六十八話 遺書めいたメモ(美知子の妖怪捕物帳・伍拾漆)
さきプロで夕食として出前のお寿司を取ってくれた。桶に入ったにぎり寿司だ。さきづめ先生、寒凪さん、雑賀さんとの四人で食べ始める。
三人はビールを飲みながらの夕食だった。俺はお酒を断ってお茶をもらった。三人はお酒を飲んだ後、また仕事をするのだろうか?
優子さんは俺たちの食事の準備をすませると、「後でまた来ますから」と断って同じ階にある自宅に戻って行った。子どもの世話をするためらしい。
「あまり遅くなっては何だから、食事の最中だけど、僕の相談に乗ってくれないか?」と寒凪さんが俺に言った。
「わかりました。どんなご相談なのでしょう?」
「知人から相談を受けた話なんだが、ある男性が自宅で死亡したんだ」
そう寒凪さんが言うとさきづめ先生が噴き出した。
「おい、おい、寿司を食っている最中に人が死んだ話か?」
「気になるなら食後にするが・・・誰か気になるか?」と俺たちを見回す寒凪さん。
さきづめ先生と雑賀さんは人が死ぬ場面を劇画の中でしょっちゅう描いているので、気にならないようだった。俺も、帰るのが遅くなり過ぎても困るので、
「私は大丈夫です。どうぞお話しください」と言った。
「それでは続きを話そう。その男性は自宅の自分の机に突っ伏して死亡していた。帰宅した小百合という名の妻が発見し、すぐに一一九番通報したんだが、生き返ることはなかった。机の上には空のコップが置いてあり、中にごく少量のウヰスキーが残っていた。警察が調べたところ、青酸カリが混ぜられていたことがわかったそうだ。さらに警察が捜査したところ、妻が最近浮気したために悩んでいたことを突き止めた」
「浮気されて絶望して自ら毒を飲んだのかい?」と聞くさきづめ先生。
「いや、相手の男が妻と一緒になるために、男性を毒殺したのかもしれないぞ」と雑賀さんが言った。
「死因に疑問点はなかったのですね?」と俺は聞いた。
「司法解剖をして、死因は青酸カリ中毒で間違いないそうだ」
「やっぱり自殺だな」とさきづめ先生。
「妻とは学生時代から交際を始めて恋愛結婚したので、警察も最初は妻の裏切りを悲しんで自殺したんじゃないかと考えたんだが、机の上にメモ用紙を見つけたんだ」と寒凪さん。
「メモ用紙ですか?」
「そう。そのメモ用紙には次のように書かれていたそうだ」
そう言って寒凪さんは手帳を取り出すと、俺たちに向かって読み上げた。
「誰かが玄関に入って来た。小百合か?
もう遅い。辛い現実に絶望して死を選ぼう。
いや、やはり、、、、、、、、、、、
前を向いて生きることができるか考えよう。
君の裏切りに心が張り裂けそうだが、
学生時代からの君との交際が脳裏に蘇る。
それが私に生きる力を与えた。
君との幸せな日々。
君と一緒に生きてゆこうと誓いをたてた
小百合へ」
「絶望していたのに、気を取り直して妻とやり直そうと考えたんだな。『いや、やはり』の後の読点の数から、深慮して結論を出した様子が伺えるぞ。・・・だとしたら、自殺する動機がないじゃないか!」とさきづめ先生が叫んだ。
「そう。最初は遺書かと思われたけど、内容はそうではなかったんだな。ここで気になるのが最初の一文の『誰かが玄関に入って来た。小百合か?』なんだ」
「一緒に生きようと思ったところに妻が帰ってきた。・・・まさか、妻がその男性を毒殺したのか?」と雑賀さん。
「そうかもしれないが、このメモを書いた時点では玄関に入って来たのが妻か確認していないように読める。だから妻以外の第三者が入って来て、男性を毒殺したのかもしれない」
「警察が関係者を徹底的に調べたんじゃないのか?」
「そうなんだが、男性が死んだ部屋に第三者がいた形跡はまったくなかった。発見者の妻を除いて」
「じゃあ、妻が犯人で決まりじゃないのかい?」とさきづめ先生。
「警察も妻が怪しいと考えてけっこう厳しく取り調べたみたいなんだが、妻は知らないの一点張りだった。浮気した相手とは一度限りの過ちで、夫に誠心誠意謝って許してもらったと言い張っていた」
