六十九話 消えたプリント(美知子の妖怪捕物帳・伍拾捌)
翌朝起きると、既に起きていた優子さんが朝食の支度をしていた。みそ汁の香りが俺の鼻腔をくすぐる。
「おはようございます。お手伝いしましょうか?」
「おはようございます。もうだいたい準備できたから、おかまいなく」と言ってくれる優子さん。
「ところで藤野さんは主人たちの相談に乗ってくれたわよね?」
「はい、そうです」
「もうすぐ子どもたちが起きてくるけど、その前に私の相談にも乗ってもらえないかしら?」
「私にわかることでしたら何なりと」とすぐに答えると、優子さんは俺にテーブルに着くよう促し、自分自身も向かいの椅子に座った。
「私には子どもが二人いるの。ひとりは五歳の男の子で、幼稚園に通っているの。もうひとりは三歳の女の子よ」
「可愛い盛りでしょうね」
「そうなんだけど、長男の一郎はだんだんやんちゃになってきてね、つい先日も幼稚園でもらってきたプリントをどこかに隠しちゃったのよ」
「何のプリントですか?」
「どうやら幼稚園の参観日の案内らしいのよ。でも、私が読む前に一郎がどこかに隠しちゃったのよ」
「それはそれは。・・・一郎ちゃんはどこに隠したのか、言わないのですか?」
「そうなのよ。『どこに隠したの?』と聞いても、『はずかしいからようちえんにこなくていいよ』と言い張って教えてくれなかったの。私も業を煮やしてきつ目の口調で聞いたら、しぶしぶ『えほんの五ページと六ページのあいだにはさんだ』と言うのよ」
「絵本の中に隠したのですね?」
「そのようなの。で、『どの絵本なの?』と聞いても、『わすれた』としか言わないの。仕方なく本棚にある絵本を全部取り出してページをめくってみたんだけど、まず五ページと六ページの間にはプリントを挟めないの」
「そうですよね。大抵の本は一ページの裏が二ページで、五ページの裏が六ページになっていて、同じ紙の表と裏ですから、普通はその間にプリントは挟めませんよね。これは右側からページを開く日本風の本でも、左側からページを開く洋風の本でも同じはずですね」
「そうなのよ。うちの子はページの番号を読むことができるから、『ほんとに五ページと六ページの間なの?』と聞いても、『まちがいないよ。しっかりみたから』としか言わないのよ」
「その言い方だと嘘はついておらず、五ページと六ページの間に挟んだと本気で信じているようですね」
「そうなの。仕方がないから本棚にある絵本を全部出して、全てのページをめくってみたけど、どこにもプリントはなかったのよ」
「ページ番号を読み間違えたとしても、どこかの絵本に挟まっているはずですから、不思議ですね。絵本以外の本も調べてみたのですか?」
「大人向けの本は一郎の手が届かない高さのところに置いているから、取り出して挟むことはできないと思うの。だいいちそんなところに絵本は置いてないしね」
「ひょっとして、絵本の中に厚い紙で作ったものがあって、一枚の紙の中に隙間ができているものはありませんか?その隙間の中にプリントを入れたのかも」
「そんなに厚い紙でできている絵本があったかしら?」と優子さんはいいながら、子ども部屋に向かった。俺も後からついて行く。
子どもたちはまだ別の部屋で寝ているようで、子ども部屋には誰もいなかった。おもちゃ箱にはいくつかのおもちゃがしまってあり、本棚には絵本が整然と並べられていた。
本棚から数冊の絵本を取り出す優子さん。『ぐりとぐら』や『おおきなかぶ』などの絵本だった。
さすがにページを構成する紙には中に物を挟めるほど厚いものはなく、プリントなどをしまい込めるものはなかった。
「やっぱりないわねえ」と困惑する優子さん。
「五ページ目と六ページ目が一枚の紙の表と裏というのが一般的ですが、中には変則的な本があるのかもしれませんね。でも、少なくともこの部屋に置いてある絵本の中にそういう本はなさそうです」
そのとき玄関ドアが開いて、さきづめ先生が食堂に入って来た。
「おーい、そろそろ朝飯を頼むよ」
「はーい」あわてて食堂に戻る俺と優子さん。
「やあ、藤野さん、おはよう」
