第96話 ナラティブ
予定よりもずっと早く使者が戻った。
「何か不測の事態が発生して河晏国に入れなかったのでは?」
訝しんだ者は、そのような推考を持った。
漣国の閣僚級の面面が揃った中、帰参した使者の男は開口一番に言った。
「汐径は、南海の国々を牛耳るつもりのようです」
列席の彼らは一様に解せぬといった表情を浮かべたが、続く河晏の議会でのやり取りを聞いて、その顔は焦ったように変様した。男の言葉が妄想の類いとは異なる、一定の理を持った真実味のある話として受け取られたからだ。
それぞれに口を開く──。
「侵攻している酉国軍を賊の集団に置き換えるとは、これは巧みな言い換えよ」
「確かに講和や、戦後を考えれば、落としどころとしてあり得ます。責任の大概を賊に押しつける形ですが、そうでなければ、酉を滅ぼすしかなくなりそうでもあります」
「滅ぼせば、汐径の言うとおり、本物の賊の巣窟になりかねませんね」
「しかし八角はどう思うであろうか? 国土を蹂躙されて、あれは賊の仕業だったので水に流せと言われるようなものだ」
「でも実際問題、どこかで手打ちにするしかありませんよ」
「八角は不満かも知れないが、その意趣は筋書きの主である汐径が受け持てばよかろう。そうなれば、かの国が南の国々を牛耳るなんて事にはなるまい」
「そうです。面倒事を引き受けてくれると思えば良いのです」
「しかし、汐径が上手く事を収めれば、本当に南海の盟主となりますよ」
「それは皮算用に過ぎん」
漣国としては、汐径が作ろうとしている物語、それ自体は悪くなかった。
それどころか、壊れてしまったような酉国を、元の正常に戻すには『膿を出す』という外科的処置を以てしか為し得ないとさえ思える。
これはたぶん、酉国は勿論、八角、そして漣にとっても有益なはずだ。
一方、使者の男が言ったように、汐径国が外交的、経済的な影響力を強める向きも、確かにあり得る話で、こちらはあまり宜しくない印象を持った。
漣を大国たらしめてるのは経済力であり、同じ経済圏に比肩する力を持つ国が生じることの結果が、どのように自分たちに影響するか未知数であるためだ。
大国の地位を脅かされるようで、名状しがたい不安感を禁じ得なかった。
「要は、汐径の力が大きくなり過ぎなければ良いのだろう?」
「それはそうですが──、このままゆくと『増すな』というのが無理な話ではないですか。河晏には我が国より先に動いたと思われますし、既に影響力はかなりのものかと」
「影響力が増したとしても実力が伴わなければ、やがては失速する──」
「ん? どういう意味でしょう?」
「列国を取り仕切るなんてことは、自国に余裕、余力がなければ出来はしない。ならば汐径から、それらゆとりを奪ってしまえばいいのだ」
「ふむ──。では、後翼にでも働きかけてみるか?」
「いや、辛国との共闘が崩れたのだ。後翼は動かんだろうよ。単独でやれるほど、汐径は甘い相手ではないさ」
「後翼なら、東の大時代にも伝手があるだろう。二正面でどうか」
「前にそれでしくじったばかりですよ。流石に同じことを繰り返しませんよ」
「待って下さい──、では搦め手でどうです。汐径の中央軍はおよそ四千。その内、千五百を遠征に出す予定ですが、こちらから要望を出し二千に増やすのです」
「兵糧は此方で用意するからと約束すれば、動く公算は高いな。むしろ、この件での存在感を高めることにもつながるから、向こうとしても渡りに船かもしれない」
「なるほど──。残った兵は二千と地方軍。後翼と大時代が合わせて三千ほど動員すれば、汐径もタダでは済むまい」
「どうでしょう・・ 大時代たちが勝ちすぎるのではありませんか?」
「そうなる前に汐径軍には帰還いただくのです。『あとは我ら漣にお任せあれ』といった風に新たな物語を作れば、汐径が得るはずだった存在感は、そのまままるっと我が国のものとなります」
「確かに──。その頃には追加の派兵の準備も出来そうですね」
結論、漣国の上層は『団匪の蛮行』という筋書きに乗ると同時に、八角の不満の矛先は汐径に向かうように仕向け、尚且つ、非公式なルートから汐径に対する軍事圧力を掛けることを決定した。
「──って事になったのよ~」
林嘉が会議でのことを話した。
「それでお姉様は、何と発言されたのかしら?」
「え? 黙って聞いてたけど」
「意見は無かったと?」
「だって~。協力してくれる国に後ろから射掛けようみたいな話なんだよ。そんなのに関わり合いたくないもの」
「なるほど──。なら、今度からは私は関わりませんって顔をしておけば宜しいわ」
林席は、そう姉に助言した。
「それはたぶん大丈夫。だって、ずっと下向いていたから」
「それはそれで、筆頭後嗣としてどうなのかしらと思えます」
