第70話 兵備
「流石だな少佐。話が早くて助かる」
期日の三日前に先乗りした鮑謖に対して、姜彧が言った。
「いえ──」
返しながらも。
──やる気があると思われたかな?
乾燥した海産物などを物色しようと早めに来たのを、参戦する熱意のあらわれと誤解された、そう解釈した。
「早速だが、少佐には次なる編制に於いて先行隊側に加わってほしい。およそ千の規模で、孫能中佐が率いることになっている。言わずもがな、梟国を通る方になる。そして、その輜重隊に、密かに董本一行が加わる。特別遊撃隊には、彼らの護衛を頼みたいのだ」
姜彧は『わかっているとは思うが』という体で話をしている。
しかしながら、鮑謖は何もわかってはいない。
ここに齟齬があるのは鮑謖も認識したが、彼女は元より誤解を放置するタイプである。相手が怒ってるとか、自分に不都合が生じない限り、それらを修正したりしないのだ。
今回も知らない情報が見受けられたが。
──早い話、董本を送り届ける訳ね。
詳しい事情は不明だが、国に戻ることになった彼を、上手く理由を付けて軍の中に入れたのだろうと推測した。背景に何があるにせよ、難しい仕事にも思えなかったし、鮑謖の考える危なくない位置取りにも合致した。
故に彼女は。
「はい。董本様のことはお任せ下さい」
自信を持って応えた。
それに姜彧は深く頷いたが、それもまた大いなる誤解の仕草であった。
──存外、普通の者だったな。
鵡望は思った。
挨拶に来た、鮑謖少佐の印象だ。
鵡望の想像では、もっと自信家か、才気溢れる人物だったが、実際の彼女は、大佐である自分に恐懼する、若い将校でしかなかった。
些か期待外れという感は否めなかったが、扱いに困るような増長、増上慢よりはマシであろうと思うことにした。
それでも──。
「まぁ、耳聡いところは流石か・・」
評価に聞こえる部分は声にだした。
「そうですね。噂では、身銭を切って情報を集める者を雇っているとか」
「ほう──」
部下の言葉に素直に相槌を打った。事実であれば、殊勝なことである。
「それに奇襲の意味合いが強いですから、鮑謖少佐は、そちらの方が活躍できると考えたのでしょう」
鮑謖は先行隊への加入を希望してきた。特に言及はなかったが、梟国を通ることを知っている風で、それは限られた者が知る情報であった。
「確かにな。彼女の戦いを振り返ると、常に相手の意表を衝くものだ。尤も、味方の意表をも衝いてる訳だが──。とまれ、奇襲を得意としてるのは間違いないな」
鵡望は己が分析と照らし合わせて、鮑謖が、先行隊側への参加を希望したことに納得を持った。
「ところで大佐。徐厥准将から、横槍のようなものはありましたか?」
部下の言は、鮑謖が准将直下になっていることを気にしてのものだ。邪魔とまではゆかずとも、文句の一つぐらい来るかと考えた。
「それが何もなかった。私も気になって少し調べたら、准将と少佐は面識がないようだ。特に抱え込むつもりはないのかも知れん。更に今回は、編制に関しても別段、これといった主張はしてこなかった」
鵡望としても、やや肩透かしであった。
「まぁ、面倒な話にならなくて良かったが・・」
「そうですね──。それで、指揮権はどれ程にされますか?」
鮑謖に割り当てられる兵の数のことだ。
「三びゃ──、いや、四百を持たせよう」
「四百ですか。それだと孫能中佐の立場が弱まりませんでしょうか・・」
先行隊での大将としての威厳が薄れることを危惧した発言だ。
「問題ない。孫能は尊王精神のある男だ。臣階でいえば孫能と鮑謖少佐は同じになる。王を尊ぶ彼が、その序列を重視せぬ訳がない。むしろ折半しようとしてくるのではないかな? まぁ、そんな事すれば本当に立場がおかしくなるから、させはせんけどな」
「なるほど──」
部下は鵡望の見立てに細かく頷くと。
「では、早速、その段取りに掛かります」
そう言った。
