第98話 念頭
「なぜ通した?」
臧勤は困惑を息子に向けた。
「話を聞くぐらいなら損はないだろ・・」
臧超は、ばつの悪いといった顔をしながら返した。父からは誰も通すなと言われていたが、臧超は現役の軍人だ。相手が上官では、さしもの彼も分が悪かった。
臧勤は一度大きく息を吐くと。
「まぁいい──、突っ立ってないで座ったらどうだ、大佐」
「では、遠慮なく」
言って腰を下ろしたのは雁去病だ。
「ひさしぶりの会話を楽しみたいところですが、まずは用向きだけ伝えさせていただく」
「ふんッ──。早く話せ」
雁去病の言葉に、臧勤はわかり易く不機嫌を演じた。
「遙か南西の酉国が八角国に侵攻した」
「ほう・・ 何年か前に竹林が枯れてから民が狂ったと聞いたが、とうとう国ごと狂ったか」
立場を失った臧勤は、最早、憚る必要もないのか、毒のある音を吐いた。
雁去病は拾わず、話を続ける。
「その酉の軍勢が八角を圧倒、南半分は既に蹂躙され、北部の首都に迫らんとしている。そこで八角は助けを求め、西漣が主導し、河晏、汐径を巻き込んで奪還の軍を出すことになった」
ここまで言ったとき。
「なるほど──、私に東錬への繋ぎをやらせたいのか」
臧勤は結論を先出しした。そして──。
「無理な話だ」
「だろうな」
今度は雁去病が臧勤の言葉の先に、理解を示した。
彼としても無理筋なのは承知だが、元准将の臧勤へ話を持って行くのに、中途半端な者では失敬にあたるというので、大佐である雁去病が向かう事になってしまったのだ。
これで話は終わるかに思われたが──。
「前の『假道の計』の情報でも伝えられていたら、また違ったかも知れぬがな・・」
臧勤は言葉を続けた。
東錬は汐径の報復で手痛いダメージを受けた。その主たる原因は梟国の協力で、別働隊が東錬軍の背後を取った事が、戦の優劣を決定づけた。
假道の計は、董公の乱に対する策略であるが、文字通り『道を借りる』の意味で、東錬への攻撃を含めてそう呼ばれていた。
臧勤の言は、假道の計を知っていたら東錬が大敗することもなかった事と、それを伝達できていれば、信用と貸しを作ることが出来たという仮定である。
「臧勤殿も色々あり、汐径で情報を集める余裕もなかっただろう」
丁度、臧勤の引退とそれに纏わるあれこれで、彼には心身ともにゆとりはなかった。
「利いた風なことを──」
「ハハッ──。これは失礼した」
雁去病は臧勤の睨みを笑声で返す。
「それで、お前のことだ。ただの伝言役では終わらないだろう?」
臧勤は笑いにつられず、じっと雁去病を見据えて言った。
「まぁ、会話を続けるネタとして、東錬が動くという噂を流すことは可能か?」
雁去病は調子を変えずに問うた。
「可能だが、それは同時に、汐径の者に後翼が動く可能性を想像させるぞ」
「私もそう思う」
この同調に、臧勤はしばし考えた。
「うむ──、そういうことか。後翼を警戒すれば、汐径は己で東錬の進軍を担保してしまう。噂が最早、風聞ではなく確信として錯誤されるという訳か」
後翼は実際軍を動かす。その動きは、いずれ汐径も知る。その瞬間、東錬が動くシナリオは真実の物語として認識される。
必然、東錬が動くと動かざるに関わらず、二正面の構図ができあがるのだ。
「そこまでゆかずとも、汐径は東錬を無視できん。多少の戦力は割くさ」
雁去病は静かに言った。
その言葉に頷きを見せる臧勤だったが──。
「いや、お前らしくないな。仕掛けを好まぬ男だと思ったが・・」
臧勤は訝しんだ。
「ハハッ。元よりこの話は仕掛けだ。出所は、たぶん西漣だろう。汐径が遠征で二千出すそうだが、流石に多いと感じる。しかし西漣が要請したなら、わからんでもない。この件は、そういう流れの中にある。私の趣味でないのはそうだが、後翼の軍人としては少しでも勝ち筋を得たい」
これに臧勤は疑義を持つ。
「まるで勝ち筋が薄いような言い方だな?」
「フフッ。臧勤殿は勘が良くなったか」
「いいから答えろ」
「これが西漣の仕掛けと仮定しての話だが、彼奴らには、我らに南進させる気などないと見ている。おそらく頃合いを見て、汐径軍を帰還させるだろう」
「なっ!?」
雁去病の言に、臧勤は言葉を失った。
雁去病は語る。
「此度の酉と八角に関して汐径の対応が早いようだ。それが西漣には面白くない。だから後翼を使って小突いてやろう。単純に言ってしまえば、そういう話さ」
その表情は、呆れか諦めか、どこか遠くを見るようだった。
河晏軍と合流した汐径軍は、先導される形で河晏の地を横断し、八角国に入った。
汐径軍は二千という設定でも、実際は五百少ない。故に、河晏の千軍と比較されると、その実数が把握される虞があったが、そこは中央の部隊間隔を広めにとって偽装した。