林嘉の言葉に、林席は呆れで返した。
漣国には太子の位はない。
継承権が、基本的に生まれた順に番号を振ってあるだけだ。そしてそのときになれば、順番通りに即位することになる。
林嘉は、その継承順位第一位。対外的には太子相当の立場となる人物だ。
「それにしても、大時代などという言い方は感心しませんね」
「ねー。ちゃんと東錬国って言わないと」
「いえ──、ちゃんとなら錬です。我が国と被るから他の国々は西漣、東錬と区別している話ですよ。尤も、私たちから見ても東なので、東錬で問題ないと思います」
「こまかいな~」
軽く返す林嘉に。
「筆頭後嗣として、その部分は訂正してほしかったと思います」
林席はやや低めのトーンで言った。
「わざわざ、そこまでする必要あるの?」
「東錬は未だ旧来の貴族社会を維持する国。故に古臭く見て、我が国の者は侮りがちではないかしら? しかし各国が中央集権化を進めても、その流れに抗い、今日まで大国として東の地で存在感を持っているのは、確固たる実力があるからに他ならないわ」
「まぁ、そうかな」
「漣は先進国ではあるけれど、先を歩いているが故に、思わぬ落とし穴に陥る可能性も常にあるのではないかしら? 特に、王族の立場は東錬に比べれば弱く、少しの掛け違いで、その存在が消えてしまう虞もあるのではと思うわ」
「それと東錬の名前と、どう関係するの?」
「王位や血統というものは、それこそ歴史の結晶のようなもの。東錬の伝統を大時代と嗤う国が、果たして、同じく積み重ねた王制を継続できるのかしら? 漣は、新しい物を生み出して来たけれど、同時に失ってしまった文化も多いのよ。次になくなるのが、私たち王族でないと、どうして言い切れるかしら」
「つまり、伝統を軽んじる風潮は良くないって事ね」
林嘉は林席の言わんとする旨を弁えた。
「はい──。ご明察です」
林席は穏やかに言った。
彼女から見て姉の林嘉は、理屈で考えるタイプではなかったが、説明すれば打てば響くような反応を示す。自分とは趣が異なるが、知性のある人だと、林席は姉を見ていた。
「それはそうと──。汐径の軍神が『膿を出す』のを考えたというけど。そんな人がいるのに、罠に嵌めるような事が成立するかな?」
林嘉は妹に問うた。
「まず、軍神云々はどうでもいい事です。誰が考えたとか誰がやったとか、そこは問題ではありません。わたくしは、これもある種の物語だと見ています。汐径側の演出ではないかしら」
「ふむふむ・・」
「その上で、汐径の判断と決定には違いないという事が重要です。これもまた漣の悪いところですが、経済の物差しだけで国力を測りがちです。汐径は斯様にして知恵が回り、これまで幾度も侵略を退けてきた強靱さも持ち合わせています。誰かが皮算用と言ったみたいだけど、自分たちがやってることもまた、皮算用だと知るべきではないかしら。それも後翼や東錬を当てにした、極めて勝手な他力本願を根っこにしてるのが、タチが悪いわ」
林席は朗朗と言葉にした。
「そうだよね。後翼が動かなかったら、兵糧分、損しちゃうよね」
林嘉は話をあわせて言うが。
「まぁ──、少なくとも後翼は動くでしょう」
「え? どうして?」
「汐径の力が増すのは、かの国としても黙過できないわ。それに皮肉な話だけど──。友好関係を崩してまで戦端を開いたのに、このままゆけば、関係を続けていた方が良かったなんて現実、受け入れがたいものじゃないかしら」
「ふむ──。三国じゃなくて四国協約とかの物語も、あり得たということね」
「はい──」
「それで結局、上手く行くと思う?」
「結果は、それこそ神憑りでもなければわかりません。そもそも、お姉様は関与しないつもりなのではなかったかしら?」
「漣にとって良くない結末は嫌でしょ」
「勿論です。なら、失敗したときのために準備をされたら如何かしら」
「汐径が影響力を増す、増した後の関係性ってことだね」
「まさしく──」
汐径が存在感を高めても、漣としては損をしない位置取り、もしくは却って得をするような展開に持って行く。そういう外交戦略が出来れば理想的である。
林席はふと思った。
──彼女は、どうするかしら?
軍神という看板を背負うことになった鮑謖少佐。汐径が、彼女をどう使ってくるかも、林席には気になった。
「どちらにしても大変そうね・・」
遠征に参加しても、国に残っても、鮑謖にとっては厳しい展開ではないかと予想した。
「ふむむ・・ むずかしいよね」
林嘉は汐径との事をあれこれ考えてるようだ。林席の独り言を、相槌か何かと思ったのかも知れない。
──この人は、何を言ってるのかしら。
心の声に反応など出来るはずもないのに、おかしな勘違いをする姉を、林席は微笑ましく見守った。




