第69話 ペーソス
鮑謖が董本から解放され、砦に帰還してから数日後、彼女の元に本営から指令書が来た。
それには、東錬国に対して報復戦争を仕掛ける旨が記されており──。
『期日、鮑謖少佐及び特別遊撃隊五十名は孚門に集結せれたし』
と、鵡望大佐名義で、鮑謖への参戦要請があった。
一応、鮑謖は准将直下であるから、指令書という体裁をとっていても命令はできない。それでも送って来たのは、特別遊撃隊に独立した行動権があるからだ。
要は、鮑謖がOKすればOKという話である。
当然NOとすることも可能だが。
──季孫泰中尉か・・
指令書の他に、鮑謖に個人宛で手紙も来ていて。知り合いからのそれには──。
『鵡望大佐の要請に応えてもらいたい』
と、鮑謖に参戦を願う内容が書かれていた。
コネに頼ろうというのは、過日、鮑謖自身もやったことである。だから、有用性は疑う可くもない。
さはさりながら、もう随分と顔を合わせていない相手だ。正直なところ、鮑謖の記憶の中の彼は、少し曖昧ですらある。そういった観点から考えると。
──たぶん、上から言われたんだろうな・・
きっと「お前知り合いなんだろ?」的な圧力で、仕方なしに書くことになったのだろう。そこに幾許かの同情はあった。加えて。
──世話になったといえば、なったな。
鮑謖が武官学校で進級できたのは、賊徒討伐に参加した際の加点がある。その評価を付けた一人が、小隊長だった季孫泰であった。
当たり前かも知れないが、ごく普通に新兵として扱われた。
仮に、底意地が悪い隊長であったら、鮑謖が活躍する機会も生まれなかったかも知れず、そうなると落第になっていた可能性もある。
「はぁ──。まぁ、顔だけ立てておくか・・」
書面によれば、特別遊撃隊はそのまま独立性を維持できるようだし、危なくなさそうな位置取りをしておけばいいだろう。と、雑に考えて、鮑謖は参戦を決めた。
「よし。そうと決まればフレーバーの準備だね」
鮑謖はサクッと頭を切り換えた。
兵糧は飽きる──。
前回の遠征で学習した鮑謖は、味変して倦怠を乗り切ろう作戦を密かに考えていたのだ。
「やっぱり海の味も欲しいし・・」
既に幾つかの味は用意しているが、バリエーションを増やすためにも海産物を手に入れたく思い、期日に前乗りして向かう事にした。
──無茶をする。
汐径が東錬への侵攻を決めたという話を聞いて、高勉は思った。
──二匹目のドジョウとはいくまいよ。
辛国に対しての成功体験があるから、東錬でもと思ったのだろうと臆断した。高勉は軍人ではないが、二国の戦力が別物だとの認識は持っている。しかしそうなると。
──判断がおかしいな。
汐径軍も、東錬の戦力はわかっているはずである。にもかかわらず、こんな決定がなされた事に、あらためて疑念を持った。
尤も、これは現状というより一般的な見方でしかない。ひょっとしたら東錬で何かトラブルが起きていて、汐径はその隙を衝こうとしてる、なんて事もあり得る話だ。
そんな折、汐径軍から董本に会談が申し込まれた。
それ自体は一向に構わない話だったが──。
『董本様と梟国の方のみで』
という指定があった。
こうなると、楽正微と滞在している家主、欠圓は蚊帳の外になってしまう。
「私は辛国の人間ですからね。本来、ここにいることすら際疾い話です」
楽正微は諦観を持ったように言った。
欠圓の方も。
「色々あって貴族は今、軍事関係と相性が悪い。こればかりは致し方ない」
と、諦念の言葉を吐いた。
まったく関係ないが、二人に血縁があることから。
──血のなせる不思議か?
高勉は、彼らの似たような反応に、そんなことを考えた。
「よもや斯様な計略があるとは──」
話を聞いた百栽は言った。
東錬を攻めるという体で道を借り、軍を進めて董彬を討つという計画。
百栽の胸中が何であるかは想像がつかないが、高勉は。
──小気味がよい。
そう思った。
汐径対東錬という大きな枠組みの中に、董本の王位奪還を忍ばせるやり方。それも発端は董彬側からの書状であり、これはたぶん、汐径と東錬を戦わせる二虎競食の計だ。相手からの話に乗っかる形で、逆に相手を利用し、最後には董彬を滅ぼそうとする。
立ち合いに於いて、相手の力を利用する、動きを逆手に取る、そういった戦いを彷彿とさせる巧みさがあった。
「つきましては王権を取り戻したあと、一時的に汐径との同盟を結んでいただきたい」
汐径軍の意図は明白である。梟国の軍との共闘で東錬に打撃を与えようというのだろう。
「私としては良い話に思えますが、軍を動かすのは軍人たちです。果たして、私がどれほどの権威を以て実行に移せるか・・ 正直、疑問に思います」
董本は直截に言った。
「それでしたら、政変の責任を感じて辞した者たちがおります。政変の首謀者が誰であるか、彼らも薄らとは気付いておるかと。密かに連絡を取り、協力を取り付ければ、事が成ってすぐにでも軍権を機能させることが可能でしょう」
百栽は、そのように献言した。
彼はこれで結構、顔が広い。それら軍人たちとも渡りを付けられる知り合いがいるか、ともすれば、既に手紙などを送っているのかも知れない。
「高勉は、どう思うか?」
董本が問う。
「私としては、董本様をどう梟国にお連れするのかが気になります」
高勉は言った。
王権を取り戻すからには、董本自身が玉座に座る必要がある。でなければ、汐径軍は単なる侵略者になってしまう。体面としては董本に助太刀している形だ。董本が軍と共に移動するのは間違いなく、その手段は気になるところだ。
高勉の役割は、あくまで護衛である。そこを中心にして、外側の方にある話は、極論どうでもよかった。
「現時点では、荷馬車に見せかけたもので近づき、作戦となったときには騎乗していただこうかと考えております」
軍は、おそらく兵に対しても、ギリギリまで目的を伏せるつもりなのだろう。
「では、その車の周りの兵は、董本様を護衛する者と考えてよいのか?」
高勉は確認する。
「そこにつきましては、特別遊撃隊を充てられないかと検討しています」
「なるほど──」
つまり、当百の魔女率いる砦の兵たちだ。
高勉が王都までの随伴で見た限り、練度の高い兵たちだった。そして何人かは、精鋭と思しき者もいた。彼らが付くなら、守りとしては問題ないと言える。
「わかりました。私からは、他にありません」
董本はきっと、この計略についての意見を求めていたと思われるが、高勉には判断できかねたし、元より護衛の分を越えた話だ。彼女は朴念仁を装って意見を言うのを控えた。
董本は、一人難しい顔をして考えていた。
少年には重すぎると感じるが、玉座に座らんとするのは、こういう事であるはずだ。
百栽はどうか知らないが、高勉は、無理にそれをさせるつもりはない。むしろ、子供らしく自由に生きてほしいとさえ思う。無論、それも己が分ではない。
そのように思考してると、ふと客観が来る。
──私はズルイな。
責任のない立場に居続けようとする自分を、高勉は嗤った。
「汐径軍からのお申し出、私は受けたく思います。何卒、よろしくお願いいたします」
董本はしっかりとした声で、返答した。
高勉には、それが頼もしくも、哀しくもあった。