「おはようございます」
「昨日は世話になったね。これから朝食かい?」
「はい」
「私はスタッフのみなさんに食事を持って行かないと」優子さんはそう言うと急いでさきづめ先生の朝食・・・ご飯、海苔、納豆、焼いた塩ジャケ、おみそ汁などをテーブルに並べ、同じメニューの数人分の朝食を載せたお盆を持ち上げた。
「隣の部屋に持って行かれるのですか?」
「ええ、そうなの。隣にスタッフ用の食堂があるから」
「じゃあ、手伝います」俺は先に玄関に出ると、お盆を持った優子さんが出られるようにドアを開けて支えた。
「助かるわ」
俺は廊下に出ると隣の部屋の玄関ドアを開け、優子さんを中に入れた。その後に俺もついて入って、食堂のテーブルの上にスタッフの食事を並べた。
「もう一回ね」一度に全員の食事を運べないので、再び自宅の食堂に戻って残りのスタッフの朝食を載せ、一緒に運び出した。さきづめ先生はのんびりと自分の朝食を摂っていた。
「ひとりだと二つの部屋のドアを開けてからお盆を運ばなきゃいけないから、本当に助かるわ」
スタッフ用の食堂に入ると、既に徹夜仕事を終えた雑賀さんや他の作画スタッフがテーブルに着いていた。
「やあ、藤野さん、昨夜はありがとう」とお礼を言う雑賀さん。
「お仕事お疲れ様でした」と言いながら、残りのスタッフの朝食をテーブル上に並べるのを手伝った。
「この女性は先生の秘書になるかもしれない藤野さんだ」と俺をスタッフに紹介する雑賀さん。
物珍しそうな目で俺を見上げ、「おはうっす」と挨拶にならない挨拶をする数人の男性スタッフたち。
「どうも」と俺も言って、優子さんと一緒にさきづめ先生の家に戻った。
「毎食準備されているのですか?」と優子さんに聞く。
「夕食と朝食だけよ。私が忙しいときは店屋物を取ることもあるけど、それだと栄養が偏っちゃうからね」と優子さん。
もし俺がさきプロの秘書になったら、こういう食事の世話もしないといけないだろうな、と思っていると、優子さんの二人の子ども、一郎ちゃんと妹の佳子ちゃんが目をこすりながら起きてきた。今日は日曜日だから、幼稚園はお休みのようだ。
「一郎、参観日のプリントを隠した絵本がどれか思い出した?」
「・・・わすれた」とあっさり答える一郎ちゃん。
「まだプリントを見つけてないのか」と他人事のように言いながら味噌汁をすするさきづめ先生。仕事で疲れているのだろう。
二人の子どもを子ども用の椅子に座らせ、朝食の準備をしながら、
「まさか、幼稚園の絵本に隠したんじゃないでしょうね?」と優子さんが聞いた。
「い〜え〜にかえってから〜だよ〜」とスプーンを持ってご飯を食べ始める一郎ちゃん。
「もう、しっかり思い出してよ」と愚痴ながら佳子ちゃんに食べさせる優子さん。
俺の朝食もテーブルの上に出してもらっていたので、席に着いてご飯茶碗と箸を取った。
「このおねえちゃん、だ〜れ〜?」と俺を見て聞く一郎ちゃん。
「パパのお仕事を手伝ってくれる人よ。ご挨拶しなさい」
「おはよ〜」「おあよっ」と挨拶してくれる一郎ちゃんと佳子ちゃん。
「おはよう。よろしくね」俺はそう言うと優子さんの方を向いて言った。
「ところで、五ページ目と六ページ目の間に紙を挟める本を思い出しました」
「あら、どの本かしら?」
「本屋さんで売っている本ではなく、自分で作った本です。大きい紙に絵や文字を描いて、それを折り畳んで冊子の体裁にするのです。こういう自家製の製本を折れ本と言うのですが、五ページ目と六ページ目の間で紙を山折りするので、間に紙などを挟むことができます。一郎ちゃんや佳子ちゃんが描いた絵を折り畳んで冊子のようにしたものはありませんでしたか?」
「そう言えば、主人が子どもたち用に作った絵本があったわね。・・・あれは確か絵を描いたケント紙を折り畳んでホッチキスで止めただけのものだったけど」
優子さんはそう言うとさきづめ先生の方を向いた。
「あなた、以前に子どもたちに絵本を作ってあげたわよね?確か題名は『スナイパーネズミのぼうけん』だったかしら?」
なんて題名だよ、とあきれていると、
