第95話 自問自答
「来ちゃったか・・」
徐厥准将からの特別遊撃隊への出撃指令書に目を通し、鮑謖はつぶやいた。
「来るとは思ったけど、よりにもよって准将からか・・」
鮑謖はがっくりとした。
章昆から聞いた話がすぐさま伝わり、六臣会の場にて大いに話し合われ、後に、酉国で発生した団匪による八角国への蛮行として正式に認知された。
酉軍の八角への侵攻を、賊の蛮行と言い換えるレトリックであったが、どういう訳か? いつの間にか、鮑謖の考えが反映されたことになっていた。
無論、鮑謖に心当たりはないが、話を拾ってきたのが彼女であったため斯様な誤解が生じたのかと推測した。
ともあれ。軍の方では、八角国へ遠征があるという前提で準備が始まっていた。
鮑謖は関わった手前、遠征への参加が来ることは予見していた。けれどもそれは、あくまで要請という形だろうと思っていた。
特別遊撃隊は准将直下であるため、大佐以下の命令は届かず、半ば独立した権限として機能している──。
先の東錬報復戦への参戦も要請であったことから、此度も同じような形を取るのだろうと、鮑謖は高を括っていた。そして今回、彼女は、その独立性を利用して堂々と参戦を辞退しようと目論んでいた。
しかし実際は准将からの命令であったから、鮑謖には拒否権がなく、彼女の思惑は物の見事に外れてしまったのだ。
鮑謖が勝手にダメージを受けていると、恂門に行っていた成嬰が報告に来た。
普段、一緒くたにされているが、鮑謖は現在、特別遊撃隊の隊長であり、砦の守備隊としての隊長は成嬰が務めている。
書類上の話になるが──。准将の地方軍を動かせる権限の一部を、鮑謖の裁量で砦に適用したのが特別遊撃隊の姿である。
よって、従来ある守備隊の隊長としての仕事は、基本的に成嬰が担当している。
砦は恂門の軍営の管轄になり、定例の報告等は元より、何かで呼び出されて向かうなんていうこともある。今や、それらを熟すのも成嬰である。
「──以上、特に変わった事はありませんでしたが、中佐は、遊撃隊が遠征に参加するのかどうか気にされておられました・・」
成嬰が言った。中佐とは恂門の指揮官のことだ。
「あー、とね。指令書が来て行くことになった」
「そうでしたか。では、準備に掛かります。人数はどうされます?」
鮑謖の言に、成嬰は小気味良く続けたが──。
「いや、今回は私一人で行くよ」
慮外な返答に彼は固まった。
無論それは仕組みとしては可能であるが、実行しうるかは不可能に近い。よしんばやったとして、果たして鮑謖は、立場という意味で無事で済むのかという問題もある。
成嬰の当惑を見て。
「私の事は心配いらないよ。成嬰少尉以下、砦の皆には、本来の役目である、守備隊としての任務に集中してほしい」
鮑謖は鷹揚に言葉にした。
鮑謖は独り内観する。彼女としては・・
──遠征は本営の仕事でしょ。
という思いがある。
尤も、命令であればやらねばならぬが、辛国へは砦への侵攻に対する報復であったし、東錬へは行動の独立性が担保されたことや、董本の事も薄らあったかも知れない。鮑謖にとって不本意でも、不本意なりに納得があった。
だが今度は少し毛色が違う。
遠征先は、砦とは何の関わり合いもない西の国である。
鮑謖は命令は勿論、自身が切っ掛けの話であるから致し方ないと思えるが、砦の隊員たちの事となると、自分のせいで巻き込んでしまったような感慨を持った。
それは鮑謖をして、少し腹立たしい話でもあった。
鮑謖の見るところ砦の兵は優秀だ。
成嬰や仞操など突出した存在だろうし、袁望のような特技を持つ者だったり、崔弱、先越も仕事ができる。そこまで及ばずとも、皆まじめで向上心も高い。
──素朴なんだと思う。
敵対した者にさえ哀悼を以て応える健気なる人々。やや打算的な自覚を持つ鮑謖には、眩しい存在でもあった。
だからこそか?
──流石に今回は頼れない。
いつも丸投げ、お任せしてるくせに、どうしてか此度は躊躇いが生じる。この矛盾めいた感覚は何なのか?
不納得があるのはそうなのだが、それ以上に、何か感情的な苛立ちを覚える。
「いいように使って・・」
声に出してみた鮑謖だったが──。果てして、誰の事を言っているのか?
徐厥准将に対しての不満の音だったか、それとも、自分が砦の隊員たちに対してやっていることなのか、鮑謖自身でもわからなくなった。
「あー。そういう事かな?」
鮑謖が徐厥に対して抱く不平は、そのまま自分自身への叱責に連想変換される。徐厥が、鮑謖を利用しようとするように、鮑謖も隊員たちを利用する。それを咎める心理が生まれる。
元よりそれは組織、上下の理かも知れないが──。
「うん。割り切れないね・・」
鮑謖は弱く首を振って言った。
鮑謖は徐厥を良く思っていないが、ともすれば自分も同じではという思いが、珍しく彼女の神経を逆撫でたのかも知れない。
畢竟、鮑謖は自身の判断、その動機の根幹を悟った。
鮑謖は立ち上がり、千鈞の杖を持って、部屋の中央で一振りした。
ブゥン──。と鈍い音が鳴って、ドアがガタッと揺れた。
「立て付けが悪いのかな?」
言うと鮑謖はそのまま部屋を出て、外に赴いた。
──ひさしぶりに稽古でもするか・・
鮑謖は己が内の屈託を、汗と共に流すことにした。




