煙草
3 「もう一人の女」
英子は会場のはずれにある喫煙スペースを探した。ここ数年の出来事ですっかりニコチン中毒者になってしまった英子は、'喫煙所嗅覚'が鋭くなっている。
買い物するにも、職を探すにも、食事をするにもまずタバコが吸えるところを探すのだ。
喫煙所が見つからないと、英子のイライラは最高潮に達し、その日1日は大抵うまくいかない。完全な依存症である。ヴァージニアタバコの箱をスーツのポケットの中で握りしめながら、英子は早足で喫煙所を探した。
喫煙所は会場を大きく外れ、男性用化粧室の目の前にあった。ドアを開けると握っていたタバコの箱から一本取り出した
カチリ
ライターが音を立て、英子は細くて長いタバコに一服つけた。即効性のあるタバコの煙の覚醒作用により、依存症の症状が一気に解消される。英子は天を仰いで煙をふぅっと大きく吐いた。見ると天井はタバコのヤニでまっ茶色である。
「哀れなものね、英子さん」
聞き覚えのある声の方を振り向くと、見覚えのある女、絵美が腕を組んで立っていた。左手には長いタバコが紫煙を燻らせている。
「絵美、あんただって、吸ってるじゃないの」
「あなたみたいにいかにも中毒患者のような’ヤニ切れ’みたいな吸い方はしないわ、それにパーティやお酒の席で吸うだけだもの、常習はしていないの。私のような職業をしているとタバコが有利なツールとして働くのはわかるわよね」
「なによ、タバコにそんないっぱしのライフスタイルのような正当性なんて、今時はないわよ、飲酒運転と同じ、ちょっとでものんだら、みんな同類のダメ人間なのよ」
「あらそう、でも私は、そんな一般論の話をしているわけではないわ、生き方の話をしているのよ」
「わかったわかったわよ、どうせわたしは根性の腐った過去に生きる女だわよ」
「ひらきなおったわね」
「ひらきなおりもするわ、ここまで落ちればね。唯一の生きる拠り所だった仕事を失ったら自分がこんなにも弱かったという事をここ数年で嫌という程思い知ったわ」
「そうね、大事な拠り所を亡くした時、落胆し、人は弱ってしまうか、それともおかしくなってしまうか、それとも新たな拠り所を見つけるか、それは人それぞれね」
「あなたはおかしくなる方を選んだというわけね」
「ククク、そうよ、そうなのクククって、何を言わすの、あなたは」
出会った時から、この女はどこかおかしいと思っていた。突拍子もない事を論理立てて説明し、あたかも当然そうであるかのようにこっちを説得してくるのだ。後から考えると何の意味もなかった。
そうだ、こんな意味のない関係を終わらすところから始めなければ。
英子は残りのタバコを灰皿に全部捨て、ライターもゴミ箱に放り投げた。
「絵美、明日のお昼、以前集まった自由が丘のカフェに来てくれるかしら、今後のことについて話したいのよ」
「わたしが何か関係することなのかしら」
「大いに関係するわ、というか今までの関係も話してもらうわよ」
「一体なんのことかしら?」
「とぼけないで、あなたがわたしの提供しているネタで私腹を肥やしていることはとっくにわかっているのよ。今までのように、私が無償で情報を提供するなんて思わないことね」
「わたしのアドバイスを聞きいいれたってことかしら、あなた、何かを始める気なのね」
「そうね、さしあたってはいままでの関係の清算ってところからかしら」
「独り占めは許さないわよ、あの男はみんなのもの」
「ふふふん、どうかしらね、あなたはいままでそうしてきたと言えるのかしら」
英子はハッタリをかけた。絵美が何をしてきたのか、正直何も知らないのだ。絵美は黙っている。よくある揺さぶりをかけることにした。卒業と同時に英会話教材を買わせようとするセールスと同じである。
「ちなみに…、さよりは全て吐いたわよ…わたしの提供していたネタを全て自分の調べたことにして、私腹を肥やしていたとね、あの子泣いて私にすがってきたわ、お腹の赤ちゃんまで持ち出してね」
「わ、わたしはそんなことしていないわ」
「それを証明できるなら、明日、一人で自由が丘のカフェへ来てちょうだい。時間はこちらから指定するわ」
「私が行くっていう保証はないわよ」
「いえ、あなたは来るはずよ、なにせサブローさんも一緒なのだから。あなた、最近は彼にどんなお仕事を依頼していたのかしら。彼のことだもの、以前のように全部記録を取っていることでしょうね」
「あッ、あッ、あ〜」
ひっかかった。
英子内心そう思うと、急いで踵を返し、煙が充満した喫煙室を後にした。




