第99話 重荷
日が落ちると、避難民の野営地から一人の男が密かに離れた。そして列国の軍を尻目に捉えて南へと駆け出した。
男は酉軍の者で、情報収集のため、逃げてきた民に紛れて潜伏していたのだ。
今、集結した軍勢の事を伝えんがため、夜陰の中を南進した。
男は夜通し駆け続け味方との合流地点までゆき、早馬に調査のまとめを渡して、自身はその場に泥のように倒れ込んだ。
酉軍は北上を続けていた。彼らは、もう進むしか道がない──。
軍としているが、その実、九割以上義勇軍と称する民兵たちだ。そしてやっている事は、賊徒の所行に他ならない。
──どうしてこうなった?
山單は独りになると思ってしまう。
己への問いかけであるが、答えはとっくのとうにわかっている。
──俺が欲張ったせいだ。
酉軍の八角への侵攻。これは極論、負けても良かった──。
暴走する凶徒が、酉の王族や国体そのものに及ぶ前に、その矛先を外へ向けるための苦肉の策として実行された。
正規軍二百と義勇軍一千。数こそ大軍であったが、義勇軍の方はまともな武器もなく、八角が反攻に来たら、まず潰走するに違いないと思われた。
守備隊との小規模な戦闘があったのち、八角は一千の中央軍を出してきた。地方の兵も合わせれば、数は酉軍を超え、相手も此方を舐めている訳ではなかった。
戦いは思いのほか善戦したが、所詮は素人の集団。早早と崩れて、酉の正規軍としてはタイミングを見て撤収するはずだった。
ところが、本国から義勇軍が追加で千名駆け付け、その勢いのまま敵に当たり八角は崩れ、酉軍の勝利となった。
そこで引いて終わっておけば良かったが・・
──どうせ講和するなら良い条件に持っていく。
指揮官であった山單は、軍を進め、八角南の街を落とした。
八角もすぐに奪還の軍三千を当ててきたが、そのときには既に義勇軍の兵は五千を超えており、軽い接触だけで相手は引いた。
立て続けの勝利の興奮もあったせいだろう。義勇軍たちは街で大いに暴れ、略奪を始めた。
正規兵には咎める者がいたが、言葉は通じず、殴られ、仕舞いには殺された。
その瞬間から、酉軍はこの狂痴の徒によって支配され、山單は彼らによって飼われる旗振り役のようなものへと変貌した。
こうなっては、もう引くことは叶わぬ話となり、当初の目的はどこかへ行き──。増え続ける義勇軍を食わせる為、大きな街を次々に落とす集団に成り果てた。
皮肉なことだが、汐径が作った『団匪の蛮行』という手打ちのため物語は、奇しくも、ありのままを如実に表す真言であった。
次に八角軍と対峙したときには総勢は八千にも迫り、多勢に無勢を悟ったか、八角は静かに後退した。
目下、山單の考える事は糧食の確保だ。
どこから集まったのか、義勇軍は一万に膨れ上がっており、これを賄うには大都市を落とすぐらいしかない。
しかしながら、そこに至るまでに手持ちの物資が枯渇する。そうなれば、小さな村を襲うようになるかも知れず。それならまだマシで、最悪、共食いのように味方同士の殺し合いにさえ発展する気配さえあった。
どうしたものかと思案していると、早馬が来た。偵察と連絡のために出していた、貴重な騎馬だ。潜入していた者からの報告書を届けた。
「連合軍だと──」
山單は愕然とした。
それは敵対する大軍があらわれた事は勿論だが。
──酉が、世界の敵になってしまった・・
その認識は、喪失感に似た名状しがたい感慨を彼に持たせた。
「本国に──」
言い掛けてやめた。
しばらく前から、どれだけ人をやっても帰ってこなくなった。もしかしたら、酉国内でも何か大きな騒動が起きているのやも知れない。
それよりも。
──敵が大軍を呼び寄せたなら・・
期待を持って読み進めると、輜重隊の事が書かれていた。それによると、各国の軍はそれぞれに輜重隊を持っており、特に汐径軍のそれが潤沢らしく、避難民に分け与える余裕まで見せたという。
ここで山單は思案し、考えをまとめると、義勇軍の指導的立場の者たちの元へと向かった。
「これはまだ一部の者しか知らぬ事だが──」
恂門の指揮官は、そう前置きして。
「後翼が仕掛けてくる可能性がある」
と言った。
聞いた成嬰は静かに黙って頷き、それを見た指揮官は。
「もしや、少佐から何か聞いていたか?」
確認の問いを放つ。
「いえ──、具体的には何も。ただ、少佐が自分たちを残していったのには、意味があるのだろうと考えていました」
