第71話 梟国入り
「それでは皆様、吉報をお待ちしております」
楽正微は言うと馬首を北に向け、そのまま馬腹を蹴って駆け去った。
彼はこのまま北の街、馗門を経て、辛国に戻る。こちらでの現状と、これから起きる奪還作戦、そして辛国と梟国の戦いの決着。それらに関するあれこれを、楽正栄を通して、辛国の中枢に伝えるためだ。
予定では、辛側の国境に伝達を受ける人員を配置してもらうことになっている。董本たちの事が成った際は、その情報を素早く伝える段取りだ。
「遅れます。私たちも参りましょうぞ」
百栽が董本に声を掛ける。
少年は、ずっと楽正微の姿を追っていた。
「はい──。行きましょう」
董本は噛みしめるように返した。
汐径で最東の街、懿門。ここから侵攻軍には輜重隊が付く。
董本たちは、その中で鮑謖隊の管理下に置かれる荷馬車に密かに乗り込む。高勉は、その御者という体だ。
「副長殿。よろしく頼む」
高勉は、成嬰という将校に向けて言った。
砦から王都へ向かうときもそうだったが、この隊の実質的な指揮者は彼であろう。
「ああ、こちらこそ──。ときに、御者台の脇に一人置くことは出来まいか?」
成嬰が聞く。
「構いませんが──。隊長殿が座られるのか」
前見たときは馬に乗っていなかった。あまり得意でないのかも知れない。
「いや、うちの軍曹を乗せたいんだ」
「たしか──、崔弱さんでしたか。遠征にも参加するのですね」
あの小さな体躯だ。戦闘員とも思えぬから、調整役といったところかと想像した。
「馬にも乗れるんだが、長いとキツいみたいでな」
「こちらとしてはまったく問題ありません。むしろ事情をよく知る方が同乗していれば、変なトラブルにも対処できるでしょう」
「そう言っていただけるとありがたい」
成嬰は明るい声で言った。
先行の千軍はゆっくりと動きだし、東に進んだ。まっすぐ行けば東錬だが、途中、進路は左に逸れた。
──このままでは梟国に行ってしまうぞ?
地理を知る兵たちは訝しんだ。
さりとて。千軍の首将たる孫能中佐や、その側近たちが気付かぬとも考えられず、また副将ともいえる鮑謖少佐と彼女の麾下には一切動揺がなかったことから、何かの作戦であろうとの予測を持った。
果たせる哉、国境付近で軍は止まり、此度の作戦が梟国を通って東錬軍の背後を突くものだとの説明がなされた。
この状況に──。
「遊撃隊の方は、何処まで知っているのか?」
高勉は崔弱に問うた。
「私たちは何も聞かされてはおりません──。ですから、何も知らない、ということになります」
なんだか官僚的かつ哲学めいた言い回しが返ってきた。
──砦の連中はこういうのばかりなのか?
いつぞやの慰霊碑の説明をした兵を思い出した。
「しかし、おおよその見当は付いている、と思っています」
崔弱はそう続けた。
「どのような?」
聞かせてみろとばかりに高勉は言う。
「九分九厘、汐径軍を使っての董彬の排除。そこから董本様の王権を以ての同盟、及び梟国軍との共同作戦での東錬攻め──。といったところかと・・」
遠くを見るようにして崔弱は語った。
──なんの冗談だ。
知らぬというのが虚言としか思えぬ。
「それは、あなた一人の推考か?」
「いいえ、何人かと話し合って出した結論です。これ以上の納得がいく答えがありませんでした。見当違いでなければ良いのですが・・」
言って、崔弱は視線を高勉に向けた。
そこに抗い難さを感じた高勉は。
「いや──、正しい見立てだ」
諦念を以て返した。
「遊撃隊の兵は、皆そのような思考をしてるのですか」
「私は役目的にそうだというのもありますが、皆も大なり小なり考えているかと」
「何故そこまで?」
およそ一般兵、それも地方の兵が考える事ではない。高勉からしたら、分不相応とも言える行き過ぎた振る舞いに思え、不思議に苛立った。
崔弱は少し考えるようにすると。
「以前、うちの副長が敵を前に意見を言ったことがありました。鮑謖少佐はそれに対して、副長に隊の指揮権を委ねた上で、その意見の是非を問いました。それは指揮官の視点を彼に意識させるためだったと思います。副長は意見を変えました。以降、彼が鮑謖隊の指揮者として、私たちを勝利に導きました」
語り、再び高勉を見て。
「少佐は多くを語りませんが、その行動には全て意味があり、言葉には導きが隠されています。そしてそれらを酌み取り、自ら考え成長する。それが、彼女の求める兵の姿なのです。私たちの頭では少佐の深淵をはかることは難しいですが、それでも考えることで、彼女の理想に近づける。それが少佐の部下としての、私たちの矜恃でもあります」
滔々と言った。
──!
高勉は穿たれたような感覚を持った。
自分の仕事でないと言い訳をして、考えず、言わず、知らぬ振りをする狡い自分。それを鋭く指摘されたような思い。
矜恃という言葉から、高勉にも護衛のそれがあったはずだが、崔弱のそれと比べると、どこか自分に都合が良く偽物のように感じられた。
──不快感の正体は己か。
きっと自分は考えないことの負い目を、考える者たちに被せていたのだろう。自身を正当化したいがために、相手が間違っていると思いたい。その手の心理とみた。
急に黙り込んだ高勉に後ろから。
「高勉。お主は護衛としてよくやっている。それ以外のことは私が考えるゆえ、あまり悩むでないぞ」
百栽が声を掛け、カッカと笑った。
教育者らしく、高勉の機微の何某かを察しての言だった。
しかるに高勉は。
「百栽殿。行軍中に笑い声など目立つことはやめて下さい」
注意で応答した。
しかしながらその声は、いつもよりか幾分やわらかいものだった。