鵡望はそれに黙って頷いた。
「また喧嘩か・・ いい加減にしろよな」
隊長の嫌味な独り言のような説教が始まった。
楊休は、それをほぼ聞き流しながら直立している。毎度のことだ。隊長は「また」と言ったが、そのまま彼自身の語りにも通じる話で、大概同じことしか言わない。
──つまらない奴らばっか。
楊休は思う。
元より、隊の者たちとは馬が合わないことが多かった。それで屡屡トラブルを起こしていた楊休だったが、先の辛国攻めの後は輪を掛けて悪化した。
原因は楊休が伍長に昇任したのがある。
それは彼女が戦場で活躍したゆえであるが、それを妬んだ連中は。
「勝ち馬に乗ったダケだろ?」
功特級を賞された者の隊にいたのだから当然だと言い腐した。
楊休も、それを黙過するような性分ではないので、売られたものを買うとばかりに喧嘩になり、相手も相手で、ややもすれば彼女が降格になるのを望んで応じた。
そんな事が何度かあり──。
畢竟、このやっかみと、その源流たる侮りに、楊休は辟易していた。
「聞いているのか!」
隊長の声が思考を眼前に戻す。
「聞いてますよ。このままでは降格処分が云々かんぬんでしょ。続けて下さい」
楊休が返す。
尤も、聞こえているだけで、聞いているとは言い難い。それは隊長にもわかり。
「なんだその言いぐさは!」
彼も不満をあらわにした。
──面倒だな。
楊休は思うと同時に、今この男をぶん殴ったら、さぞ心地が良かろうと夢想した。
──いっそ、やるか。
不穏なことを考えたときだった。
「隊長。本営より辞令書と、特別遊撃隊の者が来ております」
同隊の者が言って、辞令書を渡した。
「一体何だと──」
隊長は言いながらも中身を確認する。そして、読み終えたそれを楊休に突き出す。
「読め──」
楊休が受け取ったものには。
『歩兵第四小隊所属、楊休伍長。特別遊撃隊への出向を命じる』
そう記されていた。
持ってきた者が。
「それで遊撃隊は先行隊に属するそうなので、呼びに来たと言うんです」
そう捕捉した。
先行する千の軍は、本隊より一日早く出る予定になっている。
「そういう事だから、さっさと支度して行け!」
隊長は言った。
彼としても、面倒臭いのがいなくなって、せいせいするといったところであろう。
「はい──」
楊休は返事をし、素早く準備を済ませて営舎を出た。
「よう──。荷物はそれだけか」
「ええ──」
「こっちだ──」
言って歩き出すのは仞操だ。
「そっちも伍長になってたんだ」
「ああ──。まぁ、さして仕事は変わらないが」
「そうね──」
楊休は応じながらも。
──何このたどたどしさ!?
ひさしぶりの会話に難しさを感じ、戸惑った。
前はどうやって話していたか、よくわからなくなっていて、楊休には自分の声さえ、別人が喋っているように聞こえた。
薄ら混乱状態のまま、導かれるがままに歩き、楊休は鮑謖隊の宿舎まで来た。
「少佐は出かけてるみたいだな。副長に会っておけばいいだろう」
仞操はそう言うと「ちょっと待ってろ」と一人で何処かへ行ってしまった。
必然、楊休が一人になり、周囲の視線は彼女に集まった。
──そういうことか・・
楊休は以前に感じた不思議な視線、その正体をようやっと理解した。それは力量に向けられていたが、嫉視や値踏みとは似て非なるもの。
──憧れだ。
皆の瞳には、楊休の姿が、憧憬の対象として映っていた。
このところ彼女に向けられたそれとは、正反対のベクトルだったため、その意味を解することが出来たのだと自得した。
──なにこれ。最高にいい。
楊休は知らぬ愉悦を知った。
「待たせたな──」
仞操が戻って来た。
「いや、早いぐらいよ」
楊休は返した。
早い。もう少し視線を感じても良かったと思った。
それに、さっきも早かったかも知れない。
──もう少し後なら、殴れたのに・・
楊休は、険吞な思考をしながらも、心は凪いでいる自分を見つけた。




