第62話 メジャブ
扉は開け放たれていた。
平時はそうなのか、それとも此方を認めて開けたのかわからないが、以前見たのと違う砦の姿に、追丘は間違った所に来てしまったかのような錯覚を覚えた。
そして、かつて攻めていた砦の門をくぐろうとする自分に、弱い混乱にも似た不思議な感慨を持った。
「それなりの者のようです・・」
高勉がそう言った。
「えっ?」
追丘は己が内観に忙しく、周りの状況をうまく把握できていなかった。
「あの女が先導してるだけで、普通に中に入れたではないですか──。外れにあるとはいえ軍事施設です。身元をあらためるのは勿論。粗目では私も武器を全て預けましたし、そういう処置も必要なはずです。単に、たるんでいる可能性も思いましたが、兵の挙措を見るに、その線は薄いと考えます。つまり、彼女の判断が、多くの兵よりも優先されているという事です」
高勉は自身の見立てを説示した。
「なるほど──」
言って、追丘はあらためて周囲を観察する。
確かに、言われてみれば辛軍の自分がいるのに警戒はされていない。かといって油断している風でもない。この雰囲気を説明するのは難しいが、あえて言語化するなら。
「さもありなん──、かしら?」
追丘はつぶやいた。
「ああ──、それですね。どうも彼らにとって我々は、想定の範囲内だったようです」
高勉も同意を示した。
あの謎の籠女が兵と話をして、その後、小柄な女性兵士が出てきた。籠と何やら話して、籠の方は奥に引っ込んだ。
小柄が指示して、追丘たちが乗ってきた馬は、引いてきた馬と共に、兵たちが馬屋に連れて行った。
そして一行は、砦の内部に通された。
「すみません。全員分の椅子があるのが、ここぐらいしかないもので・・」
一行が案内された場所は食堂だった。
「あらためまして──。私は守備隊所属、軍曹の崔弱です。一旦、私が皆さんの話を伺いたく思います。これはこちらの指揮官である、鮑謖少佐の指示であるとご理解下さい」
言ったのは小柄な女。横には書記役なのか兵を伴っている。
追丘は皆に。
「よろしいですか?」
確認すると、一行は頷きを返した。
追丘も応じるように頷き。
「私は追丘。粗目の指揮官より使者として参りました。といっても私自身は、ただの案内役で、話があるのは彼らです。まずは、こちらの書状を元に状況を説明させていただきます」
「拝見します──」
追丘が出した粗目からのそれを受け取り、崔弱は中に目を通した。
──そういう事だったのか・・
崔弱は、このところあった疑問が氷解した。
彼女を含め、砦の兵たちは、慰霊碑を作って以降の鮑謖の行動がよくわからなかった。
初めはその辺で野草を採ってるだけだったのに、いつしか遠くまで出かけて行くようになり、最近では国境の近くにも足を運んでいた。
鮑謖が色々と食べ物に拘っているのは、隊員たちも知るところであるが。
──なんでまた、そんな所に?
──キノコ探すだけで?
──流石に、他に理由があるのでは?
深~い何か事情があって~と、想像しながら、日々お出かけする鮑謖を見守っていた。
そうしたら案の定、騎乗した者たちを連れて帰ってきた。どういう訳か、空馬と思しきものも引き連れている。
隊員たちが『彼らを探していたのか』と思うに至るのは必然であった。
今、崔弱は書状から情報を入手し、その疾く回る頭で事態を三次元的に理解した。
彼女はうんうんと一人頷くと。
「ここに書いてある以外の情報はありますか?」
「いえ──。あっ、国境でまた襲われましたが・・」
「はい。それは既に少佐から聞いております。ならば特に問題ないですね──。基本的に、董本様たちの要望通りに動くことになるかと思います。とりあえず本日は此方でお休みいただき、明日にでも今後について話をと考えております。部屋の準備だけしておいて──」
崔弱は書面に質問をすることなく話を進め、横の兵と、一行の泊まる段取りをし出した。
あっけにとられた追丘は。
「ちょっと待って下さい。状況を理解されていますか? 所謂、亡命についての話なんですよ。何の確認も無いなんて、おかしいですよ!」
あまりの簡単さに、お座なりにしようとする姑息な方便を疑った。
「それとだ──。既に聞いているとは、先程の籠の女の事ではないのか」
問いを重ねたのは高勉だ。
崔弱は一行に視線を戻し。
「はい。理解しております。確認しないのは──。えー、高勉さんですね、先に貴方の問いの答えになりますが、国境で皆さんを助けたのが私たちの隊長、鮑謖少佐です」
そう返答し、これに。
「やはり、か・・」
と、高勉は、さほど驚かなかった。
一方、他の面面はそれなりに意外であったようだった。崔弱はそれを見て。
「失礼しました。私がさして反応を示さず話を進めたので、ご心配になったのですね。順を追って説明させていただきます」
崔弱は一度姿勢を正してから。
「まず、少佐はここ数日、国境へ出向いていました。おそらく皆さんが来られる事を読んでいたのでしょう。ですから私たちにとって皆さんの来訪は慮外ではないのです。そして古い縁故に頼ってという話ですが、ご覧になったでしょうか、少佐の籠の中に黒い塊があったと思うのですが・・」
