたらと増産するのではなく、生産量を抑えて希少性を高めましょう。最初は一升瓶でなく、五合瓶だけで販売するのがいいのかもしれませんね」
「そうですか。杜氏と相談する必要がありますね」と営業部長が言った。
「造るのは我々の仕事ですが、どのような日本酒・・・吟醸酒を造るといいと思われますか?」
「そうですね。吟醸香のする端麗辛口の吟醸酒として、『吟醸辛口[無審査二級酒]香清住』と銘打ったお酒を造るとか」
「なかなか良い銘じゃないか」と感心する社長。
「『無審査二級酒』とわざわざ主張するところが自信があるようでいいですね」と営業部長も言った。
「ほかにもあえて色味のついた日本酒を出すのもいいのかもしれませんね。例えば白ワインのようにほのかな黄色味を帯びた『金色甘口[無審査二級酒]金泉清住』とか。宣伝文句としては『ワインゴールドの日本酒』などとします。もちろん、この『金泉清住』には金箔は入れません」
「うむ。清酒だからと言って無色透明であればいいとは限らないな」と社長。
「それから、炭酸を含んで発泡性がある濁酒があると聞いたことがあるのですが、清酒にも炭酸を含むものがありますか?」
「発泡性濁酒はアルコール発酵する酵母を熱処理せず、瓶に詰めた後でも発酵させる瓶内二次発酵法で造ることができます」と営業部長が説明してくれた。
「清酒で造ろうとするならば、簡単な方法として清酒に炭酸ガスを充填させます。この方法で二年前に複数の酒蔵が連携して炭酸入り一級酒『パンチメイト』というのを発売したのですが、一時期話題になったものの、あまり売れなかったようです」
「それ以外には?」
「清酒に熱処理していない濁酒を少量混ぜることによって瓶内二次発酵が起こって発泡性の日本酒を作ることが可能です。ただし、うすく濁ったお酒になります」
「うす濁りでも問題ないと思いますよ。特級酒にはならないでしょうが」
「その場合の銘はどうすれば良いとお考えですか?」
「そうですね。・・・『発泡薄濁[無審査二級酒]風花清住』なんていかがでしょうか?薄く濁った状態を風花、つまりちらちらと降る雪になぞらえたのです」
「詩的で良いですね」
「とにかく、等級にこだわらず、おいしくて特徴のある日本酒を造られるのがいいと思いますよ」
「そうだな。がんばってみよう」と社長が言って営業部長の肩を叩いた。
「そのほかに取り組むべきことはないかな?」
「そうですね。新商品の販売が順調にいったら、国内だけでなく外国に、・・・アメリカやヨーロッパに輸出することも考えた方がいいですね」
「なるほど。・・・戦前は日系移民向けに日本酒を輸出していましたが、戦後は外国人も日本酒を飲むようになってきたと聞きます」と営業部長。
「欧米では品質の高いワインなどが造られていますが、日本酒もそれらに劣らないお酒だと思いますので、自信を持って輸出されるのがいいと思います。そして外国で有名になれば、国内での知名度もますます上がるでしょう」と俺も言った。
「外国からの賓客を招いた国際会議の食事の場にも提供されるようになるかもしれませんね」
「まるで夢だな。夢のような話だ」と感嘆する社長。
「夢で終わらせず、現実のものとしましょうよ、社長」と営業部長が言った。
「しかしそうなると英語ができる職員が必要になりますね」と営業部長が言って俺の顔を見た。
「そ、その前に新商品を開発されなければ」と俺はあわてて言った。名酒が完成する前に先走り過ぎても問題になりそうだ。
「そうだな。まずは商品開発だ。いいのができたら藤野さんに贈るよ」と社長が言ってくれた。
「ところで酒造りとは別の話なんだが、藤野さんは不可解な現象の謎解きも得意だそうだね?」
「そういう方面でお役に立てたことはあります」
「私たちの謎も解明してくれないか?」
「できるかわかりませんが、その謎についてお話しください」と俺は答えた。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
相良須美子 秋花女子大学就職指導部の事務員。
柳楽慎司 清住酒造の社長。
柳楽 昭 清住酒造の営業部長。
書誌情報
国税庁/国税庁所定分析法(1961年1月11日訓令、1963年改正第2版、1967年改正第3版)
注解編集委員会編/国税庁所定分析法注解(日本醸造協会、1965年初版)




