第97話 情実
王都本営の会議室に鮑謖は呼び出された──。
列席者は将軍以下、汐径軍上層の御歴歴が揃い踏みであった。
「さて──。鮑謖少佐、貴方は今回、団匪討伐の遠征に参加するために王都へ来たはずです。しかし、特別遊撃隊の兵は貴方一人だけです。これはどのような理由によるものか、説明してもらえますか」
徐厥准将が問うた。彼女は鮑謖に参戦の指令を送った張本人である。
「はっ──。遊撃隊は、その実、砦の守備隊です。此度の遠征の意味は承知するところですが、今回は北部の防衛戦力として残すべきだと判断いたしました」
鮑謖は軍人の音で、きびきびと答えた。
聞いた鮑謖のことを知る幾人かは、これに強い違和感を覚えた。
──いつになく真剣な受け答えだ。
──こんな喋りは初めてだ。
──どうしたタマ子!?
普段の彼女であれば「あー」とか「えー」とか言いながら、よくわからない事をぼやけた感じで語るのに、今日に限ってはどうしたことか? いつもの奇人を相手にしているようなところはなく、至って普通の軍人のように思える。
また、真面目な雰囲気は良いことのはずなのに、この怖めず臆せずの感じが、ややもすると、鮑謖の不機嫌さを表しているようにも見えて、日頃の鷹揚さとのギャップに、何か深刻な事態が控えているかのような印象を持った。
この認識は徐厥も同じだったようで。
「辛とは三国協約があります。それでも、砦の兵は割けないと?」
念押しのように問う。
「勿論です。守備隊の仕事は辛国に対処するだけではありません」
鮑謖は言い切った。
──辛だけではないか・・
──北に戦力を残すからには・・
──タマ子めっ。後翼が動くと見ているのか!
列席者の中に、鮑謖の真意は、後翼の侵攻に対する備えであるとの推断が生まれた。
「なるほど──。では北の他に、東の動きについてはどうですか?」
ここで鮑謖は考えるようにした──。
──ひがし?
鮑謖が関係している東の事といえば、梟の豪商、羊達と、章昆の取引の話ぐらいだ。動きとは、即ち、売買のやり取りが上手く行ったかどうかを尋ねているのだろう。
──まだ話が通った段階だし、取引はこれからだよね。
鮑謖は状況を考えて。
「特に連絡は受けていませんし、動きはないかと。あっても小規模かと思われます」
と、推測を語った。
「そうですか──、よくわかりました。参考にします」
徐厥は言い、武南将軍と何か小さくやり取りしてから。
「それで話を戻しますが──。少佐一人では、もう遊撃隊として機能しません。こちらも渡りに船のような形ですが、実は追加で五百の増員をすることになりました。貴方には、そちらの軍を任せようと思いますが、どうですか」
鮑謖に有無を問うた。
──五百!?
──無理無理無理!
──ほんと、この人は押しつけてくるなぁ。
この遠征への参加もさることながら、溯って辛国攻めや、准将直下の特別遊撃隊の設立、三国協約での護衛、加えて余興の返答に至るまで・・
鮑謖からしたら何彼につけ門外漢の仕事を、その准将という立場から強引に振ってくる、のっぴきならない相手が徐厥だった。
鮑謖が今回砦の兵を連れてこなかったのには、彼らの本分を大きく超えた仕事に対する拒否であり、抗議でもあるが──。同時に、それを指示した徐厥に対する、意趣返しの意味合いがあったのではないか?
鮑謖本人には、おそらく自覚はない。
さりとて、会議室に出頭した彼女は、胸裏に静かな怒りを抱えていた。
事情を説明し、話が逸れた事で、その感情は本人を含めて、誰にも気付かれないまま消える流れであった。
しかし今再び、無茶ぶりとも思える軍の割り振りに、鮑謖の憤りは発作的に声を上げさせた。
「五百は必要ありません!」
鮑謖は、一同が驚くほどの励声を発していた。
それは思わず出そうだった「いらない」という言葉を、咄嗟に何とか丁寧に言おうと取り繕った結果だったが、その声量と真剣な眼差しが相俟って。
──増員は危険ということか!?
軍上層は鮑謖の言葉をそのように捉えた。
しばしの沈黙のあと。
「少佐の意見はわかった。貴君の役割に関しては、追って指示を出そう」
将軍の武南が言って話は終わり。
「失礼いたします」
鮑謖は会議室を後にした。
「よもや──、鮑謖少佐が、これほどの道破をするとは思わなんだ」
阜漫の言葉に。
「私も長く彼女を知るが、知らぬ側面であった」
姜彧も矛盾するかのような同意を示した。
「果たせる哉、彼女の目は東錬の内部にもあるようですね」
「それもそうだが、タマ子は五百を後翼に充てた方がいいと考えてるようだ。だが、どうする? 西漣は糧食を用意するとまで言ってきて、もう返事は向こうに着いちまってる。儂なら文句を言われても『うるせぇ』で片付けるが、准将、あんたならそういう訳にもいくまい」
八角への遠征は、徐厥が率いることになっている。剛会は、徐厥の立場の重さから、西漣軍との関係が拗れはしないかと危ぶんだ。
「確かに──、大佐の言うことも一理あります。ここは早々に訂正と謝罪の使者を・・」
徐厥の言い掛けを遮るように。
「待て。遠征軍は、額面二千として向かう」
武南が断案を下す。
皆は将軍の決定、その事由を待った。
「これは全軍を預かる者としての勘だが──、後翼が動くとしたら、そこに西漣の関与があると見るべきだ」
──!!
武南の発言に響めきが起きる。
「おおっ、これはしかり。五百の増員要望が、此方の戦力を減らし後翼が攻めやすい状態を作り出す策だとすれば、まことぴったり嵌まる話です」
孫能は感嘆の音で言った。
武南は軽く頷くと。
「皆も承知するよう、酉軍を賊とする方便は、この上ない妙手であろう。私が耳にしたとき思ったのは、これが上手くゆけば、汐径の国家としての威信は大いに飛躍するだろうという事だ」
彼は続ける。
「その期待は、西漣にとっては不安という形で認識された。彼らは考えたはずだ。世界に冠たる大国の地位が、脅かされるのではないかと──」
めいめいが頷きを示す。
それを見て武南は語りを終えた。最早、皆まで言うまでもないと判断した。
汐径軍は鮑謖の考えを汲み、後翼軍が動くという前提に則して差配を行った。
遠征軍は二千という体の千五百。
本営二千五百は北からの侵攻に準備する。
東錬に関しては、武南将軍自らが動くことで、地方軍を動員しての防衛を行う手筈だ。
鮑謖の情緒の揺れが不思議な齟齬を生み出し、またぞろ誤解の歯車は回り出した。




