第92話 愛郷
章昆は元々、酉国から蜜柑を運ぶ船便を商んでいた。
彼が物心ついたころには既に、蜜柑販売での新規参入は難しい状態であった。農家、集荷、仲卸、運送など、蜜柑流通に関わる殆どは固定化されていたからだ。
しかし、少年であった章昆は。
「船で運べばいい」
と考え、大人にもそれを言ってみたが。
「海が荒れれば全てを失う。蜜柑程度で、そんな冒険はできん」
子供言うことと侮ったかどうかわからぬが、あまり現実的な話として捉えなかった。
成長し、事業を始めた章昆は、子供のころに思い描いた船での蜜柑輸送を敢行した。
汐径国に船は無事到着し、このとき蜜柑は、良くも悪くも普通に売れた。
かつての大人たちが考えたように、危険を冒して運んだが、残念ながら特に見返りが大きいわけではなかった。
従業員の多くは落胆した。
しかるに、章昆は、これに商機を見出した。
彼は蜜柑の傷みが少ないことに気付いたのだ。
酉国から輸出される蜜柑は、傷みにくい皮の厚い物が選ばれていた。これはこれで美味い物であるが、地元で多く食べられるのは、皮が薄く柔らかいタイプであった。
章昆は、船便なら柔皮でも損傷が少なく運べるのではと考えた。このタイプの蜜柑は輸出を考えていないので、競争相手がいない分、安く仕入れられるのではと予測した。
この章昆の読みは見事に当たった。
安く仕入れた蜜柑を、船で傷付けずに運ぶ事に成功した。そして、柔皮の珍しさもあり、従来品の三倍の値段で売れた。
このことで章昆は、一躍、蜜柑輸出に於いて成功者となった。
だが、十年前の地震で状況は一変する。
蜜柑自体が高騰し、柔皮だろうが何だろうが手に入らなくなってしまった。旧来からの商人グループが全力で独占しようとした結果だった。
断案、章昆は蜜柑の輸送を諦めざるを得なかった──。
章昆は元より、空船で帰るのは勿体ないとの思いで、汐径産の品を仕入れることもしていた。今度はそっちを本業にしようと考えた。
しかしながら、数年前に竹林が枯れてから酉国はおかしくなった。
章昆の弟、章友は勉強が出来た男で、官吏に出世していた。その弟から。
「蜜柑を商っている者たちが襲われている」
との話を聞き。
「襲っている連中の理屈は滅茶苦茶だ。時の前後の筋道さえついていない。このままでは、兄さんも蜜柑で暴利をむさぼったといわれて襲われかねない」
そう警告を受け、章昆は酉国を去ることを決めた。
居を汐径に移した章昆は、孚門の街で店を開いた。船便で鍛えた目利きを生かして、良い物を取りそろえて、小さいながらそれなりに商売が出来ていた。
仕事は順調といえたかも知れないが、章昆に不安は付きまとった。
酉国は大きく制度を変え、それにより商人たちは国を捨て逃げ出したという。それだけなら、まだ良かった。章友の最後の手紙では、酉国は八角国に攻め入るという話で、章昆は弟と、郷土の行く末を案じていた。
「別に今日はよかったのに・・」
「まぁ、まぁ、まぁ、そういいなさんなよ──。アタシとしても、軍神かくやに随伴するのは光栄の極みってね」
「いや──、そんなこと思ってないでしょ?」
「もうね、思うとか思わないとかじゃないの。そうなっちゃってんのよ。特別遊撃隊の鮑謖少佐に同伴を頼まれたって言えば、もう皆からの尊敬の眼差しがスゴいんだから」
「あー。何か、たまたま関わっただけなんだけどね・・」
鮑謖は困惑の音で言った。彼女からしたら、董本を助けたことで色々話が膨らんでしまった感である。
「それは違うね──。偶さかは誰にでも来るんだよ。でも、その偶さかで結果出すかどうかなんだよ。アンタの働きが、結果として三国不可侵を生み出した。これは事実だ。アタシはアンタのことを誇ってる! だからアタシが恥ずかしくないよう、自分をもっと誇れ!」
熊任は気合いを入れるようにして返した。
「うん。わかった──」
鮑謖は熊任のように何かに燃える性情ではない。さりとて、友人の熱い言葉を無下にするほど、鈍いわけでもない。鮑謖は納得した音で応えた。
鮑謖は、六臣会に出席するため孚門にやって来たが、今回は砦の隊員を同行させなかった。
前回の経験から、ちょっと面倒臭い集まりと認識した鮑謖は、正直乗り気ではないのもあって、そんなのに隊を巻き込みたくなかった。
また、同伴者は臣階を持つ曹長以上に限定されるため、成嬰を連れ出すことになり砦は指揮者不在となってしまう。そうなると恂門の指揮官に、ひと言、断りの挨拶をする必要もでてくる。
恂門の指揮官は良い人なのだが、何故か鮑謖に対する期待値が高く、志の低い彼女としては、ある種の罪悪感を抱いてしまい心苦しい問題があった。
そんな訳で、鮑謖は熊任に同伴を頼んだ。彼女は、この手の催し物も得意としているようだったから、打って付けだと思ったのだ。
で、明日落ち合って六臣会に行く予定だったが、熊任はどのように理由を付けたか、今日も鮑謖に同行することにしたようだ。
使いに出していた店の者が、酉国から戻って来た。
「戦はもう始まっていました。いや、それどころか八角の半分まで攻め入ったとの話が聞こえていました」
「なんと! うちの──、酉国にそれ程の力があったのか?」
章昆は市井の一人に過ぎないが、国の豊かさから見積もって、酉国の軍事力は八角国の半分程度ぐらいに考えていた。しかし結果から見るに、存外軍事偏重の国だったのかと、故郷のことを訝しんだ。
「それが大半が民兵だというのです」
「徴集されたのか!」
「いえ──。商人を襲っていた連中が中心となって、自主的に集まった者たちで、義勇兵を自称しているとのことです」
──!