「あ、ああ」とさきづめ先生が思い出したように言った。
「あれは一昨日だったか、雑誌の編集者が原稿を取りに来た際に雑談でこういう絵本を作ったことがあると言ったんだよ。そしたら興味を示して、『先生、少しだけ見せてくださいよ』と頼まれたんで、ここに取りに戻って編集者に見せたんだ」
「あなた、そのとき紙が挟まってなかった?」
「どうだったかな?紙が落ちた記憶はないが」
「まさかその絵本、編集者さんに渡してはないでしょうね?」
「いたく気に入って、『これは雑誌のカラーページにおまけとして掲載できる出来ですよ。編集長にかけ合ってみますので、これを借りていいですか?』と言われたな」
「まさかそのまま渡したんじゃないでしょうね?」
「いや、『それは子どもたち用に描いたから、持って行かれると困る』と言ったら、『一度編集長と相談します。編集長が見てみたいと言ったら貸してくださいね』と言って帰って行った。まだ仕事部屋にあるはずだ」
「お疲れのところ悪いけど、すぐに持って来てもらえないかしら」と優子さんが頼んだら、「やれやれ」と言いながらさきづめ先生は立ち上がって、仕事場に戻って行った。
しばらくしてさきづめ先生が自作の絵本を持ち帰って、優子さんに渡した。
俺が予想したようにその絵本は紙を折って綴じただけの作りで、五ページ目と六ページ目の間に折り畳んだガリ版刷りのプリントが入っていた。
「これだわ!」と叫んでプリントを広げてみる優子さん。
俺はその間にその絵本を手に取った。表紙には劇画家らしいタッチで描かれた渋い中年男性のようなネズミが描かれており、ライフルを構えている。ペン画だけでなくきれいに着色されていて、なかなか見応えのある作品だった。
子どもがこの絵本をつかむと紙にしわが寄ってしまいそうだが、割ときれいなままだった。子どもたちはこの絵本があまり気に召さなかったようだ。
ページをくくってみる。プロのスナイパーのネズミが敵対するネコを撃って排除するという内容だった。描かれているネコはどれも凶暴そうな顔つきで、かわいらしさはいっさいない。一郎ちゃんや佳子ちゃんが喜びそうな内容ではなかった。
「これは先生のファンにとっては垂涎の作品ですね。雑誌のカラーページに載せる価値がありますよ」と俺はさきづめ先生に言った。
「じゃあ、今度編集者に渡してみるかな」とまんざらでもなさそうなさきづめ先生。
「ところで優子、世話になった藤野さんにタクシーを呼んであげてくれ。代金は先払いで」
「わかったわ」と読み込んでいたプリントから顔を上げて優子さんが答えた。
「藤野さん、プリントを見つけてくれてほんとうに助かったわ」とお礼を言ってくれる優子さん。
「藤野さん、これは心ばかりのお礼だ」と言ってさきづめ先生が封筒を渡してきた。
「ありがとうございます」と素直に受け取る。
「じゃあ、俺は一眠りするから」と言ってさきづめ先生が立ち上がった。
すると朝食を食べ終えた一郎ちゃんと佳子ちゃんが椅子からずり降りて、さきづめ先生にまとわりついた。
「パパ、あそぼうよ」「パパ!」
「おいおい、困ったな」と言いながらさきづめ先生は嬉しそうに子ども部屋に入って行った。
その後、俺はスタッフの食器の後片づけを手伝った。優子さんは遠慮していたが、謝礼をもらったので、俺は手伝いを続けた。
そしてタクシーを呼んでもらい、最寄りの駅まで乗って行った。
今回も興味深い体験をしたが、劇画家に秘書が必要なのか、今ひとつわからない訪問だった。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
崎詰優子 劇画家さきづめはじめの妻。
さきづめはじめ(崎詰 肇) 有名な劇画家。
崎詰一郎 さきづめはじめの長男。五歳の幼稚園児。
雑賀良治 さきづめはじめプロダクション(さきプロ)の作画部門チーフ。
崎詰佳子 さきづめはじめの長女。三歳。
書誌情報
なかがわりえこ、 おおむらゆりこ/ぐりとぐら(福音館書店、1963年12月01日初版)
A・トルストイ/おおきなかぶ(福音館書店、1966年6月20日初版)