友軍を欺く行為であるが、遠征中に後翼による侵攻を受ける可能性があり、そこに西漣が関与している疑いがある以上、この演出は必要だと判断された。
というのも汐径としては、後翼の動きを封じるつもりがないのだ。
西漣の暗躍があるとしても、軍事的圧力という方法が、かの国の総意とも思えない。積極的な者もいれば、消極的な者もいただろう。
汐径は、それら主導派と非主導派を見極めた上で、後者の側に対して政治的アプローチを試みるつもりである。
そのためには、後翼の侵攻が未然に防がれるのではなく、返り討ちによる完勝という格好にもっていきたい。さすれば主導派は立場を悪くし、ともすれば、西漣と後翼との裏側の関係にも罅が入るかも知れない。そして自然と非主導派の顔が見えてくるはずだ。
だから西漣の主導派たちには思わせなければいけない。
──上手くいっている。
と。そしてそこから情報が流れるであろう後翼には。
──残存は二千と地方軍のみ。
という誤認を与える狙いだ。
鮑謖は全軍の後方、輜重部隊の中にいた。
これは、彼女と特別遊撃隊が、増員の五百に組み込まれる予定だったのが、鮑謖のひと言によって取り消されたことに起因する。
当初から計画されていた千五百の遠征軍の方は、既に人員が固められていて、鮑謖をどこかに入れると、役割的に誰かを外すような話になる。判断が難しく、且つ時間もなかったため、とりあえず非戦闘部隊の護衛として配属された形だ。
しかるに鮑謖としては。
──うん。楽ちんだ。
妙に、この仕事に満足していた。いや、それどころか・・
──どうしよう。天職かも知れない。
基本的に戦う事がない位置付けに。
──普段は砦でのんびりして、いざとなっても輸送部隊でのんびりしたいな。
などと、都合の良すぎる夢想に浸っていた。
尤も、何処にいてものんびりしてるように見えるのだが・・
ちなみに、汐径軍は兵糧を二千人分用意した。追加五百分は西漣から受け取る予定になっているが、後で騙し取られたと言われても面倒なので、十分あるから不要とする方針だ。元より千五百なので、それなりに余るが、満ち足りているアピールはできる。
とまれ──。遠征軍たちは八角の首都に到着した。
八角軍およそ三千は当然として、西漣の二千も陣を構えていて、そこに東二国の額面三千が加わる。総勢八千の軍勢が集結し、それぞれに幕舎を張った姿は、あたかも一つの街が突然出来上がったような、不思議な壮観さがあった。
そして少し離れた所に、軍とは別の天幕も見えた。
各軍の指揮官級の者たちは集まって、今後の方針について話し合うようだ。
鮑謖の所にも准将から参加の確認が来たが、謹んで辞退した。彼女としては、面倒事は勿論、徐厥と出来得る限り関わり合いたくなかった。
しかしながら、鮑謖は自ら徐厥の元へ赴くことになる。
離れた天幕の者が訪ねて来たのだ。
彼らは南から逃れてきた者たちで、食料を分けてほしいと言われた。行政の配給があるそうだが十分とは言えず、困窮してるとの事だった。
普通、斯様な要望は聞き入れられない。
事実、他の軍では歯牙にもかけられなかった。
さりはさりとて、汐径の輜重隊には鮑謖がいる。
鮑謖の信条は食い物に対してフェアであり、食を愛するが故に、食い物の恨みを誰よりも恐れている人間なのだ。
古典を紐解けば、たった一食、食いあぶれただけで殺意に発展する例もある。それが数百人ともなれば、もうどのようなベクトルを生み出すか想像が付かない。
鮑謖は、徐厥に、兵糧の譲渡を談判しに行ったのだ。
「少佐は、それが必要な事だと判断したのですか?」
「はい──」
徐厥は鮑謖をしばらく見つめ。
「わかりました。貴方の裁量で、適宜、それを為しなさい」
「はっ。感謝いたします」
鮑謖は言って、そそくさと幕舎を去った。
「宜しいのですか?」
副官の一人が聞く。
「まぁ、問題ないでしょう。幸いにして兵糧は潤沢です。少佐も郷愿を以て善人ぶりたい訳ではないはずです。彼女の冷厳さは、董猪の磔や、膿出しの発想でも明らかですから」
徐厥は、いなくなった鮑謖が立っていた場所を見ながら言った。
「もしや、八角の意趣を躱す目的なのでは?」
別の者が言った。
軍の会合では、八角からの汐径に対する当たりが強かった。酉軍を賊に言い換える方便は、流石に彼らの心証を悪くしたようだった。
「さぁ──。それもあるかも知れません。なんにせよ、百手の読みが必要と判断したのです。損になることはないでしょう」
徐厥も、わからないのだから聞くなという音で返した。
戻った鮑謖は、与えられた権限で兵糧の一部を提供した。
鮑謖始め、輜重部隊の者たちは感謝されたが。
──逆恨みだけはやめてね。
鮑謖は独り神妙な表情をしていた。




