2. 名前の似ているふたり
最初から、あまり行く気はなかった。
店の名前もよく覚えていない。
誰かの知り合いの、そのまた知り合いが声をかけて、人数を合わせるために呼ばれただけの食事会。
いわゆる合コン、と言ってしまえばそれまでだった。
仕事終わりのスーツのまま、少しだけ遅れて店に入ると、もうほとんどの席は埋まっていた。
笑い声が先に聞こえて、軽く息を整えてから中に入る。
「ごめん、遅れた」
誰に向けたのかも曖昧な一言を置くと、空いている席に案内される。
テーブルを囲む顔ぶれをざっと見て、たぶん誰のことも覚えないだろうな、と思った。
会話は途切れないし、雰囲気も悪くない。
でも、どこかで“自分の時間ではない”感じがずっとあった。
グラスの氷が音を立てるたびに、時間がゆっくり進んでいる気がした。
正面に座っていた女の子が、何かを話している。
よく笑う人だな、と思った。
それくらいの印象で、特別な何かはなかった。
名前も、そのときはちゃんと聞いていなかったと思う。
***
気がつくと、会は終わっていた。
「じゃあ、また」
誰かがそう言って、店の外に流れ出る。
冬の空気が少しだけ冷たくて、ようやく現実に戻った気がした。
そのまま駅に向かう人たちと、なんとなく歩き出す。
途中で何人かは別の方向へ曲がっていって、気づけば二人だけになっていた。
さっき正面に座っていた女の子だった。
少しだけ気まずい沈黙が流れる。
同じ方向なんだ、とお互い思っているのが、なんとなくわかる。
先に口を開いたのは、向こうだった。
「駅、こっちですよね」
「あ、うん。たぶん」
曖昧な返事をして、また少し歩く。
信号で立ち止まったとき、横に並んだ。
そのとき初めて、ちゃんと顔を見た気がする。
さっきよりも静かで、笑っていない分、少しだけ違って見えた。
「さっき、あんまり食べてなかったですよね」
突然言われて、少しだけ驚く。
「そうだっけ」
「うん。なんか、グラスばっかり減ってた」
言われてみれば、そんな気もした。
「そっちもあんまり食べてなかったよね」
「そうなんですよ。ああいうの、ちょっと苦手で」
少しだけ笑う。
信号が青に変わる。
また歩き出す。
そのまま駅に向かう流れだったはずなのに、どちらからともなく足が止まった。
「どこか、もう一軒行きます?」
自分で言ってから、少しだけ不思議に思った。
すぐに帰るつもりだったのに。
「いいですね」
間を置かずに返ってきた。
その自然さに、少しだけ救われる。
***
近くの小さな店に入った。
さっきの店よりも静かで、照明も落ち着いている。
二人だけで向かい合って座ると、さっきまでの空気とはまるで違った。
「ちゃんと話すの、初めてですね」
向こうがそう言って、メニューを閉じる。
「確かに」
「名前、なんでしたっけ」
少しだけ考えてから、瑞希は答える。
「瑞希」
「みずき?」
「うん」
「え、同じだ」
一瞬、何のことかわからなかった。
「私、充希。みつき」
そう言って、スマホに漢字を打って見せてくる。
瑞希はそれを見て、少しだけ笑った。
「ほんとだ。ほぼ一緒じゃん」
「一字違い」
「珍しいね」
「ですね」
それだけのことなのに、少しだけ距離が縮まった気がした。
さっきまでの気まずさは、もうなかった。
話してみると、思っていたよりもずっと普通だった。
変に気を使うこともなくて、
無理に盛り上げようともしなくていい。
言葉の間が、ちょうどよかった。
何を話したかは、あまり覚えていない。
仕事のこととか、地元の話とか、
どうでもいいことばかりだった気がする。
でも、そのどうでもよさが、ちょうどよかった。
気づけば、時間が過ぎていた。
「そろそろ帰りますか」
充希がそう言って、グラスを空にする。
「そうだね」
店を出ると、さっきよりも少しだけ夜が深くなっていた。
同じ方向へ、また歩く。
さっきと違うのは、沈黙が気まずくなかったこと。
「なんか、楽でした」
ぽつりと充希が言う。
「うん、わかる」
瑞希も同じことを思っていた。
それ以上の言葉はなかった。
駅の入り口で、自然に足が止まる。
「じゃあ、また」
充希がそう言う。
「うん、また」
軽く手を振って、それぞれ改札へ向かう。
振り返ることはなかった。
ただ、名前だけは、はっきりと残っていた。
瑞希と、充希。
たぶんそのときは、それ以上の意味はなかった。




