第86話 看過の魔女(後半)
董猪に、地方軍を戦わせる気はない。
いくら父、董彬のことを支持しているからといって、自国の軍、友軍同士の戦いをするとなれば、兵たちの心が離れる虞があるからだ。
それでも地方軍の兵を動かしたのは、あくまで陽動のためだ。
──董本さえ倒してしまえば、正当性はどうとでもなる。
董猪は思う。
『父と弟たちを殺し、強引に玉座に就いた』とすれば、地方軍人たちの支持も集まるだろう。
だからこそ、彼らの手は汚してはいけない。血に濡れた者が支持しても、それは己が所行を正当化する、一種の罪悪感のなせる技と思われかねない。それは、彼ら以外の支持を失うことにもつながる。
加えて、自らが率先してという絵を作りたい思惑もあった。それは人々に亡き董彬の姿を想起させ、董猪に重ねて見るようにさせるはずだ。
現在、後継候補と言えるほどの者は他にいないが、王の血筋だけなら董猪よりも近い者も存在する。董本を承認した議員などが、それらを擁立する可能性もあり、後々のことも考えて董猪としては盤石な支持層を確保したかった。
断案、董猪は自分の側近と、親衛隊の中でも極めて中枢的な役割を果たしていた者ら、合わせて六十名を選抜し実行部隊とした。
「時間です」
「よし、行くぞ」
側近の言葉に董猪は静かに返した。それで董猪を含む六名は隠れ家を出た。その出で立ちは、軍装を隠すように外套を羽織り、頭には何も被ってはいない。
董猪らは既に梟の都、その市街にいたのだ。
少数で街の各地に潜み、刻限にあわせて王宮を目指す──。
元は、クーデターを起こす際の作戦案の一つだったものだ。実際は、まとまった一団での奇襲作戦が採用されたが、この案もギリギリまで有力候補であった。
それを流用して今回、陽動の軍勢との合わせ技で行われることとなった。
董猪たちはスタスタと早歩きで進んでいる。すると──。
「前方から兵と思しき集団です。十人ほどです」
遠いが、側近が気付いて言った。
──釣られなかった分か。
王宮に拠って戦うことを選んだのなら、こんな所に兵がいるはずがない。陽動自体は成功しているだろう。一部を治安維持に割り振ったのだと判断した。
「道を変える」
董猪は言って、彼らは脇道にそれた。
「念のために火種を確認しておけ」
重ねて言う。
陽動が失敗した次善の策として、市街に火を放つ計画もある。親衛隊といえども、基本の装備は一般のそれと変わらない。火事の混乱に乗ずれば、守兵にまぎれて王宮に潜入できる目算があった。
──十全とはいかぬか・・
思った董猪だが。
──流石に緊張しているようだ。
不完全を気にしてしまう己を見つめて、そう自己分析する。
──兵はいても相手は子供だ。いざとなれば強行突破すればいい・・
董猪は武芸に自信がある。雑兵相手なら十人力と言っても過言でないだろう。その自身の強みを根拠とし、これまで何度も反芻したことを、あらためて考え、気持ちを落ち着かせた。
「董猪殿。また兵です」
今度は先程よりも近い。董猪にもはっきりと見てとれた。
──!?
