第72話 三兄弟
「汐径軍は国境を越えました。今頃は董計殿と接触している頃合いかと存じます」
「手筈通りか」
「はい」
報告者の返事に董彬は頷いた。
──上手くゆきそうだな。
汐径と東錬、梟国にとってはどちらも敵対した国で、互いにつぶし合ってくれるのは助かる話であった。
さはさりながら、国をまとめる目的で辛国攻めをしている今、どちらに勝ってほしいかと問われれば汐径が答えになるだろう。かの国は、反攻や牽制以外で梟国に攻め入ったことはない。
古来、面積で得られる利益より、海と街道という地理的要因と、そこから生まれる物流の利益の方が勝っていたため、汐径はそれらを守る、もしくは拡大できるよう軍を動かした。
詰まるところ、汐径にとって土地は、利益の動脈を守るために必要な分厚い皮膚か筋肉のようなものであった。あまり増やせば脂肪のように動きを悪くしかねず、そういう意味で、領土的野心はほとんどないと言えた。
尤も、利があるゆえに、それを求めて梟は汐径と争った訳だが──。
将来的にどうなるにせよ、現状、手を組むとしたら東錬よりかは与しやすい相手であった。
「董猪の方はどうなっているか?」
辛軍が千五百で三盆の街の奪還を狙い、梟軍は迎え撃つ形になっていた。
「小競り合いのような戦闘は起きましたが、本格的な戦いまでは至っていません。それと、兵糧が足りぬという知らせが再三来ております」
「董捷に任せたはずだが・・」
「はい。董捷殿も訝しみ、直接現場に赴いて指揮をされるようです」
「うむ──」
こちらは上手くいっておらず、それは董彬にも意外なことであった。
さりとて、董捷が手抜かりするとも考えられず。
──軽く見られたか?
若造の言うことなどと取り合わず、雑な仕事で済ました者たちがいるのではないか? もしくは、監視が甘いと見て、何らかの不正を行ったとか。なんにせよ、若さ故の侮りを受けた可能性を考えた。
才覚などそうそう理解されるものではない。人は積み上げた結果で相手を判断するものだ。だからこそ董彬は、董捷にそれを築き上げさせんため兵糧の差配をやらせた。
それが裏目に出てしまったかも知れないが、トラブルに対処する経験と思えば、若い内に触れられたことは、むしろ朗報であろう。
「まぁ、よい。親が助けてやるばかりでは、子は成長せん──。私は私で、仕事をしよう」
最早、董彬の王権は済し崩しに既成事実化した。現在は、臨時政府の形を取っているが、これも正規の姿へと移行させるときが来たと判断した。
それには、議会の招集と決議という手続きを経る必要があった。董彬は、来たる議会のため、このところネマワシに奔走していた。
この忙しさは董彬の目を外に向け、家内の不協和音への気付きを遅らせた。
董計を出迎えたのは千軍を率いる孫能という中佐だった。
立場として両者に上下がある訳ではなかったが、孫能は董計に恭しく接していた。
思いがけず向けられた慇懃に。
──まるで王子だ。
思った董計は。
──いや、既に王子ではないか。
己が立ち位置を、相手の反応から溯って理解した。
同時に、名状しがたい高揚を董計に与え、その影響からか、彼の態度、振る舞いは知らずと大きくなった。
董計は汐径軍を先導して進んだ。
彼が導くことで、軍は公然と梟国内を移動でき、道を誤る心配もない。
その姿は、さながら董計が千軍を率いているかのようであり、孫能中佐は、彼の従者か何かに成り下がったみたいに見えた。
孫能の側近たちは、不満げな表情であったが、中佐自身は不思議と満足そうであった。
ここで、この孫能という人物について記す。
彼は周囲から尊王思想があると思われている。それは確かにその通りなのだが、真実は若干の歪みを持っていた。
孫能は王という存在に首を垂れる己を愛でる、一種の権威主義者だったのだ。
偉大なものに膝を折ることで、その一部に自分を置こうとする。または自分は正しく偉大なものを理解しているという、選民意識。
それら自己陶酔の行為が、傍目から見たら尊王精神の健気さに映っただけの話だった。
今回着目すべきは、ややこしく矛盾も孕んでいるが、自己愛の元となる権威の対象は、自国の王でなくとも良いという点にある。
孫能が董計に恭謙するのは、何も董計を敬っているからではない。
暫定国王の次男という存在に対して、頭を下げる自分に、文字通りの恭悦を感じているからに他ならなかった。
「こちらは予定通り──」
董計はそうつぶやいた。
「向こうは手筈通り行っているかな?」
続く言葉を聞いた者は多かったが、その意味を解した者はいなかった。
兵糧が消えていた。
兄、董猪から催促があり、適宜送っていたはずだが、実際に届いたものは三割ほど量が少ない状態になっていた。
──何処かの過程で中抜きされいる?