皆は困惑しつつも、静かに頷いた。
「あれはトリフというキノコで、土に埋まっている事から別名、埋まっ茸と呼ばれています。食通の間では、高値で取引されるものだそうです。あれも、ここ数日に渡って少佐が集めていました。思うに貴族や議員たちへの手土産を用意していたのかと・・」
これを聞いた楽正微は。
「み、土産は失念してました・・」
申し訳なさそうに言い。
「急なことであったから、仕方のないことよ」
百栽が、それを慰撫した。
崔弱も一呼吸あけて。
「少佐が慰霊碑を作られてからの一連の行動を踏まえた上で、この書状を読んだところ、私には得心のいく事ばかりでありました。そのせいで董本様を始め、皆さんについて驚くのを忘れたと言いますか、納得が上回ってしまった次第です。なので、皆さんや、事態を軽視してという訳ではありません。この内容を一度、少佐と共有し、その上で確認するべき事があれば、また明日にでもと考えております」
熟れた感とも言うべき語りで言った。
ここで董本が。
「かの当百の魔女の深慮に頭が下がります。戦いもあり、私も、皆には休んでほしいと考えていました──」
そう言ったことで、話はひとまずの終了となった。
狭く、殺風景な部屋だった。
軍の部屋といえば粗目の軍営を経験したが、それなりに見えた。ここでも同じようものを想像していたら、机と寝台の他は、棚があるだけの簡素なものがきた。それでわかった。
──粗目のは来客用だ。
これが兵の標準なのだと、董本は知った。
そしてこの密閉、閉塞の感は、思念を過去へ誘う力があった。
政変からの怒濤の数ヶ月。
百栽に言われるがまま身を隠し、貴族に保護され、両親始め王族が、自分を残して皆死んだことを知らされた。そのとき、董本は泣いた。
思い出して、今、また泣いた。
そういう意味でも、この部屋には力があった。他の場所ではならなかったので、董本は不思議な何かが作用しているのかと想像した。
乱を鎮めた董彬が王になるという話が出た。周りの大人がどうであれ、董本は、それでも良いように思えていた。
しかし、貴族の屋敷が襲撃され、またぞろ逃げることとなったとき。
「政変の黒幕は董彬かも知れません・・」
百栽の言葉は衝撃だった。
怒りや恐怖ではなく、得体の知れないもの、底の見えない感じ、まったく掴み所のないものがいるようで、すごく遠くに思えた。
しかしながら現実は近く、目の前で高勉が戦い、楽正微も危なかった。
百栽たちが色々と考えて動いている。董本には何が正しく、どうすれば適切なのかはわからなかったが、それでも咀嚼だけはしようと思った。飲み込む力がなくとも、噛む努力はしたかった。それが自分にできる狡くない方法に思えたからだ。
董本は、自分が皆の誠意で生かされてると自覚していた。だから、それに対して誠実で返したかった。
トントン・・ 部屋がノックされる。
「董本様。食事の準備できたそうです」
楽正微の声だ。
董本はドアを開ける。
「先程の食堂でとのことですが、よろしければ、こちらまで運びましょうか?」
「皆は食堂で?」
「はい──」
楽正微も、正解はわからないといった表情であった。
それで董本は自得した。
──顔色を窺うのはズルイ。
自分で答えを出す努力をしなければと、あらためて思った。
「私も食堂へ行きます」
董本は答えた。
わざわざ運んでもらうのも申し訳なかったし、この部屋では、また考えてしまう。食事のときまでは、やめたかった。
食堂では砦の兵たちが既に食事をしていた。
董本一行も、その一角に腰を下ろし、食事となった。
料理はイモと野菜の炒め物で、お世辞にも美味そうには見えなかったが、食べてみると存外に悪くなく、満足感のある風味であった。
董本は、何が予想外なのか具を良く見てみると、焦げた断片かと思われた黒い切れ端が、独特の味わいを生み出していると気付いた。
「先生。この黒いのは何でしょうか?」
百栽に問うた。
「いや──、私も、何だろうと・・」
白髪頭を掻きながら、老人は困っていた。このまま謎のまま終わりそうだったが。
「それが埋まっ茸さ。美味いだろ?」
近くの席の者が言った。
この場に於いて少年の声は耳に珍しく、多くの者が問いを聞き取った結果であった。
彼らは董本の事は知らない。何か重要人物だろうとは推測してるが、だからといって別段、恭しくしたりはしない。鮑謖も崔弱も、特にそうしていなかったからだ。故に、近所の子供に話しかける感で言っていた。
まぁそれでも、非礼と言えば、そうかも知れず。董本一行が偏狭な価値観の者なら、トラブルの元にもなり得ただろう。
さはさりながら──。
董本は、大人から丁寧に接せられ、それで日々疲れを感じていた。そのため彼には、兵士のフランクな言葉がストレスではなく、癒やしを以て響いた。
「はい。美味しいです」
董本は、年相応の感動を見せた。
それは百栽たちには思いがけない事で、彼らは董本から、童心を遠ざけさせてしまっている自分たちを自問するに至った。
砦の食堂の片隅に、少年を見守る、大人たちの健気な姿があった。