「あれは汐径兵か?」
董本は汐径軍と共に梟に戻って来たという。その関係で残った者らがいるのかと想像した。
「一旦逸れるぞ」
董猪はまた道を変えたが、そこには別班の親衛隊がいた。
「董猪殿。あちこちに汐径兵がいます」
彼らも兵の姿に道を変え、結果として董猪と合流する形になってしまったのだ。
──いっそ外套を脱いで巡回の体で堂々と行くか。
思うが。
──いや、被り物がないのが怪しまれるか・・
それに任務なら、槍を持っていないのもおかしいとなる。
「他の者らも立ち往生しているかと思われます」
言われ、董猪は一種の諦念をもった。
「仕方ない──、火を放つ。それで注意が向いたところをすり抜ける」
その下知に、側近たちは素早く動いた。
どこぞで火の手が上がったようだ。そしてそれに呼応するように、数カ所で同じように煙が上がった。
「どう思う?」
「意図的なものだろうな」
「ならどうする?」
楊休の問いに仞操は考えるまでもなく。
「どうもせんさ」
と、答えた。
これに楊休は少し考え。
「誘導には乗らないってことね」
「ああ。だが、素直な奴もいるから、実際の火の現場はそいつらに任せればいい。俺たちは俺たちで、自分の仕事をするだけだ。仕掛けた以上、何か動きがあるだろう」
これに楊休は頷いた。
仞操たちは脇道に入り、往来の様子を窺った。
「火事です!」
兵が指さす。
──えぇ・・ 勘弁してほしいな。
鮑謖は困惑した。
仕事を回避しようとして治安維持を名目に街に出てみれば、本当に事件が起きている様子。これでは文字通り火中の栗を拾いに行くようなもので、話があべこべである。
鮑謖にとって思わしくない展開だが、さりとて無視するわけにもゆかない。建て前でも、体裁でも、自分から治安云々言ってしまったのだ。
──変に当たりを引いちゃったけど、仕方がない。
鮑謖は諦観を以て。
「急ごう!」
言うや否や、皆を置き去りにする走り出しを見せ、兵たちは慌てて後を追った。
街の人々は、疾走する鮑謖に驚き、後に続く兵の姿を見て道をあけた。その動きは自然と伝播し、鮑謖たちの進路を遮る者はいなくなった。
鮑謖が現場に着くと、火が建物の外壁の一枚に燃え広がろうとしていた。
「悪いけど壊すよ!」
逃げ出した家人と思しき者に言う。
鮑謖は返事を待たずに屋内に入ると、ここぞという場所に千鈞の杖を細い方から突き、壁を貫いた。そしてすぐさま外に回り、突き出た杖を掴んで強引に牽いた。
バキッ──、ゴキッ──、ガタッ!!
派手な音が鳴り響き、壁面は柱もろとも傾き倒れ、鮑謖は寸前にサッと脱出した。
埃が舞う中、追いついた兵たちが残った壁面を壊し外し、倒れた壁も水を掛けて消火し、これ以上の炎上を防いだ。
この事態に見物人たちは、拍手を以て鮑謖たちを称えた。
汐径の兵たちが火に反応して動いたようだ。
「今のうちだ」
董猪たちは王宮へと駆け足で向かう。多少目立つが、街全体もやや混乱状態のため、さほど気にする者はいない。
親衛隊たちは次々に合流し六十の一団となった。
「もう外套は必要ない。このまま火急の用として押し入る」
董猪が言った矢先だった。
前方に汐径兵二十が立ちはだかった。
「打ち倒す。三人ひと組だ」
敵兵一人を三人で対処するという意味だ。
「掛かれ!!」
言った董猪も、自身の剣を抜いた。
眼前には向こうの指揮者と思しき男。同じく剣を抜いた。
──時間はかけられん。
第一感、手強いと判断した董猪は。
「先に斬り込め」
側近に言う。相手が側近の攻撃に対処している間に仕留めようと考えたのだ。
「はァッ!」
側近が気合いと共に打ち掛かるが、スッと間合いを詰め、先手を取ったのは相手だった。体を両断するかのような強烈な振り下ろしが側近に迫る。
側近はすんでのところで、その一撃を回避し、即座に攻撃に転じようとした。が、敵は振り下ろした勢いそのままに更に踏み込み、剣を大きく一回転して二撃目を放った。まさに剛剣というに相応しい猛撃で、側近は剣刃を身に受けた。
──ここだぁ!
それでも隙は生じた。董猪はすかさず剣を突き出す。
ギンッ──!
しかし敵は腰を深く落とし、斬り上げの形で防御した。
そして今度はその低い体勢のまま、摺り足のように前に出て董猪の腕を斬りに来て、これには後ろに飛び退いて躱すしかなかった。
──想定外だ・・
己を十人力と勘定していた董猪だが、目の前の敵はそれ以上の実力者に思える。いや、この指揮者の男だけではない。三分の一の相手を、味方は突破できずにいる。
「横から新手です」
言った者が。
ケンッ──!