「それでどうなったんだい?」
「浮気相手とは別れていたし、妻が青酸カリを入手した証拠はなかった。コップや、引き出しの中に入っていた青酸カリが入った瓶には男性の指紋しか着いていなかった。最終的に警察は自殺と判断して捜査を終えたんだ」
「このメモが残っていたのに自殺と考えたのかい?」と聞き返す雑賀さん。
「ああ。警察の結論では、自殺しようと考えて自ら青酸カリを飲んだ。そしてメモ帳に遺書を書いているうちに生き直そうと考えが変わったが、既にとき遅く、青酸カリ中毒で死んでしまったことになった」
「なんか釈然としないなあ」とさきづめ先生。
「青酸カリを飲んだのなら即死するから、メモを書いている余裕はなかったんじゃないか?」と雑賀さんも言った。
「それで疑問が残るので、藤野さんに納得できる説明を求めたわけか?」
「そうなんだ。藤野さん、このメモの存在をどう解釈する?そして男性は自殺したのか、それとも誰かに殺されたのか、教えてほしいんだ」
「メモの筆跡は死んだ男性のもので間違いなかったのですか?」と俺は結論を急がずに聞いた。
「そうだと妻が証言している」
「おいおい、犯人の可能性がある妻の証言を警察がまるまる信じたのかい?妻が偽証した可能性があるし、誰かが適当に男性の筆跡を真似て、妻が勘違いした可能性だってあるだろう?」
「それが実は、その男性にしか書けない内容だったんだ」と寒凪さん。
「なぜそう断言できるんだい?」と雑賀さんが聞いた。
「実はそのメモは、鏡文字で書かれていたんだ」と寒凪さんが言って俺たちは驚いた。
「鏡文字とは何だ?」と聞き返すさきづめ先生。
「文字を左右反転させて書く文字のことですよ。鏡に映すと普通に読めます。聞いた話ではルネッサンス期のイタリアで活躍した画家のレオナルド・ダ・ヴィンチも鏡文字で文章を書いていたそうです」と俺は言った。
「何のためにそんな面倒な真似を?」
「ダ・ヴィンチの場合は、秘密主義から暗号のつもりだったとか、単に左利きだったから鏡文字の方が書きやすかったからなどと考えられていますね」
「そう言えば歌人の石川啄木はローマ字で日記を書いていたな。ローマ字を読める人が少なかった時代なら、あれも暗号として通用するな」と雑賀さん。
「この男性の場合は?」
「それはわかりませんが、日記などを書いていたとしたら、その内容を他人に読まれたくなかったので、鏡文字を習得していたのかもしれませんね」
「他人が男性の遺書を偽造しようとしても、鏡文字なぞ普通の人にはすぐには書けないな。・・・予めそのメモを準備しておいて、男性が死んだ後で机の上に置いたんじゃないか?」とさきづめ先生が言った。
「そのメモにも、机の上にあったペンにも、男性の指紋しか着いていなかった」と寒凪さん。
「それを早く言ってくれよ。・・・しかしそうなると、他人が偽装した可能性はなさそうだな」
「このメモについてちょっと気になる点があります。先ほど手帳に書いてあった内容は、一言一句間違いないのですか?」と俺は聞いた。
「間違いないよ。そのメモを撮影した写真をもらっている。・・・ちょっと待ってくれ。取りに行って来る」
寒凪さんはそう言って自分の仕事場に写真を取りに行った。
「何が気になるんだい?」とさきづめ先生が俺に聞いた。
「ちょっとしたことなので、メモの写真を見てから説明します。ただの考え過ぎかもしれませんし」
そう答えてからお寿司をひとついただいた。話を聞いていて食べる暇がなかったからだ。さきづめ先生と雑賀さんもビールを飲みながらお寿司をつまんでいた。
寒凪さんはすぐに戻って来て俺に一枚の写真を見せた。さきづめ先生と雑賀さんも俺の後からのぞき込む。
「やっぱり縦書きだったのですね」と俺は言った。
「これは確かに鏡文字だな」とさきづめ先生。
