第76話 心神耗弱
「捕らえよ──」
董彬は命じた。
しかし、兵たちは困惑し動かない。
「捕らえよ」
もう一度言った。兵は動き、董計の体は両側からガッチリと掴まれる形となった。
「な、何を!? あっ──! わ、私は知らなかったのです。謀られたのです。騙されただけなのです」
董計は慌ててそう言った。
「誰に騙されたというか?」
董彬が冷たく問う。
「汐径の者たちです。道を通りたいなどという偽りを看破できませんでした。その責は感ずるところでありますが、私一人の過ちでもありません!」
董計の弁明に、董彬は首を傾げると。
「集積基地と東錬へゆく道が、どう関係してるというのか? どう聞かれ、どう教えたのか、述べよ」
やはり冷ややかな音で言う。
「しゅ、集積基地!? な、なんの話を──」
「董捷が殺された」
聞き返す途中の董計を遮って、董彬は言った。
董計は一瞬固まったが。
「──そ、そうですか・・ いや、それとこれと、何の繋がりがあるというのです」
「現場には汐径兵の死体が残っていた。一人は董捷が仕留めたものとも見られておる。お前なら、基地へ汐径兵を誘導することも可能であろう」
「そんな──。言い掛かりです。誰ぞが、いい加減なことを言ったのでありましょう。汐径兵とは、軍装で判断したものなのではありませんか? 何処かで手に入れれば、装うことは可能なはず。それで私を疑われるのですか!」
董計は必死さを見せて言った。
「お前が使ってる小者を尋問した──。董捷の予定を調べていたそうだな。溯って、兵糧の差配を董捷にやらせようとしたのもお前だ。そして、董猪へ文を送っているな。現物が送られてきて私も読んだ。弟の下風に立たされると嘆いているではないか。私も董猪も心配した。そんな折に董捷が殺され、そこにお前が道案内している汐径の兵と思しき死体がある。これで、お前が無関係などと考えるほど、私は物分かりが良くはないぞ」
冷淡な音は、董彬の愛憎の裏返しであった。
彼らの話を俯瞰で整理する。
董計は弟、董捷に失態を与え、ついでに兄、董猪との対立も目論んで、兵糧に細工した上で董捷に仕事を振った。それ自体は巧くいったが、時を同じくして父、董彬の胸中を察した董計は、自分が後継になるため、董猪に董捷を殺させることを画策した。
結果、目論見通り董猪が手を下し、董捷は死んだ。
しかし、董猪は董計の意図を理解した上で、それを逆手に取り。董計の手紙、汐径兵の装備を使い、容疑の目が董計に向くよう仕向けていた。
董彬は、示された状況から董計に疑いを強く持ち、彼を捕らえんため、また彼に与している可能性の高い汐径軍との対決を考え軍を動かした。
「し、嫉妬はしました。それは認めます。ですが、私は殺していません。汐径の兵のことも知らぬ話です。兵糧の問題があったので、その関連で調べていたのです。兄上にも報告したく思い、実際にその手紙も送っています」
董彬は、嘘をつかぬように偽った。
自身の狼狽は自覚するところである。嘘は九分九厘、看破されるだろう。今は、上手に嘘を言えるような精神状態にないと判断した。
それはおそらく正しい判断だっただろう。
しかしながら、董計は既に初手を落としていた──。董捷の死を聞いたときの彼のリアクションは『慮外』という印象を董彬に与えなかった。むしろ、既知の話を聞いたか、安堵するに値する情報を得たという姿に見えた。
「もういい、話は後で聞く──。連れて行け」
董彬は熱のない声で命じた。
彼としては、董計を疑う心が強くあったが、誤りであってほしいとの期待も持ち合わせており。その複雑な胸中で出せる、精一杯の結論がそれだった。
父の、息子を思う精神は、このとき限界に達していた。
愛息の死を知った父親の悲憤慷慨は語る可くもないが──、被疑の対象もまた息子というのは、自分自身とその人生で得た全てを天意か何かによって拒絶されている、そんな理不尽な絶望感を董彬に与えていたからだ。
危うい綱渡りのようなメンタルが、董彬の今だった。
斯くが故に、これ以上、彼を刺激してはいけなかったと言えよう──。
「お、お待ち下さい! それよりも重大なことがあります。汐径軍に董本がいたのです。董本は汐径軍の力を借りて、父上を討たんとしているのです! 向こうの指揮官も、父上にそう伝えるよう言いました。私の従者にも聞いてみて下さい」
「なに──?」
董計の言葉に、董彬はそれまでの冷たさとは違う反応を示した。
これに董計は、父に自分の声が届いたと感じ。
「父上、これは好機です。今ここで董本を討てば、父上が玉座に就くことを妨げるものはなくなります。相手は千名ほどに対してこちらは千五百。数の上でも有利です。他国の軍を招き、社稷を乱した者として誅滅すれば、我等の正当性も保てるでしょう」
音吐朗朗と続けた。
──!!
このときの董計は父にしか目が行っていなかったのだろう。自身の声が、周りにどう伝わるのかまで、考えが及ばなかった。
──董本様がいる!?
──董本様を殺すというのか?
──流石にやりすぎなのでは・・
親衛隊の者とはいえ、全員が全員、董彬を盲信している訳ではない。多くは、董本の正当性を認めつつも、董彬が政変を収めた手腕を以て王に相応しいと考えている者たちだ。董彬が、新しい時代を切り開く、梟という国を新生する存在だと感じたが故に、彼に味方している。決して王族や董本を否定したい訳ではない。
今、董計の言葉を聞いた彼らの反応は、戸惑いと疑念、そして不安だった・・
自分たちが期待を掛けた存在が、単に権力を欲するだけの者。それこそ、彼らが討ち取ったはずのクーデターの姿とダブり、己が気骨を担保する土台が揺らいだ。
この震えた空気は伝播しようとしていた──。
「誰か──」
董彬が口を開く。
「董計を切り捨てよ!!!」
──!?
董彬の声は号怒であった。兵たちは即座に動いた。
「な、なにを!? 父上!? 待ってください、一体どうして!?」
董計は抵抗を見せ、必死に声を張るが、兵たちに押さえつけられ泥にまみれながら剣刃を身に受けて死んだ。
──どうして息子を・・
疑問を持った者は多かったが、答えを想像できたものは少なかった。
しいて理由を挙げるなら、過負荷が掛かった精神に兵の動揺というトラブルが発生し、それを何とかせんとするストレスで、董彬は壊れたのだろう。
動揺の原因を排除しようとした。その結論が、董計を殺す事だったのだ。
とまれ──。
僅か数秒の出来事は、兵たちの波立つ心を強引にリセットし、それまでの空気を鮮烈に入れ替えた。
──今は従うだけだ・・
親衛隊の兵たちは職に身を投じることで、己が揺らぎを忘れた。