弓矢を首に受けた。
「董猪殿。作戦は失敗です。退避しましょう」
側近の言葉に、董猪は黙って後ろに下がった・・
そして戦い続ける親衛隊を残し、数名の供と反対方向に走り出した。
「ほっ──」
鮑謖は道端に腰掛け、お茶をいただき一息ついていた。火事の近隣の人が用意してくれたもので、お菓子もと言われたが、そこは彼女の信条に基づき固辞した。
なんでこんな所でくつろいでいるのかというと──。
壁にぶっ刺した千鈞の杖は、壁と倒れ、その勢いで地面にも刺さった。引っ張りだそうとしたが、熱か、それとも水を掛けたせいかわからぬが、建材が噛み合って上手く抜けない事態となっていた。
しょうがないので兵には、斧か何かを調達するよう命じて、他の火事の現場にも応援に行かせていた。
そんなこんなで、鮑謖はやる事もなく、お茶を飲んでまったりしていたのだ。
尤も、何気に賢しい鮑謖は。
「火は消えたように見えても、ぶり返すことがあるからね。見張っておくよ」
それらしい理由も用意していた。
──あれ? 今、誰もいないから、こっそりお菓子もらってもいいかな・・
鮑謖が、マイルールに抜け道を作ろうとしていたとき。
「どけっ!」
通行人を押しのけるように駆ける数人の兵士が、鮑謖の視界を横切った。
──敗走か。
負傷していた訳でなかったが、気配としてそれを感じた。不穏さはあり、董本の敵対勢力の可能性も考えたが。
──杖ないしな・・
戦闘になったときの立ち回りに難しさを感じてスルーすることにした。街中では石を投げるわけにもいかない。
「うん。不可抗力だね」
これまたしょうがないと鮑謖は納得を持った。
三方からの攻撃で、五十超の武装集団は、ほぼ壊滅した。しかし、成嬰が戦った隊長格の男は、いつの間にか消えていた。
「仞操! ここを任せる」
「了解!」
返事を聞くと成嬰は、五人を連れて敵が逃げたと思われる方向に駆けた。
──あれは董猪だろう。
成嬰は知らぬが、知らずとも、その答えに至った。
討ち損じたとまでは思わない。相手も手練れだった。拘り過ぎれば、味方のフォローが出来なかったであろう。
指揮者として上手くやったと思う。それでも悔恨を感じるのは、それだけ相手が大物だからだ。正直、惜しい気持ちがある。
焦げた匂いがしてきた。
──こっちも火を付けられたか。
駆ける成嬰の視界のすみ、見慣れた人影が座っている。
「少佐! こちらでしたか──」
成嬰は立ち止まり声を掛ける。
「うん。そこが燃えてね。大変だったよ」
鮑謖が指さした方には壁のなくなった建物がある。
──どうやったんだか・・
想像の及ばない絵面に戸惑いを感じたが、それより今は重要なことがある。
「少佐。こちらに董猪か、それに与する者らが来ませんでしたか?」
「うん。来たよ。でも、もう逃げた──」
成嬰の質問に、鮑謖は遠く過ぎ去った過去の如く答えた。
──!?
成嬰は数秒の硬直のあと。
「わかりました。ところで、ここで手伝うことはありますか?」
「いや、ないよ。もう動いてもらってるから」
「了解です。自分は全隊の指揮に戻ります」
「うん。たのんだよ」
やり取りの後、成嬰たちは来た道を戻った。
道すがら、訝しんだ兵が聞く。
「追わなくてよかったんですか?」
これに成嬰は。
「いいさ。隊長がワザと逃がしたんだからな──」
「どういうことです?」
兵の問いに。
「さぁ、俺にもわからん。あとで皆で考えようぜ!」
言って、成嬰は笑った。