「しかも滑らかに書いているようだ。これは鏡文字を書き慣れた人の筆跡だろう」と雑賀さんも言った。
「このままじゃ読めないから、手鏡を持って来た。これに映して読んでごらん」と俺に手鏡を手渡す寒凪さん。
俺は写真の横に手鏡を立ててのぞき込んだ。こうすることで普通に読める。そして書かれている文章は、寒凪さんの手帳に書かれていた内容とまったく同じだった。
★男性のメモ(左)と鏡に映したもの(右)
「なるほど、これでわかりました」と俺は言った。
「え?納得できる事実がわかったのかい?」と聞く寒凪さん。
「日本語を縦書きする場合、行を右から左へ書いていきますよね?だから鏡に映った文章を普通に読むと、『誰かが玄関に入って来た。小百合か?』の文から読み始めます。しかし鏡文字を書くときも行を右から左に書いていたとしたら?」
「『小百合へ』が一行目になる。・・・しかし、横書きだと文字を左から右に書くから、それと混同して行を左から書く人もたまにいるぞ」
「この鏡文字で書かれた文章を、『誰かが玄関に入って来た。小百合か?』から書き始めたのか、『小百合へ』から書き始めたのか、それがわかる根拠がここにあります」
俺はそう言って手帳に書かれた文章の最後から二行目『君と一緒に生きてゆこうと誓いをたてた』を指さした。
「この文章のどこでわかるんだい?」と聞く寒凪さん。
「『誓いをたてた』の後に句点、つまり『。』が書かれていません。この一文は『誓いをたてた』で終わっておらず、まだ文の途中なんですよ」
「え?『小百合へ』に続くのかい?」
「いいえ、『君との幸せな日々。』に続くのです。つまり、文字は鏡文字ですが、行は普通に右から左に書いていたのです」
「・・・と言うと、このメモは実際にはどうか書かれていたんだ?」
「読み上げます。
小百合へ
君と一緒に生きてゆこうと誓いをたてた君との幸せな日々。
それが私に生きる力を与えた。
学生時代からの君との交際が脳裏に蘇る。
君の裏切りに心が張り裂けそうだが、前を向いて生きることができるか考えよう。
いや、やはり、、、、、、、、、、もう遅い。辛い現実に絶望して死を選ぼう。
誰かが玄関に入って来た。小百合か?
となります」
「・・・そうだとすると、結局絶望して、自ら毒を飲んだんだな?」と寒凪さん。
「毒を飲む直前に妻が帰ってきたので、そのことを最後に書き添えたのかな?」とさきづめ先生。
「しかし妻の顔を見ることなく毒をあおったのか・・・」
「この順に読むと、このメモが遺書だと納得してしまうね」と雑賀さんも言った。
「結局、警察の結論で間違いなかったわけか」と寒凪さん。
「この話を教えてくれた知人に説明しておくよ。・・・劇画のネタにもなるかな?」
そのとき優子さんが戻って来て、一緒に飲食を始めた。それから俺は食事を続けながら劇画家生活の苦労話をおもしろおかしく聞かせてもらった。
話が弾むうちに夜十一時をまわった。
「遅くなったわね。藤野さん、うちで泊まっていきなさいよ」と優子さんが言ってくれる。
「是非そうしてくれ、藤野さん」とさきづめ先生も言った。
「僕たちはこれから締め切りが迫っている仕事を続けるから、気兼ねなく泊まっていってくれ」
「は、はあ・・・」今頃帰っても下宿には入れないかもしれない。朝帰りになってしまうが、そのことは明日みんなに弁明しよう。
「それではよろしくお願いします」と俺は優子さんに頭を下げた。
さきづめ先生の自宅に移り、お風呂をいただいて、客間に敷かれた布団に入った。
先生たちは酔っても仕事ができるのかな?と思いながら眠りについた。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
さきづめはじめ(崎詰 肇) 有名な劇画家。さきづめはじめプロダクション(さきプロ)の代表者。
寒凪春夫 さきプロの脚本部門チーフ。
雑賀良治 さきプロの作画部門チーフ。
崎詰優子 さきづめはじめの妻。