そのように推測し、董捷は絞り込みを行い、今、怪しいと思しき集積基地に赴いた。
「董捷殿。やはり帳簿の入って来た分と実際の量に差があります。ここで抜かれているのは間違いないかと」
検めさせていた部下が報告する。
「所長以下、作業員から事情を聞きますか?」
別の部下が具申するが。
「必要ない──。全員拘束し、他の人間と入れ換える」
董捷は考える素振りも見せずに返した。
──犯人捜しは後でいい・・
現状、必要な兵糧を送ることが重要であり、それ以外はどうでもよい。信用ならざる人間に作業させ、監視するよりも、人員を総取っかえした方が話が早いと判断した。
董捷の指示により基地の人間は捕らえられた。近い軍営に馬を飛ばし、新たな作業員の補充要請と、捕らえた者を移送する連絡がなされた。
「董捷殿はどうされますか?」
「輸送隊が来たら説明しなきゃいけない。ここまで来たら全部自分でやる」
「はっ──。では、我々は捕縛者を連行いたします」
数名の部下を残し、董捷の配下は基地を後にした。
フーッと、大きく息を吐いた董捷は。
「疲れたから休む。輸送隊が来たら呼んで・・」
言って、トボトボと事務所の方へと歩いていった。
「兵はどうなった?」
「ほとんどが帰還したようです」
「だろうな──」
董捷ならそうするはずだ。
「大佐。着替え終わりました」
「なかなか似合ってるじゃないか。念のために聞くが、余計な物は持っていないだろうな」
身元が特定されるような品のことだ。
「大丈夫です」
その言葉に頷くと。
「いくぞ!」
董猪は言って馬腹を蹴った。
董計からの手紙の内容はあっていた──。父、董彬は、確かに弟の董捷を後継に据えるつもりのようだった。
しかし、大きく嘘もある。
──後を継ぎたいのは己であろう。
董猪は董計の虚偽を看破した。
──やり過ぎだ。馬鹿め!
董猪は弟に冷笑を向ける。
当初は董計の手紙を信じ、兵糧の差配が董捷によるものだと知ったことで、怒りが爆発した董猪であったが。
──董捷にしてはセコいな?
違和感を感じ、事態を詳しく調べた。
すると、董捷に兵糧を任せる提案をしたのが董計だというのがわかった。
──董計が仕掛け人だ。
おそらく自分と董捷を仲違いさせる目的で、兵糧に細工を施したのだろうと推測した。何とも矮小で姑息な手段に思え、それは董計の性情を如実にあらわしていたからだ。
それに、現在行っている汐径と東錬に対する二虎競食、それと基本的には同じでもある。言わずもがな発案者は董計。まさに、さもありなんである。
腸が煮えくり返る話であったが、ここまでは、まだ許容できた。
しかし董計は続く手紙で。
『集積基地に僅かな部下を連れて向かうようだ』
と、董捷についての詳細な行動予定を綴ってきた。
董猪は怒りの熱が消え、冷たい風が吹いたような感覚になった。
──俺に、董捷を殺させる気か・・
董捷が後継だと伝え、兵糧で反感を育てる。そこへもって隙がありそうな場所の提示。
言外に漂う、董計のおぞましい悪意を知り、董猪は目に涙を浮かべた。
けっして仲の良い兄弟という訳ではなかったが、それでも兄として、弟を可愛いと思ったこともあった。それら良き景色を想起せずにはいられなかった。
しかし事ここに至り、違う色に染まって、別の道を進んだのだと諦観した。
──たぶん俺を嵌める気だろう。
──なら、それを逆用してくれる。
──策士を気取りって、策に溺れろ!
「見張りがいます」
側近が言う。
「構わん。このまま突っ込む」
董猪の言で、騎馬たちは速度を上げた。見張りの兵が制止の声を張るが、騎馬の突き出した槍を身に受け死んだ。
騎馬たちはそのまま基地内に躍り込んだ。
「董捷殿!!」
部下の声、それも尋常でない声色で目が覚めた。
慌てて事務所を出ると。
「せ、汐径軍の襲撃です! お逃げ下さい!」
叫ぶように言う。
──は!?
襲撃されることもそうだが、汐径軍がこんな所にいることも理解できず、逃げろと言われたにも関わらず、董捷は惑乱のまま立ち尽くした。
「しっかりなさって下さい!」
部下が駆け寄って来て、董捷の腕を強引に牽いていく。体が動いたことで漸く、逃げようという意思を持てた。
馬の所まで行こうとするが、敵が二人に迫ってくる。
「ここは私が引き受けます。董捷殿はお早く!」
部下は言うと剣を抜いて敵に向かって行った。
董捷は振り返ることなく走った。走ったが、馬蹄の音がすぐに彼を捉えた。
振り返りざま、騎馬が槍を突き降ろす。
「なめるなっ!」
董捷はその一突きを躱しつつ、剣を抜き相手の腕を切り落とした。
──このまま馬を奪う!
体勢の崩れたところを引きずり下ろさんと、全速で追い縋った。相手は深手の混乱からか、馬を制御しきれず、董捷は簡単に追いついて、剣を突き立て殺した。
素早く馬に乗ると、そのまま馬腹を蹴って速度を上げる姿勢に移行する。
──これで逃げ切れる。
董捷が思ったときだった。
「無事か、董捷!」
耳に馴染んだ声が聞こえた。
「あ、兄上!?」
声の方向から董猪が馬で駆け寄ってくる。
「はい! 敵が、汐径軍が!」
董捷は安心感の方が勝り、この場に董猪がいる理由を考えるのを忘れた。
進む方向を確かめようと、董捷は一度、前を向いた。
「そうか」
董猪の言葉が聞こえ、強い衝撃が体に走った。
──何が?
思ったとき、董捷は馬から落ちていた。次の瞬間、地面に叩きつけられ、転がる自分を認識しながら。
──兄上に、突き落とされたのか。
董捷は理解に達した。
──地面の匂いか?
何だかとても臭い。臭いが、どうにもならない。
自分の体には槍が突き立てられたのがわかる、たぶん死ぬのだろうと董捷は思った。
──あっ、臭みが消えた。
董捷の思考はそこで止まった。