「うむ。まことそうであるな。後翼の情報も、実は鮑謖少佐からのものとの事だ。なんでも本営の会議で言い切ったらしい。それで遠征に追加するはずだった五百を取りやめた」
「なるほど、そうでしたか──」
成嬰は再び頷きを見せた。
指揮官も、このやり取りに自身も大きく頷くと。
「しかし今度ばかりは貴君らの出番は無いかも知れぬぞ。これもまた少佐の言葉だそうだが、東錬は動かぬか、動いても小規模とのこと。そちらは懿門を中心とした兵で対処するようだから、本営二千五百は後翼に対処する訳だ。また、ここ恂門からも兵を出すだろう。あわせて三千弱の軍であるから、これを突破される事はまずあるまい」
勝利の目算によるものか、はたまた自身の分析に酔ったかわからぬが、余裕のある笑顔で語った。
「副長。僭越ながら中佐の考えは尤もかと思いますが、隊長の先読みは、更にその先を見据えているのではないでしょうか」
成嬰から恂門での話を聞いて、先越が言った。
「軍勢が対峙したあとって事か?」
「はい──。後翼は次の侵攻で実質三度目の攻勢です。それなりの規模と覚悟を以て仕掛けてくるかと。大軍を恃むだけでは危険に思えます」
一度目は鮑謖を呼び出した隙に辛軍で攻め、二度目は東錬と連携し千五百で侵攻した。三度目となる次は、鮑謖の読み通りなら単独での攻めと思われ、これまでとは一線を画す可能性があるのではという推測である。
「なるほどな──。では少佐は、俺たちに何をさせたいと考えていたかだ。流石に、砦に籠もって守りを固めてろ、なんてこたぁないだろう」
成嬰の言葉に。
「前にトリの話をしたの覚えてますか?」
崔弱が聞いた。
「ああ──。あれは酉国を指して酉と言ったか、それともこの後翼を指して言ったか、ともすれば両方って事かも知れねぇって、あれだろ」
「ええ・・ それで思ったんですけど、もう一つトリがあったと気付いたんです」
「それは?」
「後翼軍の大佐、雁去病です」
崔弱は鮑謖に従って後翼に行ったとき、雁去病と会っている。
あのときも今起きている団匪の話と同じく、後翼軍を賊と定義することで、戦いの正当性と二国間関係の維持を図った。
鮑謖が敵を退け、指揮官を追い掛けているとき彼は百軍を率いてあらわれた。
鮑謖が国境にいた恂門の兵の存在をアピールすることで、後翼軍とのそれ以上の戦闘は避けることができた。
しかしながら──。
──もし何らかの理由により恂門の兵がいなかったら?
──天候が悪く、そのせいで国境まで視認できなかったら?
──雁去病が、戦うことを選んだら?
そのように考えると、あの場で何事もなく済んだのは幸運に思えるし、なにより、あのタイミングで仕掛けようとした雁去病を怖いと感じる。
以上を踏まえて鮑謖の言葉を考えると、トリとは鳥の雁ではないか。それはそのまま雁去病であり、雁が編隊を組んで飛ぶ様から軍勢を指すのではないか。
崔弱は、そのように推考した。
「副長。もしかしたら軍曹の言うことが正答かも知れません。聞けば雁去病大佐は臨機応変の人だとか。大軍の戦いであっても、一瞬の隙で危うくなることもあります」
「ああ・・ それは俺たちがよく知ってる話だ」
先越の言葉に成嬰は同意を示す。
辛国軍との戦いで優位に攻めていた汐径は、敵将の勝負手で、あわやという事態になりかけた。
「はい──。ですから隊長は、雁去病の『もしや』を警戒したのではないでしょうか」
「言いたいことはわかる。だが、少佐がいるならともかく、俺たちだけでと考えるとな。流石に荷が重すぎないか?」
成嬰は慎重な言葉を吐いた。これに──。
「たぶん大丈夫ですよ」
崔弱が言う。
「前に実際の用兵は副長の方が優れていると、少佐が言ったんですよ。百手を読み、百里を見通す彼女が言ったんです。あのときもそうでしたけど、鮑謖隊は自分たちだけで戦った訳ではなかったですよ」
続けて彼女は力を込めて言葉にした。
これに成嬰はしばし考え。
「要は状況を見て動く雁去病を、上手いこと俺たちで妨害して、味方と共に勝利を勝ち取ればいいって事だな」
なんだそんなことか──、程度の軽い音で言った。
無論それは意に介さないを装ったハッタリ、虚勢の類いであるのは明らかだったが、成嬰が己を含めた皆の気後れを飛ばそうとしているのは、崔弱たちも理解した。
崔弱はあわせて。
「ええ。たぶんそんな感じです」
と、同じく軽く言い。
それで場の、やや重々しかった空気は消え、表情にもゆとりが生まれていた。