これに章昆は言葉を失った。
「章友さんより手紙を預かっています。おそらく、こちらに詳しく記されているかと」
章昆は弟からの文を確認した。
「馬鹿なっ──。これではもう匪賊の類いではないか! 酉の民は、本当にどうかしてしまったのか?」
憤りの声を章昆は上げた。
章友の手紙によると、義勇兵の多くは地震以降仕事を失った者たちで、それらは敵地にて略奪の限りを尽くすのだという。それは軍さえ制御できず、行軍は最早、どちらが主導しているのかわからぬ状態だという。
酉軍は、村を街を食い尽くしながら八角の首都に迫らんとしているとの事だった。
──困窮する者が、別の者から奪い、同じく困窮する者を生み出す。
──永遠の奪い合いを描いた地獄絵図そのものだ。
──それを、酉の人がやっているのか・・
竹林のときの言説じゃないが、竹が伸びる方向を見失ったように、酉国の人々は己を見失っているのではないか? だとすれば、行き着く果ては枯死に他ならない。
章昆は、郷里の未来に暗黒を見た。
そんなとき──。
「すみません、旦那様。梟国の商人の代理だという方が見えられてまして。何でも、ここの商品の質を気に入ったらしく、取引がしたいと考えてるとか。それでこれが、その商人からの旦那様に宛てての手紙だそうです」
店に出ていた者がそう言って、封書を章昆に手渡した。
──また文か。
気分としては取引の話など考える心持ちでなかったが、これも仕事と割り切り、とりあえず目を通すことにした。返答に関しては、追ってすれば良いだろう。
──!?
章昆は文面に出てきた名前を刮目した。
「その代理の者とは、軍人か?」
「はい、女性の。将校でしょうか、長い丈の物を着ています。以前にも来られて、そのときは乾物をまとめ買いされていったと思います」
「おおっ!!」
店員の言葉に章昆は声を上げた。
──間違いない! 軍神と呼ばれる魔女、鮑謖少佐だ。
彼女の英名は章昆も知るところであるのは勿論。商人たちの間では、梟、辛、汐径の不可侵だけでなく、交易の協定が結ばれたのには、鮑謖少佐の働きが大きいと噂されていた。
それほどの大物が仲立ちする商人となら、取引も大いに期待が持てる。
さはさりながら。
──これは、偶然か?
章昆に疑問が湧く。
聞けば、鮑謖少佐は百手を見通す先読みの人だという。そこから浮かぶのは。
──西方の変事を調べているのではないか?
という推測。
酉や八角の話は、汐径ではまだ聞こえていない。しかし、軍神と称される程の人が、何も知らないとも考えにくい。八角を経由する流通は、汐径にとっても重要な問題のはずだ。
以前にも来たというならば、そのときに章昆が酉国から蜜柑を運んでいたと知った可能性は、十分あり得る。
そして、その酉国をよく知るであろう人物から、取引の仲介という形で託けて、何らかの情報を聞かんとしているとしたら──。
仮にそうならば・・
──まさしく慧眼。
今、汐径に於いて、自分以上に酉国で起きていることを知る者はいないだろう。
「わかった。私が直接話をしよう」
章昆は店の者に言った。
彼には確信がある。
──酉国の行く先は滅びだ。
だが同時に。
──百手を読み、百里先さえ目を光らす軍神ならば・・
章昆の故郷への想いは、奇妙な誤解を担保として彼を突き動かした。




